「彼」のその後(3)


 一清は、目深に帽子を被り、コートの襟を立てて顔を隠すようにしながら、俺の方をチラチラと伺っていた。その様子は、俺に対する警戒ではなく、俺をここに招き入れたことで、「俺以外の誰か」に自分が見つかることを、恐れているかのようだった。


 先日事務所に来た時には、「小さいながらも、都内に店を構えるセレクトショップの経営者」だと感じさせる、一流ブランドらしい服装で身を固めていたのだが。一清がいま着ているコートは、随分とくたびれた上にところどころに染みが付き、その下から覗いている服も、何日か着たままのような薄汚れた色合いになっていた。正直言って、ホームレスの男だと言われても納得するくらいの、「落ちぶれた様」に思えた。



「笹川さん……どうしたんですか。何があったんですか……?」


 俺はとりあえず、行方不明になったことは「知らない体」で、一清にそう尋ねた。行方不明を知らずとも、この格好を見ればそういった問いかけをするのは当然のことだと言えた。



「どうもこうも、ね……。桐原さん、あんたこれから、どこかへ出かけるみたいだったけど。やっぱり『あの女』のとこに行くのかい……?」


 今さら「あの女」などという呼び方をするのは、一体どういうわけなのかと思いつつ、「はい、これから長女の松音さんに会いにいくところですが……」と、俺は正直に答えた。


 そこで一清は、かすかに「ちっ」と舌打ちをしたように見えた。それは思わず出てしまったもので、それゆえに彼の「本音」を現しているように感じられた。



「全く大したタマだよ、あの松音って女は……俺は、まんまと一杯食わされていた。あの女を上手く丸め込んだつもりが、逆にハメられてたんだ……」


 何か独り言のようにそう言ったあと、一清は「きっ」と俺の方に向き直った。


「桐原さん、あんたも気を付けなよ。あの女を信用したら、こっぴどい目に逢う。まあ、この俺の姿を見れば、一目瞭然だと思うけどな。あの女……松音は、俺に騙されているフリをして、俺の考えていることなんざ、全てお見通しだったんだ。それに加えて、密かに『俺の店』を狙ってやがった。店の、『裏の稼ぎ』までな……!」



 俺はそこで再び、知らないフリをして「裏の稼ぎ……?」と口にしてみたが。一清はすぐに、「今さら、トボケなさんな」と苦笑いし、言葉を続けた。


「桐原さん、”名探偵”のあんたなら、とっくに調べ済だろ? 俺が、自分の店でやってることとかさ。あの女、俺の商売話を感心しながら聞いてたくせに、しっかりと『裏』も調べてやがったんだ。それで、名家の跡継ぎになるには当然店を手放さなきゃならないって事情を、十分に把握した上で。俺が『どう動くか』を、じっと見張ってたんだろうな。


 俺がなんとか見つけ出した、店を譲渡する相手との交渉も、あの女にとっては『店をモノにするチャンス』でしかなかったんだろう。俺にしてみると、単純に店を譲るだけじゃなく、『裏の仕事』のことも譲渡相手にお願いしようと思ってたからね、その方が相手も『美味い汁』を味わえるわけだし。そういう『条件』を飲んでくれる相手をようやく見つけたはいいものの、色々あって交渉が長引いちまってね……。


 だから松音にも、婚約とかそういうのはちょっと待ってくれってお願いしてたんだがな。お願いする以上、譲渡の交渉が順調に進んでないことも言わざるを得なかった。それであの女、俺が交渉後にも『裏の稼ぎ』の利益を得ようとしていて、それが原因で揉めてるんじゃないかと、ピンと来たんだろうな。


 そういう意味でもあの女は、ずる賢いというか相当に『頭のキレる女』なんだよ。そうそう、おまけに俺が、妹2人に手を出してたことまでわかってたしな。それを姉妹3人揃ったところで問い詰められたら、俺には何も言い返せんよ。松音の言いなりになるしかなかった。全ては、あの女の計画通りにことが進んだってわけだ……。


 今の俺は、店を譲渡する権利を松音たちに奪われた上に、警察の手が回りそうになってる。ぶっちゃけもう、名家の跡継ぎとか言ってる場合じゃなくなっちまったよ。あんたも、用心した方がいいぜ。あの女は、自分の欲しいものがあれば、言葉巧みにすりよって。最終的には、骨までしゃぶりつくす。そういう女なんだ……」



 一清は吐き捨てるようにそう言うと、コートの襟で顔を隠したまま、俺の腕を「ぐっ」と掴んだ。襟元からこちらを睨みつけるその目は血走り、鬼気迫るような悲壮感に満ちていた。



「……だがな、桐原さん。あいつに、よく言っておいてくれ。俺の『裏稼業』は、素人が簡単に手を出していいものじゃない。俺だって、最初はごく小さな取引から始めて、地道に相手の信用を得た上で、やっと稼げるようになったんだ。あいつは自分のずる賢さと『女の魅力』とで、上手く乗り切れると思ってるようだが。そんな甘いもんじゃないんだよ。ヘタをすると、酷い目に逢う可能性がある。相手が素人であっても、自分達の『稼業』に支障があるとわかれば、それをなんとしても『排除』しようと考えるだろう。


 俺が今更何を言っても、聞こうとはしないだろうがな。桐原さん、あんたの言うことなら、案外素直に聞くかもしれないぜ? あの女、あんたは自分の味方になると、信頼を置いているようだったからな。まあ、どんな目に逢ったところで、自業自得だが。あいつのことが気になるんだったら、俺がいま言ったことを、忠告してやりなよ。今ならまだ、間に合うかもしれないからな。俺はこのまま、どこかに身を隠す。あんたに会うのも、これが最後になるだろうな……」



 一清はそう言い残すと、コートの襟を更に立て。ほとんど顔全体を覆うようにしながら、辺りをキョロキョロと見回し、ビルの隙間から速足で出て行った。俺はその後姿を茫然と見送りながら、一体何が起きているのかと、頭の中が混乱状態に陥りつつあった。


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