「彼」の事情(2)


 そこで俺は、今度は一清自身のことについて、質問をすることにした。


「それでは、笹川さん。ご依頼を受けるにあたって、あなたにも幾つか、ご質問させて頂きたいのですが。まずあなたは、長女……本来の人格である松音さんと、お付き合いをされていますが。他の人格、『妹』の竹乃さんや梅香さんの存在に気付いたのは、いつ頃ですか? また、これから調査を進めていく上での参考にも出来ますので、どういった状況でそれに気付いたかも、お話し頂けると有難いのですが」


 

 俺の言葉を受け、一清は「そうですね……これも本当に、改めて振り返ってみても、『理解しがたい話』だと思うんですが……」と前置きをして。松音との出会いから、順を追って語り始めた。



「元々、僕と松音の出会い自体が、偶然と言うか、何か運命的で。その日僕は仕事終わりに、行きつけでもないたまたま見つけたバーに、フラっと立ち寄ってみたんです。店の雰囲気が良さげだったし、たまには『新規開拓』をしてみようかな、とか思って。そこに、松音がいたんです。


 松音はその時カウンターで、1人きりで飲んでたんですが。桐原さんも感じたかもしれませんが、なんていうか……彼女が醸し出している、ミステリアスな雰囲気が妙に気になりまして。おまけに、かなりの美人と来ている。僕は、ダメ元でいいと半ば玉砕覚悟で、思い切って松音に話しかけてみたんです。


 で、僕がそのバーに立ち寄ったのが、決して『ナンパ目的』ではなく、ほんとにたまたま入ってみたっていうのが良かったかもしれないですね。あと、僕が普通のサラリーマンではなく、小さいながらも自分で店を持っているっていうのも気に入ってもらえたようで。そこから、松音との付き合いが始まったんです」



 一清の話を聞きながら、俺の頭の中には再び、松音の「残像」が浮かび上がって来ていた。古い外国映画から抜け出してきたような、上流階級の装いを身にまとった、艶めかしい女。確かに、「ミステリアス」だったな……。

   


「そんな出会い方だったので、僕は松音の素性などについては、ほとんど知らないままだったんです。どこの生まれで、どんな生き方をしてきたのか。そういったことを、松音は僕に話そうとしませんでしたし、僕もあえて聞きませんでした。1人暮らしをしてるらしいことはなんとなくわかりましたが、それくらいで。松音も、自分の『ミステリアスさ』を維持したいのかな、とか思いまして。


 逆に僕は、自分の出身や今の仕事などは、隠さず話しましたけどね。松音も、僕の店についての話などが珍しかったらしく、喜んで聞いてくれましたので。正直、軌道に乗せるまでは色々と大変だったんですよ。店の売上げだけでは難しいと思い、ネットでの通販を始めてみたりとか。そのおかげで、コロナ禍で客足が途絶えてた時も、なんとか乗り切ることが出来たんですけどね、そういう試行錯誤を繰り返して……いえ、すいません、話が逸れましたね。店の苦労話をしてる場合じゃないですよね」



 松音が言っていた通り、一清にとって自分の店は、苦労を重ねてなんとか成功に導いた、まさに「自分の分身のような存在」なのだろう。だから話が店のことになると、つい熱くなってしまうようだ。俺は、「いえいえ、大丈夫ですよ」と、一清の心境をおもんぱかりながら、話の先を促した。



「それで、そんな付き合いが続く中、僕は松音と『男女の関係』にまでなることが出来て、彼女が僕の住まいに泊っていくことも多くなったんですが。ある日、かすかな『違和感』に気付いたんです。それはほんとに、些細なものだったんですけど。


 彼女がベッドに入ったあと、鏡の前に、見覚えのない小さなアクセサリーが置いてあるのを見つけたんです。もちろん、彼女が最近買ったもので、僕が初めて見ただけだった可能性もあるんですけど。でも、僕にはそのアクセサリーが、松音には『似合わない』ような気がしたんです。彼女の好みとは、違っているような……。


 僕が経営してる商店は、いわば『雑貨屋』のような店で、そういった女性ものの小物なんかも扱ってるんですよ。もちろん僕は店主として、そんな小物でも、店にどんなものが置いてあるか、どんなものが売れ行きがいいのかなどを、しっかり把握してますから。それで、松音が置いたと思われるアクセサリーの、『違和感』にも気付けたんだと思います。


 で、これがその『一回きり』だったら、僕もそんなに気に留めなかったと思うんですが。そういう『違和感』を感じるアクセサリーや、時にはイヤリングなんかも、置いてある時がたまにあって。何かおかしいなと思い始めた頃、『決定打』と言えるものを見つけてしまったんです。これもたまたま、松音のカバンが少し開いていたので、中をチラリと見てわかったんですけど。


 そのカバンの中に、僕の見たことのないスマホが入ってたんです。その時松音はベッドの上で、『いつものスマホ』を手に持っていました。明らかに、僕と会っている時とは『別の用途』のスマホを、松音は持ち歩いているんだと気付いたんです。


 これは一体、どういうことなんだろうと。ミステリアスな僕の恋人は、僕の知らないところで、一体何をしているんだ……と、非常に気になりまして。ある日、松音が『今日は帰るね』と、僕の住まいを出たあとに。僕はコッソリ、彼女の後をつけてみたんです……」




 その夜、笹川一清は意を決して、ミステリアスな恋人・松音の後をつけて行き、町の繁華街へ足を踏み入れた。何軒かの飲み屋が立ち並ぶ通りで、松音はその中の一軒に入って行った。一清は、松音に見つからないよう気を付けながら、自分もその店に入り。カウンターで飲む松音からなるべく死角になるような席を探し、そこから松音の様子を密かに伺っていた。


 もしかしたらここで、「自分以外の男」と待ち合わせをしているのかも。「今日は帰る」と言ったのは男に会うためで、カバンの中のスマホは、「その男用」のものなのかも……?


 そう考えると、自分の知らないアクセサリーやイヤリングが置いてあったことにも、何か合点がいった。恐らくその男は、松音の好みなどを把握してないんだろう、プレゼントとして松音に送ったものの、やはり松音はそれをあまり気に入らず、俺の家ではすぐに外してしまっていた……。


 だったら松音も、もう少し俺に見えないところに置くとくとかしてくれても……と、一清は思ったが。一清が普段から、松音の素性について詳しいことを聞くことがなかったので、知らない小物などについても「詳しく尋ねないだろう」と考えたのかもしれない。あるいはほんとに、俺に気を許していて、「何気なく」置いてしまったのか……。


 一清の頭の中で、様々な想像や妄想が駆け巡る中。しばらくして松音は、店の奥にあるトイレに向かった。幸い店の中は、ビリヤードやダーツなどの設備があり、それらを楽しみながら立ち飲みする若い男女も多く、店内で人の流れが途切れないような状況だったので、これなら松音に見つからずに、様子を伺えるかな……と思っていたのだが。


 松音がトイレに立ったところで、一清はこれからどうすべきかを、改めて考えた。自分も「たまたま来た」フリをして、出てきた松音に話しかけてみるか。最初に出会った時の再現とはいえ、いくらなんでもそれは不自然か……。それとも、店に入る松音らしい女性を見かけたので、自分も入ってみたとか。どちらにせよ、自分が「この近辺へ来た」ことの言い訳がまず必要になるな……。


 ならばやはり、このまま様子を見続けて、「落ち合う男」が現れるのを待つしかないか。果たしてその時、自分は冷静でいられるだろうか……そんなことをあれこれ考えているうち、松音がトイレに行ってから、かなりの時間が経過していることに気付いた。


 考え事はしていたにせよ、視線はずっとトイレの方に向けていたから、出て来るのを見逃すはずはない。カウンターには飲みかけのグラスが置いたままだし、すでに支払いを済ませていたとしても、俺に見つかることなく店を出ては行けないだろう。あれから10分以上経っているが、女子用のトイレからは、ホットパンツを穿いたショートカットの若い女が出てきただけだ……。



 もしかしたら急に具合が悪くなって、トイレで倒れているのかも……? 一清は、そんな最悪の想像まで思い浮かべてしまったが、かといって女子トイレに、自分が「様子を見に行く」わけにはいかない。一清は思い悩んだあげく、カウンターにいた女店員に、「実は、自分の知り合いがトイレに行ったまま……」と事情を説明し、中を見て来てもらうことにした。


 女店員は、いぶかしげに眉を潜めつつも、店の客にもしものことがあっては大変と考えたのか、一清の希望通りに、トイレまで行ってくれた。だが、店員はすぐに戻って来て、更に眉をしかめながら、「誰もいませんでしたよ……?」と、一清を「怪しい奴では」と疑うような口調で答えた。


 一清は、「そんな……?!」と思いつつ、それ以上のことを女店員にお願いするわけにもいかず、途方に暮れてしまった。わけがわからないが、松音を見失ってしまったのは間違いない。ここは諦めて、大人しく帰るとするか……。


 そこで一清が、ふと店内を見渡してみると。先ほどトイレから出てきたショートカットの女が、店の中でダーツに興じているのを見つけた。どうやらダーツをしていた男たちに声をかけられたらしく、女も酔った勢いなのか、初対面の男たちに交じって、歓声を上げていた。


 しかしその女は、本来はトイレを出たあと、すぐに帰るつもりだったようで。「じゃあ、ありがと!」と男たちに手を振り、「え~~」「もう少しいいじゃん」「連絡先とか……」と、名残り惜しそうな男共の声を背中に、店を出て行った。一清はそこで、「はっ」と気が付いた。彼女なら、トイレで松音に会っているかも。松音がどこに行ったのか、知っているかも……?



 そう考えた直後、一清は店を飛びだし、その女を追いかけていた。しかし前を歩く女の背中を見て、今更ながらに、どう話しかければいいものかと迷い始めてしまった。

 

 それでもここまで来たら「ダメ元だ」と、一清は思い切って女に声をかけた。

「なに? ……あたし、あんたと会ったことあったっけ……?」


 女は一清の顔をじっと見つめて、何か考え込んでいた。さっきダーツをしていた男たちの1人が、しつこく追いかけてきたと思ったのかもしれない。


「いえ、あなたとは初対面です。初対面でこんなことを聞くのは、ほんとに失礼というか、常識はずれだと思うんですけど。さっき、あなたが店のトイレに行った時。黒髪が背中まである長髪の女性が、中にいませんでしたか……?」


 一清の言葉に、女は驚いたような顔をして、目をパチクリとしていたが。やがて、「ふふ~~ん……」と意味ありげな笑みを浮かべ、一清の傍に歩み寄った。


「あんたも、あの店にいたんだ。で、店を出たあたしを追ってきた、と……。随分斬新な、ナンパの手口だね?」


 そう言われて一清は、「いや、そうじゃなく……」と必死に弁明しようとしたが。逆に女の方から、「いいじゃん、気に入ったよ。そういうオリジナルな感じ。良かったら、2人で少し飲み直す?」と誘われてしまった。


 一清は意外な展開に、面食らいながら断ろうとしたが、「まさか、女の方から誘わせといて、断わるとか言わないよね? 実はあたしも、もう少し飲みたいと思ってたんだ。あんたも、あたしに『聞きたいこと』があるんでしょ?」と、完全に女のペースに引き込まれ。結局、先ほどの店から少し離れた小さなバーに、2人で入ることになった。


 そのバーは先ほどとは打って変わって、カウンターとボックス席が少しあるだけの、静かな雰囲気の店内で。女は注文した酒のグラスを「かんぱーい」と一清のグラスにぶつけ、上機嫌な様子で飲み始めた。


「いい塩梅に酔えたかなって思って、トイレ行って帰ろうと思ったら、ダーツの奴らに捕まってさあ。あたしもダーツ投げて体動かしたりしたから、ちょっと酔いが覚めちゃって。でも、あのままあいつらと飲み続けたら、そう簡単には帰してくれなくなりそうじゃない。だから、区切りのいいとこでバイバイしたんだ。しょうがない、今日はこのまま帰るかって思ってたからね、あんたが声かけてくれたのは、いいタイミングだったよ」


 そう言いながら女は、「もう少し」どころではない、結構なハイペースで酒を飲み続け。肝心の、松音に関する問いには、「は? まだそんなこと言ってんの? いつの話よ、それ」と、まともに答えようとしてくれなかった。



 ダメ元で松音のことを聞くつもりが、えらい女に捕まっちまったな……一清はそう思いながら、結局そのバーで、女と1時間以上付き合い。酔いが回って相当に上機嫌になった女と共に、店を出た。そろそろ終電がなくなる時間じゃないか……と一清が考えていると、女はそれを察したかのように、一清の肩にしなだれかかってきた。


「思ったより、酔っぱらっちゃった……あんたの家、ここから近い? あんたんとこ、『泊めてもらって』も、いい?」


 ここで断ったら、また「女に誘わせといて……」と言われてしまうのだろうか。一清は、どう女を説得しようかと悩みつつ、「ちょっと、酔いを醒まそうか」と、女と一緒に、すっかり暗くなった商店街の壁に背をもたれた。


 そこで一清は、そういえばまだ彼女の名前も聞いてなかったなと思い出し。壁にもたれながら、鼻歌などを歌っている女に、「なんか、今さらだけど。君の名前、なんていうの……?」と問いかけた。



 すると、酔いが回って上機嫌だった女が、急に「がくん」と首をうなだれた。一体何が起きたのかと、一清が女を見つめていると。女はそのまましゃがみこみ、持っていた少し大きめのバッグを開け、中から何かを取り出した。そういえば松音も、色合いとかは違うけど、このくらいのバッグを持っていたよな……と、一清が思い起こしていると。


 女は、バッグから「取り出したもの」を頭に被り。一清に向かって、「ふふふ……」と笑みを浮かべた。その微笑みと、バッグから取り出した「長髪のウィッグ」を被った女を見て、一清は全身が固まった。



「ま……松音? 松音なのか……?!!」



 さっきまで、自分のペースに男を引き込む、奔放なショートカットの女だと思っていた相手は。今は完全に、一清がよく知っている、いや、実は知らないことの方が多かった、「ミステリアスな恋人」、松音に変わっていた。


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