彼女の「新事情」(1)


 俺の中で、笹川一清という男の「人となり」が、ほぼ出来上がったところで。

 まず最初にやるべきことは、松音にもう一度会ってみることだと俺は考えていた。


 とはいえ、松音が事務所を去った時の、あの忘れがたき「残像」が俺の脳裏に焼き付いているのもまた、紛れもない事実ではあったが。それは別として、松音が一清のことをどう思っているのか、果たして「どこまで」奴のことを知っているのか? を、改めて確認してみようと思ったのだ。その内容いかんによっては、彼女に「伝えるべきこと」も出て来るだろう。


 一清のひとりよがりな「依頼」はさて置いて、俺の目的が「松音を救うこと」である以上、それは避けられないことでもある。俺はそう信じて、自分に「冷静になれ、彼女は依頼人だ」と言い聞かせながら、松音に連絡を入れた。



『……あら、桐原さん。その後、何か進展はありました?』


 事務所にある固定電話の受話器越しに聞えて来た、松音のその声は。まるで受話器を当てた耳を中心にして、弧を描くように、俺の体の隅々まで染み渡って行った。それと同時に、俺の頭の中でクッキリと、あの「残像」が鮮やかに蘇って来ていた。


「ええ、あれから色々と調べてみて、わかったことが何点かありまして。まずはそれを、松音さんにお伝えしておこうかなと思いまして……」


 俺は喋りながら、自分の言葉が必要以上に丁寧になっているような気がして、唇を舌で舐め、落ち着きを取り戻そうと試みていた。だが、俺のその試みなど「無駄な抵抗」に思えるほど、松音の声は俺にとって魅力的に、いや、俺を虜にするような「魔力」をも含んでいるように感じられた。



「はい、それでは……はい、その時間に。お伺いします。それでは」


 なんとか要件を伝え終えて、受話器を置き。俺は、「ふう~……」と大きなため息をついた。松音の魔力にあらがおうとするあまり、会話の最後の方は、ほとんど事務的なことしか話せなかった。いや、事務的な要件で電話をしたのだから、それでいいんだ。俺は無理にでもそう思い込んで、デスクのイスに座り込み。一清の奴、よくこんな女性を「3股」かけられるもんだ……と、一清のしたたかさと図太さに、半ば感心するような思いだった。


 結局今度は、松音が1人暮らしをしているマンションに、俺が行くという形になった。その方が松音的には都合がいいそうなので、こちらから申し出た面会でもあるし、それならばと先方の都合を優先させたということだ。しかし、松音が生活しているマンションか……俺はあらぬ妄想に耽りそうになり、慌てて資料に目を落とした。



 そこで俺は、客観的に見ることで、逆に自分の気持ちが少しも落ち着けばと思い。松音という人物について、改めて考えてみることにした。


 まず、この事務所に来た時の、あの「外国映画仕様」の服装だが。竹乃と梅香は、一清から話を聞いてそのまま俺に会いに来たのだろうが、松音だけは、「こちらで調べた情報では」と言っていた。つまりそれは、一清の話だけでなく、「桐原勇二という探偵のことを、自分自身で調べてみた」ということだろう。


 それを踏まえて考えると、あの服装は恐らく、俺が「気に入る」と判断して選んだのではないか。元々俺は、松音が脚を組み替えるのを見て、シャロン・ストーン主演の映画を思い出すような、少し古めの映画を好む傾向がある。今のようなCG全盛時代になる前、町中にビデオレンタル店が乱立し始めた頃。俺は無我夢中で、色んな映画を借りまくった。まだネット配信など夢のまた夢のような時代、それは俺にとって宝の宝庫だった。


 そんな個人的な趣味趣向ではあるが、俺について少し詳しく検索すれば、見つけることが十分可能な情報だろうと思われた。俺の興味を引くには、あの「外国映画仕様」が、一番いい格好だと松音は考えた。その上で「ダメ押し」として、際どいミニスカートを穿いて、事務イスではなくソファーのひじ置きに腰かけた。そこが一番、「適した場所」だと考えて。


 今も俺の脳裡に、その鮮やかな残像が蘇るくらいだから、松音の作戦はほぼ「成功した」と言えるだろう。そして俺は今、松音を助けなければという気持ちになっている。そこまでは松音も望んではいなかっただろうが、これは俺のやるべきことだと信じている。ただでさえ、別人格を生み出すことで「自分であること」を守りながらここまで生き抜いて来たのに、地元に君臨する実家や小悪党の思惑に巻き込まれ、その「自分」を失ってしまいそうな人間を、放ってなどおけるものか。



 しかし改めて考えると、松音といま恋人関係にある一清の「過去」について調べ上げ、必要であればそれを松音に伝えなくてはと考えている自分は。傍から見れば、一清に嫉妬しているようなもんじゃないのかとも思えて来た。……嫉妬、か。俺はそこまで、松音に入れ込んでいるのか? ただ純粋に、危機に陥る可能性のある人物を救おうというだけでなく。俺の「個人的想い」が、そうさせているのか……?


 どちらにせよ、このままでは松音に危険が及ぶことは間違いない。俺の個人的感情は抜きにして、やるべきことはやり遂げるだけだ。多少強引かもしれないが、俺がそう思い込もうとした時。ふと、「あること」に気付いた。



『竹乃と梅香にも、そんな『いい人』がいるらしいことは、なんとなくわかるんですけどね、確実とは言えない状況でして』


 松音は、確かにそう言っていた。それは、本来自分のコントロール下にある「2人の妹」の行動を、松音自身が把握しきれなくなったことの裏付けにもなっている。一清が、松音がコントロールを無くしつつあると気付いて竹乃と梅香に手を出したのか、手を出したことでコントロールが失われ始めたのか。この辺りの時系列ははっきりしないが。恐らく一清のことだ、ある程度の「計画性」を持っていたに違いない。


 なんせ「もしもの時」を考えて、店のネット販売を任せている会社に、薬物売買がバレた時は「そちらの全責任という形で手を打つ」と取り決めをしていた男だ。どれだけの「補償」で管理会社を丸め込んだのかは知らないが、刑期が終った時には、一清がまた面倒を見るようなことも条件に含まれていたのだろう。


 それで刑期を終えた後は、「前回の反省」を生かし、今度はもっと上手い方法で売買を始めるつもりでいた。だから、野見山家の後継者になる上で手放すことになる店の譲渡条件に、「そのこと」も含めた。まあ、「小悪党」にしては、なかなか知恵の回る奴だと言えるだろう。



 自分が竹乃と梅香と付き合うことで、2人の自我が強くなり、松音のコントロールが効かなくなる。そのことにより、「妹2人との関係」も、松音にバレる確率が少なくなる。一清はそう考えたんだろうが……恐らく松音も、「そこまで馬鹿じゃない」だろうな。


 俺に依頼の件を話す時は、ぼかしていたが。おそらく松音も、竹乃と梅香に「いい人がいる」ことは気付いていたのに加えて。もしかしたらその「いい人」が、自分の恋人である一清という可能性もあるかも……? と考えたのではないか。


 表向き松音の依頼は、野見山家の後継者問題に関わるという理由で、妹2人の男性関係と進行状況を調べて欲しい、ということだったが。それは同時に、一清のことを「疑った上での依頼」だったのかもしれない。そう、一清自身も言っていたじゃないか。『松音は、多重人格という自分の特色もあり、周囲のことに敏感に気を配るクセが付いている』のだと。だから松音も、竹乃と梅香が隠していた「恋人」が誰なのか、薄々感づいていた可能性は十分ある。そしてその「疑惑」を確実なものにするため、俺に依頼をしてきた。それが松音の、本当の狙いだったのかも……?



 ならばやはり俺は、俺の調べたことについて、松音に正直に伝えるべきだろう。俺は改めてそう決意し、そして松音のマンションに行く、その当日となり。俺は事務所からではなく、自分のアパートでシャワーを浴び、身なりを整えてから出かけることにした。


 鏡の前で、ネクタイの歪みなどを正している「自分」を見て。俺はその、何か気取った格好をした「自分」に語りかけた。


 ……勇二お前、お見合いに行くんじゃないんだからな。わかってるな? 相手は依頼人だ。しかも、自分を失う可能性を秘めた、危険な状態にあるかもしれないんだ。お前の個人的感傷など、ここに置いていくべきものだぞ……?


 心なしか、鏡の中の俺が「ふっ」と苦笑いしたようにも思えたが。それはとりあえず、心の中に留めておき。俺は、松音の待つマンションへ向けて出発した。


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