第28話 痕跡

『採取された物的証拠』を読む。


・なわとび――遺体が見つかった家(DMを受け取った女性とその夫の家)に昔からあるものだった。夫はなわとびの大会(一定時間内の回数を競ったり、表演をやったりする大会)に出たり、トレーニングジムでの運動では必ずなわとびをメニューに加えたりするなど、なわとびが趣味だった。三条利通はこのなわとびで首を絞められていた。

・索条痕――紐状のもので首を絞めた際に残る擦過傷。本件では一本しか見つからず、またそれも首吊り自殺をした場合につく形状のものと一致したので、本件は当初、倒錯的な事情の絡んだ自殺かと思われた。

・足紋――線状の紋理を確認したわけではないので、厳密には足跡。畳の上に繊維質のものが足の形状に強く押しつけられた痕跡を発見した。おそらく靴下で踏ん張った時に着いたものだと思われる。かなり強く押しつけられたのか、はっきりと形が残っていた。死体のあった場所から一メートルほど離れた場所で見つかった。足のサイズは推定二十五センチ。三条の足は二十八センチあるので異なる人物の足紋だと思われる。この証拠により、本件には第三者の関与が認められ、殺人事件であると断定された。

・皮膚片――三条利通の指の爪から確認。三条自身の皮膚片だったため、自分の首を引っかいた時についたものだと思われる。自殺の線を打ち消せるほど強い証拠ではないが、他殺の場合には間違いなくつく形跡である。


 なるほどな。足紋と皮膚片が自殺の線を打ち消しているんだ。一見すると支離滅裂な現場でも、何かしらの法則性が見つかっている。

 ではいきなり来たDMの送り主は? 現場から出てきて「首を吊っていますよ」と告げて去っていった女は? 再び『事件全貌』を読もうと思ったが、その前に一度『捜査官の所感』も手に入れておこうと思った。俺は再び書架の方へと向かっていった。


「白いワンピースを着ていました。胸の辺りにブローチがあって、肩はフレアスリーブ。右手の薬指と中指に指輪をしていました。靴は紺のハイヒール。お化粧はちょっときつい感じ……目が、ほら。ばちっとしてて。チークも少し濃かったわ。外国の女優さんみたいで、髪の毛も茶色でカールしていて……」

 以上が第一発見者の母親の証言である。現場に駆け付けた際に部屋から現れたという謎の女性について。いささか細かすぎはしないだろうか? しかし母親の足は二十三センチ、被害者の死亡推定時刻には銀行窓口で手続きをしていたという証言もあり、およそ犯人像と合致しない。誰かを庇っているのだろうか。彼女の周辺に犯人がいることが予想される。引き続き調査を進めたい。


「〈あなたの部屋で首を吊ります〉。確かにそう送られているでしょう? えっ、死んでいる男性のスマホと私にDMを送ってきたアカウントの持ち主とが結びついた? じゃ、じゃあやっぱりこれを送ってきたのって……」

 DMが送られてきた女性の証言である。仕事中にいきなり来たらしい。普段は情報収集程度にしかTwitterを使っていなかったため、いきなりの通知に驚いたらしい。虫の知らせとでも言うべき勘でメッセージを開いてみると、上記のような内容が。しかし冷静に考えてみると、DMリクエストで〈あなたの部屋で首を吊ります〉なんて来たら真っ先にいたずらを疑って削除しないだろうか? 彼女のITリテラシーの問題なので、一概には言えないのだが……。それに加え、彼女の何だか芝居がかった物言いも気になる。


「驚きましたよ。出張の報告書を書いていたらあんな連絡でしょ。一応家の男としては治安を守らないといけないので……」

 第一発見者の夫の証言。妙に口数が少ない。彼の勤務先に行って話を聞いたところ、彼は利発的でよくしゃべる人間らしい。人生で初めて人が死ぬ事件に関与したから、という言い訳は立つが、それにしても大人しい気がする。


「三条利通って言やあれだよ。当たり屋! 事故を装って慰謝料巻きあげるのさ。自動車整備工場の経営主は表の顔だね。まぁ、でもこのところ上手くいかなくて悩んでいたみたいだよ。首吊り? まぁ、するかもなぁ。そういやあいつ、昔現場の団地に住んでたって聞いたことあるよ」

 近隣を縄張りにしていた空き巣を捕まえた際の証言である。どうも三条利通には当たり屋という後ろ暗い過去があったらしい。調べたところ、三条はかつてDM女性たちが住んでいる部屋を借りて生活していた過去があった。あの部屋に何か思い出でもあったのだろうか? 死に場所を思い出の場所にするというのはよくある話だが……。


 四人の捜査官による本件に関する感想がまとまっていた。全体的にどうにも不自然なものを感じてはいるらしいが、どの証拠も間接的すぎるか、一切の関係がないかして犯人像に結びつかないようだ。資料の中に怪しい人物の名前、つまりこのゲームの参加者ないしはその関係者の名前はなかった。まぁ、容疑者らしき容疑者がいないということだろう。

 何か手がかりはないだろうか。何でもいい。些細なヒントでいい。きっかけは、アイディアの火種は、どこかにないだろうか。

 必死に頭を絞ったが答えは浮かばなかった。やむなく俺は、『事件全貌』を手に持ち再び現場再現部屋へと向かっていった。廊下は静かで、やっぱり足は絨毯の柔らかさに飲み込まれた。この屋敷に来てまだ夜も明けていないはずだが、足音が吸収される感じが妙に懐かしい感覚のように、俺は感じた。


 三条利通は「飲み物のラベルを剥がして中身を確認してから飲む」という奇癖があった。以前当たり屋として仕事をした時に同業者と縄張り争いに発展し、相手に薬を盛られた経験があるが故にそのような「中身確認行動」をとる癖がついたらしい。


『事件全貌』に記載があった、ラベルの剥がれたペットボトル。

 確かにあった。キッチンの傍にあったテーブルの上。雑多なものが並んでいる中に、水が入ったペットボトルがひとつ、置いてあった。

 俺は〈忰田団地首吊り事件〉の現場再現部屋にあったテーブルの上を見た。やはりある。俺はペットボトルを手に取ってみた。と、そのタイミングで背後のドアが開いた。

 貝塚聡だった。彼がこの部屋に入ってきた。

「ふらりと来てみれば」

 彼が暗い表情で笑った。

「お前と鉢合わせるとはな」

石槫いしぐれ荘は諦めたのか」

「いや、いい線の情報はあったさ」

 貝塚はこめかみに指を突き立てると、ぜんまいでも巻くようにぐりぐりと動かして見せた。

「後は整理するだけだ」

 それから貝塚はゆっくり俺のいる方に近寄ってくると、俺と並んで現場を観察し始めた。さっきまで俺を追い詰めようとしていた奴と一緒に現場を眺めるのは何だか妙な気分だったが、しかし彼の目の付け所を観察できるのは、もしかしたらありがたかった。俺よりも聡明そうな男だ。俺じゃ気づかないところに気づくかもしれない。

「油断しているところを襲われたみたいだな」

 貝塚はつぶやいた。

「コーヒーを飲んでいるところを襲われていたんだ。椅子が倒れているのはそういうわけだ」

 そうつぶやいてから貝塚は、ぶら下がっているてるてる坊主死体へと近づいた。回り込み、顔を覗く。表情に色が見えた。彼はすぐさま目を逸らした。

「なわとびだな」

 どうも凶器について言っているらしい。

「『採取された物的証拠』ファイルにあったぞ」

 俺は親切にも教えてやった。

「第一発見者である夫がなわとびを趣味にしていたらしい」

「なわとびって趣味になるのか」

「一定時間内の回数を競ったり、表演をやったりするらしいぞ」

「へえ」

 ふと、俺は貝塚の手を見た。人差し指の根元にタコがあった。ぷっくり腫れたそれは何だか別の関節みたいだった。

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