彼女の「新事情」(2)


 松音の住むマンションのある地域は、いわば「高級住宅街」と言える場所で、高層マンションや敷地の広い家が立ち並び、いかにもハイソな方々が住んでいそうな地域だった。通常であれば、「俺には縁のないところだな」と、やさぐれた気分で通り過ぎるだけなのだが。今日に限っては、「俺だけが浮いてるようなことはないだろうな、いや、浮いていて当たり前ではあるが」などと考えつつ、やや緊張しながらマンションのインターホンを押した。



 松音の部屋は、高層マンションの最上階に近いフロアにあり。例え賃貸だとしても、どれだけの値段がするのかと気が遠くなりそうな環境だった。


「ようこそ、桐原さん。どうぞ、中へ……」


 今日の松音は、さすがに先日のような「外国映画仕様」ではなく。それでも決して部屋着というわけでもなく、そのまま外出してもおかしくないくらいの、ある程度「きちんとした服装」をしていた。まあ、俺という「客」が訪ねて来る予定なのだから、当然と言えば当然なのだが。前回ほどのミニではないが、体のラインがわかるようなピタっとした赤のワンピースを着て、そして何より今日は、「サングラスをかけていなかった」。


 部屋の中に入った俺は、広いリビングを案内され、ふかふかとしたソファーに腰かけた。


「桐原さん、何かお飲みになります? とはいえ、まだ昼間ですし、これから依頼の件について話すのに、お酒は辞めておいた方がいいかしら」

 

 松音にそう言われ、俺は「すいません、お気遣い頂いて。もし、コーヒーがあれば。出来れば、ブラックで……」と、素直に答えてしまった。言ってから、「ここは『どうぞお構いなく』と言うべきだったか」と少し後悔したが。その一方で、緊張をほぐすためにも、喉を湿らすものはあった方がいいと思ったのも、俺の正直な心境だった。


「コーヒーを、ブラックで。桐原さん、私が思った通り、『ハードボイルドな探偵さん』なんですね」


 そう言って「ふふっ」とかすかに笑い、「では、少しお待ちを」とキッチンに向かった、松音の後ろ姿を見ながら。俺は早くも、松音のペースに巻き込まれつつあるような気がしていた。……梅香ほどガンガン来るタイプではないが、松音もやはり、相手を自分のペースに引き込む術を知ってるんだろうな。まあ、梅香も元々は「松音」なんだからな……。


「お待たせしました、どうぞ」


 松音は俺の手前にコーヒーの入ったカップとソーサーを置き、これもまた値段の張りそうなオシャレなデザインのガラステーブルを挟んで、俺の向かい側に「しゃなり」と腰かけた。考えてみれば、サングラスをしていない松音と向き合うのは、これが初めてだった。


 サングラス越しでもそれと認識できたほどの美貌が、今はそういったフィルターなしで、目の前でにこりと微笑んでいる。事務所に来た時のように「足を組んで」はいないが、スカートから伸びた脚が、ガラステーブル越しに間近に見える。そしてサングラスをしてないのと同じく、自室にいるせいか、今日はストッキングを穿いていない「生足」だった。俺は、ともすれば緊張感が高まりそうな胸の内を抑え、あえて「別のこと」から話題を切り出した。



「見た限りここは、かなりお値段の高いお住まいではないかと思いますが。松音さんは、ご実家を出て1人暮らしをされているのだとお聞きしましたが、どんなお仕事をされているのでしょう……いえ、もしお答えになりたくないのであれば、お答え頂かなくても結構です。ご依頼の件には、直接関係のないことですので」


 俺は何気なしにそう聞いてしまったが、それは本当に「案件とは関係のない事項」だったので、松音が答えを拒んだらそれまでだと思っていた。だが、恐らくは実家を飛び出るように出てきたはずなのに、この「高級マンション住まい」は、何か違和感を感じるものでもあった。



「私の仕事、ですか……特に、隠し立てするようなことはないんですけども。正直いって私は今、いわゆる『決まった仕事』というものはしていないんです。こちらに出てきた時に、スカウトって言うんですかね? そういう方に声をかけられまして、ファッション誌のモデルみたいな仕事を紹介されて。その後も先方からのご依頼があれば、たまにそんなお仕事をさせて頂いてはいますけどね。


 それを聞いて桐原さんは、無職に近い若い女が、こんな高級そうな部屋に住めるわけがないと、ますます不思議に思うかもしれませんが。私が実家を離れる際に、条件として、私の口座にはある程度の金額が定期的に補充されることになっているんです。とはいえ、それも野見山家の資産からすれば、『他愛もない金額』ですからね。


 その代わり私も、住所を変更する時があれば必ず連絡をするようにとか、『消息不明』みたいなことにはならないようにと言われてはいますけどね。確かに、私1人が生活するには贅沢過ぎるかもしれないですが、田舎から出てきた若い女性が都会で生き抜いていくためには、かえってこんな環境の方が危険が少ないだろうと思いまして」


 なるほど……。形としては、「実家を飛び出した」ようなことになっているが。恐らく松音は、妹2人の人格も駆使して、当家にこの条件を飲ませたんだろう。やはりそれだけ松音は、人を自分のペースに巻き込んでいくのが上手く、そして「馬鹿じゃない」どころか、かなり頭もいいんだろうな……。



「いえ、突然お尋ねしたことにきちんとお答え頂いて、ありがとうございます。それでは……」と、俺がここに来た本題について、切り出そうとした時。


「そうそう、そう言えば。桐原さんがここにいらっしゃると聞いて、ぜひお会いしたいと言ってる人がいるんですの。『その人』を、ここに呼んで来てもいいかしら?」


 松音は何か、悪戯っぽい口調で、俺にそう問いかけて来た。


 俺に、会いたいという人……? 俺は、咄嗟にはその人物が誰なのかわからなかったが。もしかしたら、松音を通さず一清に直接コンタクトを取ったという、「当家の使いの者」という可能性はあるかもと、ふと思い付いた。松音と一清が俺に依頼したことを受けて、隠していてもしょうがないと思い、結局松音にも連絡を取ったのかも。当家としても、跡継ぎ問題に関わることになった探偵とやらに、一度会っておきたいという考えがあってもおかしくないな……。



「ええ、私は構いませんが……」


 確信が持てないながらも、俺がそう答えると。松音は嬉しそうに、「じゃあ、呼んで来ますね」と、立ち上がって居間の扉を開け、奥にあるのだろう部屋に呼びかけた。


「ねえ、桐原さんいらっしゃってるわよ? ちゃんとお許しをもらったから、2ご挨拶しに来なさいよ」


「2人とも」……? 俺はその言葉と、親し気で砕けたような松音の口ぶりに、何か嫌な予感を抱いていた。そしてその予感は、予想以上に「正解」だったことが、居間にやって来た「2人」を見て、すぐに判明した。




「こんちは、桐原さん」

 扉から顔を覗かせ、ショートカットの活発そうな若い女性が、俺にそう挨拶し。そのすぐ隣で、内向的に見える肩までの黒髪の女性が、もじもじしながら、俺に向かって「ぺこり」とお辞儀をした。


 その2人は、どこからどう見ても。

 松音の「別人格」であるはずの「2人の妹」、竹乃と梅香だった。


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