彼女の「新事情」(3)


 俺はその場で、全身が固まってしまったかのように、身動きひとつ出来なかった。本当に、「固まって動けない」状態とはこういう時のことを言うんだなと、改めて認識していた。それほどまでに、目の前に現れた「2人の妹」の姿は、とてつもない衝撃を俺に与えていた。


 これまでに調べて来たこと、それに対する俺の決意、そして松音への感情……それら全てが、この瞬間に全部「ひっくり返された」。まさにそういう想いだった。



 唖然とした表情で、ソファーから少し腰を浮かせたまま、何も言えずにいる俺とは対照的に。目の前にいる松音は、さも可笑しそうに「くすくす」と笑っていた。


「あら桐原さん、どうされたんですの? そんなに驚きになって。竹乃と梅香にも、桐原さんはすでにお会いになっていらっしゃるんですよね……?」



「ええ……は、はい……」


 俺は落ち着きのない、キョドったような視線を松音と妹2人に向けてさまよわせながら、曖昧な返事をすることしか出来なかった。松音はそんな俺を無視するかのように、居間の入口に立つ竹乃と梅香に語りかけた。


「良かったら2人とも、桐原さんのお話を聞いていく? こんな風にみんなが揃うことは、そうそうないかもしれないし」


 それを聞いて梅香は、「うーん」と少し考えたあと、すぐ横にいる竹乃の方を見やりながら、松音の問いかけに答えた。


「いや、今日は桐原さん、松音姉さんに会いにきたんでしょ? てことは、姉さんだけに話す内容だってことじゃない。そうすると、今ここであたしたちがそれ聞いちゃうと、桐原さんの言ってた『公平性』ってのがなくなっちゃうかなあ、と。


 だから今日のところは挨拶だけにして、竹乃姉さんと一緒に買い物でも行ってくるよ。この辺りは高いブランドが揃ってる店が多いから、ちょっと緊張しちゃうけど。それでいいよね、竹乃姉さん?」


 竹乃は梅香にそう言われて、梅香と松音を交互に見比べながら、オロオロしつつも「うん……そう、だね。うん」と、どうにか梅香の意見に賛同した。



「じゃあ桐原さん、どうぞごゆっくり」


 梅香はそう言って、早々と入口のドアから姿を消した。竹乃はまだ、去って行った梅香と部屋の中の松音を見比べていたが、奥の方から響いた「竹乃姉さん、行くよ!」という梅香の声を聞き、ようやく「ぺこり」とお辞儀をして、ドアをぱたりと閉めた。



 竹乃と梅香が視界から去ったところで、俺は浮かせたままだった腰を、「どしん」とソファーに落とした。だが、何を言えばいいのか、何をどこから考え直せばいいのか、全くわからない状態だった。


 松音も俺の向かい側に座り直すと、テーブルの上に「ことん」と灰皿を置き。それから、俺の事務所でも吸っていたキセルを取り出した後、俺に向かって「良かったら、桐原さんもお吸いになります……?」と促して来た。


 ……それは、何より有難い。俺は内ポケットから煙草とライターを取り出し、少し震える手で、くわえた煙草に火を点けた。ふう~っ……と、煙と一緒に長い息を吐き出し。ようやく動揺が収まって来てはいたが、まだ煙草を持つ手が小刻みに震えているのが、自分でもわかった。


 そんな俺の様子を、観察するかのように、じっと見続けていた松音は。吸っていたキセルの先で、「ぽんぽん」と灰皿の角を叩き、軽く灰を落としたあと。ここが「頃合い」だと考えたのか、改めて俺に問いかけてきた。



「もしかしたら、桐原さん。一清さんから……私のこと、何か聞かされてました? 私が、いわゆる『多重人格』の持主だ、みたいなことを……」



 俺は松音の言葉を聞き、何も言うことが出来なかった。……そうだ、その通りだ。なぜ、そのことに気付かなかったのか。


 俺は松音の多重人格について、実は「一清からしか聞いていなかった」のだ。松音が打ち明けたという幼い頃からの話や、バーで松音から梅香に「変わった」という話も、全て一清の口から語られたことだった。一清のことを「油断ならない男」だと認識していながら、その男から聞いた話を、俺は愚かにも鵜呑みにしていた。それに基づいた俺の想いも、決意も。全て、俺の独りよがりなものに過ぎなかったんだ……。



 松音の問いかけに何も言葉を返せず、ただ黙って「こくり」とだけ、頷いた俺に。松音はキセルに口をつけ、ふう……とひと息煙を吐いてから、松音自身の考えを語り始めた。


「一清さんがなぜ、そんなことを言ったのか。これはあくまで、私の想像なんですけども。一清さんは、私から野見山家の相続問題のことを聞いて、『なんとしても、自分が』という思いに捉われてしまったのではないかと……私は、そんな風に考えています。


 野見山家の跡継ぎになるのは、私もしくは2人の妹の、配偶者となる人。本来は長女である私が最優先なはずだけど、妹2人が私より先に結婚したら、本家はそちらを跡継ぎに指名する可能性もある。ならば、自分が跡継ぎになるためには、どうすればいいのか……? きっと一清さんなりに、色々考えたんだと思うんです」



 ……そう、この案件の「大前提」でもあった、松音が「野見山家の一人娘」であるなら、跡継ぎ問題も消滅するということ。それが、この状況になってひっくり返った。松音が俺に語った跡継ぎに関わる問題は、「実在するもの」だったのか……。



「まずは、恐らく……これは、桐原さんにお調べして頂こうと思っていたことでもあるんですけどね。私の妹の、竹乃と梅香。つまり、配偶者となれば自分が跡継ぎ候補になれる2人にも、一清さんは声をかけたのではないかと……。これは竹乃も梅香も、私には気付かれないようにしていたでしょうしね、なんとなくとしかわからないんですけども。


 このことにより一清さんは、私を含めた3姉妹との関係が深まるのが、誰が一番早くなったとしても、跡継ぎ候補として『リーチ』をかけられる状態になった。そこで一清さんは、『もう一押し』することにした。私と当家との関係性を、利用して。


 桐原さんは、どう聞いてらっしゃるかしら……私は今こうして、都会に出て1人暮らしをしていますけども、家の跡を継ぐ代わりに、一度自由にさせて欲しいと当家にお願いしたんです。長女である私は幼い頃から、跡を継ぐことをほぼ義務付けられていましたので。だから当家も、私が跡を継ぐことを見越した上で、口座にお金を補充してくれてるんですね。


 でも私は、跡継ぎとなって田舎町に囚われたように生きていくより、都会での生活を出来る限り満喫したくなって。色んな理由を付けて、実家に戻ることを拒んでいたんです。そしたらある日、当家から『お呼び出し』がかかって。いつの間にか、『3姉妹のうち、誰かの配偶者を跡継ぎにする』ということが決まったと告げられたんです。当家にしてみれば、いつまでも跡を継ぐ気配のない私への、『最後通告』の意味もあったかもしれませんね……」


 俺は松音の話を聞きながら、一清が松音から聞いたことを、いかに巧みに脚色して、俺に語っていたかに気付いた。基本的には「真実」を柱にして、要所要所に自分に都合のいい「嘘」を付け加えていたんだな……。



「つまり、本来なら跡継ぎの最有力候補である長女の私が、当家と『上手くいっていない』ことに一清さんは気付いた。そこで一清さんは、最悪のケースを想定して、自分が3姉妹の配偶者とならなくても、跡継ぎになれる方法はないかと考えたのでしょう。それが、私が精神的に不安定になっている状態……妹2人のことを、『自分の人格が分裂したもの』だと思い込んでいるような、そういう状態にあることにすれば。当家は、血縁ではない『第三者』を、跡継ぎ候補として選択肢に加えるのではないか。それが、一清さんの狙いではないかと思います。


 もともと竹乃はあんな風で、名家の跡継ぎとしては物足りないところがありますし。梅香は元気者ですけどね、その代わり私よりも『自由に生きたい』願望がある。それに加えて私が、自分が多重人格だと信じているような、不安定な状態にあるのなら……と、当家が考えればしめたものだと。それを裏付けるために、桐原さんに『依頼』を持ちかけたんでしょう。前もって私が『多重人格の持主である』ことを告げ、実際に3人に会わせてから、家の細かい事情を説明する。そのことで、桐原さんが多重人格だと認識すれば、私が『不安定な状態』である証明になるはずだと。


 野見山家は田舎の名家として、それはもう威厳を誇ってますから、例え桐原さんが私のことを確認しようと直接当家に連絡しても、恐らく『門前払い』になるのではないかと思います。こう言ってはなんですが、私立探偵ごときに会う必要などないと、当家は主張するでしょう。私や妹たちの紹介でない限り、当家は桐原さんと単独での面会を承諾しないでしょうね。一清さんはそれも見越した上で、桐原さんを『味方』に付けようとしたのではないかと思います……」



 俺は、竹乃と梅香の「姿」を見た後以上に、ソファーに座ったまま黙り込んでいた。松音が語った言葉のひとつひとつが、自分の胸に突き刺さっていた。一清の企みを防ぐつもりが、逆にまんまと「乗せられていた」だけなのだと、気付かされたのだから。


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