第19話 注目

〈富樫敦也は占い師だった……〉

 天井の、モニターから。

 ゲームマスターが滔々と語りはじめた。それはやはり、今し方脱落した富樫の過去についてだった。

〈富樫敦也には孝也という弟がいた。借金まみれだった弟は借りた金を踏み倒すつもりで、身元を隠し兄の元へ行った。富樫敦也はやむなく弟を受け入れた……彼は引っ越し業者に紛れ込ませる形で弟を自身の部屋に匿った。それから二人の生活が始まった……〉

 ゲームマスターの声は、やはり静かで落ち着いていた。まるで用意された台本を読み上げているかのような無機質な響きはあったが、しかしその印象のせいか、言っていることに矛盾はないように感じた。

 彼は静かに続けた。

〈借金を作るだけあって、孝也はかなりルーズな性格だった。兄の敦也も最初は少しの間匿うだけのつもりだったが、次第に孝也が邪魔になり始めた。占い師として僅かに稼いだ金も勝手に使われる。そうこうしている内に生活費が足らなくなった。占い師という少ない収入で男二人分を食わせられるわけがなかった。次第に敦也も借金を作るようになった〉

 だが、当然……と、ゲームマスターは続けた。

〈返済の当てなんてない。敦也も次第に首が回らなくなってきた。やがて敦也の方も逃げる必要性が出てきた。兄弟揃って考えることは同じということだ。おあつらえ向きに、身元を隠している体があった。弟の体だ〉

 その先のことを、考えると。

 俺だって人を殺している身なのに、心臓が冷えるような感覚があった。俺は富樫敦也のことを考えた。自らの弟を手にかけたあいつのことを。弟の首にコードをかけ、踏みつけるようにして締め上げたあいつのことを。どんな気持ちで殺したのだろう。殺人者の心の機微は、例え同じ殺人者であったとしても理解できないことを俺は学んだ。元より、他人だ。理解できることの方が珍しいのかもしれない。自分から「あの部屋」に向かった占い師を、俺はぼんやりと考える。あいつは何を思ってあんな態度で脱落を選んだのだろう。

 ゲームマスターの告白は続いた。

〈ある日、炬燵でくつろいでいる弟を、敦也はコードで絞めて殺した。そうして身元を示す情報の一切合切を隠してから、川井幸男として雑居ビルから出ていった。部屋の中には自分によく似た死体。窓を開け放っていったのは、外部の人間による犯行をにおわせるためだった。富樫敦也の計画は正確に動いた。警察は混乱し、事件は迷宮入りとなった〉

 ゲームマスターの見えない目線が、貝塚聡に向けられたような気がした。

〈見事だ。貝塚聡〉

 モニターが天井に格納されていく。

〈その調子で、頑張ってくれたまえ〉



 貝塚聡の推理は完璧だった、と言わざるを得ない。

 ゲームマスターの解説とほぼ同じ内容を当ててみせた。事件の現場、警察の捜査資料、それから参加者の特徴といった僅かな情報を元に、当時のことを完璧に推理してみせた。このゲームにおいて、あの男は強敵であると判断するしかない。

 そしてそう、俺にはもうひとつ心配事があった。

 松代真帆が俺の事件を調べている。彼女が俺に注目している。彼女は一体どこまで俺に迫るだろう。あるいは頓珍漢な人間を犯人として指名してしまうか。未来が分からなかった。予測さえできなかった。そして気付いた。このゲームで告訴をするということのリスクについて。

 告訴をする以上はある程度の知性がないと駄目だ。逆に言えば、告訴はそのプレイヤーの知性の証明になる。知性を持ったプレイヤーはどう見られるか。つい先ほど、俺が貝塚聡に抱いたのと同じように、と見なすようになるだろう。

 それは、そう、俺が貝塚聡に注目したように。

 他の人間も俺に注目し始めているのだ。他の人間も俺のことを蹴落とそうとし始めているのだ。松代真帆に限らない。貝塚聡を含め大関未菜も、俺を蹴落とそうと事件を調べ始める。調べ始めるに違いない。

 いや、俺がどの部屋の犯人か分かっていない以上、盲滅法めくらめっぽうに事件を調べなければいけない。だが残る部屋は三部屋。そして俺以外の敵も三人。

 ……待てよ。もし、三人が結託して三つの部屋を調べ始めたら? 三人が同盟を組んで俺を蹴落とし始めたら? 三つ撃つ弾のどれかは確実に俺に当たる。誰が最初に俺の部屋を引くかは分からないが、しかし絶体絶命の状況であることに間違いはない。

 だが、それは俺以外のプレイヤーにとっても同じことだった。俺が誰か二人と同盟を組んで動き出せばそれは間違いなく脅威だ。くそ、誰かを抱き込まなければ。誰かと一緒に残った一人を攻めなければ。

 俺はまず松代真帆に目をつけた。彼女なら、さっき簡単な会話をして接点を持てている。もしかしたら……もしかしたら。

「なぁ」

 俺は〈石槫いしぐれ荘密室殺人事件〉の資料を広げている松代真帆に声をかけた。俺の目の前で俺の事件を調べている彼女に声をかけにいくのは、それなりに度胸が要ったが、俺はぐっと感情を飲み込んだ。多少、堅い表情になっていたかもしれない。

「提案がある」

 松代真帆は丸い目をこちらに向けた。

「プレイヤーは残り四人。対して部屋は残り三つ」

 俺と組まないか。俺の提案に、松代真帆はまた目を丸くした。

「俺たちの他にもう一人呼んで徒党を組もう。そして残った一人を確実に追い詰めよう。そうすれば誰か一人は生き残れる。その一人に俺か、お前がなれるかもしれない。どうだ、悪い提案じゃないと思うんだが……」

 すると松代真帆はにやりと笑った。それは何だかひどく不気味な笑顔で、俺は微かに身震いした。

「ごめんなさいね。私、そういう提案、もう受けてるの」

 それも、二人から。

 胸の中で何かが潰れた。呼吸が少し浅くなった。代わりに脈拍が上がった気がした。松代真帆は笑っていた。歪な笑顔だった。

「つまり、私たちはもう三人ってわけ。あなただけ、仲間外れ」

 三本指を立てた松代真帆は、笑ったまま静かに、こう続けた。

「私たちはあなたを狙っている。あなたに注目している」



 考えてみれば当然のことだったかもしれない。

 初手から完璧な推理を見せた大関未菜。難易度の高そうな事件を解決した貝塚聡。

 一方の俺は状況証拠のみのハッタリでゲームマスターを納得させただけの、言わば上っ面の勝者だ。本質的な勝利を収めた二人には到底及ばない。俺の方が劣る、注目された三人の内、蹴落としやすそうなのは俺だ。俺を狙うべきだ。

 くそっ。俺は歯噛みした。一気に不利になった。一気にまずい立場に立たされた。沸騰し始めた頭で、俺はひたすらに考えた。三人の敵の内誰かを確実に落とさないといけない。誰かを確実に脱落させなければ。このままだと俺がやられる。

 三つある内のどれかの部屋に的を絞ろう。確実に仕留めなければ。俺を告訴しようとしている奴を、一人一人正確に仕留めなければ。焦る気持ちで俺は現場再現の部屋へ向かう。どこへ行くべきか。どこを考えるべきか。

 足を運んだことがあるのは〈坂西川原女子高生殺人事件〉の部屋だ。あそこから始めるのがいい。あそこなら少しとは言え情報を掴んでいる。

 俺は静かに問題の部屋に行くとドアを開けた。

 果たしてコンクリートの床が俺を出迎えた……。

 秋の冷たい風を想定した、ひんやりした空調が体を冷やす。そよそよと流れる水。川を模しているらしい。

 俺は一歩踏み出すと辺りを見渡した。何かないか。何か、事件の解決につながるような、決定的な手がかりはないか……。

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