「彼」の事情(3)


「……ほんとにビックリしましたよ。僕は、何度も夜を共にしていながら、松音がウィッグを付けていたことすら気付かなかったんですからね……」



 話だけ聞いたら、本当に「にわかには信じがたい内容」ではあったが。実際に、すでに松音にも梅香にも「会っている」桐原は、一清の語るその話が「事実」なのだろうと受け止めた。


「松音が持っていたバッグは、リバーシブルで裏返しでも使用出来るものなんだと、その後に聞かされました。そこに、竹乃と梅香用のアクセサリーやスマホも入れてたってことでしょう。松音は店のトイレに行って、バッグを裏返しにした上で、ウィッグをしまい。ホットパンツに穿き替えて、完全に『梅香』になりきって、トイレから出てきたというわけです。


 松音は、多重人格という自分の特色もあるせいか、周囲のことに敏感に気を配るクセが付いているらしくて。僕が店までつけてきたことにも、気付いてたんですね。それで、もしかしたら浮気を疑っているかもしれない僕に、逆に『浮気をさせてやろう』と考えたのだと。自分がいなくなったとわかれば、自分が入ったトイレから出て来た梅香に声をかけるだろうと予想して。もし僕が声をかけなくても、僕が店から出るのを待ち受けて、梅香から誘いをかけるつもりだったようです。それを聞いて冷や汗が出ましたよ、梅香の『あんたんとこ、泊っていい?』っていう誘いに乗らなくて良かったと。一緒に酒は飲みましたけどね、『そこまで』で止めておいて正解だったなと。


 まあ実際のところ、梅香もかなり『魅力的』でしたからね。初対面とはいえそんな女性といい雰囲気になって、松音という恋人がいなかったら、喜んで誘いに乗ってたかもしれません。それはともかく、そこで僕は初めて、松音が『多重人格』という症状を持っていることを知ったんです……」



 一清の話では、その数日後に、これもやはり偶然を装うような形で、「竹乃」にも遭遇したそうだ。ある日突然、「姉を訪ねて来た」と、オドオドした見知らぬ女性が一清の家を訪ねて来た。その時は一清も、相当に面食らったそうだが。なんせ自分の恋人はミステリアスなゆえに、姉妹がいることも聞いていなかったし、おまけについ最近「別人格」のことを聞かされたばかりだったのだから。


 しかしここで一清も、「もしかしたら……?」と思いついたらしい。なかなか家に上がろうとしない竹乃をなだめすかして、「中で待ちますか」「何か飲みますか」など、出来る限りの丁寧な応対を試みたのだと。そこでも竹乃は「あの、その」というばかりで、対応にはかなり苦労したようだが。


 するとしばらくして、竹乃が気を失ったように、首をガクリとうなだれ。ウィッグを肩までの長さから背中までの長髪に被り直した「松音」から、「種明かし」を受けた。松音の言うには、この「髪型の変化」が、人格の入れ変えを完遂するための、「オン・オフのスイッチ」にもなっているということだった。



 松音から、梅香と竹乃という「2人の妹」と対面させられた上で。一清は改めて、松音の「特殊な事情」の詳細を聞くことになった。


「……松音が言うにはですね。やはり、旧態依然とした風習やしきたりが残る、田舎の由緒ある名家の跡継ぎとして、小さい頃から相当なプレッシャーがあったようなんです。あれを覚えろ、これを習え。逆に、あれをしてはいけない、これに近づいてはいけない。そういう教えを日常的に叩き込まれ、学校や近所でも、親しい友達が出来なかった。みな、松音を『特別な子』という目で見ていた。


 しかし松音は、そんな自分の状況や環境に、逆らうことが出来ないこともわかっていた。自分の『味方』はいない。自分1人では、自分を取り巻く全てに、立ち向かうことは出来ない……。そんな強迫観念に捉われ、どこにも逃げ場がないと絶望しかけた時、希望の光が射した。それが、自分の中に生まれた、『竹乃』と『梅香』という、2人の妹。それは自分の分身であり、そして紛れもない、『自分の味方』だったと。


 それから松音は、何か言われたことや指示されたことに、強制的に従わなければならない時には、『竹乃』になり。逆に自分の意見を積極的に言った方がいいケースでは、『梅香』となって。自分を取り巻く環境に、その時その時によって『最も適した人格』を用いることによって、『反撃』を始めたのです。


 そして、当家が人格の入れ替わる跡取り娘に戸惑う中、松音は当家を離れ、『独立』することに成功しました。それで、都会へ出て『一人暮らし』を始めたんですね。それからも、そのミステリアスな美貌と、『2人の妹』の助けを得ながら、慣れない都会で生き抜いてきたのですが。そこで、僕と出会った。僕は彼女にとって、『信頼に足る人物』だと認識してもらえたようで、それまで口にすることのなかった、自分の出生や野見山家のことについても語ってくれました。


 松音から『跡取りに関する問題』を聞いたのも、この頃でした。僕は、松音が抱える諸々の問題に驚きながらも、自分が苦労した育て上げた店を手放す決断を迫られることになり……迷いながらも、承諾しました」


 由緒ある名家を継ぐことを、生まれた時から宿命づけられていた娘の、多重人格を用いての「反逆」か……。田舎にある旧家などは、地域全体に多大な影響力を持ち、その地域自体がひとつの「ムラ」と化していることもある。松音はそんな閉ざされた状況下で、自分が救われる道を、自分の内部に求めるしかなかったんだろうな……。俺はそんな風に、松音がこれまで辿って来た人生について、思いを巡らさずにいられなかった。


「……松音がまだ実家にいる頃の『竹乃と梅香』には、正反対なキャラクターの2人という、大まかな『性格付け』しかなかったんですが。人格を入れ替えることによって当家を惑わせ、その隙を突くようにして『脱出』に成功してからは。松音は憧れていた『都会の地』で、竹乃と梅香のキャラクターを『強化』しようと考えたそうです。


 田舎ではとても出来なかった、都会に溢れる人並みでの、人間観察。それによって、竹乃と梅香に更なる個性の『肉付け』をしようと。2人の個性に相応しい、モデルとなり得るような女性を見つけた時には、時間をかけてじっくり観察し。松音は2人の妹を、それぞれ個性を持った『個人』に育て上げようと試みました。


 竹乃と梅香が『存在した』おかげで、都会へ脱出することが出来たのですから、松音は2人の個性を強化することに、迷いはありませんでした。それが今になって、元々の人格だった松音を脅かすようなことになろうとは……」



 一清の、松音に関する解説の「付け加え」を聞き終え。俺は、もうひとつ気になっていたことを、確認することにした。


「なるほど……梅香さんや竹乃さんに初めて会った時の、詳しい状況までお話頂いて、ありがとうございます。そこで、少し気になったことがあるのですが」


 そのことについては、すでに俺の頭の中に入っていたが、あえて松音たちの話を聞きながら取ったメモを見るようにしながら、一清に問いかけた。


「私はあなたの依頼を受け、まずは”3姉妹”と実際に会ってもらった方がいいという提案を承諾し、実際に今日、それぞれの『人格』とお話させて頂いたんですが……」


 数日前、一清が初めてここに来た時には、「自分の恋人に、ちょっと一言で説明するのは難しいような、複雑な問題が発生している」という話をされたのだが。その問題は、恋人が「多重人格」であることから起きているということを、俺に信用してもらうためにと、俺と”3姉妹”との面談が計画された。


 一清は松音を始め、竹乃と梅香にも「実際に会って」、松音から聞いた跡継ぎ問題について話し合ったらしい。そこで、腕のいい探偵を見つけたんだが、一度相談してみたらどうかな……? と、俺の事務所を紹介したそうだ。


 松音は「あなたの言うことなら……」とすぐに承諾してくれたのだが、竹乃と梅香は、少し渋るような感じが伺えた。そこで、「実は松音さんが……」と、松音が承諾したことを伝えると。竹乃と梅香も、「それじゃあ、あたしも」と、俺に会うことを決めた。それを受けて、スケジュールを調整し、3姉妹と1時間おきに面談する日を、「今日」に決めたのだった。



「笹川さん、あなたは現在松音さんと交際していて、野見山家の跡を継ぐ『有力候補』でもある。その事実を踏まえて、私は『他の2人』にも、いまお付き合いしている男性がいるかどうか、聞いてみました」


 俺のその言葉を聞いて、一清はわずかに「ピクッ」と反応したように見えた。しかし俺は、メモを見ていてそれに気付かなかったフリをしながら、話を続けた。


「その結果、竹乃さんにも梅香さんにも、現在お付き合いしている男性がいる、とのことでした。そこで私は、あることに気付きました。竹乃さんはもともと、物事をはっきりと喋らないような方でしたので、何か曖昧な表現で。梅香さんは、それまでは快活に話されていたものの、男性の話になると照れが先に来てしまうようで、こちらもまた『はっきりしない』内容ではあったのですが。


 竹乃さんも梅香さんも、そのお付き合いしている男性と、将来的には結婚するつもりでいて。そしてお二人とも、ご実家の後継者という『条件』も、男性に伝え済みのようでした。そこまでは、良かったのですが。


 更に詳しく、お二人に『どんな男性なのか』を聞いてみると。まるでお二人の付き合っている男性が『同一人物』のように、私には感じられたのです。そしてそれは、”長女”である松音さんと交際している、笹川さん。あなたとも、『同じ』かのような……」



 そこで俺は、メモから目を離し、一清をじっと見つめた。一清は、俺から目線を外すことが出来ず。一度は、「そんな……」と、何か言い訳をしようとしたが。しばらくして、諦めたように「はあ……」とため息をついた。



「さすが、『腕のいい探偵』という評判が立つだけありますね。ここで隠しても、仕方ないか……今はなんとか誤魔化せたとしても、いずれバレるんでしょうしね。正直に言います。

 仰る通り、僕は松音と付き合っていますが、同時に、竹乃と梅香の『恋人』でもあるんです……。”3人”と会った初日から、そこまで詳しいことを聞くのは、ちょっと予想外だったな……」



「田舎の名家」から抜け出すため、自分がコントロール出来る、2人の人格を生み出した松音。その松音と、別人格の2人とも、同時に「交際」している一清。そして松音は今、別人格の竹乃と梅香のコントロールを、失いつつある……。


 ついさっきも、感じたばかりのことではあったが。これは、どこからどうみても「理解しがたい案件」であり。更に、解決に導くのは「無理難題」と言えそうな案件であることにも、疑いの余地はなさそうだった。


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