「彼」の事情(1)


 多重人格――現在は、「解離性同一性障害」という名称で知られているが。俺も探偵という職業柄、そのことについては調べたことがある。その知識をもってしても、やはり「野見山家3姉妹が、同一人物」などとは、にわかに信じられるものではなかった。



「彼女の場合はですね、一般的に知られている多重人格とは、ちょっと異なるんですよ」


 そんな俺の思いを察したのか、一清は「恋人・松音」の人格に関する詳細を、語り始めた。



「こういった多重人格の症状では、それぞれの人格が独立していて、別の人格が何かのきっかけで、本来の人格を押しのけて突然現れたり。そしてまた突然元に戻ったりするなど、本人にも第三者にも、その変化の予測が付かないことが多いんですが。彼女の場合は、ちょっと違うんです。


 彼女……僕の見立てでは、本来の人格である”長女”の『松音』が、他の『2人の妹の人格』のイニシアチブを握っているんだと思いますが。その松音は、必要に応じて、『妹の人格を呼び出す』ことが出来るんです。つまり松音は、誰かと接したり交渉するような状況になった時に、ここは『竹乃』の方が都合がいい、ここは『梅香』の方が上手くいくなど、その時その時の状況によって、妹の『竹乃』もしくは『梅香』を呼び出して、その人格になることが可能なんです。


 そしてこれは、僕自身もびっくりしたんですけど。松音は、竹乃や梅香に『変わる』際に、体つきまでその性格に応じて、微妙に『変化する』んですよ。これはすでに、桐原さんも実際にご覧になった通りですが。もちろん急に背が髙くなったり低くなったりするわけじゃないですけど、竹乃の時は自然と猫背のような体勢で、上目遣いに相手を見るようになり。逆に梅香の時は、シャキッとした姿勢でフランクな言葉遣いをするなど。同一性障害を持った人は、知能や体力、そして体質までも、それぞれの人格に添った変化が起きることがある、という話を聞いたことがあります。


※例えば、ある人格では見られなかったアレルギーが、他の人格で発生したとか。他の人格は『一般的な体力』しか持ち合わせていなかったのに、ある人格に置いてだけ、重量挙げの選手に成り得るほどの力持ちに変化したとか、そういう事例があるようです。松音の場合は、それを自分である程度『コントロール』することが出来るんですね。


 こんな話をいきなりしても、とても信じてもらえないだろうと思って、まずは桐原さんに、『3姉妹』に実際に会ってもらったんですが。今なら桐原さんにも、ご理解頂けるかと思います」


(※ここに記載している症状は、M・ナイト・シャマラン監督の映画『スプリット』の中で語られる、解離性同一性障害の症例を参考にしています)



「つまり、思い切りぶっちゃけた例え方をすると。松音は、必要に応じて2人の妹に、見栄えだけでなく性格そのものまでも変化させる……というより、その人物に『なり切る』ことの出来る、ずば抜けた『変装の名人』だということなんです。ほんとに、到底信じられないような話でしょうけど、これは僕が身を以て体験した、紛れもない『事実』です」



 見栄えだけでなく、人格までもが「その人物」になり切ってしまう、変装の名人か……。例えとして適当かどうかはわからないが、松音の場合その例えは「言い得て妙」かもしれないなと、俺は思っていた。


 どうやら俺はまたぞろ、「かなりやっかいな案件」に足を踏み入れちまったみたいだな……俺は内心そう考えながら、とりあえず現時点で「確認しておくべき点」を、一清に問いかけた。



「なるほど……。では、それを踏まえた上で。笹川さん、あなたは当初、あなたの『恋人に関する問題』ということで、私に依頼をしてきましたが。松音さんはじめ、妹さんたちが言っていた……いえ、これは松音さん1人が、『形を変えて』、繰り返し私に伝えたということになるんでしょうけど。松音さんのご実家である、野見山家の跡継ぎ問題というのは。『実際に起きていること』なんでしょうか……?」


 それがまず、最初に感じた疑問だった。なぜなら、3姉妹が松音1人の人格が分裂したものであるなら、当然「誰を跡継ぎにするか」という問題自体が消滅するからだ。実は松音は、野見山家の「一人娘」なのだから。しかしやはり、それはそれで、複雑な問題が生じているようだった。



「はい、その質問をされるのは、ごもっともかと思います。実は野見山家でも、松音が多重人格の持ち主だということは、当然知っていまして。出来れば当家を継がせる上で、そういうややこしい問題は取り除いておきたいと考えたようなんですね。そこで当家は、3姉妹が『実在する』と認識したかのような前提で、松音と話し。姉妹のうちの、1人の夫に後を継がせると伝えたのです。


 当然松音は、自分に跡を継ぐ権利があると思ってますから、『他の人格』に後を継がせないためにも、妹たちの人格を『封印』してくれるのではないかというのが、当家の狙いでした。別人格が急に消えてしまうということはなくても、松音の中で封印しようという思いが強くなり、跡継ぎとなってその状態が持続すれば、いつかは『元の松音』に戻ってくれる。そんな期待を込めた『作戦』だったんですね。


 加えて、跡継ぎを松音本人ではなく『配偶者』に指定することによって、松音が結婚に踏み切ることになれば、それも人格の統一に繋がるのではないかと。当家は、出来ればそうなって欲しいという願いを込めて、松音だけでなく『妹2人』の人格にも、跡継ぎに関する条件を伝えました。


 私と同じく当家でも、松音が妹2人の『イニシアチブを取っている』と考えていましたから、松音自身の人格に、より強い自覚を持たせるための『跡継ぎ条件』だったんですけど。しかしこれが逆に、妹2人の人格が、それぞれのアイデンティティを強化する結果になってしまったのです。


『念を入れて』という意味で、竹乃や梅香の人格にも同じことを伝えたのが、まずかったようですね。竹乃も梅香も、自分が跡継ぎになれば、松音に代わってイニシアチブを握れる可能性があると考えたのでしょう。それまでにも増して、竹乃は竹乃らしく、梅香は梅香らしく振舞い。自分たちが『個々の独立した存在』であることを、アピールし始めました。松音の多重人格を、消し去るとまではいかなくとも、少なくとも弱体化させるつもりの計画が、全くの逆効果になってしまったんです……」



 一清の話を聞いて、俺は頭を抱えたい心境になっていた。……素人療法ってやつは、時に最悪の結果に繋がったりするが。これはまさにその「最悪のケース」ってことか……。道理で、竹乃は見てるこちらがイライラするほど内省的で、梅香は逆に自分のペースで進めていくほど積極的と、それぞれの人格が「個性を存分に発揮していた」わけだな。それぞれのアイデンティティが、名家の跡継ぎという、まさに「存在意義」を見出したんだからな……。



「なので今は、松音が妹たちの人格をコントロール出来なくなりつつあるという、非常に危険な状態になってるんです。ヘタをすると、本当に竹乃か梅香のどちらかが、松音よりも『上位の人格』になってしまいかねません。バイタリティのある梅香はともかく、内気な竹乃にはそういう心配はないかと思うかもしれませんが、竹乃はああ見えて、一度思い込んだら周りが見えなくなるような時があるんです。まあ、元々が『松音』ですから、見た目通りのヤワな人格ではないことは確かでしょうね。


 こういった事態になってしまったことを受けて、僕は桐原さんに依頼をしようと思い立ったんです。僕が調べた限りでは、桐原さんは『通常では理解しがたい案件』に、何度か関わった経験があるようなので……この件も間違いなく、そういう『理解しがたい』内容ではないかと思いますから」


 確かにこれは、やっかい極まりなく、そして通常ではとても理解しがたい案件だな……。西条の言う通り、俺は本当にそんな案件を「自分で呼び寄せてる」のかもなと、俺はなんとなく思い始めていた。



「そこで、桐原さんにお願いしたいのは。松音が、今まで通りに松音でいられる方法があれば、それを見つけ出して欲しいんです。この際、竹乃や梅香の人格が『残ったまま』でも構いません。松音が、竹乃や梅香より『下位の人格』になり、表に出て来る頻度が少なくなってしまうことは、出来れば避けたい。また、このまま人格同士の『主導権争い』が続けば、別人格のコントロールを失うだけでなく、松音自身の精神が崩壊してしまう危険もあるかと思いますから……。


 本来なら、同一性障害に詳しい精神科医などに、助けを求めるべきなんでしょうけども。私も自分の恋人のことですから、自分なりに色々と調べたんですが。多重人格というやつは、それこそその事例ごとに、様々な症状があるんですね。人格が分裂した原因、その時期、分裂した人格の数、などなど。その事例によって、全く異なる症状、状態が見られるんです。


 ましてや松音の場合は、その中でも『特殊中の特殊』と言える症状ですし、多重人格を専門とする医師や学者にも、『初めてのケース』になると思います。そうなると最悪の場合、松音は医師や学者の、『実験対象』にされかねない。貴重なケースを詳しく調べたいからと、『長期入院』なんてことになったらそれこそ大変ですからね。そんな展開も、僕としては出来れば避けたいんです。


 なので……本当に、無理難題と言える依頼で申し訳ないんですが。ここは、『理解しがたい案件』を幾つも解決した実績のある、桐原さんにお願い出来ればと……」



 本当にその通り、これは正真正銘の「無理難題」だなと、俺は感じていた。だが、俺には「3姉妹」の話を聞いて、思い立ったことがあり。更に、俺の「成すべきこと」も、かすかに見出し始めていた。


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