彼の「新事情」(1)


 一清が事務所を去ったあと、デスクの前で、ふう……と大きく息をつき。いくらか冷静さを取り戻したところで、俺は密かに「やっちまった、かな……」とも考えていた。


 少しも頭を冷やして、考えてみると。一清の依頼を受けたということは、俺はまたぞろ「やっかい極まりない案件」に、自ら足を踏み入れたということになる。……まあ、それが「俺」っていう奴だってことだな。ここで、「面倒な件は、お断りする」なんて考える方が、俺らしくない。こればっかりは、俺が俺である以上、一生ついて回るんだろう……。


「俺が俺である以上」という言葉を思い浮かべたことで、同時に松音の「多重人格」のことが頭を過った。松音が、今の松音でいられるために、か……。俺は一清が言っていた言葉を思い出しながら、複雑怪奇なこの案件を、最初から整理し直すことにした。




 まずは、野見山家の跡継ぎ問題。これは、松音が「一人娘」であることから、現実の問題として存在していたわけではなく。実際は、松音の多重人格を抑え込むために仕組まれた、当家の「計画」だった。それは同時に、多重人格を用いて当家に反発し、都会へ出て行った松音に対する、当家からの「最後通告」でもあった。これで多重人格が収まらないようなら、松音を跡継ぎの候補から外す覚悟もあったと思われる。


 しかし当家はご丁寧にも、松音の分裂した人格である「竹乃」と「梅香」にも、相続条件を伝えてしまった。これが、間違いの元だった。松音の多重人格が収まるどころか、竹乃と梅香がそれぞれの「存在価値」を見出し、人格を強化することになってしまった……。


 ここで俺は、ある種の「違和感」に気付いた。当家は元々、松音の人格変化に惑わされ、それを封じ込める意味で、「跡継ぎ条件」を松音に伝えたはずだ。”3姉妹”のうち誰かの配偶者を、跡継ぎにするのだと。なのにわざわざ、別人格である竹乃と梅香に、直接そのことを伝えようとするだろうか……?


『「念を入れて」という意味で、竹乃や梅香にも同じことを伝えたのが、まずかったようですね』


 一清は、俺に3姉妹それぞれと付き合っていることを見破られる前に、そう言っていた。「念を入れて」……俺にはその言葉に、何か引っかかるものを感じていた。


『僕は野見山家から、松音を通さず、直接コンタクトを受けてるんです』


 逆にこれは、一清が3姉妹とのことを見破られ、態度を豹変させてから言った言葉だ。それだけに、この言葉には「嘘がない」とも言えるだろう。3姉妹それぞれと「交際している」ことがバレてからは、何か開き直ったかのような態度を見せていたからな……。


 これらのことを踏まえて、考え直すと。跡継ぎ問題をややこしくさせたのは、一清の「企み」が原因ではないかと思えて来た。



 恐らく当家は、家を出て行ってしまった一人娘に、「交際している男性」がいると知り。松音の「現状」を知るには、その男性に今の状態を聞くのが一番確実だと思ったに違いない。なんせ「その時に応じて人格を変える松音」には、当家も手を焼いていたはずだからな……。


 そして、当家の「使いの者」が、一清の元を訪れた……。



―使いの者―

「松音さんには、色々複雑な事情がありまして。当家としても、跡継ぎを任せていいものか、頭を悩ませていまして……」


―一清―

「色々複雑な事情、ですか。それはもしかすると、松音さんの『人格』に関することですか……?」


―使いの者―

「やはり、ご存じでしたか……」



 一清との間で、そういうやり取りがあっだろうことは想像出来る。そこで当家の使いも、松音の多重人格について知っているならと、3姉妹のうち誰かの配偶者を……という「計画」を一清に打ち明けた。松音の「現状」を一番よく知ってるであろう一清にも、協力してもらえれば助かると考えて。しかし一清は、あくまで自分自身のために、一計を案じた。


『この際、竹乃や梅香の人格が『残ったまま』でも構いません』


『僕は実質、『1人』としか付き合っていない。それを浮気とは呼べないですよね……?』


 これも、一清が「見破られる前」と「見破られた後」に、それぞれ言っていた言葉だ。この「浮気とは呼べない」と言い放った言葉が、奴の「本音」であるなら……。


 一清の奴、当家の計画を聞いて、計画通りに竹乃と梅香が「消えてしまう」のが、惜しくなったんじゃないのか? キャラクターの全く違った「3人」と付き合えるという幸運を、手放したくなかったのでは……?


 だから一清は、当家への「アドバイス」として。「念のために」、竹乃と梅香にも計画を話しておいた方が、より効果があるかも……と、「助言」した。当家は、今の松音を最も知る男の助言として、素直に受け入れたが。それは一清の、「竹乃と梅香を消さないため」の、企みだったんでは……?!


 現時点では、あくまで「推測」に過ぎないが。そう考えると、感じていた違和感がなくなり、辻褄が合うように思えた。一清は、松音から跡継ぎ問題を聞き、竹乃と梅香の自我が強まったことを受けて、「もしもの時のために」と、2人の「妹」と交際し始めたと言っていたが。恐らくその前から、竹乃にも梅香にも「手を出して」いたんだろうな。それを当家の計画で「消される」のは、あまりに「勿体ない」と考えた。「小悪党レベル」の奴が、考えそうなことだ……。



 しかし、一清の予想以上に、竹乃と梅香が成長し。2人の人格を、松音がコントロール出来ないような状況になりつつあった。コントロールが難しくなることで、自分が「竹乃と梅香とも付き合っている」ことを松音に隠せると思っていた一清には、好都合でもあったが。その度合いが激しくなるにつれ、松音自身の精神が崩壊する恐れもあると思えて来た。……そうか。それに気付いた一清は、そのことも当家に「助言」したんだな……!!


 もし仮に、竹乃か梅香が松音より「上位の人格」になってしまったとしても、一清は竹乃もしくは梅香の配偶者になれれば、野見山家の跡継ぎになることが出来る。しかし、松音自身の精神が破綻してしまったら、それもご破算になる……。そう考えて、「先手」を打ったわけか。松音さんの状態は、あまり良くないようです。このままでは自我が崩壊する恐れがあると、当家に伝えた。


 それを受けて当家では、「最後通告」のつもりで松音に告げた計画が、「失敗に終わった時」のことを考えた。もしこのまま松音が、跡継ぎになることが不可能な状態になったら、どうすべきなのか。家長である松音の父親が高齢化したことを考えると、一から候補を探すのは難しい。ならば……当家の事情も、松音の事情も知り。当家に入ることを「承諾している」男に、養子になってもらうのが一番いい……!


 松音への通達が「最後通告」だったことを考えると、当家の方でも一清に直接コンタクトを取ったのは、「それを踏まえて」という意味合いが、多少なりともあったのかもしれない。そして一清から松音の状態を聞き、「もしもの時は」と、一清の意思を確認した。一清も待ってましたと、これを承諾した……。



 全ては、一清のひとりよがりな企みと。幼い頃から跡継ぎとして縛り付けておきながら、「反撃」されたことで最悪の場合は見捨てようとしている、当家の勝手な思惑が原因ということか。松音は完全に、その「勝手きわまる思惑のぶつかり合い」に巻き込まれてしまったんだな……。


 一清は自分でも言っていたように、初日から俺が「3姉妹」に、男性との交際など詳しいことを聞くとは予想していなかった。だから、「松音が今のままでいられる方法を」と依頼して、帰るつもりだった。松音が下位の人格になろうと、松音の精神が崩壊しようと、「跡を継げる道」を確保した上で。野見山家の跡継ぎになるには、それが一番「確実な方法」であることは、間違いないのだから……。



 ここまでこの案件を振り返ってみて、俺は改めて、自分の「成すべきこと」に確信を持った。一番の「被害者」である松音を、なんとしても助けること。正直、竹乃や梅香に関しては、どうなるかわからない。だが、「松音が松音でなくなってしまう」ことだけは、防がなければ……!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る