「彼と、彼女たち」の事情


 竹乃と梅香から話を聞いた段階では、それはまだ「あやふやな推測」でしかなかったが。その後一清の話を聞いて、「間違いない」と確信するに至った。



『松音は人格が変わる際に、体つきや体質まで、微妙に変化するんです。これは、僕が「身を以て体験した」事実です』


『竹乃はああ見えて、一度思い込んだら周りが見えなくなる時があるんです』



 それらの言葉は、松音から人格が変化した竹乃や梅香について、一清が「身近な存在として知っている」ということを裏付けていた。つまり、一清は松音だけでなく、竹乃や梅香とも、親しい間柄になっていて。恐らくは、「男女の関係」にも進展しているのだろうと。



 一清は何か「やれやれ」といった感じで、イスに座ったまま緊張感を解きほぐすかのように、腕や足の関節ををコキコキと動かし始めた。


「松音が多重人格の持主だってことを伝えた上で、実際に”3姉妹”と続けて会えば。その現実に驚くばかりで、具体的にどうこうするまではとても考え付かないだろうと踏んでたんですけどね……桐原さん、どうやらあなたは想像していた以上に、『腕が立つ』探偵のようだ」



「お褒め頂いて、光栄です」

 俺は、先ほどまでの「恋人を心配する男」とは少し態度を変え始めた一清に、そう言って軽く頭を下げた。しかし視線だけは、一清の方にじっと向けたままだった。この男は「油断ならない奴」だと、これまで「理解しがたい案件」を何度も経験して来た、俺のカンが告げていた。


「それでは、笹川さん。そういう『現状』に於いて、あなたが私に、本当に依頼したいことは。一体なんでしょうか……?」


 俺は、一清が少なからず動揺する様子を見せたことで、ここは間髪置かずに聞いた方がいいと判断し、ダイレクトにそう問いかけた。


 一清はそこでまた、「ふう……」とため息をつき。懐からシガレットケースを取り出し、俺に向かって「いいですか?」と尋ねた。俺が「どうぞ」と答えると、今度は上着のポケットからオイルライターを取り出すと、くわえたタバコに「しゅぼっ!」と火を点けた。



「本当に依頼したいこと、ね……それは、松音が今まで通りでいること。それは、変わらないですよ。今のことろは、ね」


 一清はそう言って、イスの背もたれに深々と身を任せながら、意味ありげに「ふふふ」と笑った。つい先ほどまで、少し前のめりな姿勢で座り、不安げに松音について話していた姿は、今の一清から完全に消え去っていた。


「やっぱり現時点では、松音が跡継ぎの『最有力候補』ですからね。松音が、今のままでいられるならね。しかし、竹乃と梅香の自我が成長してきたことで、それが危うくなってきた。だから僕は、『先手』を打ったんです。もしもの時のために、竹乃とも梅香とも、『深く繋がっておこう』と。


 元々梅香は、僕の住まいに泊ってもいいとまで言ってましたし、竹乃はああいう性格で、男性経験に乏しいというキャラクター付けをされてましたから、多少強引に迫れば言うことを聞いてくれる。2人と『関係』を持つのは、そう難しいことじゃなかったですね。その時点で、松音が竹乃と梅香のコントロールを失いつつあったことも、幸いしました。


 それまでだったら、竹乃と梅香に恋人が出来たこと、そしてそれが誰かということを、2人のイニシアチブを握っている松音が知らないということはあり得なかったでしょう。しかし竹乃も松音も、自分の配偶者に跡継ぎとなるチャンスがあることを聞いてましたから、意識的にその存在を松音から隠したんです。まあ、それも僕の狙い通りでしたけどね。


 こんなことを言うと、僕が相当な女好きで、浮気性のようにも思えるでしょうけど。彼女たちを『他人』だと思っているならそうも言えるでしょうが、僕は彼女たちが『同一人物』だとわかった上で、付き合ってますからね。つまり僕は、実質『1人』としか付き合っていない。それを『浮気』とは呼べないですよね……?」



 煙草の煙をこれ見よがしに、ふう……と吐き出しながら。まるで、何か文句はありますか? とでも言いたげにそう語る一清を見て、俺は「やはりな……」という思いを新たにしていた。


 元々、一清が最初に事務所へ来た時から、何か胡散臭いような感じを受けていた。だがそれは、俺が「超常現象に詳しい」とかいうウワサを聞きつけ、イタズラ半分で「嘘の依頼」を持ちかけに来たのではなく。何かを企んで、その計画のために、俺に仕事をさせようとしているのではないか。そんな、「悪巧み」のような雰囲気を感じていたのだ。


 まず最初に、一清が松音の多重人格について語り、俺に信用してもらうためにと立案した「3姉妹との面談」が、あらかじめ計画していたことのように感じられたことが、そもそものきっかけだった。それぞれ人格の異なる3人と話を付けるのに、そう上手くいくだろうか? という疑問が少なからずあったのだが、それを一清は、「なんなくやってのけた」。恐らく前もって、松音と「妹たち」に、探偵のような者に相談した方がいいかもなどという話を、それとなくしていたのだろう。


 だが俺は、一清は決して「凶悪な犯罪者」というわけではなく、いわば結婚詐欺師のような、「ずる賢いタイプの小悪党」レベルだろうな、とも推測していた。経営している店も、苦労の末に成功させたと言っていたが、法律スレスレのことにも手を出して、なんとかやりくりしてきた可能性もある。それもあって、店を譲渡する交渉もなかなか上手くいかず、長引いてるんじゃないか……。


 それで、多重人格を持つ恋人の「跡継ぎ問題」を知り、ことを自分に有利に進める術を考えたということか。俺への依頼も、松音が「今のままでいられる方法を見出す」ということだったが、それが本心なのかどうか、わかったもんじゃないな……。



「私は別に、あなたに男女の倫理観について語ろうとか、そういうつもりは全くありません。しかし……」


 一清が「浮気がどうのこうの」と言ったのを受けて、俺は自分の確かめたいことを問いかけた。


「あなたがそうやって、竹乃さんと梅香さんとも恋人関係を結び、実家の跡を継ぐことも承諾することで。妹2人の『自我』が、より強化されることになるとは思いませんでしたか? というより、実際にそうなっているのではないかと、私には思えます。つまり、あなたは。松音さんに『今のままでいて欲しい』などとは思っておらず。竹乃さん、もしくは梅香さんが『上位の人格』になっても、なんら問題ないと。そう考え、その考えに沿った行動をしている。そういうことですね……?」


 俺の問いかけというより、「追及」に近い言葉を聞いても。一清は相変わらず、「ふふふ……」と笑みを浮かべたまま、「まあ、かいつまんで言えば、そういうことになりますかね」と、他人事のように答えた。


 この時点で俺は、密かに拳をぎゅっと握りしめるような、そんな心境になりつつあったのだが。それをこらえて、更に一清を「追及」する言葉を投げかけた。


「あなたの『考え』は、よくわかりました。しかし、まだ問題が残っていますよね? これもあなたからお聞きしたことですが、このまま人格同士の争いが続けば、それに耐えきれず、松音さん自身の精神が崩壊してしまいかねない。それは恐らく、妹2人にも影響が及ぶ。もしそんなことになった場合は、どうなさるおつもりですか?」


 松音の精神が崩壊すれば、別人格である竹乃も梅香も、その存在自体が危うくなる可能性がある。そうなれば、3姉妹のうち誰かの配偶者となって、野見山家の跡継ぎになるという一清の計画も、ご破算になるはずだ。だが、俺のこの言葉を聞いても、一清はまだ薄ら笑いを浮かべたままだった。



「確かに、その可能性はあるかもしれませんね。……でも、ね。実はこれも、僕にとってはそう『大きな問題』ではないんですよ」


 そう言いながら、更に自らの「計画」を語る一清の姿は、俺には何か、自慢げにも映っていた。


「実はですね。僕は松音の実家、野見山家の当家から、松音を通さずに、直接コンタクトを受けてるんです。だから松音のことや、当家の『お家事情』にも詳しくなったんですけどね。それで、当家の人が言うには、松音に跡継ぎの条件を伝えたのは、『最後通告』でもあるということなんですよ。分裂した人格を利用して当家に逆らい、都会へ出て行ってしまった娘の、最後のチャンスなんだと。


 現在の家主である松音のお父さんが高齢になったことで、出来れば早急に跡継ぎを決めたいと考えている当家にとって。大事なこと、優先すべきことは、松音を後継者にすることではなく。とにかく、『誰かを後継者に決めること』なんですね。そこで、松音の人格についても知っていて、小さいながらも店を経営し成功に結び付けた僕に、『白羽の矢』が立ったんです。


 なので、『もしも』の時……もし仮に、松音自身の精神が崩壊し、3姉妹共に、『跡継ぎの嫁』になることが不可能な状態になったとしても。その時は、跡継ぎとして相応しい人物を、『養子』に迎えればいい。野見山家の事情に詳しく、経営手腕も確かな、僕のような人間をね……」


 俺は一清の、自慢げで誇らしげな「語り」を聞きながら。俺もつくづく、我慢強くなったもんだな……と、再認識していた。もう少し若い頃だったら、「ふざけるな!」と、この場で一清を殴りつけていたかもしれない。


 幼い頃から周囲のプレッシャーに苛まれ、多重人格という方法でなんとか自分を救う術を見出した女性に対し。それを利用して、完全に自分本位な「野望」を叶えようとする奴など、依頼人だろうがなんだろうが、許せるものか。そんな、胸の底から湧き上がる怒りを、俺はどうにかギリギリで、抑えこんでいた。



「だから僕は、松音の精神が崩壊するという最悪の事態になったとしても、特に慌てる必要がないわけです。もちろん、それを望んでいるというわけではないですよ? こうして、あなたに『依頼』をしに来ているわけですから。あくまで僕の依頼は、松音が『今まで通り』でいられること。なんだかんだ、松音とは一番付き合いが長いですからね、名家の跡継ぎとして今後の人生を共にする上で、パートナーにするならやっぱり、より『思い入れの大きい』女性の方がいいでしょう?


 それが上手くいかず、竹乃か松音がイニシアチブを取ることになっても、大きな差し障りはないかな、ということです。まあ、今日の段階でここまで話すことになるとは、思いもしませんでしたけどね。でも、ここで全部ぶちまけてしまったことで、逆にスッキリしましたよ。そういう意味では、『腕の立つ名探偵』の桐原さんに、お礼を言うべきかな」



 そう言って一清は「さて……」と、俺に向かって正面に座り直し。今度は一清の方から、俺の目を見つめながら語り出した。


「今日ここで、全部ぶちまけたところで。改めて、お伺いします。僕の依頼、受けて頂けますか? 報酬は弾みますよ、なんせ僕にはどう転んでも、名家の跡継ぎとなる道が開けてるんですから。もちろん、依頼が成功しなくても。例え、松音が松音でなくなるようなことがあっても、返金を要求したりしませんから、どうぞご安心を……」



 本来であれば、こんなふざけた依頼など即座に断り、早々にお引き取り願うところだが。一清の話を聞きながら、俺にはあるひとつの思いが湧き上がってきていた。それは徐々に俺の中で膨れ上がり、いまや確かな意思となって、確立されつつあった。


 ……分裂した人格を用いて当家に反抗した上に、都会へと出て行ってしまった娘に対する、「最後通告」か。それは体のいい、「厄介払い」だろう。そんな風に、生まれ育った家に見捨てられ、恋人からは、野望を叶えるための手段として扱われる。この案件に於いて、松音は間違いなく、一番の「被害者」だ。


 ならば、俺の「成すべきこと」は。あえてこの依頼を受けることによって、このままでは窮地に追い込まれ、精神が崩壊する危険すらある松音を、「救うこと」じゃないか……?



 一度俺の中で目覚めたその想いは、消えることがなかった。俺は一清に、宣言した。


「はい。それでは、改めて。あなたの依頼を、受けさせて頂きます」



 その宣言が、どんな結末に結び付くことになるのか。その時の俺にはまだ、知る由もなかった。


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