彼の「新事情」(2)


 俺は胸に秘めた決意を新たにして、然るべき先へと電話を入れた。


「ああ、もしもし。西条か? 俺だ、桐原だ。ちょっと頼みたいことがあるんだが……」



 知り合いの西条という刑事は、俺が以前刑事をやっていた時の同期で、刑事を辞めて探偵になってからも、まあ腐れ縁というか、色々と付き合いのある奴だ。


『お前からの頼みってのは、嫌な予感しかしないんだよなあ。また何か、やっかいな案件に手を出してるんじゃないだろうな?』


 西条は冗談交じりにそう言葉を返してきたが、実際その通りであるので、俺は何も弁明しなかった。


「ああ、残念ながら、そのまさかだよ。で、そのやっかいな案件に関わっていると思われる人物について、調べて欲しいんだが……」


 それを聞いて西条は電話の向こうで、『はあ……』とわざとらしくため息をついた。


『まあ、お前の頼みだったらしょうがないだろ。ほどほどにしとけよ、ほんとに。それで、調べたい人物ってのは?』



 通常、「一介の探偵」に過ぎない俺に、現役の刑事職である西条が積極的に協力してくれることなど、まずあり得ないのだが。西条と俺とは昔同期だったという以外に、過去に色々とあって、普通なら外部に漏らさないような情報も、俺には教えてくれることがある。


 俺がこれまでに経験して来た「通常では理解しがたい案件」のうち、「人をゾンビ化しようという計画を阻止した」というものが、実は他ならぬ西条からの紹介で始まった事件だった。そのことで西条は、多少なりとも俺に対して「負い目」を感じていると言っていいだろう。加えて、俺がそんな「理解しがたい案件」に対して冷静に対処し、なんとか解決の道を見出して来たことも、西条は他の誰よりも理解していた。


「自分の目で見たものしか信じない」がモットーの現実主義者である西条にとって、そんな理解しがたい案件ばかりに関わっている俺という男自体が、「理解しがたい存在」なのかもしれない。それでも、不可解な案件を曲がりなりにも解決に導いてきたことが、俺が信頼するに足る探偵であるという、西条の信頼感に繋がっているのだろう。


 それが証拠に、以前俺と西条が関わることになった「目に見えない悪意と対決した」という案件では、丸腰で「悪意」に向かっていこうとする俺に、西条は「良かったら、持っていくか?」と、自分の拳銃を差し出そうとしたくらいだ。そんなことをしたら、例え事件が解決したとしても、西条自身が重い処分を受ける可能性が高いことをわかった上で、だ。結局その時は、ここは丸腰で行った方がいいと判断し、西条の有難い申し出は断ったのだが。


 とまあ、俺と西条はそんな特別な間柄なので、「特例」として色々と俺に教えてくれるというわけだ。そして俺が西条に調べてもらったのは、今回の件で最も「要注意人物」と思われる男、笹川一清についてだった。


「こいつが過去に、何かやらかしてないか。もしくはそういう疑いがかけられたことがあったかどうか、調べてくれると助かる。もし何もなかったら、それでいい。頼んだぞ」


『ああ、ちょっと時間がかかるかもしれないが、やってみるよ。また連絡する』


 そこで俺は電話を切り、とりあえず西条からの連絡待ちだな……と、手元の資料を改めて整理することにした。そして、それから数時間ののち。西条からの、折り返しの電話が入った。



「西条か。何かわかったか?」


 俺の問いかけに、西条は少し口ごもったように、電話の向こうで沈黙し。俺の意思を確認したかったのか、逆に質問を投げかけてきた。


『ああ……いや、まだ詳しいことは言えないんだがな。それより勇二、お前ちょっと今から、空いてる時間はあるか?』


 何が「それより」なのかわからなかったが、西条らしくないはっきりとしない口調に、今度は俺の方が何か嫌な予感を覚えていた。


「ああ、今夜は大丈夫だ。しかし『それより』っていうことは、何か急ぎの用事ってことか?」


 はっきりとしない西条に、俺がズバリとそう聞き返すと。西条は「ふう」と軽くため息をつき、話の本題を語り始めた。



『実はな、お前が調べて欲しいと言っていた、笹川って奴。こいつがちょっと「訳あり」でな……で、その「訳」を、お前に直接説明したいという人がいる。もしお前の都合さえ良ければ、これから会って話したいということなんだが……』



 なるほど、どうやら俺は思いもよらず、警察内部でも「タブー」とされているらしき部分に触れちまったらしいな。いつも論理的にシャキシャキと話す西条がこれだけ言いにくそうにしているということは、それだけ俺にとってはその情報が「有意義なもの」という可能性が高い。気を使ってくれている西条には悪いが、俺はその「面会人」に会うのを、少なからず楽しみにしていた。



 西条との電話を終えてから、1時間後。その西条が、1人の男を連れて事務所へやって来た。

「初めまして。私は警視庁の薬物対策課に所属している、大沼と言います」


 大沼と名乗った男は、ご丁寧にも俺に警察手帳を提示して身分を証明してくれたが、西条と一緒に来たのだから、そこまでする必要もないのにと思いながらも。それがこの大沼という男のやり方なんだろうなと、俺は依頼人に接する時のように、大沼の「あるがまま」を受け入れることにした。しかし、薬物対策課か……俺は、この男がわざわざ事務所まで来た理由が、なんとなく想像出来かけていた。


「見ての通り散らかっていまして……申し訳ありませんが、こちらにおかけ下さい」

 俺はいつも依頼人に座ってもらう事務イスと、もう一脚同じようなイスを引っ張り出して来て、デスクの前に置いた。俺の事務所の有様に慣れている西条と並んで、大沼も特に拒絶することなく、事務イスに座って俺と正面で向き合うことになった。



「こちらこそ、お時間を取らせてすいません。桐原さん、あなたのことはこちらの西条から聞いています。以前はあなたも刑事をやってらして、西条と同期だったと」


 大沼は俺や西条より少し若いように思え、それゆえに丁寧な言葉遣いをしているのだと思われたが、年上で先輩である西条を「さん付け」していないのは、俺に対する敬語的表現なのだろう。それだけ「一般市民」である俺に気を使っていることの現れではあるが、同時に俺に対して「親近感」らしきものは抱いていないという証拠でもある。ようするに、「私=大沼」と「あなた=俺」は、警察と市民という立場ではあるものの、西条と俺のような「ツーカーの仲」ではありませんよと、最初から宣言して来たのだと俺は解釈していた。


「それで、私に話したいことがあるとのことでしたが。宜しければ、要件をお聞かせ頂ければと思いますが」


 俺のその言葉に従い、大沼はゆっくりと、落ち着いた口調で語り始めた。



「まず、あなたが西条に調査を依頼した、笹川一清という男。今から2年ほど前のことなのですが、この男の経営する店【セレクトショップSaSa】に、覚せい剤売買の嫌疑がかかったことがありました。しかし捜査を進めるにつれ、そういった違法薬物の売買をしていたことは間違いないのですが、売買には店の商品をネットで取り扱う販売網を使用していたことが判明しました。その販売網は、店舗のネット環境を一括管理している会社に、全て運営を任せていたと笹川は証言し、管理会社もそれを認めました。

 これらの証言により、薬物売買は笹川の預かり知らぬところで起こったものであり、管理会社が独断で行ったのだと判断され。笹川自身は、『お咎め無し』という結果になったのです。


 ……とはいえ、いわばこれは、疑惑を掛けられた政治家が『全部秘書がやりました、私は一切関わっていません』と言い逃れするようなものですからね。恐らくもしもの時は、それなりの対価を払うことで、そんな風にネット管理の会社が責任を負うことで話がついてたのではないかと、私たちは睨んでいます。


 管理会社の責任者は、初犯ではあったものの営利目的の売買のため、1年6ヶ月の実刑と3年の執行猶予が言い渡されました。つまり今は、執行猶予期間とはいえ、責任者はもうシャバに出てきているわけです。そこで私たちは、また笹川とツルむのではないかと予想し、現在笹川の行動をマークしているところなのです。今度こそ、どうにか笹川の尻尾を掴んでやろうとね」


 そこで大沼は、ぐっと前に身を乗り出して来た。ここからが、俺に伝えたいことの「本題」ということなのだろう。


「そんな時に、捜査一課の西条という刑事が、笹川のことを調べているという話が舞い込み、どういうことかと直接事情を聞いてみたわけです。笹川が、何か別件で問題を起こしたのかと思ったら、知り合いの探偵から依頼されたのだという。何かの事件の容疑者として警察が追っているのであれば、これは致し方ないですが。どうやら、そういうわけではないらしい。


 ここまでの話も、本来なら市井の探偵に明かす内容ではないのですけどね。あなたも以前は刑事職に就いていて、加えて西条のご友人ということもあり、特別にお話した次第です。あなたがどんな目的で笹川の過去を調べようと思い立ったのかはわかりませんが、正直に申し上げまして、私どもが笹川の動向を探っているという、現在の状況に於いては。探偵さんには、あまり目立った行動はして欲しくないというのが、私どもの意向です」



 そういうこと、か……。薬物課の刑事が来た時点で、一清がそちら関係で問題を起こしたであろうことは、俺にも推測出来ていた。そして、恐らくまだ罪には問われていないだろうことも。実刑など受けていたら、その段階で「跡継ぎ候補」としては「失格」となるはずだからだ。薬物課が一清の証拠集めをしているのかと思ったが、一度は無罪と判断されたものの、次に何かやらかすのをマークしてたってことか……。



「なるほど、お話はわかりました。実は笹川さんご本人から、プライベートな件で依頼を受けていまして、念のためにと彼の過去を洗ってみようと思い、西条に連絡を取りました。あくまで調査の参考になればと考えてのことでしたので、大沼さんにご迷惑をおかけするようなことにはならないと思います。どうぞご安心下さい」


 俺は、努めて「素直で従順な態度」を装い、大沼にそう答えた。本来なら、「そっちの都合など知ったことか、俺は俺の好きなようにやらせてもらう」と啖呵を切るところだが、西条が絡んでいるとなれば話は別だ。ただでさえ色々と心配をかけているのに、これ以上余計な迷惑はかけられない。



「それを聞いて安心しました。笹川の依頼を受けて調査をするのはあなたの自由ですが、十分に立場をわきまえた上で、『市井の探偵』の範囲内でやって頂ければと思います」



 大沼はそう言い残して、西条と共に事務所を後にした。去り際に、西条が「悪いな」という顔をして俺に軽く手を上げていたが、俺も「気にするな」という意味で手を上げ返した。だが内心では「これからのこと」について、フツフツと煮えたぎるような思いが、俺の胸の内に沸き上がり始めていた。


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