第31話 どうするか

 さて、どうするか。

石槫いしぐれ荘密室殺人事件〉の部屋にいながら、俺の心は食堂の方に飛んでいた。

 告訴を、すべきかどうか。

 俺の心には余裕があった。もう既に、大筋が見えたからだ。誰が〈忰田団地首吊り事件〉の犯人で、誰が冤罪かもう分かった。ただ、気になるのは冤罪のあいつは何を思ってこんな面倒事を背負いこんだのかということだ。いや、あいつは冤罪者らしい態度はずっと取っていた。だから今さらこの事実が分かったところで……という感じは正直あった。

 加えてもうひとつ考えたいことがあった。このクラブの目的だ。迷宮入り事件の犯人たちを、一、どうやって特定・招集して、二、何が目的で集めて、三、何故競い合わせるのか、それが分からなかった。思えばこの問題が一番大きな問題だ。これさえ分かれば俺たちは競い合うことも、蹴落とし合うことも、しなくてよかったのかもしれない。

 俺は考えた。冤罪者の不自然にも見える振る舞い、そしてクラブの目的。せめて何かヒントがあれば……と思ったが、この屋敷にあるのはこの事件再現部屋と上の娯楽施設、そして食堂と資料室だけ。隠し部屋の類があった場合それは考慮に入れられないが、しかしとりあえず目に付く範囲だけで考えてもそれだけ。分からなかった。しばらく知恵を捻ったが、それでも一歩も前に進まなかった。

 いや、厳密に言うともうひとつ、考えるべきことはあった。

 俺の罪をどうやって冤罪者に着せるか。俺の〈石槫荘密室殺人事件〉をどう料理して冤罪者の罪に見せかけるか。それについて考える必要があった。これはもしかすると〈忰田団地首吊り事件〉の謎を解くのより大きな問題だった。

 だが現実問題としてもう、〈忰田団地首吊り事件〉の方は解けている。冤罪者の振る舞い、クラブの目的、自分の罪の着せ方。三つを考えるのは無理だ。せいぜい二つまで。重要度が高そうなのはクラブの目的と自分の罪の着せ方だ。仕方がない。冤罪者については一旦考えないことにしよう。

 俺の部屋をあれこれ調べる大関未菜と貝塚聡を見つめながら、俺は深く深呼吸をした。肺の隅々まで空気が渡っていって、少し頭がクリアになった、気がした。

 俺は再び〈石槫荘密室殺人事件〉の部屋の中に入って考え事を続けた。大関未菜はやはり通風孔が気になるらしく入り口から入ってこない。きっと室内については十分検討したのだろう。一方の貝塚聡はまだ部屋の中の様々な小物を眺めたり、家具や間取りの配置なんかを気にかけている。二人を見ていて思った。冷静になって考えてみれば、〈忰田団地首吊り事件〉を冤罪者に被せて、〈忰田団地首吊り事件〉の真犯人に俺の罪を着せるのでもいいのか。しかしそれは難易度が高い。簡単なのはやはり〈忰田団地首吊り事件〉にはその真犯人を、そして冤罪者には俺の〈石槫荘密室殺人事件〉の濡れ衣を着せるのがベストな選択肢だろう。

 さすがに調べ尽くしているのか、大関未菜の方が困った顔をし始めた。それを見て俺は思った。

 いじけた時の華代にそっくりだ。

 小さい頃、俺のいたずらに困った時の顔にそっくりだ。

 もう二年間も会っていない。

 いや、もしかしたら一般的な兄妹というのも、二年や三年音信不通になることくらい、あるのかもしれなかった。だが俺たちは普通の兄妹よりもずっと仲が良かった。いや、少なくとも俺は仲が良かったと思っている。何せ社会人になってからも、料理を振る舞いに行ったり、定期的に会いに行ったりするほど気にかけていた妹なのだ。あいつが俺をどう思っていたかはさておき、二人で食事をする時、二人で酒を飲む時、華代は色々なことを相談して、話して、笑ってくれたし、俺も華代に相槌を打って華代の話しやすいようにしていた。今、困っている顔の大関未菜を見て、俺は堪らなく、話を聞いてやりたい気分になった。だが無理な相談だった。大関未菜は他人の空似。華代じゃない。華代じゃない。

「駄目だ。分からねぇ」

 不意に、貝塚聡が音を上げた。意外だった。こいつも弱いところを見せるような一面があるのかと思った。何か裏があるのではないかと勘繰ったが、しかし眉間を揉んで目を瞑っているあたり本音のようだった。大関未菜が続いた。

「私もこの部屋から得られるものはもうないと思う」

「……そうだな」

 俺も適当に同調しておいた。そして提案した。

「資料室に行くか」

 すぐさま貝塚聡が反応した。

「みんな揃ってか」

「別に個別に行ってもいいが、結局行くところは同じだろう」

「娯楽施設で頭を冷やしたい人がいるかも?」

 大関未菜が小さく笑った。その笑顔に、心を撫でられる自分がいた。

「それ、ありかもな」

 気づけば俺は彼女の話に乗っかっていた。

「俺は資料室で調べるよ」

 貝塚聡はむすっとしてつぶやいた。大関未菜も続いた。

「私は屋敷の中を散歩でもしようかな」

 何だ、彼女は俺と来ないのか。

 がっかりしたような安心したような、不思議な気持ちだった。仕方ないので、俺は自分の気持ちを諦めた。

「じゃ、それぞれ別行動ということになるな」

 俺は部屋を出た。向かう先は……リラックスルームあたりがいいだろうか。

 俺の後に大関未菜が部屋を離れた。残された貝塚がいつ部屋を出たかは分からないが、俺は階段を上って娯楽施設を目指した。



「進展はどうですか」

 リラックスルーム。女性の施術師に身を任せながら深く息を吐いていると、彼女が訊いてきた。俺は答えた。

「さっぱり」

「そうですか」

 そこで会話が一瞬途切れた。俺はふと、さっきこの人に施術してもらった時、何かを疑問に思ったことを思い出した。何だっけ。ああ、そうだ。

 俺はそれを訊ねた。

「……あなたも何か罪を犯しているんですか?」

 もしかしたら彼女も迷宮入りクラブの会員なのかもしれない、と思って俺が訊くと、女性が答えた。

「子供を虐待して殺しました」

「それはひどい」

 自分のことは棚に上げる。

「ええ、最低の母親なんです、私は」

「でも逃げ続けている」

「ええ」

「その心は?」

「怖いから、ですかね」

 女性の息が裸の背中にかかった。

「あの子の怨霊が。捕まったら、見逃してくれるのかもしれませんけど。でもあの子の怨霊から、とにかく逃げたくて」

 あなたは……、と、女性が小さくつぶやいた。

「ご自分のなさったことを、綺麗に分解して並べられるとおっしゃいましたね」

「ええ」

 そういえばそんなことも言った。

「なら、他人に罪を着せるのも簡単でしょうね」

 それがそうでもない。さっきから苦労してばかりだ。だからドーナツ型の枕に顔を突っ込みながら返す。

「そうでもありませんよ」

「私はタオルで絞めて、踏みつけて、それから包丁で切って、いつの間にか殺していました」

「随分念入りにやりましたね」

「ええ。でも何が一番の決め手だったか気づかなくて」

 その点俺は簡単だ。銃で撃った。まず火薬が発火しその結果膨張したエネルギーで弾丸が飛び出て、それが細江の背中をぶち抜いた。それだけ。後のことは――屋根からぶら下がっただの、通風孔カバーで現場を塞いだだの――直接死因に関係しない。分解して並べられると言ったが、それは要素が少ないと言うだけのことだ。別に隅から隅まで理解しているわけじゃない。第一、人を殺そうと思ったあの攻撃的な感情は、今でも消化、分解できていない。

 学生の頃、競技射撃をやっていた頃は違った。自分の感情を分解して、観察して、それから丁寧に並べて気持ちを落ち着けていた。道具もそうだった。銃を分解して、それぞれ磨いて、メンテナンスして、それからまた組み立てて。撃鉄ハンマー、グリップ、引き金トリガー銃身バレル銃体フレーム……懐かしいそれら。また並べて磨いて組み立てたい。そう思った時だった。

 ――待てよ。そうか。

 天啓的なひらめきだった。空から降ってきた着想だった。そのアイディアを検討する。現役だったあの頃、自分の感情を分解する時のように、銃を分解する時のように、丁寧に、点検する。そして考える、考える、考える……。

 多分、いける。

 俺は狙いを定めた。これで、もしかしたら……。

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