3人目の「彼女」


 ほんとにどうも、その、お手数をおかけして、あの、ありがとうございます……と、何度も何度も俺に頭を下げて、竹乃が事務所から去っていった、その約1時間後。この日3人目の依頼人、野見山家の3女・梅香が、予定通りに事務所へやって来た。



野見山梅香のみやまうめかさん、ですね。どうぞ中へ……」


 俺がドアを開け、挨拶がてら、そう言い終える前に。梅香は「あんたが桐原さんだね? じゃあ、ちょっとお邪魔するよ!」と、俺の脇をすり抜けて、ズカズカと事務所へ入って行った。


「ありゃあ、探偵事務所の『代表』とか名刺に書いてたからさあ、助手とかそういう人がいるのかと思ってたけど。この様子じゃ、あんた1人でやってるとこみたいだね? まあ、助手のいるいないや、事務所の綺麗汚いは、探偵の腕には関係ないだろうから、よしとするか」


 そう言って梅香は、早くも俺の使用するデスクの前に立ち。デスクに片腕を付きながら、「それじゃ、早速依頼の件について話をしようよ。善は急げっていうしね。あんたも、あたしが『3人目』になるんだろうし、無駄な手間は省きたいでしょ?」と、歯切れよくハキハキと喋り続けた。これまでとは打って変わって、俺の方が催促される立場になってしまっていた。



 3女である梅香は、姉妹の中で一番若いことは間違いないが、まだ20代中盤か、もしかすると20歳そこそこという可能性もあるかなと、俺は感じていた。松音は背中まで伸びるストレートの黒髪で、竹乃は肩にかかる程度の長さだったが、梅香も姉2人と同じ黒髪ではあったものの、両耳が見えるくらいのショートカットにしていた。更に、スカートではなく素足の太腿が眩しいホットパンツを穿いていて、話し方も相まって、ボーイッシュでスポーティという印象を受けた。



「それではお言葉に甘えて、早速お話を伺いましょう。宜しければ、そちらのイスにおかけになって……」


 俺はデスクのイスに座ったあと、これまでのように、梅香にも座るよう促したが。


「え? ああ、あたしは立ったままでいいよ。でも、あんたが座った方が話しやすいってんなら、座ってもいいけどさ。どっちがいい?」


 まだデスクに片手を突いたまま、イスに座った俺を見下ろすようにそう言う梅香を見て。俺は内心、「これはこれで、またやっかいな相手だな……」と思っていた。竹乃のように、なかなか喋ってくれず、話し出しても歯切れが悪いというのもやっかいだが。ここまでハキハキと「自分のペース」で話されると、これもまたある意味、「難物」になってくるのだ。


 探偵という職業柄、依頼人にせよ調査対象にせよ、その相手と話す上で、どれだけ「自分のペースに持ち込めるか」が勝負になってくる。依頼人のなすがままにして、嘘か本当かを見抜くというやり方も、そのひとつである。しかしこの梅香という、ボーイッシュで勝気な感もある若い女子は、自分で意識しているのかいないのか、あくまで自分のペースを押し通そうとするタイプに思えた。



「そうですね、出来れば座って頂けると、有難いかなと思います。通常依頼人とは、そういった形でお話させて頂いてますので」


 俺は、努めて「大人の男」という雰囲気を醸し出し、落ち着いた口調で、そう答えたのだが。


「あーなるほど、今までと違うことされちゃうと、やりにくいってことだね? 年取ると、そういう変化についていけなくなるもんね。了解了解、ここは言う通りに、イスに座らせてもらいます」


 結局、こちらの望み通りに座ってくれたものの、まさか「年寄り扱い」されるとは思わなかったので、正直俺は、かなり面食らっていた。まあ、俺も実際、若い子からすれば、そういう年齢になりつつあるんだよなあ……と、しみじみしてしまいそうな心を戒め。もはや「早速」とは言えなくなってしまったが、改めて梅香の依頼を聞くことにした。



 梅香の話した内容は、姉2人と同様、お家の跡継ぎ問題に関してであり。そして梅香自身が「あたしが3人目」と話していた通り、松音と竹乃が自分より先にここに来ていたことも、承知の上だった。俺も、それなら話が速いと、竹乃に提案した、3人を公平に扱うという「俺の考え」を、梅香にも伝えた。


「あー、それいいかもね。あたしたち3人が揃って、他の2人の彼氏のことを聞くんだね? 姉さんたちについてはともかく、自分のことになると照れ臭いかもしれないけどさ。それが一番、手っ取り早いよね」


 ハキハキとした口調と同じく、どうやら性格もサバサバしていると思われる梅香は、ニッコリと笑顔を浮かべながら、俺の考えに同意してくれた。


「ご賛同頂けて、幸いです。それでは、梅香さんに現在、お付き合いされている男性がいるのかどうか。お聞かせ頂いて宜しいでしょうか……?」



 ここまでは、梅香のペースに乗せられた感はあったとはいえ、実にスムーズに事が運んでいたのだが。竹乃の時とは順番が逆になったものの、梅香が俺の考えに同意してくれたことで、その質問にもすぐに答えてくれるものだと思っていた。だがここに来て、梅香の調子がおかしくなり始めた。


「あ……ああ。あたしの、彼氏ね。まあ、その、確かに、いることはいるんだけどさ。その……こういうこと、あまり人前で話したりしないからさあ、っていうか、こんな風に話すの、初めてかもしれないし……」


 それまでの歯切れよさはどこへやら、両手の指を絡ませ、ぐりぐりと動かしたりして、梅香は竹乃のように「もじもじ」し始めてしまった。これも竹乃が言っていた通り、「血は争えない」というやつか……。そう考えると、艶めかしさといい落ち着きといい、やはり松音は「長女」なんだなと、改めて俺は思い返していた。



「あの、ほら、実家を継ぐには、あたしと……結婚することになるわけじゃない? そういう話を、女の方からするのもアレかなってさ。ようするに、ほら、プロポーズってやつ? そういうことになるわけじゃん。あたしと、結婚するにあたって……とかさ。あー、想像しただけで、顔が熱くなってきちゃった」


 そう言いながら梅香は、赤く染まり始めた頬を、両手でピタピタと叩き始めた。どうやらボーイッシュでスポーティな梅香は、同時にかなりの「純情派」らしい。しかし本当に、ここに来て梅香も、話が先に進まなくなってしまった。


「でもさ、やっぱり言っておかなくちゃとは思うんだよ。思うんだけど、そう簡単にはいかなくてさ。今のところは『もし、こんなことがあったら』みたいな、『仮定の話』でしかしてないんだ。もしあたしが、由緒ある家の跡継ぎだったら、どうする? みたいな。それでも、あたしのこと……とか、言えないじゃん、そう簡単にはさあ」


 梅香の年齢からいっても、彼氏と「すぐに結婚」という話には結びつきにくいのかもしれない。それでも、あくまで「仮定の話」ではあるが、交際相手がそれとなく、野見山家のお家事情を聞いているらしいことはわかった。後は、その彼氏が「どんな男か」だけだ。梅香に近い年齢だったら、得るものの代償に「放棄すべきもの」の比重は低いだろうが、その代わりに「田舎のしきたりに従う」という条件は、飲みにくいという可能性もある。


 そこで俺は、尚も照れ臭がる梅香に、「彼氏の人となり」を聞いてみたのだが。そこでまた俺は一瞬、メモを取るペンの動きを止めてしまった。まさか……? という思いはあったが、ここまで3姉妹の話を聞いてきた上での「仮定」からすると、かなり奇特なケースではあるが、それもあり得ない話ではないのかもしれない。俺はそう考え、表面上は何気ないフリを装い続けた。



「じゃあ、調査結果がまとまったら、連絡してよ。その時は、松姉まつねえ竹姉たけねえとも一緒になるわけか。どうなるのか、楽しみ……っていうのも、他人事みたいで変だけど。元々あたしは『末っ子』だからね、跡を継ぐ権利がもらえたら、ラッキー! くらいにしか思ってなかったからさ。その分姉さんたちより、自由に生きられるかな、みたいなね」


 話を終えた梅香はそう言いながら、帰り際になって、俺に「コソッ」と問いかけてきた。


「……でさ。あたしを含めて、3人の話を聞き終えたところで。あくまで今の時点で、桐原さんの思うには、って感じでいいからさ。正直、跡継ぎレースの現状は……誰が一番『優勢』かな?」



 末っ子だから……とは言っていたが、やはり梅香にも、「もらえるものなら」という思いはあるのだろう。そして、たまたまではあるが、話を聞くのが「一番最後」になったことも、「末っ子だからこその特権」と考えているのかもしれない。


 とはいえ、3人の話を聞いた上で、3人を公平に扱うと決めた以上、ここで俺が、あくまで第三者である俺個人の予想とはいえ「レースの優劣」を梅香だけに語るのは、「不公平になる」と思えた。


「そうですね……今のところは、横一線という感じでしょうか。競馬に例えると、各馬ゲートに入り、レースが始まる直前という……いや、ご家族の問題に関して、ちょっと不謹慎な例えでしたね、申しわけありません」


 とりあえず不公平にならないよう、「今のところ優劣はない」という意味で、わかりやすい例えとして競馬を挙げてみたのだが。考えてみたら梅香が競馬に詳しいとは限らないし、彼女たちを「馬に例えた」ことが失礼だと思われるかもと、俺は即座に謝罪した。梅香はフランクな「タメ口」に近い口調で俺と話してはいるが、由緒ある家のお嬢様であることに、変わりはないのだから。と、思いきや。


「あー、なるほど。まだレースは始まったばかり、いや、これから始まるところだ! ってことかな。でもなんだか、あたしたちがそれぞれに選んだ『彼氏』っていう馬に乗って、競争始めるみたいだね。……あ、いや、『彼氏が馬みたい』とか『馬に乗って』とか、別にそういう意味じゃ……そういう意味も何も、べ、別に深い意味はないからね??」


 予想外のリアクションが梅香から返って来て、またもや俺は面食らうハメになったのだが。それはともかく、2人の姉に比べると、梅香とはなんとなく「打ち解け合った」ような気分のまま、依頼についての話を終え。梅香も「じゃ、またね」と、手を振りながら事務所を去っていった。……まあ、梅香が特に俺を気に入ったってわけじゃなく、これが梅香の「通常仕様」なんだろうけどな……。


 そんなことをふと考えながら、何はともあれ、ようやく「野見山家3姉妹」との面談が終了し。俺は早速、それぞれから聞いた情報のまとめに入った。




 梅香が事務所を出てから、30分ほどが経過した頃。事務所のドアを、控えめに「とんとん」と叩く音がした。もう3姉妹は、この事務所の入っている雑居ビルの周辺にはいないと判断したのだろう。「どうぞ」という俺の声と共に、そのノックの主が事務所に入って来た。


「……どうでした? 実際に、3人と会ってみて……?」


 入って来た男はそう言いながら、俺が促すまでもなく、俺のいるデスクの前にあるイスに、自然と腰かけた。それは、その男がここに来るのが「初めてではない」ということを現していた。


「はい……予想以上に、皆さん『個性的』なご姉妹でしたね」


 俺は笑顔でそう答えながら、まずは3人と対面した上での「素直な感想」を、男に伝えることにした。


「ほんとうに、それぞれが違ったキャラクターで、姉妹ということを予め聞いていなければ、全く接点のない3人だと思ったでしょう。血の繋がったご姉妹であることを踏まえてそれとなく観察すると、顔立ちなどに似ているところがあるなと感じましたが、そうでなければ、『赤の他人』にしか思えませんでした。ましてや……」


 そこで俺は目の前にいる男に、この案件の「本筋」に関わる話を始めた。



「ましてや、あなたが仰っていたような。あの3人が、。1人の女性の人格が分裂したものであるなどとは、100%気付かなかったでしょう。正直、今でも信じられない思いです」



 目の前にいる男――いま現在、最も野見山家の跡継ぎに近いと思われる、「長女」松音の恋人、笹川一清は。俺の言葉に、「そうでしょうね……」と神妙に頷いた。


 そう、目の前の男、笹川一清から前もって受けていた、「”3姉妹”に関する依頼」が。この案件の、「真の依頼」と言えるものだった。


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