新事実(2)


「松ねえは昨日、マンションにヤクザみたいな人たちが来て、一緒に連れてかれたって言ってたけど。それで、あたしと竹ねえも危ないのかなって聞いたら、それは大丈夫だって。勇二さん……桐原さんが、そう言うからって、ね。そうは言うけど、やっぱりちょっと不安でさ。ほんとに大丈夫なのかな? 警察とかに相談した方が、いいのかな……?」



 それは昨夜、俺が松音に話していたことだった。松音も、妹2人も同じような目に逢う可能性があるのか、不安を感じていたのだ。だが俺の考えでは、その可能性は「極めて薄い」ように思えた。



 まず、「奴ら」の一番の目的は、口座を変更したその受け取り主が、何者なのかを確認すること。一清も言っていたが、「地道に取引を続けて来た」奴らにとっては、何か急なことに思えたに違いない。そこに不審なものを感じ、まず一清を問い詰めた。一清は奴らと3姉妹の板挟みのような形になり、何かあれば警察の手も及ぶことを恐れて、いち早く姿を消すことにした。それで奴らは、受け取り主本人に会うことにしたわけだ。


 しかし、受け取り主は一清の恋人である若い女性で、金銭が目的の「ただの素人」に過ぎなかった。奴らの危惧するところは、敵対する組織か、もしくは警察の罠かという「危険性」だったから、正直松音のことを、そのまま放置しても良かった。松音も「自分のしていること」の自覚はあるだろうし、警察に通報するようなことはないだろうと。


 だが、松音が「魅力的な若い女性」だったことで、事務所に連れて行こうと思いついた。事務所でクスリを打って言うことを聞かせ、性的な仕事でもさせてみようかという魂胆があったのかもしれない。いわばマンションから連れ出したのは、奴らにとって「二次的要素」だった可能性が高い。それが、松音を逃がすという「油断」にも繋がった。最初から事務所に連れて行くのが目的であれば、そんな隙など見せることはないだろう。


 それが、油断してその女性を取り逃がすことになって、恐らく事務所に戻ってそのことを「上役」に報告したら、余計なことしやがってと大目玉を食らうだろう。元々「危険性のなかった女性」が、警察に駆け込む恐れもあるような事態になってしまったのだ。


 その二次的要素の失敗だけでもマズかったのに、加えてその妹まで手を出すという「三次的、四次的要素」を増やすなど、もっての他だ。松音の方も、当日の夜くらいまではマンションの周囲を張っている可能性はあるが、それほど「深追い」はしないのではと予想出来た。追い詰めればそれだけ、警察に駆け込む可能性が高くなるのだから。



 もちろん竹乃も梅香も、警戒するに越したことはないが。恐らく奴らが2人に直接手を出すような危険は、ほとんどないと思われた。ただ松音に関しては、事務所に連れて行こうとしたほど「お気に入り」だったかもしれず、口座への入金が継続されれば、それを口実にまたちょっかいを出しに来る可能性はあるかもしれない。そこは西条に上手く言って、奴らに「素人さんに手を出そうとしたらしいな」とか、チクリと警告してもらえれば問題ないはずだ。



「なるほどね~、桐原さんから直接説明してもらって、改めて納得出来た。十分注意はするけど、とりあえずは安心していいみたいだから、ほっとしたよ」


 松音からも、省略した形で同じことを聞いていたらしいが、やはり梅香は、俺自身からの説明も聞いておきたかったのだろう。「安心出来たのなら、良かったです」と俺は答えたが、梅香はまだ、何か不安気な表情だった。そこで俺も、梅香が話しやすいようにと、「でも、不安に感じていることは、それだけではないようですね……?」と、次の話題を振ってみた。梅香は先ほどよりも更にもじもじとしながら、俺の顔色を「ちら、ちら」と伺うように話し始めた。



「あの、さ。桐原さんは……松ねえのこと、どう思ってるの?」


 ……いきなりそう来たか。どう思ってるのと言われても……と、困惑した心境そのままの言葉を返そうかとも思ったが。あまり自分の心情を表に出すのもなんだしと思い直し、「はい、大事に至らず、無事で本当に良かったと、そう思ってます」と、至極当たり障りのない返事をしてしまった。


「いや、そうじゃなくて……もうこの際桐原さんだから、ぶっちゃけちゃうけど。松ねえがさ、そろそろあたしたち、実家に戻る頃合いかな、って言うんだよ。今まではほら、あたしたち3人とも、こっちに出て来て、好きにしてきたじゃない? そのあげくに、あんなことになっちゃったから……松ねえも、責任感じてると思うんだ。やっぱり、あたしと竹ねえが田舎を出て来たのは、松ねえの影響が大きかったからさ……。


 でもなんか、このまま田舎に帰っちゃうのは、何か釈然としないというか。あたしはほら、『跡継ぎ』になれないんだったら、こっちにいる方がいいかなって思えて。このまま帰ればきっと、すぐにとはいかないだろうけど、ゆくゆくは長女の松ねえが跡を継ぐことになるんだろうしさ。それに……」


 そこで梅香は、俺の顔を「ちらり」と見て、思い切ったように言葉を続けた。


「それに、桐原さんもさ。このまま松ねえが田舎帰っちゃって、いいのかな……とかも、考えたりして。いや、その、具体的に何があったのかまでは、聞いてないよ? でもさ、昨日は松ねえ、ここに『泊った』って聞いて……それはやっぱり、『そういうこと』なんだろうなって思ってさ。だから、その……桐原さん的に、どうなのかなって。桐原さんの気持ちはどうなんだろうって……」



 先ほどから発動の兆しを見せていた梅香の「純情派」モードは、ここでそのピークを迎えたらしく、もじもじと絡ませる自分の指の方を見て、顔を真っ赤にしながら俯いてしまった。そして、俺は。松音が残したメモについて考えた「そこに込められた意味」が、ほぼ当たっていたのだな……と、密かに認識していた。


 しかしこればかりは、俺の方から何か出来ることではない。俺はそう考えていたが、同時に「もう1人の俺」が、「本当か、勇二。お前にも『出来ること』があるはずだろ? 松音に迷惑がかかると思って、出来ないと思いたがってるんじゃないか……?」と、俺自身を問い詰めて来ていた。



 だが、そのことはさすがに、梅香には言わず。「私的には、と言われても……当家の問題に、私が口を出すわけにもいかないですし」と答え、俺の中だけの葛藤に留めておいた。すると梅香が、「そうじゃなくてさ。当家の問題じゃなくて……桐原さんと、松ねえの問題だよ。違うの?」と、「もう1人の俺」を代弁するかのように、問いかけて来た。



「だからさ、例えばあたしか竹ねえのどちらかが、田舎に帰って跡を継ぐことにすれば。松ねえは、このままこっちに残れるかもしれないじゃん。もし、松ねえも桐原さんもそうしたいって言うんなら、あたしと竹ねえで話し合うよ。2人の気持ち次第だよ。なのに、2人とも意地張ってるみたいな気がしてさ……素直になりなよ、もっとさあ」


 何か怒っているかのような梅香の口調に、きっと梅香は「そのこと」を、俺の口から聞きたかったのかもな、と想像していた。確かに、意地を張ってるようなところはあるのかもな。だが、こればっかりは……とか考えちまうのが、「意地張ってる」ってことなんだろうがな……。



「でもまあ、今は竹ねえもそれどころじゃないだろうし、桐原さんも考えておいてよ。松ねえがほんとに『決心』しちゃう前にさ。あたしはさ……今だから言うけど、あたしも桐原さんのこと、ちょっといいなって思ってたんだけどね。最初に事務所で会った時から、すぐに親しくなれたような気がしてたし。桐原さんもそう思わなかった? あたしの勝手な思い込みかな?

 でも、ここであたしが桐原さんに言い寄ったりしたら、カズの時の二の舞になっちゃうじゃない? それに、桐原さんがちょっとカッコいいなって思ったのは、松ねえのためにって真剣になってる桐原さんを見て、そう感じたんだと思うんだ。そうするとやっぱり、あたしには勝ち目がないわけじゃん。だから……今回は、潔く諦めるよ。そういう意味も含めてさ、もっと素直になってくれると、あたしも嬉しいかなって……あーー、言っちゃったよもう、コーヒーが苦いせいだよきっと!」



 梅香は「純情派」が暴走するあまり、半ばパニック状態に陥っているようだったが。俺の方も少し面食らいながらも、梅香の「気持ち」は、素直に嬉しかった。俺と松音のことを考えてくれていることも、そして、「いいな」と思っていてくれたことも。



 こうして梅香は、「さっき言ったこと、松ねえには絶対内緒だからね? でもまた、勘のいい松ねえにバレちゃったりするのかなあ……その時は、潔く諦めるって言ったこと、桐原さんも証言してね?」と言い残し、嵐のように俺の部屋から去って行った。



 2人の気持ち次第、か……。俺は松音が残したメモに目を落とし、それが一番「問題」なんだけどなと、胸の内で呟き。そしてようやく、事務所に行くための準備を始めた。


 事務所に着いた俺は、溜まっていた素行調査の中から、なるべく「男女関係」に結びつかない案件を選んで、その辺りから始めようかと考えつつ。それでもやはり、「松音とのこと」は頭に中に引っかかったままだった。あれ以来結局、松音とは連絡を取っていない。向こうから連絡があればもちろん受けるが、俺の方からするのもな……と考えて、それが「意地を張っている」ってことだよなと、梅香の言った言葉を思い出していた。



 そんな状態のまま、特に何か「進展」することなく時が過ぎた、数日後。事務所にいた俺の元に、西条から電話が入った。俺は再び「嫌な予感」に襲われたが、その予感は「嫌な」というレベルではないくらいの「大当たり」であることを、西条の言葉で思い知らされた。



『行方不明になってた笹川一清、見つかったよ。ただし、居場所がわかったわけじゃなく。遺体で発見されたんだけどな……』



「ほぼ決着を見た」と考えていた案件が、再び「ズシリ」とした重しとなって、俺の胸に圧し掛かって来た。俺は密かに、そんな感覚を覚えていた。


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