2人目の「彼女」


 松音が事務所を去って、1時間ほどが経過した頃。

 この日「2人目」の依頼人が、事務所へやって来た。


 その依頼人は、「こん、こん……」という、他のことに気を取られていたら聞き逃してしまいそうな、なんとも頼りなげなノックの音を、事務所の扉で奏でていた。


 川のせせらぎのようなノックの音にどうにか気付き、ドアを開けた俺の、「どうぞ、お入りください」という言葉を聞いても。その依頼人は、しばらくドアの前に立ったままだった。おかしな話ではあるが、どうぞと言われたものの、本当に入っていいのかどうか、迷っているようにも見えた。


「そこにいたのでは、落ち着いて話が出来ませんので。宜しければ、中にお入りください」


 事務所の中の、資料などが積み重なった雑多な状況と、これはたまに言われることだが、俺が醸し出しているという「やさぐれた雰囲気」が、その依頼人が足を進めることを躊躇させているのかもしれない。俺はそう考え、精一杯の笑顔を作って、依頼人をようやく事務所内に招き入れた。



野見山竹乃のみやま たけのさん、ですね? どうぞ、こちらにおかけ下さい」


 2人目の依頼人、由緒ある野見山家の次女、野見山竹乃は。俺の指示したデスク前のイスを見つめ、そこでもしばらく、立ち尽くしたままだった。俺は、「いい加減に言うことを聞いて……」と、苛立つ気持ちをなんとか抑え。


「整理整頓が行き届いていない状態で、申しわけありません。これからご依頼の件についてお話しするのに、あなたもイスに腰を落ち着けて頂くと、お互いに言葉を交わしやすい状態になるかと思いますので。宜しければ、そこに腰かけて頂けますでしょうか?」


 と、懇切丁寧さを強調しつつ、イスに座るよう竹乃に促した。それでようやく竹乃は、「は、はい。それでは、失礼して……」と、まさに「蚊の鳴くような声」で答え、おずおずと怯えるかのように、イスに座った。それがまた、イスの前方にお尻をかろうじて「ちょこん」と乗せている、「一応は、座っているという形を取っている」ような状態だったので、俺は本当に頭を抱えたくなったが、ここもなんとかこらえた。俺も我慢強くなったもんだな、組織の縛りに耐えられず、刑事を辞めた時に比べると……などと、ついつい「過ぎた若き日のこと」に思いをはせてしまった。

 

 そして、「高級な外国映画仕様」で身を固めていた松音に比べ、竹乃はいかにも「地味な服装」に身を包んでいた。決して安物というわけではなく、それなりの値段はするのだろうが、全体的に色合いは淡く、加えて穿いているスカートも、膝下までと長く。肌の露出度や艶めかしさは、松音に比べると「80%減」と言える服装だった。



「それでは、野見山さん。ご依頼の件について、お聞かせ頂けますでしょうか」


 正直ここに至るまでに、相当の辛抱を重ねていたのだが、ここでもやはり竹乃は、膝の上で組んだ両手の指を意味もなく動かし、イスの上でもじもじするばかりで、なかなか口を開こうとしなかった。いくら「依頼人の、あるがままにさせておく」のが、嘘を見抜くのに有効だとはいえ、限度があるよな……。俺は頭によぎったその考えを、なんとか振り払い。今の自分に出来る限りの笑顔で、竹乃に語りかけた。


「もしお話にくいようでしたら、何かで文章の形にして、私に提出して頂いても結構なのですが。それを読んだとしても、依頼を受ける前に、わかりにくい点や疑問点などがあった場合、あなたにそれを質問させて頂く可能性があります。するとそこでまた、『文書でのやり取り』が生じてしまう。そう考えると、せっかくここまでいらっしゃったのですから、あなたの口から直接聞かせて頂けると、そういった手間も省けると思うのですが……」



 それでようやく竹乃は、「覚悟」を決めたらしく。「すう……はあ……」と深呼吸をしてから、「依頼の件」を語り始めた。



 竹乃が話した内容は、1時間前に来ていた松音が語ったものと、ほぼ同じだった。田舎の名家である実家での、跡継ぎ問題。ただ、松音の話した内容と違っていたのは、自分の前に「松音がここに来た」のを、竹乃が知っていたことだった。


「……たぶん、松音姉さんは、その、あたしや梅香の、なんていうか、男性との……いわゆる、交友関係って言うんでしょうか。そういうものを、あなたに調べて欲しいと思ってるんじゃないかと。だって、松音姉さんは本家の長女なんだから、本来なら跡継ぎの最有力候補だったはずなのに、なんやかんやで、あたしたち姉妹の意思を無視して、誰かの配偶者が家を継ぐことになっちゃったから……。


 松音姉さんも、お付き合いしている男性はいるみたいなんですけど、でもまだ婚約発表もしていないのは、何かそれなりの『事情』があるんだと思うんです。あたしたち姉妹は、その、仲が悪いってわけじゃないんですけど、お互いにもう、『いい大人』じゃないですか。だから、それぞれのプライベートに関しては、干渉しないように心がけてきたんですけど。それが、こんなことになるなんて……」



 松音とは正反対に、隙間なく「ぴたり」と閉じた両足の上で、せわしなく動かし続けている指をじっと見つめながら。竹乃は俺の方を見ることなく、途切れ途切れにそう語った。竹乃はここまで話し終えるのに、ゆうに30分近くを要していた。同じ時間内で、松音は余裕をもって要件を話し終え、俺が依頼を受けるまで達していたことを考えると、姉妹とはいえその「性格の差異」は明らかだった。


 恐らく竹乃は、こうして事務所に来て曲がりなりにも「俺と話せている」のだから、対人恐怖症とまではいかないだろうが、あまり人と向き合って話すことを、得意としていないのではないかと思われた。しかしもしかするとそれは、「人」ではなく「男性」に対する恐怖心ということもあり得るので、非常にデリケートな問題を含んでいる可能性もある。


 俺はなるべく彼女を刺激しないよう勤めながら、「聞くべき質問」を問いかけた。


「だいたいのお話はわかりました。それで、ひとつ確認しておきたいのですが。竹乃さんには今、将来を約束したような。つまり、跡継ぎの候補となり得るような男性は、いらっしゃるのですか……?」



 その質問を聞いて、竹乃は「はっ」としたように顔を上げ、俺を見つめた。この部屋に来てから初めて、俺の顔をまじまじと見たと言っていいだろう。


「えっと……それは、その。今、あなたにお話しなくては、いけないことなんでしょうか……?」


 初対面の若い女性に「お付き合いしている男性はいますか」などと聞くのは、やはりこのご時世、何かのハラスメントに抵触していると言われても仕方ないだろう。だが、それが「依頼の根幹に関わること」であれば、致し方ない。


「はい、私としてはあなたの依頼を受けるにあたって、確認しておくべきことだと思いました。それは……」


 続けて俺が、松音にしたような「解説」を始めようとしたところで。それより先に、竹乃が意を決したように、口を開いた。


「あの、でも、あの……桐原さんは、その。あたしより先に、松音姉さんと、お話されてるんですよね……?」


 そう、竹乃は、松音がここに来たことを知っていた。それゆえに、俺がした質問は、「松音からの依頼を、受けた上での問いかけ」だと思ったのだろう。



 そこで俺は竹乃に、改めて「俺の意図」について解説することにした。


「はい、その通りです。あなたのお姉さんである松音さんは、1時間ほど前にここに来て、ご実家の相続問題について、私に依頼をされていきました。そして、あなたがご存じかどうかはわかりませんが、この後に妹の梅香さんも、ここに来る予定になっています。つまり私は今日、あなた方3姉妹に、長女の松音さんから順番に会っていくということになりますね。


 そして梅香さんも、松音さんとあなたと同様に、相続問題についての依頼をされるものと思います。それを踏まえて。私はあなた方3人の依頼を、全て受けようと考えています。こういう状況になった以上、そうすることが一番『公平』ではないかと思いました。


 もちろん私としては、3人のうち誰かに肩入れすることなく、皆さんに公平に現状をお聞きして、その結果を、皆さんに公平にお伝えするつもりでいます。血の繋がったご姉妹とはいえ、いや、ご姉妹だからこそ、直接聞きにくいこと、言いにくいこともあるでしょう。由緒あるご実家の跡継ぎが絡んでいるとなれば、尚更です。


 ですので、あなたにお聞きしたことは、そのまま松音さんと梅香さんにお伝えします。同様に、松音さんと梅香さんからお聞きしたことも、あなたにお伝えします。これは公平を期するため、誰の事情を誰に先に話すということはせずに。調査結果が出そろったところで、皆さんを一堂に集めて、同時にお伝えするのがいいかなと考えています。

 

 私は、この問題を一番『平和的』に解決するには、これが最も適した方法ではないかと考えました。もし、竹乃さんが私の考えに同意して頂けるようでしたら、竹乃さんもご自身の現状について、素直にお話して頂けると助かります。先ほどの質問の意図と、私の考えについて。ご理解頂けましたでしょうか……?」


 俺の解説を聞き終えた竹乃は、少しの間、「ぽかーん」とした表情を浮かべていたが。やがて「はっ」と我に返ると、「あの、その……」と、再びせわしなく指をもじもじと動かしながら、再び俺の目を見ずに話し始めた。



「えっと、あの……あたしたちのために、そこまで考えて頂けて、なんていうか、その……有難い、です。そうですね、あたしはその、松音姉さんが探偵事務所に行くっていうウワサを聞きつけて。それで、それならあたしも……って思って、ここに来たんですけど。たぶんきっと、梅香もあたしと同じようなこと、考えたんでしょうね。血は争えない、ってことですかね。


 あたしとしては、あの、姉さんや梅香があなたの考えに同意するかどうかまでは、わからないんですけど。あたしは、うん、いい考えかなって思いました。なのであたしは、あたしのことを、ここでお話しておこうかなって、思ってます……」



 思ったより素直に、竹乃が俺の考えを受け入れてくれて、俺は内心ほっとしていた。ここまでの竹乃の様子からして、もし俺の考えを否定したり、俺のことを疑うような素振りがあったら、説得するのは難しいかもしれないと感じていたのだ。


 それから俺はデスクで、竹乃の話をメモに取り始めた。松音が薄々感じていたように、竹乃にもやはり、現在恋人関係にあり、いずれ結婚する流れにある男性がいるとのことだった。だが、話がその男性のことに差し掛かった時。俺は一瞬、メモを取る手を止めてしまった。だが、すぐに思い直して、そのままメモを取り続けた。


 ……一瞬のことだから、気付かれなかったと思うが。もし何か聞かれたら、男性については別の項目として書こうと思ってペンを止めたとか、理由付けすればいいかな……。



 その時はなんとなく、「よくわからないが、何かがおかしい」と、ほのかに感じていただけだったが。それがのちに、まさに「不可解極まる事項」へと繋がっていくことに、俺はまだ気付けていなかった。


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