彼の「新事情」(3)

 西条と大沼が帰ったところで、俺は大沼が言っていた話を元に、一清についての考えをまとめることにした。正直言って、「立場をわきまえて」とか「市井の探偵の範囲内で」だとか、まさに俺が警察を辞めた理由である「組織的で嫌らしい部分」そのものの言いっぷりだったので、何様のつもりだこの野郎と殴りつけてやりたい気分だったのだが、西条の手前なんとかこらえていた。またしても、「俺も大人になったもんだなあ」と認識させられることになった。


 それでもまあ、なんだかんだと大沼は、俺の知りたかった事項を教えてくれたことも、紛れもない事実だ。そこだけは、素直に感謝すべきかもなとも思っていた。一清の奴は、自身は罪にこそ問われなかったものの、薬物販売に絡んでいることは間違いないだろう。だからこそ薬物課は、確定的な証拠がないにもかかわらず、一清の動向をチェックしているのだ。シャバに出たネット管理の責任者とやらはある程度泳がせて、一清と接触するのを待っているのかもしれないな。そこで俺が余計な茶々を入れないようにと、事務所まで釘を刺しにきたのだろう。



 それから、一清の店を譲渡する交渉が長引いているというのも、その「裏の販売網」が関わっているのかもしれないな……と、俺は密かに考え始めていた。恐らく一清の奴は、その販売網も込みで、交渉をしているのかもしれない。だから譲渡する相手も慎重に選び、「美味い話」に乗ってくれる奴を選別した。その上で、譲渡後も「裏の売上げ」の何%かは、自分に回せとかいうような条件を付けている可能性もあるな……。


 いずれにせよ、一清の奴が「したたかに、自分の利益を最優先に考える男」だということは間違いない。後はこの件を、松音に伝えるかどうか、伝えるとしたらどう伝えるかだな……と考えていると。再び西条からの電話が入った。



『さっきはすまない。俺も笹川のことを署内で調べていた立場上、断わることも出来なくてな……なるべく他人に聞くことなく、自分で記録を調べようと思っていたんだが。笹川の名前を見つけて、もう少し詳しいことを知ろうとか色気を出したのが間違いだったかもしれない。お前にとんだ迷惑をかけちまって、申し訳なかった』


 西条は本当にすまなさそうにそう言ってきたが、元はと言えば現職刑事の西条に、一清の記録を調べてもらおうと考えた俺の依頼が発端だったのだ。俺もここは素直に、西条に謝った。


「いや、俺の方こそお前に迷惑をかけたようで、すまないな。俺は『市井の探偵』に過ぎないからどうということはないが、署内でお前の立場が悪くなるようなことにならなければいいが……」


 大沼の言い草を真似た、俺の「市井の探偵」という表現が皮肉に聞こえたのか、というか実際皮肉のつもりで言ったのではあるが、電話の向こうからは苦笑するような笑い声が、うっすらと聞こえて来ていた。


『まあそう言うな、実際探偵とか興信所あたりに捜査の邪魔をされたことは、警察官なら一度や二度は経験があるだろうからな。俺も実際、お前以外には積極的に協力しようなどとは思わないし。それはともかく、俺の方は特に問題ないよ。逆に、今度何か薬物が絡んだ事件が起きたら、「その時は宜しく」ってことで話を付けられたからな。こうして署内での繋がりを持っておくのも、これからに何か役立つと思えば、それはそれで悪くない』


 さすがは西条、大沼に「その桐原とかいう探偵に会わせてくれ」と頼まれたのを無駄にせず、しっかりと自分の利益に結びつけたようだ。


『お前がイラっと来て何か言い返すんじゃないかと少し心配だったが、案外素直に従ってくれて助かったよ。これであいつも余計な口を出そうとはしなくなるだろう。俺が言わずともそうするだろうが、今後は好きにやってくれ』



「ああ、色々気を遣わせてすまんな。お前の言う通り、好きにやらせてもらうよ」


 俺はそう返事をして電話を切ろうとしたが、そこで西条が『しかし、勇二……』と、何か思い出したように言葉を続けた。



『まあ、一応念のために聞いておくが。今度は、命に関わるようなことにはならないだろうな? お前の腕は信頼しているが、いつもギリギリで助かるとは限らんぞ。これもお前のことだから、何を言っても無駄だとは思うが。数少ない友人の1人として、一応な』



 最後の「数少ない」はちょっと余計だったが、西条が俺の身を案じてくれていることは間違いなかった。なんせ俺は、西条も関わることになった「悪意と対決する案件」で、丸腰で「見えない悪意」に立ち向かった結果、どうにか事件を解決に導いたものの。かろうじて命こそ助かったが、重傷を負ってしばらく入院することになったのだ。運命の歯車って奴が、どこかで少しでも噛み合っていなければ、その場でお陀仏になっていてもおかしくなかった。西条自身が関わっていた事件だっただけに、余計にそのことは記憶に残っているのだろう。


 予想以上に組織としての縛りがキツく、それに耐えられずに刑事を辞め、「一匹狼が性に合うんだ」などとほざいて探偵業を始めた俺にとって。間違いなく、俺のことを心の底から心配し、気にかけてくれる希少ない友人と言える西条の言葉は、俺の胸に刺さった。



「ああ、今のところ今回の件は、そういう方向性には行かないと思う。安心してくれ。じゃあな」



 そう言って電話を切った俺は、西条を安心させようというわけではなく、実際に自分でもそう思っていた。今回もまた、やっかい極まりない案件であることは間違いないが、命に関わるような案件ではないはずだと。まだ、この時は。


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