「彼女」の事情(1)


 その日俺は、事務所に依頼人が訪ねてくる予定になっていて、朝からバタバタと動き回っていた。直前になってこんなに焦るくらいなら前もってやっておけということなのだが、それが出来れば苦労はしない。とりあえず、事務所の来客用ソファーに乱雑に積み重なった書類や資料の束は、どこかへ移動するのは到底無理な話なので、少しも整頓されているように並び替え。俺の座るデスクの上も、書き仕事などが出来るようにスペースを開けた。


 後は、依頼人が座る事務用のイスもきちんと用意して……こないだ依頼人が来た時は、座った途端に「がくん!」とイスが下がって大恥をかいたからな。今日来る依頼人が若い女性だということも、焦る原因のひとつになっていた。一応、手すりや背もたれに埃が付いていないか、座るところにシミなどないかなど、細かくチェックをして。準備万端とはとても言えないが、これだけ片付いていれば大丈夫だろう……と自分に言い聞かせて。俺は深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、依頼人が来るのを努めて平静を装った状態で待つことにした。


 そして、それから15分後。ほぼ予定通りの時刻に、「彼女」はやって来た。



「……こちらが、『桐原勇二探偵事務所』ですね。あなたが、代表の桐原さん……?」



 その女性は、外国映画で見るような、高級そうな黒い帽子を目深に被り。そしてこちらも、古い外国映画で上流階級の女性が吸っているような、細長いキセルを片手に持っていた。その手にはご手寧に網目の手袋を付けており、これまた「外国映画仕様」と思える見栄えで、好きでやっているのか、それともわざとそんな風にして、本当の自分を悟られまいとしているのか。にわかには判断の付けようがないルックスで、俺の事務所にやって来た。


 本気かどうかを伺おうとしても、肝心の目元も「外国製と思われる、高級そうなサングラス」で隠されていたので、正直言って、第一印象の段階では「お手上げ」の状態だった。かろうじて、年齢は恐らく20代後半から、30代前半かな……と推測するのが、精一杯だった。そして、サングラスをかけていてもわかるほど、くっきりとした顔立ちをした「美貌の持主」であることも、俺は密かに感づいていた。



「はい、私が桐原です。どうぞ、そちらにおかけ下さい」


 とりあえず俺はいつものように、俺がいま座っているデスクの向かいに置いた事務イスを、彼女に指し示した。デスクの前にある応接用のソファーとテーブルは、応急処置で積み重ねた書類が整頓されているかのように見せているものの、とても腰を落ち着けられる状態ではなかったのだ。


「……名刺には『代表』と書かれていましたので、何人かの探偵さんが、在籍している事務所なのかと思っていましたが。どうやら、あなたお一人でやってらっしゃるようね? 私は、こちらで結構よ」


 その女はそう言うと、資料の積み重なったソファーのひじ置きの部分に、「しゃなり」と腰を降ろした。俺とデスクを挟んだ近距離では話したくないのか、俺の指示した「いかにも事務用のイス」には座りたくないということなのか。多少お行儀悪いと言えないこともなかったが、ひじ置きに座って足を軽く組んだ彼女の姿は、何か「堂に入っている」ような感じを受けた。


 なので俺も、「そこではなく……」とは言いだしにくく。「はい、そちらで良ければ」と、彼女の行動をそのまま受け入れることにした。最初から何かを否定したり疑ったりせずに、依頼人の「あるがまま」にさせておく。それが、「嘘か本当か」を見分ける最も効率のいい方法だと、俺はこれまでの経験から学んでいた。



「それでは。野見山松音のみやま まつねさん……で、間違いなかったですね? 宜しければ、ご依頼の内容をお聞かせ頂ければと思います」 


 俺がそう促すと、彼女……「松音」は、「ちらり」とテーブルの上を見て。それから俺に向かって、口元に少し笑顔を浮かべた。

「拝見したところ、桐原さんも相当に、煙草がお好きなようですね? 私がここで吸っても、かまわないかしら。まさか、依頼の件を話す間は禁煙ですとか、独特のルールはないですよね……?」


 松音が視線を送ったテーブルの上には、来客用の間口の広い灰皿が置いてあったのだが、俺自身の吸い殻でいっぱいになっていた。灰皿を埋め尽くす煙草の銘柄が一種類なので、彼女も「俺が吸ったもの」だと見当がついたのだろう。それで俺も、灰皿を片付け忘れていたことに気付いた。前の依頼人が来た時に、これも片付けなきゃなと思ったのだが、なぜか直前になると、コロっと忘れてしまう。なんにせよ、彼女がここでキセルを吸うことに対し、俺が反対する理由はひとつもなかった。


「はい、もちろんかまいませんよ。それでは、ゆっくりお煙草を吸いながらで結構ですので。ご依頼の件について、宜しいでしょうか?」


 俺の再度の促しにも、松音は俺を焦らすかのように、キセルを「ふう……」とひと口ふかしてから。ようやくといった様子で、「依頼の件」を話し始めた。




「私の実家、野見山家は、いわゆる『由緒ある名家』として、地元では有名な家柄でして。私の母親は数年前に亡くなり、父親も高齢になりまして、そろそろお家の『跡継ぎ』が欲しいということになったんですが。残念ながら両親には、長女の私を始めとして、次女の竹乃たけの、3女の梅香うめかという、3人の姉妹しか子供が出来なかったんです。


 それで、やはり由緒正しき家を継ぐのは、『男子がいい』ということなんですね。これはもう、古くからのしきたりと言いますか、現代にはとてもそぐわない条件なんですけれど、田舎の名家ともなると、このしきたりに従わざるを得ないというのが現状なんですの」


 由緒正しき名家に生まれた3姉妹の名前に、松・竹・梅か……。なんだか本当に、「横溝正史シリーズ」にでも出て来そうな内容だなと、俺は内心思いつつ。表面上はそんなことはおくびにも出さず、長女・松音の話の「聞き役」に徹していた。



「つまり野見山家としては、私たち3姉妹のうち誰かの『配偶者』を、野見山家の跡継ぎとして迎えると。そういうことになったようなんです。家長である私の父親を筆頭に、本家に近しい親族・血族が集まって決めたことなんですけどね。女性である私たち姉妹は、まごうことなき本家の血筋を引く身であるにも関わらず、そういう話し合いでも強い発言権がなく、決められたことに従うしかないんです。


 それで、いま現在は私も、そして竹乃も梅香も、結婚はしていませんでして。でも私には、お付き合いしている男性はいます。正式に婚約したわけではありませんが、このままお付き合いを続けて行けば、結婚という形に落ち着くのが、自然な流れになるでしょう。竹乃と梅香にも、そんな『いい人』がいるらしいことは、なんとなくわかるんですけどね、確実とは言えない状況でして。


 つまり、私には将来夫となる男性がいるのですが、竹乃と梅香については、それがはっきりしない。本来であれば、長女である私の夫が跡継ぎになることが確実なんですけど、竹乃と梅香に『抜け駆け』をされる可能性もあるんです。当家としては、父親が高齢なこともあり、まだ元気なうち、出来れば存命のうちに、跡継ぎを決めたい。なので、言い方は悪いですけど、一番最初に結婚を表明した、いわば『一番乗り』の配偶者に跡目を継がせることも、十分あり得るんですね。


 私が心配しているのは、その点なんです。そこで、桐原さんにお願いしたいのは。竹乃と梅香に、本当に『いい人』がいるのか。もしいるなら、結婚間近のような状態にあるのか。それを、調べて頂きたいんですの」



 依頼人である野見山松音が語る、まさに「横溝正史の世界」を彷彿とさせる、旧家にまつわる跡継ぎ問題と。そして松音自身の、ひと昔前の洋画から抜け出してきたかのような見栄えとのギャップに、俺はいささか戸惑っていたが。それに加えて気になっていたのが、松音が話しながら何度か組み替えている、黒く短いスカートからスラリと伸びた、2本の脚だった。


 決して「素足」ではなく、スカートとのコーディネートなのか、網目の細かい黒のストッキングを穿いてはいるが。その艶めかしさは、「あえて素肌を見せないことで、逆に色っぽさを強調している」ようにも思えてしまった。


 むかし、シャロン・ストーンという女優が主演をした『氷の微笑』という映画があって、ヒロインが脚を組み替えるセクシーなシーンが話題になったのだが。松音は、それを意識しているのか? と思われるくらい、デスクに座っている俺の視線がちょうど届く位置で、脚を組み替えていた。それは本当に、両足の付け根が見えるか見えないかというギリギリのラインで、今にして思うと、デスク前のイスではなくソファーのひじ置きに座ったのは、それが「狙い」ではないかとすら思えるほどだった。


 と、艶めかしい脚が気になりつつも、そこに集中して気が散ってしまうような、情けない状態に陥ることはどうにか避け。俺は松音の話を聞いて浮かんだ疑問点について、聞いてみることにした。



「なるほど、だいたいのお話はわかりました。それでは、依頼をお受けする前に、何点か質問をさせて頂きたいのですが。まず、あなたには現在、お付き合いをしている男性がいて、いずれ結婚する流れであるということでしたが。その男性も、あなたのご実家の事情はご存じなのでしょうか? つまり、あなたと結婚するということは、由緒ある野見山家の跡取りになることでもあると。それは男性も、すでに承知であるということで宜しいでしょうか……?」


 俺の質問を聞いて、松音は少し、身を固くしたように感じた。そんな質問をされるとは、思っていなかったのかもしれない。事情を説明した上で、依頼について話せば、俺がそのまま引き受けると思っていたのかもな……。


「……なぜ、そういったことをお聞きになりたいのでしょうか。それは、あなたが私の依頼を受ける上で、関係のあること、必要な質問なのでしょうか?」


 そう聞き返してきた松音は、表面上は冷静を装っているが。先ほどまで、少しの間隔を置いて組み代えていた脚を、今は左足の上に右足を乗せる形で、すっかり「固定している」ように見えた。右足を上にしているということは、俺の位置からすると、それだけ「最も注意を引く個所」が見えにくい体勢ということでもある。それはつまり、松音が俺に対して、やや警戒心を抱いた様子だとも言えた。


「はい。これは、私があなたの依頼を引き受ける上で、確認しておくべきことだと思いました。なぜそう思ったかも、ちゃんとご説明します」


 俺はそう前置きをして、先ほどした質問の「必要性」について、解説を始めた。


「あなたのお付き合いされている男性が、ご実家の事情を知っているのか、そうでないのか。もしこれから事情を説明するとなると、それを聞いた時点で、男性があなたと結婚することに対して、躊躇する気持ちが起こる可能性があると予想されます。なぜなら、結婚して田舎にあるご実家の跡継ぎとなれば、その男性は今されている仕事や住んでいる家などを、『放棄』する必要が生じるからです。名家の跡継ぎという名目は大いに魅力的ではありますが、これはやはり男性でなくとも、今後の人生を左右するほどの、大きな決断になると思われますので。


 そこで、もし仮に今、男性がそういった状況にあるとすれば。あなたに『結婚を予定している男性がいる』という、現時点に於ける妹さんたちに対するアドバンテージも、白紙に戻る可能性があります。ならば私が調べる事項も、妹さんたちに『いい人がいる』『結婚間近である』という情報だけでなく、もう一歩踏み込んだ調査が必要になるかと思います。


 妹さんたちにお付き合いしている男性がいるとしたら、ご実家の事情をすでに知っているのか。そしてそれを知った上で、妹さんと結婚する決意をしているのか。そこまで踏み込んだ調査でないと、あなたのご依頼には応えられないのではないかと思いました。それゆえに、依頼を受ける前に、あなたにも『同じ質問』をさせて頂いたというわけです。先ほどの質問の意図が、おわかり頂けましたでしょうか……?」



 俺の「解説」を聞き終えた松音は、キセルをくわえ、ふう~……とゆっくり、煙を吐き出すと。それから、こちらもゆっくりと、左足の上にあった右足を降ろし。そして今度は、左足を右足の上に、膝を静かに折り曲げながら、「組み替えた」。松音の俺に対する警戒心は、先ほどの解説で「解けた」のだと、俺は解釈した。


「なるほど……どうやらあなたは、お噂通りの方のようですわね。こちらで調べた情報では、何か現実離れした、不可解な事象にまつわる事件などを、得意とされているような節もありましたが。それでも、あなたの探偵としての評価は、『すこぶる腕が立つ』という記載がほとんどでした。あなたに依頼することを決めたのは、間違っていなかったと。そう思いました」



「それは、光栄です」と、俺はデスクから松音に向かって、頭を下げた。


 わかってもらえたんなら、それでいい。まあ俺にとっては、目の前にいる「外国映画仕様の、上流階級っぽい、しかも艶めかしい若い女性」の存在も、何か「現実離れしたもの」のように思えるがな……。その時の俺は、まだそんな風に、呑気なことを考えていたのだが。



「それでは、改めて。私の依頼を、受けて下さるかしら?」


 俺は松音の問いに、「かしこまりました」と同意した。それがこれから巻き起こる、まさに不可解極まる事件の、始まりだった。


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