彼女の「新事情」(4)


「桐原さん……そんなに気を落とされなくても、宜しいんですよ? ああ見えて一清さんは、『そういうこと』が得意な人のようですから……」



 それは恐らく自分の目の前で、ガックリと肩を落としている俺に対する、松音の慰めの言葉だと思われたが。俺はそこで、「はっ」と気が付いた。


「『一清さんの、そういうこと』とは……?」


 俺の問いかけを受け、松音はまた「にこり」と微笑んで、語り始めた。



「もしかしたら桐原さんも、お調べになっているかもしれませんが。一清さんは、初めてお会いした時から、ご自分の『お店自慢』をよく話してくれまして。どれだけ苦労を重ねたとか、どんなアイデアで苦労を乗り切ったとか、そういう話をたくさんしてくれたんですが……でも、私に話してることが全部じゃなかったようなんです。私には決して話しませんでしたが、一清さんは、店を存続させるために……というより、『より利益を上げるため』に、案外『危ない橋』も渡って来たみたいなんですね。


 一清さんは私のことを、田舎から出てきた世間知らずの娘だと思っていた節がありましたけど。私も一応、ネットで色々と検索したりすることは得意なんですよ? 調べてみると、一清さんのお店について、色んなことがわかりました。一清さん自身が何か罪に問われるとか、そこまでのことはなかったですけどね。正直、それに近い出来事はあったらしいんです。


 だからきっと、いま交渉しているというお店の譲渡も、上手く進んでないんじゃないかと思います。一清さん、野見山家の跡継ぎになるべくお店を譲るつもりでいながら、譲った後のお店の売上げとか……特に、『危ない橋』関連については、自分も利益を得たいと思ってるんでしょうね。一清さんって、あたしだけでなく妹たちにも声をかけたりしてることも含めて、かなりの『欲張りさん』なんだと思いますわ」


 なんと、俺が大沼から聞かされ、必要とあらば松音に伝えようかと思っていた事柄を、すでに松音も承知だったということだ。いや、野見山家の長女として、それは当然と言えば当然のことか……。



「そういったわけで一清さんは、私に内緒で色々と考えていることがおありになるんだな、と思いまして。それならこちらもそれなりの『対抗策』を考えようじゃないかと思って、竹乃と梅香に来てもらってたんです」


 そう言って松音は、今度は「にこり」とではなく、「ふふふふ」と意味ありげに笑った。


「妹たちにはまだ話してないんですけどね、たぶん2人とも、一清さんとのことは口留めされてると思いますから。でも、私が一清さんの『企み』を話せば、きっと竹乃も梅香も、私に協力してくれるんじゃないかと思います。あの人は、私たち3人をまとめて丸め込んで、いざとなったら私たちを見捨ててでも、跡継ぎになるつもりでいるようですけど。そう上手くことが運ばないよう、私たちにも出来ることがありますよね……?」



 そうか……。一清の奴も相当な「やり手」だと思っていたが、松音もそれに対抗すべく、打つべき手を打っていたというわけか。今にして思うと、「巻き込まれた」のは完全に俺の方だったな……。



「だから、桐原さん。出来ましたら桐原さんには、私たちに協力して頂けると嬉しいかな、って思います。もちろん桐原さんも、一清さんから依頼を受けている立場だと思いますから、なかなか難しい選択かもしれませんが。私個人としては、桐原さんならきっと私たちの、いえ、『私の味方』になってくれるって。そう思っていますわ……」



 松音のその言葉を聞いて、俺はそれまでに受けた衝撃のせいか、いくらか気弱になっていたこともあっただろう。普通なら口にしないような本音を、「ポロリ」と漏らしてしまった。



「私は……私が、ここに来たのは。そもそもが、松音さんのために何かしてあげられないか、という思いからでした。思い返しても情けない限りですが、笹川さんの言葉を真に受け。松音さんが精神的に不安定な状態にあると、信じ込んでしまった。


 そして私も、いざとなったら笹川さんは、松音さんたち姉妹を見捨ててでも……という企みを、抱いているらしいことに気付いて。松音さんを助けられるのは自分しかいないなどと、思い上がってしまった。松音さんは、俺なんかよりよっぽどしっり考え、行動しようとしているのに。俺なんかに、何が出来るのか……」



 いつの間にか、依頼人に対し「俺」などと口走っていることにも、この時の俺は気付いていなかった。そんな俺を、松音はじっと見つめ。そして、膝の上で握りしめている俺の拳に、そっと自分の手を重ねた。


「私を、助けようと……そのお気持ちだけで嬉しいですわ、桐原さん。いえ……もし宜しければ、これからは『勇二さん』と呼ばせてもらっても、構わないかしら……?」


 そう言いながら松音は、俺の拳を手のひらで優しく包み。まるで母親が赤子を撫でるように、重ねた指先をゆっくりと、拳の上で動かし始めた。その手のひらと指先から伝わるぬくもりは、俺の意固地になった心を解きほぐすのに十分だった。もう少しで、松音の前で涙をこぼしてしまいそうなくらいだった。



「……ありがとうございます。もちろん、勇二と呼んで頂いて構いません。俺が何か、お役に立てるのなら……」



 その時の俺は、疑うことなく、心の底からそう思っていた。だが、やはりこの時に気付くべきだった。完全に俺は、松音の「術中にはまっていた」のだと。

 

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