「彼女たち」のその後(1)
一清の姿が、都会の雑踏に消えて行ったあと。俺はふと時計を見て、かなりの時間をロスしていることに気付いた。「思わぬ遭遇」のせいで、松音のマンションに行く約束をした時間に、間に合いそうにない。何はともあれ、少し遅れることになると、松音の携帯に電話を入れたが。事務所にいる時までは普通に繋がっていた電話が、今は留守番電話になっていて、そのまま繋がることはなかった。俺の「嫌な予感」は、更に増幅されることになった。
連絡がつかないまでも、松音がマンションで俺を待っていることは間違いない。俺はそう信じて、車を走らせた。信号待ちで停車する度に、何か焦りのようなものが、俺を支配し始めていた。……早く行かないと。一刻も早く……! 俺はなぜか、そんな焦燥感に捉われていた。
近くの駐車場に車を停め、駆け足でマンションの入口にたどり着き。入口のインターホンで、松音の部屋番号を押して呼びかけてみたが、やはり返事がない。高級マンションなので、入口はパスワード式になっているが、入る為の暗証番号は松音から聞いていた。俺は言い知れぬ不安に駆られながら、エレベーターに乗り込み、松音の住む階を目指した。
エレベーターが目的の階に到着し、俺は松音の部屋へ急いだ。頼むから、俺の思い過ごしであってくれと、祈りながら。しかし残念ながら、その祈りは叶わなかった。
部屋の前に着くと、扉が少し「開いている」のに気付いた。俺は慎重に中の様子を伺ってから、思い切って部屋に入った。
「…………」
部屋の中は、特に荒らされているような様子はなかったが。松音の姿はなく、そして松音が愛用していたあの細いキセルが、床の上に「ポツリ」と落ちていた。何か、取り残されたようにそこに転がっているキセルを見て、俺は「最悪の予想」を思い浮かべた。
キセルが落ちていたこと、扉が開いていたことを考えれば、松音が「どこかへ出かけている」という可能性は、限りなく少ない。一清が言っていた、「ヘタをすると、酷い目に逢う」。その予想が、早くも的中してしまったのか。「裏稼業」の取引相手だったヤクザものが、一清が持っていた権利を、誰かが引き継いだことに気付いた。そいつは一体どんな奴なのかと、「実際に会って」確かめようとした……。それは十二分に、あり得ることだと考えられた。
かといって、このマンションに初見の輩が、そう簡単に入り込めるとは思えないが。松音がそいつらを「取引相手」だと考えていたなら、やむを得ず松音自身が、中に招き入れたのかもしれないな……。
部屋が荒らされてないところを見ると、「何者か」に強引に拉致されたというわけではなく。上手く言いくるめて、部屋から連れ出したのか。それとも何人かで取り囲んで、抵抗出来ないような状態にしたのか。いずれにせよ、俺が到着する前に、部屋で「何かがあった」ことは間違いない……!
俺は部屋の中をぐるぐると歩き回りながら、「考えろ、どうすべきか考えろ」と自分に言い聞かせていた。この状況で警察に連絡するのは、やはり早計だろう。物取りが入ったように部屋が荒らされていれば別だが、扉が開いていてキセルが落ちていたくらいでは、「事件性がある」とは認識されまい。試しに俺は、携帯に入れていた、竹乃と梅香の連絡先に電話してみた。しかし2人とも留守電で、繋がらなかった。
松音だけでなく、妹2人も「何者かの手に落ちた」のか? いや、そう考えるのは短絡的過ぎる。ただ単に、仕事中か何かで電話に出られないだけかもしれない。俺は折り返し連絡をくれと、竹乃と梅香にメッセージを残した。だがそれで、胸の内に広がる不安が消えてくれるわけではなかった。
そこで俺は、西条が言っていたことを思い出した。
『もしもの事があったら、お前が事情聴取を受ける可能性がある』。
それを考えると、マンションの住人でもない俺が、この状況で部屋に長居をするのは明らかにまずい。これ以上ここにいても、何か探り出すことは出来ないと判断し、とり急ぎマンションを後にすることにした。
ここは一旦事務所に帰って、一清の言っていた内容を整理しよう。それで、一体何が起きているのか、考えをまとめ、出来るだけ早く行動に移さなければ。一清と会ったことを西条に連絡するのは、その後でも構わないと思えた。「裏の稼ぎを譲渡する権利を奪われた」と言っていたし、一清はもう、薬物対策課のマークに値するような人物ではなくなってしまっただろうから……。
そう考えながら、駐車場への道を歩いていると。何者かが、俺の後をつけてきているような気配がした。そんな気配を感じるくらいだから、つけている奴は恐らく「その筋の人間」ではなく、素人だろうと思われた。
一体どんな奴がつけているのかと、「チラッ」と背後を伺ってみると。その人物は慌てたように、道沿いの電信柱の陰に「ささっ」と身を隠した。……なんだ、バレバレじゃないか。素人どころか、人の後をつけるのは今日が初めてなのか……?
俺はあえてその場で立ち止まり、電信柱の方を振り返って、そのままじっと立ち尽くしていた。俺がここから動かない以上、つけている奴も柱の陰から動くことは出来ない。言わば、我慢比べだ。……さあ、どうする。諦めて立ち去るか。それとも俺が動くまで、そこに隠れているつもりか……?
その状態のまま数分が経ち、相手が動く様子がないので、俺は電信柱の方へと歩み寄った。背後を伺った時にチラリと見えた姿から、なんとなく「隠れた奴」の正体に察しが付いたのだ。俺は電信柱のすぐ近くに立つと、携帯を取り出し、ある番号に電話をかけた。すると柱の陰から、「たらとんたんとん……」というiPhoneの呼び出し音が響いて来た。
「俺をつけていた奴」は、着信音が聞えないよう、スマホをバッグの奥に慌てて押し込もうとしていたが。その時にはもう、俺は「彼女」の目の前に立っていた。
「……竹乃さん。私に何か用事があるんでしたら、そんなにコソコソつけてきたりしないで。こうして面と向かって話して頂いて、いいんですよ?」
電信柱に身を預けるようにしながら、俺の顔を見ずにうつ向いたまま「あの、その。えっと……」と呟く竹乃は、両手の指をせわしなく絡ませ、もじもじとするばかりだった。
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