第29話 その時

 その時だった。

 俺は気づいてしまった。

 貝塚聡の手にあったタコを見た時、俺の中であるひらめきが生まれた。

 もしかしたら、もしかしたら。

 だが確証がなかった。告訴が通るような根拠が、説明が、ない気がした。いや、やりようによっては根拠を示すことはできる気はしたが、しかし自信がなかった。ハッタリはさっき〈田間マンホール死体遺棄事件〉でかました。〈坂西川原女子高生殺人事件〉でもかました。三度目はあるか。……ないか? 悩んでいた時だった。

〈告訴を受け付けた〉

 天井から声が聞こえた。

〈全員食堂に集まりたまえ〉

 緊張が走った。多分俺だ。また俺だ。

 だがさすがにこれだけ回数が重なればそこまで緊張しなかった。何とか乗り切れる気がした。いや、乗り切るしかない。乗り切るしかないのだ。それにもし、ここで逃げ切ることができれば。俺が今思いついたこのアイディアも、通すことができるはずだ。

 そういう意味では、運試しか。

 覚悟を決めて俺は食堂へ向かった。俺の後に続くように、貝塚も一緒に来た。



〈大関未菜〉

 果たして告訴席に立っていたのは彼女だった。冷たい目をして立っていた。

〈君は誰をどの部屋の罪で告訴するんだい〉

「若槻明宏を〈石槫いしぐれ荘殺人事件〉の罪で告訴します」

 やはり。

 さすがにもう怖くなかった。彼女が今、何を押さえているか、何を考えているか、分からなかったが大丈夫な気がした。俺は静かに被告台に立った。

「本件の説明は省きます。先程同様です」

 大関未菜の声が響いた。

「私は今回も、玄関上の通風孔カバーに着目しました」

 さっき〈忰田団地首吊り事件〉の部屋で会った時とは打って変わったその態度に、俺は何だか寂しい気持ちになった。まぁ、彼女が誰を告訴するかは完全に彼女の自由なので、おかしいのは俺のこの感情の方なのだが、しかし胸の奥が酸っぱくなる何かがあった。俺はそれをため息で隠した。

「あの通風孔カバーは明らかに後付け。となると殺害時にはあそこは穴が開いていたことが想定されます。あの穴から細江啓二の背中を撃ったとしたら。実際に通風孔から被害者の背中までの線は繋がるかどうか、調べました。結果から言うと、繋がります」

 おお、そこまで。俺は感心しながら話を聞いた。

「先程の告訴で洗濯機の上からの射撃は不可能だと判明しました。しかしあのドアの近辺には足場になりそうなものは他にない。となると、どこかに足場を作るのは難しい。では逆は? 下から上に乗って撃つのではなく、上からぶら下がって撃ったら?」

 背中に冷たい汗が落ちた。そこまで……そこまで来たか。だがまだ、チャンスは……あるのか、ないのか。俺は反論の機会を伺った。しかし大関未菜は的確に俺の嫌なところを突いてきた。

「屋根からぶら下がって撃ったとしたら?」

 いちいちひやりとした。彼女は続けた。

「足場はいらない。上からの下りるだけだから、高さの調節もできる」

「でかい銃だとそれは難しい」

 俺は無駄な抵抗を試みた。しかしすぐに大関は返してきた。

「『採取された物的証拠』にありました。被害者の背中に打ち込まれたのは.38スペシャル弾。拳銃の弾みたいです。つまり大きな銃じゃない。だから片手に持ってぶら下がれる」

 そうだよな。ぶら下がれるところまで辿れればそこ行くのは難しくない。そもそも『採取された物的証拠』の資料があれば簡単に拳銃と弾の種類には辿り着ける。大関くらい勘が働く人間なら当然と言えば当然。

「若槻明宏は屋根からぶら下がって被害者を射殺した。その後通風孔カバーで穴を覆って隠して、密室を作り上げた。実際に、通風孔カバーをはめ込む時にできたと思われるハンマーの跡が通風孔周辺にできていました。外部からカバーをはめたものだと思われます」

 そっか、なるほどな……。

 絶望的状況なはずだったが俺は妙に冷静だった。それは、そう、競技射撃で的を前にした時のような、心が波紋のない水面になったかのような感覚で、俺は静かに、ゆっくり、心の中で銃を構えた。それから、狙いすましたように一言発した。

「……銃はどこから手に入れた?」

 これは言っていいのか、分からなかったが。

 被害者、凶器、犯人。この三つが繋がらなければ殺人事件の告訴は成立しない。今のところ細江と俺は繋がったかもしれないが、間に入った凶器が抜けている。これさえ立証されなければ。これさえ守り切れれば。

 大関は言い返してきた。

「……現場近くの立宗大学には射撃部があります」

 俺はにやりと笑った。そうさ、そうだろう。そっちに来るだろう。

 俺は反撃する。

「競技射撃用の銃じゃ殺傷力のある実弾は撃てない。そもそも競技用のは空気銃だってある。弾と銃が一致しない」

 大関が黙る。

「銃の入手経路は? 確かに銃を持っている人間が犯人かもしれない。でも俺と銃は結ばれない」

「射撃部がある関係で、大学近くには専門店があると思います。銃と弾丸自体はそこで……」

「さっきも言ったが……」

 俺は遮った。

「競技射撃用の銃と実銃は違う。その専門店が何であれ、銃と弾を入手するのは難しい。しかも正規ルートで銃を手に入れるには特別な免許や資格がいる。簡単には手に入らない」

 これに対し大関はしゃべらなかった。ゲームマスターがつぶやいた。

〈大関未菜〉

 しかし彼女は答えない。

〈証明できないのかね〉

 黙ったままだった。

〈では、告訴は認められない〉

 発言権を一回分、没収する。

 ゲームマスターはつまらなそうにそう告げた。後に残された大関未菜は、屈辱という表情でそこに立ち尽くしていた。

 天井のモニターが格納されていった。やがて静寂が訪れ、俺は被告台を下りた。振り返る。七つ並んだ椅子の背中が寂しかった。俺はため息をついた。



 この手は使える。

 そう、俺は思った。銃と俺の関係さえバレなければ逃げ切れる。メキシコ人の闇ルートさえバレなければ何とかなる。

 無敵のカードを手に入れたような気分だった。銃という、この日本においては特殊な凶器で殺害している利点は大きかった。他の奴が銃と俺とを結ぶのに苦労している間に、俺が攻めればいい。しかも大関は一回告訴権を没収された。とりあえず今は貝塚だけを警戒していればいい。

 そして……。

 俺にはあるもう一枚切り札があった。銃と俺の関係が守りのカードだとしたら、このもう一枚のカードは攻めのカードだった。

 しかしこれを使うには、やはり確認が必要だった。きちんと動作するか、それを調べなければならなかった。

「なぁ」

 告訴台から下りた大関と、傍聴していた貝塚をつかまえて、俺は提案した。

「残り二部屋、全員で順に巡ってみないか」

 二人がポカンとした。俺は続けた。

「ここまで残ったんだ。全員足並み揃えて、せーので戦うのもアリだろ」

 まぁ、無理のある提案ではあった。勘ぐられても仕方ない。だが俺にとってはやってみる価値のあることだった。

 それに、このせーの、で戦う手段はゲーム冒頭に貝塚が仕掛けた指名ゲームに似ていた。意趣返し、というやつだ。

 すると、俺のこの提案に、意外にも大関が乗った。

「いいよ。どこから行く?」

 にやつきそうになる顔を堪えて、俺は答えた。

「〈忰田団地首吊り事件〉……」



 団地の部屋に行くと、俺はすぐさまテーブルの方に目をやった。静かにしていると、まず大関が口を開いた。

「結構体が大きい」

 どうも死体のことを指しているようだ。

「これを吊り上げようと思ったらかなり筋力がいる」

「……女の自分は犯人じゃないって言いたいのか?」

 貝塚が噛みつく。しかし俺はそれをかばった。

「いや、さっき大関は自分がこの部屋の犯人だと宣言していた」

 貝塚が俺の方を振り返る。

「後はこの部屋と大関を繋ぐ線が見えればいい」

 貝塚が強い目を大関に送った。彼女は微笑むような顔でそれに応えた。

「私、この部屋の犯人だよ」

 貝塚が鼻で笑った。

「どうだか」

「信じる信じないは自由だよね」

 そしてそう、この時、初めて。

 大関未菜が無邪気に笑った。俺にはその笑顔が、やっぱり華代のそれに、見えてしまった。

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