「彼」のその後(2)


 西条の話では、事務所に来た大沼を始めとする薬物対策課も、一清が犯罪を犯している確たる証拠はなかったので、事細かにその行動を追っているわけではなく、「マークしている」という状況に過ぎなかったのだが。数日前から、店のシャッターが閉まったまま開かなくなり、「休業のお知らせ」などの張り紙も出ていない。店のHPやSNSの更新も止まり、試しに客を装って電話をかけてみたが、留守番電話になったまま繋がらず、折り返しの電話もなかったという。



『だから笹川が、いつどこで、どうやって”消えた”のかが、皆目わからない状態なんだよ。で、先日笹川のことを調べていた俺に、「何か知ってるか」と大沼から問い合わせがあり。そしていま俺は、その大沼の意向もあって、元々の依頼主であるお前に電話をし、何か知らないかと尋ねている。そういうことだ』



 西条らしい理路整然とした説明に、俺は思わず苦笑したが。しかし一清が消息不明になったというのは、俺にとっても予想外の出来事だった。もしかしたら最悪の場合、薬物を扱っているヤクザもんと、トラブルでも起こしたのか? それで身を隠しているとか、どこかに「逃亡」しているとか……。俺はそんな想像もしてみたが、野見山家の跡継ぎを狙っている現状で、そこまで「危ない橋」を渡ろうとするのは現実味が薄いような気がした。ましてや店の譲渡を交渉している最中に、そういったトラブルは出来るだけ避けようと思うはずだ。


 ならば一清は、一体どこに、なぜ「消えた」のか。現段階では、俺にはその具体的理由も行き先も、見当が付かなかった。



『あと笹川の奴は、別の儲け口でも見つけたのか、店を譲渡しようとしているらしいという情報も入っていてな。店を譲渡するということは、薬物に関する『ネット上の販売網』もそのまま譲り渡すということではないかと、薬物対策課もその成り行きを注目してたんだが。その譲渡先の相手との約束の時間に、笹川が来ず相手が待ちぼうけを食らったことで、行方不明はかなり本格的なものではないかと大沼は考えているようだ。


 それからな、勇二。これは犯罪者を追って得られた証拠ではないので、あくまで”非公式”なんだが。笹川は最近、とある探偵事務所に依頼をしに行っていた……という情報も、大沼個人だけでなく、薬物課として把握しているらしい。その依頼内容とか、探偵が依頼を受けたかどうか、そこまで詳しいことまでは認識していないようだがな。だが、本当に笹川に”もしもの事”があったら、お前が事情聴取を受ける可能性もある。それだけは、心に留めておいてくれ』



「わかった、ありがとう。十分注意しておくよ。もし俺の方で何か掴んだら、また連絡する。すまんな、いつも」


 俺は西条に礼を言って電話を切ろうとしたが、そこで西条が先日のように、いや、先日より更に心配そうに、俺に問いかけてきた。


『勇二……お前、こないだは「命に関わる案件ではない」って言ってたが。本当に大丈夫だろうな……?』


 俺は少しでも西条の心配を和らげようと、「ああ、俺に何か危険が及ぶとしたら、よっぽどのことだろう。今のところ、不安はないよ」と答え、電話を切ったが。その反面、命に関わることはないと思っていたこの案件に、何か「ヤバい臭い」を感じ始めていた。


 それは、これまでに俺が何度か経験してきた、「命の危険に晒されるような、ヤバい案件」の時に感じていたものと、似ている気がした。具体的に、何がどうというわけではないのだが、何度かそんな修羅場を潜り抜けて来た俺の身に付いた、「独特のカン」なのかもしれない。



 そう思いながら俺は、松音に連絡を取ってみようかと考えた。一清いわく「何度も夜を共にしている」というくらいだから、一清をマークしている担当部署も、恋人がいることくらいは知っているかもしれないが。かといってその恋人に、いきなり「行方を知りませんか」と聞くるわけにもいくまい。マークしていること自体が、いわば「隠密行動」みたいなものなのだから。


 そして松音も、「3姉妹」で一清に対抗する策を練っていることから、一清と積極的に連絡を取っていないかもしれない。ならば、一清が消息不明になっていることを、気付いてない可能性もある。もしくは、逆に「何か」を知っている可能性もあるかも……?



 俺はそう考え、しかし電話をかけた松音には「そのこと」を告げずに、先日の「作戦会議」の進行状況はどうなりましたかと尋ね。そして、これから松音のマンションで会うという約束を取り付けた。松音にもどうやら、俺に「直接会って」話したいことがあるらしかった。それを聞いて、俺の中に再び「嫌な予感」が、ざわめきのように湧き上がり始めていた。


 今回は「急ぎで取り付けた約束」ということもあり、あまりキチっとした身なりで行くのもおかしいかなと思い。アパートに戻ってシャワーなどは浴びず、とりあえず「それなりに整ったような恰好」で出かけることにした。松音に会ってから、一清のことをどう切り出せばいいか。まず松音の話を聞いてから、その内容次第で対応を決めた方がいいか……と、マンションに行ってからのことをあれこれ考えながら、事務所の入っている雑居ビルを出ると。



「……さん。……りはら、さん……!」



 ビルの角から、何か俺を呼ぶような声が聞えて来た。はっきりとはしなかったが、俺の周囲に人がいないことから、どうやら俺にかけている声らしいことは認識できた。俺は少し警戒しながら、その声がした方に近づいて行った。


 その「声をかけてきたらしい人物」は、それまでは「チラリ」と顔をこちらに覗かせていたが。俺が近づいていくと、隣のビルとの狭い隙間に、身を隠すように入り込んでいった。明らかに「怪しげな行動」をしている怪しげな人物に、俺は更なる警戒心を抱きつつ、ビルの隙間に慎重に足を踏み入れた。



「……どうも、桐原さん。すいませんね、こんなところで……」



 雑草がまばらに生え、いつからそこに打ち捨てられているのかわからないようなゴミなどが落ちている、いかにもな雑居ビルの狭い隙間で。壁にもたれかかるようにして、俺の方を伺っているのは。ついさっき西条が「行方がわからなくなった」と言っていた、この案件の「要注意人物」、笹川一清だった。


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