第14話 考えろ

 考えろ。考えろ。知恵を巡らせろ。諦めるな。

 高松優子が弾劾された後、食堂を出た俺は必死に頭を働かせていた。食堂奥の「あの部屋」に連れていかれたらどうなるのかは分からない。だが元より俺たちは殺人犯だ。犯罪の証拠、事件の真相という決定的なものを握られていて安全で済むわけがない。「あの部屋」の向こうにあるのが死である可能性は低いかもしれないが、実質それと同等のペナルティが待っている可能性は高い。

「あの部屋」に送られるのは嫌だ。「あの部屋」送りは避けなければ。そして「あの部屋」に送られないようにするには、俺以外の犯罪者の罪を暴かねばならない。

 やるべきことは分かった。だがどうすれば……。

 ……大関未菜は、与えられた情報を総括して高松優子を追い詰めた。

 ……俺も、そうすればいいんじゃないか。

 部屋、と資料。

 それぞれを使って、謎を解く。

 だが、俺がそうこうしている間に他の奴が俺の部屋を解こうとしている……自分の部屋の謎を残しつつ、他人の部屋の秘密を明かさねばならない。

 時間を無駄にはできない。すぐにでも動かなかければ。

 しかし今から新しい部屋を調べるのでは遅い。既にゲームは始まっている。つまり、俺はさっき首を突っ込んだあの事件を調べる必要がある。


〈田間マンホール死体遺棄事件〉


 部屋には行った。一応、細かく見たつもりだ。もう一度行くべきかどうか分からないが、しかし一度見て回ってはいる。新しい情報を得る、という意味では資料室に行った方がいいだろう。〈田間マンホール死体遺棄事件〉の資料を調べてみて何か使える情報がないか……それを探る。それがいい。そうするしかない。

 俺は早速資料室へと向かった。大きな書架の前に立つ。探す。札があるので、すぐに分かった。


〈田間マンホール死体遺棄事件〉


 たくさん並んだ本の背表紙を見る。『事件全貌』『採取された物的証拠』『捜査官の所感』。どれを読むか迷った。だが全貌がつかめないことには『採取された物的証拠』や『捜査官の所感』を知っても何も分からないのではないかと思い、『事件全貌』を手に取った。薄いノートのような本で、これならすぐに読み込めそうだと思った。

 巨大なデスクの前に立つと、ノートを広げた。目次を見た。『事件発覚』『捜査開始』『その後の展望』大きく三項目。俺は『事件発覚』から読むことにした。三ページ目から。目を通す。


 東京都多摩市の一角にある田間という町にて「マンホールから悪臭がしている」と役所に通報があった。職員が駆けつけマンホールを開けてみると、雨水槽の中にマネキンのようなものが浮かんでおり、回収しようとしたところ……マネキンは遺体だった。

 腐敗が進んでおり顔面、指紋等での照合が不可能だったが、右腕の傷跡により身元が特定される。

 小室竜弥という男性で事件発覚の一週間前から捜索願が出されている人物だった。

 現場の近くに住む男性、右島辰徳が容疑者として捜査線上に上がる。マンホールのふたを開けられるだけの工具を所有しており、なおかつ小室との交流もある唯一の人間だったからである。

 しかし右島には事件が起きたと思われる一カ月間、怪我の治療のため神奈川県の病院に入院していたという鉄壁のアリバイがあった。


 難しそうな状況だった。迷宮入りした事件なだけある。

 俺は次に『捜査開始』のページを見た。そこには担当した警察官、刑事、それからどのような捜査をしたのか、事細かに載っていた。


 通報を受け現場に駆け付けたのは西谷薫子警察官だった。異臭の件については実は以前から数名の住民から報告を受けており、この度の通報は意外でも何でもなかった。というよりは、調べなければならない仕事と向き合わなければならないという所感だった。来るべきものが来たのだ。

 果たして現場に到着した西谷警察官が見たものは、ひどい悪臭を放つ肉の塊だった。現場にいた職員の内、肝っ玉のある男性職員が既に雨水槽から引き揚げたところであり、西谷警察官は鼻を曲げながらも「現場を荒らされては困ります」と彼に苦言を呈した。

 西谷警察官が確認した遺体は次のような状態だった。

 腐敗し、水を吸い、真っ青になり大きく膨らんだ体。四肢はだらしなくアスファルトの地面に放り出されており、歯は数本抜け落ち、鼻の辺りは溶け、目玉は飛び出ていた。西谷警察官は警察手帳に簡単に状況をメモするとすぐに応援を要求した。それから三十分ほどして、警察署の職員が数名、送り込まれた。

 ずるずるになった遺体の回収にはかなりの労力を必要とし、西谷警察官は防護服を着てその業務に取り組んだ。果たして遺体は検死を受け、次のようなことが分かった。

 遺体の身元は小室竜弥二十九歳。都心のIT企業に勤めるシステムエンジニアで、社内の評判は可もなく不可もなくといったところだった。恋人含め女性関係の噂は確認されず、家族も「この二年くらい正月も実家に帰ってこなかった」と嘆いており、事件の報告を受けた母親は泣き崩れた。

 唯一、近隣住民の右島辰徳が小室と地元のバー「ラテリア」で頻繁に会っていることが目撃されており、警察は右島が本件に関与しているのではと疑い、捜査を開始。しかし右島は、腹部に負った刺し傷の治療のため神奈川県にある大病院で治療を受けており、事件発覚時はおろかその二週間前から、病院を一歩も出ていないことが確認された。

 やがて捜査が進むと、右島は田間近辺の薬物を扱う売人だったことが判明し、小室は右島が関与する暴力団からドラッグを入手していたことが分かった。警察は「薬物関連で揉めた小室を、右島が殺害した」と睨み右島の近辺をさらに洗うが、調べれば調べるほど右島のアリバイが固くなり、果たして右島は事件の遂行が不可能だったことが確定した。

 なお、右島はかつて下水工事業社に勤めていたことがあり、不正なルートからマンホールを開けるための特殊器具を入手していたことが分かったが(実際に薬物の売人を始めた当初は住居近くのマンホールを薬物の貯蔵庫にしていたことがあった)、器具にはこの数年使った形跡がなく、これもやはり右島のアリバイを裏付ける証拠になるだけだった。

 小室の関係者に怪しい人物がいないならば、と警察は田間町を荒らしていた空き巣や、駅の前に住み着いていたホームレスなどを調べるがいずれも小室の情報とは結びつかなかった。やむなく警察は発見された遺体である小室竜弥について捜査を再開。小室の部屋を調べるが事件に巻き込まれるような形跡は見当たらなかった。部屋から複数のDNAを採取したがいずれも遺体のものと一致。捜査は暗礁に乗り上げた。

 ……


 続けて俺は『その後の展望』の項目を見た。大雑把な内容だったが、次のようなことが短く書かれていた。


 今後の事件の進展に当たって、まずは右島のアリバイを崩す必要があるが、しかし今のところ右島の時系列に穴はなく、完璧である。小室竜弥に他の関係者はいないか、さらに調査したが、近隣住民も会社の関係者も、果ては暴力団の構成員にさえ小室と密に接していた人間はいなかった。一番濃い関係性を持っていたのはやはり右島で、彼は小室の家に遊びに行ったことも、小室が彼の家に遊びに行ったこともあるらしかった。しかしこれだけ親しくてもシロであることに変わりはない。今後の展望としては、小室の隠された関係者がいないか、その人物の持つアリバイに穴がないか、適宜調査する必要があることを書き記すにとどめておく


『事件発覚』『その後の展望』がいやに短い。最初の印象がそれだった。俺はやや長めの『捜査開始』の項目を何度か読み返した。そうして感じた印象があまりにも大きかった。これ、これって、まさか、いや、でもそうだとしか……。

 書架に戻った。俺はすぐに『採取された物的証拠』の本を手に取った。適当なページに飛んだ。ざっと目を通した。


 小室の部屋から見つかった証拠物件について。

・ヘアブラシ――遺体のDNAと一致する髪の毛を数本確認。同時に遺体とはDNAが異なる短い髪も検出されたが持ち主は不明。随分汚れていて、いくつもの髪の毛が絡まっていた。

・ラグマット――直径三十六センチの円形。無印良品の商品である。同じく遺体と一致するDNAを持つ髪の毛、爪の切れ端、耳垢を確認。

・ベッド――ニトリで販売されている組み合わせベッド。誰かが寝た形跡があるが、そのおおよその長さを測ると小室よりやや身長が低いことが分かった。ここからも遺体と同じDNAを持つ皮膚片が発見される。

・薬物の一部――MDMAの錠剤の欠片。小室が常用していたものか。

・ホテルの領収書――事件発覚時の二カ月前から五十七日間宿泊していたことが分かるものだった。ホテルに問い合わせたところ、当該領収書は部屋の予約時に発行されたものであることが分かった。ホテルは田間町内にあり、明確なものが多い本件にしては疑問点の多い証拠である。

・複数の鉄パイプ――直径三センチ。長さは二パターンあり、二メートルのもの一本と五十センチのものが四本。短い方の先端に赤錆が付着していた。これも謎の多い証拠の一つである。

 ……


 それらの物的証拠を確認して、俺はやはりある確信を強くした。これは、やはり、そういうことだ。

 俺はおそるおそる挙手をした。すぐさま、天井にあるスピーカーから声が聞こえてきた。

〈若槻明宏〉

 声が俺を呼ぶ。俺はすぐさま答えた。

「告訴したい」

「えっ」

 誰かがそうつぶやいたのが聞こえた。「もう……?」女性の声。

〈ほう、そうか〉

 マイクの向こうで、ゲームマスターが微笑むのが聞こえた気がした。

〈全員、食堂へ〉

 俺は真っ先に資料室を出ると食堂へと向かった。俺に遅れて数名の参加者が続いてきた。

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