真実(2)


 その言葉の後、俺と松音の間に、重苦しい沈黙が流れた。松音は、明らかに俺に対して、どう返答すればいいか、迷っているように思えた。そして俺は、松音がどう返答するかを、そのままじっと待ち続けた。



 やがて松音が、根負けしたかのように、「ふう」とひと息吐いてから。俺の目をじっと見つめ返して、「返答」を俺に告げた。


「勇二さん、おかしなことをおっしゃいますね。あたしが妹たちと一緒にいるところを、確認したいだなんて。そのことに、……?」



 ――そのことに今さら、なんの意味があるのか。


 松音のその言葉は、心なしか、それまでと少し態度を変えたように感じられた。今さら、何の意味があるのか。それは、そのことについてはもう、「見せてあげたでしょう?」という意味であると、俺は受け取った。要するに、松音がその言葉に含めた、真の意思とは。「あなたは、それを『覆す』だけの証拠や考えを、持っているの?」ということだと。……つまり。



 妹2人を、ここに呼び出して欲しいという、俺の「挑戦状」を。


 あなたは本当に、「それ」を証明出来るの? と、松音が受けて立った。


 俺は松音の言葉を、「そういう意味」だと解釈した。




 たとえ松音が、ここに妹2人を呼び出すことが出来なくても。それはこの時点では、竹乃と梅香が「実在しない」という、確かな証明にはならない。何か都合があって電話に出ないだけだと、突っぱねれば済むことだ。だから俺は、なぜそんなことを考えたのか、そしてなぜそれを「真実」だと思っているのか。松音が納得出来るような説明を、ここでする必要があった。



 俺はその命題を果たすため、自分の「考察」を、静かに語り始めた。


「……最初は本当に、何の疑いもなく。竹乃さんも梅香さんも、『実在する』ものだと思い込んでいました。この部屋で、実際に私がこの目で、お二人の姿を見たのですから。それで私は、松音さんが多重人格であるという情報は、笹川さんからしか語られていない、『真実味に乏しいもの』だと判断したのですが。


 しかし、逆に。竹乃さんと梅香さんが、あなたの『別人格』ではなく、実在するという『証拠』は。この部屋で私が見た、数分間の出来事しか存在しない。それは果たして、『真実性の高いもの』だと言えるのか。そこに私は、わずかな『疑問』を抱きました。


 竹乃さんと梅香さんが去った後、私と松音さんが2人だけで、ここで話し合い。それから数日後、私はこの部屋で再びあなたと落ち合う約束をした。その約束をした時は、電話であなたの声を聞いただけでした。


 そしてマンションに来てみると、部屋にあなたの姿はなく。マンションを出た私を、竹乃さんがつけ始めた。そこで私は竹乃さんを私の事務所へ連れて行って、あなた方『姉妹』が相談した内容を尋ねた。この間、私は竹乃さん1人にしか会っていません。


 次に、竹乃さんが事務所を後にして、私がアパートへ戻ると。あなたがアパートの傍で、私を待っていた。あなたはそのまま、私の部屋に泊まりましたが。次の朝目覚めると、あなたの姿はなく。そこに、梅香さんが訪ねて来た……。


 つまり、私がこの部屋で竹乃さんと梅香さんを『同時に見た』、数分間以外は。あなた方3姉妹は、まるで『順番を決めている』かのように、私の前に『1人ずつ』しか現れていないんです。一番最初に、あなた方が私の事務所に『順番に、面談に来た』時と同じく……」



 俺のその「説明」を聞いて、松音はキセルをくわえ、煙を「ふう……」と吐き出し。俺の真意を伺うかのように、口元に笑みを浮かべた。


「その説明だけでは、なんとも頼りない……そんな気がするんですけども。いわゆる、『状況証拠』にもなっていないような。全て、勇二さんの勝手な想像だと言われても、仕方ないんじゃありません……?」


 もちろん俺は、これで説明を終わりにするつもりはなかった。段階を追って、徐々に徐々に。松音にそれを、「認めさせる」。最初から、そのつもりだった。



「確かにその通りです。あなた方が、竹乃さんが言っていたようにそれぞれが『いい大人』で、それぞれが『独立した個人』であれば。他の姉妹と交わることなく、単独で行動していて何もおかしくないでしょう。しかし私はここで、別の可能性を見出しました。それは、笹川さんが言っていたことから思いついたことでした……」


 竹乃と梅香の姿を見た直後は、一清が俺に語っていた内容は、「その中に巧みに真実を織り込ませた、『嘘』だった」と考えていたが。逆に、竹乃と梅香が一清の言う通り、松音の別人格であるとするなら。「一清の言っていたことは、真実である」という可能性が、極めて高くなる。


 だとすれば。一清の語っていた内容を基にして、この案件をもう一度組み立て直す必要がある。俺はそう考え、松音に言った「別の可能性」を見出したのだった。



「笹川さんは、こう言っていました。あなたがまだご実家にいる時は、別人格の竹乃と梅香は、正反対のキャラクターだという、大まかな性格付けしかなかったと。しかしあなたは、都会に出て来てからの『人間観察』で、2人のキャラクターに更なる『個性』を植え付けようと考えた。

 

 つまりあなたは、あなた自身の観察によって、別人格を『成長』させることが出来るのだと。これも笹川さんが言っていたことですが、『松音は、その性格まで別の人間になり切ることの出来る、ズバ受けた変装の名人なんです』というあなたへの評価は、まさにこのことを指しているのではないかと思いました。


 そして、もうひとつ。自分の恋人が持つ症状として、笹川さんは自分なりに、解離性同一性障害について色々と調べてみた。その結果、あなたは稀な症例として、人格が変わる際に、あなた自身の体質や体つきまで、その人格に合わせて微妙に変化することがわかった。これは、実際に3姉妹全員と『お付き合い』していた笹川さんが、まさに『実感した』ことではないかと思います。


 しゃんとした姿勢で自信ありげに話すあなたに比べ、竹乃さんは下から人の表情を伺う、猫背のような姿勢でいることが多かった。そして梅香はスポーティーな見かけの通りに、いつも背筋をピンと伸ばしていた。そういった姿勢などの変化に加え、ブラックコーヒーも煙草も苦手な梅香に対し、あなたはそのどちらも大丈夫だった。そんな日常的な『違い』も、人格の変化を表すには最適な効果を生んでいたのでしょう。そして微妙な差異とはいえ、それだけの変化を遂げることが、あなたには可能だった。


 以上のことを、踏まえて。もしかするとあなたは、妹である竹乃と梅香だけでなく。それ以外の、『別の人格』になることも可能なのではないか……? 私は、そんな仮説を立ててみました。例えば、夜を何度も共に過ごすほど、すぐ近くでじっくりと観察していた、恋人の笹川一清。あなたは、その『人格』に変わることも、可能だったのではないかと……」


 そこで松音の表情が、微妙に変化した。それは、俺の言っていることに対し、「何を言いだすのか」という疑いの表情ではなく。「その先を、ぜひ聞いてみたい」とでもいうような、松音の好奇心を現したものに感じられた。



「私の事務所に『依頼』に来た笹川さんは、やはり『本物の笹川さん』だったろうと思います。しかし。私がこのマンションに行こうとして、ビルを出た時に遭遇した笹川さんは。恐らく、『あなたの別人格』だったのではないかと私は考えています。


 それでもやはり、同性でずっと慣れ親しんでいる竹乃や梅香に比べると。性別が違い、まだ『新しい別人格』の笹川一清は、あなたにとっても『完全な変化』が出来るか、不安だった。だから……コートの襟を立て、『顔を隠すようにしながら』、私と話していた。あなたの『計画』を、私に知らせる役目として……」



 松音は「その時」に備えて、あらかじめ「一清用」の服装を用意していたのだろうと思われた。そしてあの日、俺からの電話が入り、キセルを床に落として扉を閉めないという細工を、部屋の中に施した上で。一清用の服を着て、もしくは最寄り駅のトイレ辺りで着替えるなどして、事務所の近くで俺が出て来るのを待機していた。俺が初めてこのマンションに来た時、「きちんと整えた身なり」をしていたことに気付いた松音は、この時も俺がすぐには出かけず、ある程度身支度をしてから出かけるだろうと考えて……。


 そして、一清の人格のまま俺の前から立ち去った後、「竹乃」となって自分のマンションへ向かった。部屋の様子を見た俺は、すぐに部屋から出ずに「これからの方針」を考えるだろうと予想し、今度はマンション付近で俺が出て来るのを待ち構えていた……というわけだ。「竹乃と梅香の姿」を見せられ、完全に俺が「自分の術中にハマっている」と認識し、俺の考え方や行動もある程度予測出来たからこその、行動だったと言えるだろう。



 しかし松音は、そこまでの俺の話を聞き終え。片手を口に当てて、「ほっほっほ……」と笑いだした。


「勇二さん、あなたが大変頭のいい方で、探偵としての腕がいいことは、よく存じ上げていますけど。それはあまりに突飛で、『奇想天外』なお話じゃありませんか? 竹乃や梅香、血の繋がった『妹の人格』になるというのなら、まだ納得出来ますけど。赤の他人、しかも男性になってしまうなんて。それも、私が『観察した結果』だというのは、さすがに無理があるんじゃないかと思いますわ……」



 松音は「まさかそんなことが」とでも言うように、笑っていたが。それは、それだけこの「4人目の人格」についての事項が、松音にとっても重要なポイントだということでもある。それを、推論ではない「事実」として、説明することが出来るのか。俺はこの件を、松音に「認めさせる」ことが、今後の鍵を握っていると考えていた。



「確かにこれも、あなたの言う通りです。なので私は……あなたに、ちょっとした『カマ』をかけてみました」


 松音はそれを聞いて、「えっ?」という表情になった。ここまで、俺の説明を聞いてもほとんど動じていなかった松音が、初めて「気持ちが揺らいだ」ことを現した瞬間だった。俺は、ここが勝負どころだと判断し、一気に畳みかけることにした。



「先ほど私は、笹川さんが亡くなったこと、そしてその状況について、お話しましたが。その時あえて、何日か食べていないようだった……ということだけ、お伝えして。笹川さんが『どんな服装をしていたか』は、一切口にしませんでした。


 しかしあなたは、笹川さんについて、『そんな、みじめな姿で……』と表現した。確かに発見された時の笹川さんは、ホームレスのようなみすぼらしい、『みじめな姿』と言える服装でしたが。それを、あなたが知っていたかのような言葉でした。


 ビルの前で遭遇した、あなたの別人格である笹川さんが、すでに『そんな恰好』をしていましたからね。恐らくあなたは自然と、その姿があなたと私との『共通認識である』と、思い込んでいたのでしょう。だからつい、笹川さんが亡くなったことを『初めて聞いた者』が、知るはずのないことを言ってしまった。そうではないですか、松音さん……?」



 松音は、先ほどまでとは違い。目を閉じ、何かをじっくりと考え込んでいるようだった。ここは、迂闊に「返答」出来ないと考えているのか。それとも……ここで、遂に「認める」のか……?



 やがて松音は、目を開けると、再び俺を見つめ。「まだ、認めるわけにはいかない」とでも言うように、俺に問いかけて来た。



「……勇二さんの、仰りたいことはわかりますが。でも、何日も食べていないという状況が、『みじめに思えた』という解釈も出来ませんか? 多少強引かもしれませんが、そう考えることも出来ると思いますわ。そして、もし仮に私が、勇二さんの主張を『認めた』としても。それで勇二さんは、どうなさりたいのでしょう……?」



 来たな……。まだ「仮」の話ではあるが、松音が俺の考えを認める方向に揺らぎだしたことは、間違いない。そこで俺は、松音の聞きたかったこと――松音がそれを認めた上で、「どうしたいのか」を、正直に語った。


 

「私がここで確かめたかったのは……松音さん、あなたの『目的』です。『動機』と言ってもいいでしょう。あなたが別人格を駆使して、やり遂げたこと。笹川一清の、『裏の販売網』を手中にし。そして……笹川一清の死と。ひと気のない川辺で発見されたという、女性2人の変死体。このどちらにも、あなたが『関わっている』と、私は考えています……!」


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