決着


 俺がここで、すべきこと。それは……。


 俺は長い独白を終えた松音をじっと見つめ、自分の中で懸命に考えをまとめようとしていた。選択肢は幾つかある。その中で、ベストと言えるものは何か。いや、この期に及んで「ベスト」など求めるのは、贅沢過ぎるかもしれない。少しでも「ベター」な道は……。


 そこで俺は、俺を見つめ返す松音の視線に気付いた。その潤んだ瞳は、俺に何かを訴えかけているようにも思えた。……そうか。ここで俺が、言うべきことは……!



「松音さん……ここで俺が、どうするか。それは、あなたが『これからどうしようと考えているのか』。それ次第だ」


 俺のその言葉を聞き、松音は瞳を潤ませたまま、にっこりと笑った。恐らく俺は、松音の望んでいた通りの答えを、導き出せたのだろう。松音はほっとしたように、「これからのこと」を、ゆっくりと語り出した。



「私は……もちろんこれからも、自分の夢を実現させていくことが、私の最大の目標ではありますが。しかし、川辺の死体が発見されてしまったのは、私にも予想外でした。あの死体は、そのまましばらくの間、見つからないはずだったんです。予想外のことが起きたとなれば、やはり私の計画も、変更せざるを得ないと思います……」



 西条が言っていたように、2人の女性は「プロの手口」で身元不明の状態にされ、「ひと目に付かない場所」に隠されたはずだった。それが、子供が川に落ちて流されてしまったことで、捜索隊が出る騒ぎになり。普段ひと気のない場所まで探すことになったその結果、「見つからないはずのもの」が発見されてしまった……。


 予定よりも早く見つかったとはいえ、身元を特定するのは恐らく相当に困難だろう。例え身元が判明しても、殺された2人は「他人同士」だ。唯一2人を結び付ける、松音という存在に気付かない限り、若い女性をランダムに狙った、猟奇殺人鬼の犯行と見なされるかもしれない。となれば、同じような犯行がこれまでになかったか? ……と、過去の身元不明死体などを探り始めるだろう。それは松音という「真相」から遠ざかっていくことになり、事件は「迷宮入り」の可能性も出て来る。


 それでも、もし整形手術を受けていたことが判明すれば、「その線」から松音にたどり着くこともあり得る。それを考えれば、松音の言う「作戦の変更」は、妥当な判断だろうと思えた。



「先ほど勇二さんにお話ししましたように、現段階で私が何かしらの罪に問われる可能性は、少ないと思います。なので、このままこちらにいてもいいのですが……やはり、出来るだけ危険は避けた方がいいかと考えまして。一清さんが使っていたネットワークは稼働させたままにして、私は一旦、田舎に戻ろうと思っています。しばらくの間、ほとぼりが冷めるまで……というのは、おかしな表現かもしれませんが。実家に戻っても、また閉じ込められるようなことはないと思いますので。というより、もはや野見山家も、ほぼ私の支配下にあると言っていい状況ですから……」



 なるほど、梅香が俺に「松音を引き留めるよう」忠告したのは、「そういう意味」もあったのか……。恐らく松音も、女性の変死体が発見されたという情報は得ていただろう。そこで、自分に危険が及ぶ可能性を考え、一時的に田舎に「避難」することも考えた。

 だが、「俺」という「松音を受け入れてくれる人物」の要素が加われば、その危機を乗り超えることも出来るかも。松音は、そう考えたのかもしれない。しかしその前に俺は、松音の計画を見破ってしまった。もう俺は、松音の「協力者」にはなり得ない。であれば、田舎に戻るという選択しかないというわけか……。


 そして、田舎に戻れば。ただでさえ地元に君臨する野見山家が、松音の「ほぼ支配下」にあるのなら、当家だけでなく、その地域全体がひとつの「ムラ」と化して、全力で松音を守ろうとするだろう。他所から来た警官辺りが乗り込んでも、逮捕どころか、話すらまともに聞かせてもらえない可能性がある。使用していた車両はパンクし、泊った宿ではよそ者として、酷い待遇を受けることになる。よそ者が諦めて「ムラ」を去るまで、それは執拗に続けられることだろう……。




 ここに至って、俺は。松音の「今後の方針」を聞いた上で、自分がここで「言うべき」であろうことを、松音に語り始めた。



「松音さん、あなたは……その、類稀なる『特性』を生かして。囚われていた田舎町を出て、この都会で自分の想いを遂げようと試みた。それは、田舎に君臨する実家で苦難の人生を歩んで来たあなたにとって、当然の『復讐』だったかもしれない。しかしそのために、モデルになった女性など、関係のない人の命まで奪うというのは……やはり、やり過ぎだったな。それが、こういう結果に結びつくことになった。


 人は誰もが、ある程度の欲望や願望を抱え、それを実現しようと考えている。それが『上手くいった』と感じて、そこで満足する者。そこから、更なる高みを目指そうとする者。それはまさに、『人それぞれ』だが。松音さん、あなたもどこかで、その歩みを止めるべきだった……。


 それが、あまりに順調に『夢が実現していった』ことで生まれた慢心のせいなのか、それともあなたの欲望はまだ、満足するに至っていなかったのか。それは、俺にはわからないが。その、更に高みを目指そうとする止めどない欲求が、こんな『破綻』を招くことになったんだろう」



 松音もまた、俺の言葉にじっと聞き入っていた。そのひと言ひと言を、噛み締めるように。それは、松音の中に生まれつつあった、ある「想い」のせいだったかもしれない。



「俺は、あなたの『目的』に対する心情は理解できる。しかしあなたは、最後の『決め手』を確実にしようとするあまり、人の命まで犠牲にしてしまった。それが、俺には許せない。だが……あなたの言う通り。今の俺には、それを『証明する』手段はない。


 いくら知り合いの刑事でも、『両性具有者がその特性を生かし、髪型や体型まで自由に変化させ、笹川だけでなく薬物に関わるヤクザ者たちまで支配下に置いた』などと言っても、とても信用してくれないだろう。俺自身、それをこの目で見た今でも、信じられないという思いがあるのだから。


 だから、俺は。あなたがこのまま都会に残り、その『野望』を叶えるための行動を続けていくというなら、追及することを辞めないが。計画を変更し、田舎に戻るのであれば、これ以上追うことはしない。例えば、さっきあなたが言ったような、『殺人教唆』の罪を問うにしても。あなたがしてきたことの証拠を揃えるのは、どれだけの月日を必要とするのか。果たしてそれが実現できるかどうかすら、俺にはわからない。今回は、俺の力の至らなさ……俺の『負け』を、認めるよ。だがな。


 もしまたあなたが、『夢の実現』を再開させようと、再び人の命を犠牲にするような行動に出たら……その時はもう、容赦はしない。どんな手を使ってでも、どれだけ時間がかかろうとも、あなたをとことんまで追い詰める。今回のように、事件が起きた後に『真相』を知るのではなく。俺はもう、あなたという人間について、かなりの情報を入手している。次にまた事件が起きたら、その情報を駆使し、俺は全精力を尽くして、あなたを罪に問うまで諦めない。それだけは、覚えておいてくれ」



 俺の松音に対する「宣言」を聞き終え。松音は、先ほどの「ゾクッ」とするような笑みではなく。何か、柔らかで温かく感じるような、そんな微笑みを浮かべた。


「……よくわかりましたわ、勇二さん。あなたのその言葉を、胸の奥底にしっかりと、留めておきます。それでは……あなたとは、『これで、お別れ』ということになりますね……」




 松音はそう言うと、また「猫背のような姿勢」になって。するするっと髪が短くなり、俺の目の前に「竹乃」が現れた。



「あの、桐原さん……色々、ご迷惑ばかりかけちゃって。ほんとにごめんなさい……。でも、あの、なんていうか……あたし、桐原さんには感謝してるんです。こんなこと言うと、後で松音姉さんに怒られちゃうかもしれないけど。あたし、姉さんのしてることが、どこか不安だったんです。何か姉さん、このまま行きつくところまで行っちゃいそうな、そんな気がしてて……。でも、桐原さんが、それを押し留めてくれた。桐原さんに会えて、ほんとに良かったなって。そう思ってます……」



「竹乃」はそう言って、いつもよりも更に深く、「ぺこり」とお辞儀をした。そして、その背筋が伸びるのと同時に、更に髪が短くなり。気が付くと俺の目の前には、「梅香」が立っていた。



「んーー……こんな状況になって、何を言えばいいかわからないんだけどさ。でもまあ、そう何もかもが、上手くはいかないんだってことかな。松ねえも、それが身に染みたと思うよ? 桐原さんのおかげでさ。でも、あたしにとっては……その、なんだ。桐原さんが、あたしの『ブラックコーヒーバージン』を奪った相手だってことは、変わらないからね。だから……一生、忘れないよ。絶対に……」



 それから、ショートカットの髪が、ゆっくりと伸びていき。背中まで達する長髪になったところで、「松音」は再び、俺に向かって微笑んだ。



「……梅香も言ってましたけど。ここで私が、何を言ったところで。もう、言い訳にしかならない。それは、十分わかっています。でも……」


「でも……」と口にして、それきり言葉に詰まり。再び潤んだ目で、俺を見つめる松音を見て。俺は、何か言葉を続けようとする松音に近づき、その体をぎゅっと抱き寄せ。開こうとした口を、俺の胸で塞いだ。



「……わかってる。もう、何も言うな……」



 俺たちは確かにあの夜、お互いの想いを確かめ合った。松音がどういう人間であろうと、どんなことをしてきたであろうとも。それもまた、「疑いようのない事実」だ。しかし、俺たちは……あまりに、生きている世界が違い過ぎた。


 生きている世界が違うがゆえに、ひとたび俺たちが「遭遇」すれば。それぞれが生き延びるために、相手を消し去るか、もしくは「破滅」させるしかない。それが、俺たちの背負った宿命だ。俺たちはそうやって、ここまで生きて来て。そしてこれからも、そうやって生きていくのだろうから……。




 俺は松音の体に手を添え、自分の体から少し距離を取った。松音は、今まで見たことがないほど、すがすがしい笑顔を浮かべ。


「それでは、勇二さん。どうか、お元気で……」



 そう言って、俺に向かって深々と、頭を下げた。それは松音だけでなく、竹乃や梅香、3姉妹を代表する「長女」としての、俺に対する「別れの挨拶」であろうと思われた。



「ああ、それじゃあ……」


 俺は、「いつかまた」と、喉元まで出かかった言葉を、寸前でこらえ。

 恐らく、生涯忘れないであろう「彼女」に背を向け、マンションを後にした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ファム・ファタール さら・むいみ @ga-ttsun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ