第6話 部屋の中
〈田間マンホール死体遺棄事件〉
次の部屋の表札にはそう書いてあった。老執事がドアを開けた。自然光のように見える白色灯の下、アスファルトに植え込みがある「屋外」を模した空間があった。空調だろうか。どこかからそよ風さえ吹いている気がした。暖かい……というより暑い。上着を着ているのが馬鹿みたいに感じる気温だ。音響だろう。蝉の声までしている。どんな照明を使っているのだろう。上から差す光が太陽みたいに眩しかった。だが、それより気になるものが部屋の真ん中にあった。
それはマンホールだった。まるでこちらを誘惑するかのように口を開けている。嫌な予感がした。だがそれは最初、微かな違和感でしかなかった。
やがてその違和感の正体がにおいだということに気づいた。鼻孔を突き刺すような異臭がした。何かの腐敗臭。どうもにおいの根源はその穴のようだった。俺たちはゆっくりとそれに近づいた。
ぽっかりと、開いた穴。その底。
水が溜まっていた。水面が外の世界から――つまりは俺たちのいるところからだが――差し込む光を受けてうねるような輝きを見せている。これだけ臭いということは下水か……? そう思い、回り込んでマンホールの蓋を見たところ〈雨水〉とあった。下水ではない。なのに何でこんなに臭いのか。
しかしそんなことより気になることがひとつ、あった。
水面に浮かんだ、丸い何か。正直、あれが何なのか想像がつかなかった。ボール? 表面の感じも分かりにくく、妙につるつるしていそうというか、何だか巨大なゆで卵みたいな印象だった。だが、誰かが言った。
「あれが死体か……」
ぎょっとして何人かが、そうつぶやいた奴の方を見る。奴は弁明する。
「だって、さっきの部屋だってナイフで刺された死体が……」
「それに」
今度は俺が彼に応じた。頭にはあの表札があった。
「この部屋の名前は『田間マンホール死体遺棄事件』だった」
沈黙の幕が下りる。
マンホール。死体遺棄。つまりは、そういうことか。
「皆様」
白髪の執事が場を締めるように告げた。
「次のお部屋へ」
執事が部屋から出ていくと、全員、おずおずとその後に続いた。首や背中に汗をかいていたが、それが気温によるものなのか、それともあのにおいの正体に起因するものなのか、さっぱり分からなかった。
蝉の声を背に外に出る。緩やかなカーブを描いた廊下をゆっくり歩く。老執事の歩幅は均一的だった。一歩一歩、計っているかのように、一定のリズム、歩幅で歩いていた。
やがてまた窪みの前に来た。ドアがあった。これは古ぼけた木製のドアだった。それが僅かに、開いていた。まるで入ってくるのを歓迎するかのように。
〈雑居ビル占い師殺人事件〉
次の部屋にはそう書いてあった。執事がドアを静かに開ける。その向こうに、広がっていたのは……。
開け放たれた二面の窓。部屋の入り口から見て左と正面、二方向に窓があったのだが、それらは全て大きく開かれていた。きっと風通しがいいことだろう。この部屋もどこかから風が吹いているような気がした。冷たい風が。凍える風が。
部屋の真ん中には、厚い布団の炬燵があった。そこにこちらに向かってお辞儀をするかのような形で、炬燵の天板に突っ伏した人形がひとつ。首にはおそらく炬燵のものだろう。布でカバーされたコードが巻き付けられていた。綿のたっぷり入った
――雑居ビル占い師殺人事件。
なるほど、そのままのようだ。雑居ビルで占い師が殺されている。窓は開け放たれ、部屋の中にあるものにはほとんど手を付けられず、炬燵のコードで首を絞められ……。
すると俺の真後ろで執事が告げた。
「次のお部屋へ」
俺たちは後についていった。
〈坂西川原女子高生殺人事件〉
部屋が模していたのは、やはり自然光の下にある空間だった。この光源ということはおそらく外であることを示している。コンクリートの地面に、どこにでも生えているような背の高い雑草が茂っている。どれも枯れたような色をしていること、そして空調の風が涼しく設定されていることから秋なのだなと漠然と分かる。そよそよと水の流れる音がした。繁みの向こうを見ていると、部屋の一角を全て使ったちょっとした川が流れていた。立派な橋脚があることから、それなりに大きな川をモデルにしているのだと分かる。現場は橋の影で少し薄暗かった。坂西川原。なるほどそういうことか。
繁みは一か所だけ不自然に葉っぱが折れていて、その先にそれはあった。まずは滑稽だが妙な魅力を持った丸い尻が目に入った。女性のそれだとすぐに分かった。
頭を丸刈りにされた死体だった。体の曲線から間違いなく女性の死体だ。いや、正確には死体を模した人形……。そうであることを確かめるかのように、俺たちの中の勇気ある男性が一人、足で死体をつついた。やはり人形だったらしく、男は首を振った。
「そういや千葉かどこかで女子高生殺人事件ってあったな」
誰かがつぶやき返した。
「茨城じゃなかったか?」
誰かがまた続く。
「女子高生なのか」
「確かめる方法はないみたい……」
これは俺たちの中にいた髪が長くていけ好かない雰囲気の女のコメントだった。さすがに現場をいくつか見てきて刺激にも慣れたらしい。女は死体人形の周りを歩いた。
「うん。手がかりはない」
するとそれを待ち構えていたかのように白髪の執事が告げた。
「皆様。次のお部屋へ」
〈忰田団地首吊り事件〉
その部屋だけ鉄の扉だった。よく、団地なんかであるような、安っぽい。
かちゃりと金属音を立てて開いたドアの先にあったのは、本当についさっきまで誰かが生活を営んでいたかのような団地の一室だった。ぎゅうぎゅうに詰められた食器棚、そしてその横のちびた冷蔵庫。電子レンジの横に食パンの乗った籠があり、いつから出しっぱなしになっているのかもわからない麦茶のポットが台所の脇に置き去りにされている。死体はそんな部屋の向こう、畳敷きの部屋にあった。
多分、この団地を作った人は少しでも他の団地との差別化を図ろうと思ったのだろう。
窓辺には妙な形をした梁が通っていた。そこにロープが結び付けられていた。死体は首吊りだった。ぶらりと、てるてる坊主のようにぶら下がっている。
足元には死体が垂らした糞尿だろう。茶色い水溜りが出来ていた。精巧な汚物で、臭いも、見た感じの質感もまさにといったところだった。窓は開いていなかったが、肌寒かった。
「自殺……?」
女性のつぶやき。ミディアムヘアの茶髪女。彼女ももういくらか慣れてきたのだろう。
「今までの部屋はどれも他殺っぽかった」
背の高い男性がつぶやいた。
「これも他殺なんじゃないかな」
すると俺たちの背後で執事が告げた。
「次が最後の部屋でございます」
嫌な予感は、していた。
そりゃそうさ。こういうのを何件も見せられた後だ。
しかし実際に目にすると緊張感は異常なほど高まった。上部に通風孔のあるドア。安っぽい金属のドア。あのアパートの、ドア。
部屋の表札にはこうあった。
〈
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