「彼女」のその後(1)


 一清がネットの販売網を使って売買していた、薬物の取引先。あるいは「仕入れ先」かもしれない、竹乃言うところの「怖い人たち」が、一清が振り込み先の口座を変更したことを知り、その身元を確認しようと考えた。奴らにすれば、自分達の金が流れていく先を確認しておこうとするのは、当然だろう。大沼たち「薬物担当の部署」あたりが、薬物のルートを探ろうとして仕掛けた罠という可能性もあるのだから。


 しかし松音のマンションに行き、その相手が一清の恋人であり、しかも若い女だとわかって、「手荒い真似」をするまでもないと判断した。松音も、下手に逆らうよりも言うことを聞いた方が安全だと考えたのかもしれない。だから会うことを拒まずに、マンションに「怖い人たち」を招き入れ、そしてそいつらに言われるまま、部屋を後にした。それで、部屋の中が荒らされていたり、争ったような形跡も見受けられなかった。


 だが、やはり動揺するあまり、部屋のドアを閉め忘れ、キセルも落として来てしまった。……松音は由緒ある名家の長女として、肝っ玉が据わってるようなところもあるが、さすがに普段から薬物を扱ってる「怖い人」に囲まれたら、多少なりとも怯えるような心境になるだろう。とりあえず、すぐに松音の命が危険に晒されるような事態にはならないと思うが……かといって、決して安心できる状況ではない。



 奴らが松音とどういう会話をしたかはわからないが、一緒にマンションを出たということは、恐らく奴らの事務所にでも連れて行ったんだろう。ヤクザものの事務所内に連れ込まれたら、そこはもうある意味「治外法権」みたいなものだ。松音の命を奪うのが目的ではないだろうが、若くセクシーな「いい女」を、連れ込んだだけで終わりにするだろうか。しかも奴らは、薬物を扱っている。強引にクスリでも打たれたら、奴らの言いなりにされてしまう恐れも……。



 そこで俺は、「はっ」と思い当たった。……松音も、奴らに言われるがまま、マンションを出ることにしたが。自分に「身の危険」が迫っていることを感じた。だから、部屋の中に「ヒント」を残そうと考えた……!


「奴ら」に怯えているフリをして、キセルを床に落とし。そのまま部屋を出て、オートロックのドアを、「しっかりと閉めなかった」。そう、松音はその後に、「俺と会う約束」をしていたのだ。自分がいなくなった後、俺がマンションに来て、そんな「部屋の様子」を見れば。「何かあった」と、気付くはずだと……!



 俺は今更のように、松音の頭の良さ、機転の利く速さに感動し。そしてあの部屋の様子が、俺に宛てた「救援メッセージ」だと気付いて。「これから、俺のすべきこと」を考え始めた。竹乃は、目の前で何か考え込んでしまった俺を見て、「あの……」と何か言おうとして、しかし何を言ったらいいのかわからず、ただオロオロとしていた。


 俺もようやく、そんな竹乃の姿に気付き。竹乃からはもう、聞くべきことはないだろうなと考えた。


「すいません、ちょっと考え事をしていまして。竹乃さん、詳しいお話を聞かせて頂いて、ありがとうございます。竹乃さんも、松音さんのことが心配でしょうけども、私は商売柄、警察関係にも知り合いがいますので。ここは、私にお任せ頂ければと思います。何かわかりましたら、ご連絡差し上げますので」



 俺はそう伝えて、竹乃にはここで帰ってもらうことにした。竹乃は、いつものもじもじする様子ではなく、松音のことを心配するがゆえに、このまま帰っていいものかどうかと迷っているようだったが。俺は、梅香さんと連絡を取って、ひとまず待機していて下さいとお願いした。竹乃も、「はい……うん、そうですね。桐原さんの方が、こういうことは『専門家』ですもんね……」と、なんとか納得してくれた。


「梅香がこのことを知ったら、何か大騒ぎして、あたしが止めようとしても、桐原さんに連絡してくるかもしれないですけども。その時はすいません、上手くなだめてあげて下さい」


 竹乃はまた、何度も何度も「ぺこり」と頭を下げて、事務所を去ろうとした。だがその時、いつの間にか外は、かなりの大雨になっていることに気付いた。俺は事務所にあった傘を竹乃に貸してあげ、竹乃は更に「すいません、色々と」と頭を下げて、事務所を後にした。



 こうして、事務所に1人きりになり。俺は改めて、「これからすべきこと」を考えた。西条に連絡して、奴らの事務所に踏み込んでもらうという手も考えたが、松音が「奴らの事務所にいる」というのは、あくまで俺の推測に過ぎない。もし俺の言うことを真に受けて、強引に踏み込んで「空振り」でもしたら、西条に多大な迷惑をかけることになる。ならば、やはり……ここは、「俺が行く」しかない。


「奴らの事務所」の所在地については、また西条に依頼して、薬物課にでも聞いてもらうしかないだろう。そんなことをしたら、大沼には「何か余計なちょっかいを……」とかまたぞろ苦言を呈され、西条にも「お前また、ヤバいことに……」と言われそうだが。実際その通りなので、これも致し方ない。何か上手い理由をこじつけた上で、一清に会ったことを伝えて。その情報と引き換えにみたいな感じで、お願いするしかないか……。



 そこで俺は、一度アパートに戻って、「準備」を整えることにした。この事務所に「常備」しているわけではないが、まだ探偵になりたての頃、「もしもの時」を考えて、「本物そっくり」に見えるモデルガンの拳銃を入手したことがあった。刑事を辞めて探偵になり、「丸腰」になったことで、どこか不安に思う気持ちがあったのかもしれない。結局、これまでそれを使うような機会はなく、アパートの部屋に仕舞ったままなのだが。どうやら「それ」を使う時が来たようだな……。


 もちろん、「ホンモノ」を扱っていてもおかしくないところにそれを持って乗り込んでも、ハッタリどころか屁のツッパリにもならないことは、十分承知の上だ。それでも、「何もない」よりは、幾らかでも時間が稼げる。別に、「奴ら」を成敗しようというのではない。目的はあくまで、松音を助けること。例え、俺が「身代わり」になったとしても。


 探偵が事務所に乗り込んで来て、薬物関係のことを匂わせれば、ある程度こちらの言い分は聞こうとするだろう。問題はその後だ。「一般人」の松音は、上手くこちらのペースで話を進められれば、後々の面倒を考えても、解放される可能性があるとしても。俺の方は、そう上手くはいかないかもな。最悪、「口封じ」をされる可能性まであるかもな……。


 それでも、俺の「決意」は変わらなかった。元々、「松音を助けたい」と考えて、この案件に足を踏み入れたのだ。その危険の度合いが、多少増したに過ぎない。西条なら、「それを”多少”とは言わないだろ?」とツッコんで来そうだがな……。


 正直、「俺の身の安全」を第一に考えるなら、役立たずなモデルガンなど携帯せずに、堂々と「丸腰」で行くべきだろう。実際俺はこれまで、そうやって生き延びてきたのだから。だが、今回優先すべきなのは、「松音の安全」だ。ならば俺は「威勢のいい振り」をして、注意を自分に惹き付ける必要がある。そのためにも、奴らが警戒しそうな何かしらは持っていくべきだ。



 俺はそこまで考えて、自分の決意に揺らぎがないことを、自分自身に確認した。どこかで迷いが生じたら、間違いなくそこで躓く。だから、「やる」のであれば、確固たる決意のもとで行動しなければならない。


 ……わかってるな、勇二。いざって時になって迷ったり、ビビったりするなよ。ましてや、松音のためにカッコつけようだなんて少しでも考えたら、そこでアウトだ。無様でいい、悲惨でかまわない。自分の成すべきことを、果たすだけだ。



 俺は改めて決意を固め、事務所を出てアパートに向かった。傘を叩きつけるような激しい雨が、俺の行く末を暗示しているかのようだった。……こんな大雨の中で、敵のアジトに乗り込んで行くとか。ひと昔前の、Vシネあたりのクライマックスにありそうなシチュエーションだな……。俺は「ふっ」と笑みを浮かべて、そんな自分を受け入れることにした。


 しょうがない、これが俺って奴なんだ。危険と知りつつ、そこに向かって突っ込んで行ってしまう……。因果な性分だってことは、自分でもわかり過ぎるほどわかっている。西条が俺からの電話に不安を抱いたり、いちいち心配したりするのも、至極当然だということだな……。



 俺の住むアパートは、松音のマンションとは大違いで、建てられたのも古く、正直「安アパート」と言っていい建物だ。しがない探偵稼業で、事務所まで借りているのだから、どこかで金を節約する必要がある。仕事が煮詰まった時には事務所に泊まり込むことも多いので、住まいはそんな安アパートで十分だと考えていた。


 駐車場から傘を差し、足元で水を撥ねるようにして、アパートの階段に急ぐ。雨脚は衰える気配がなく、傘を差しても上半身を濡れないようにするのが精いっぱいで、足先から膝の上まで、すでにびしょびしょになっていた。部屋に戻ったら、出かける前にズボンと靴下を履き替えるか……そんなことを考えていると。



 階段を登ろうとしたところで、「何者か」が俺に近づいて来る気配がした。俺は一瞬、その近づいて来た者に対し、防御の姿勢を取ろうと身構えた。が、すぐに体をガードしようとした両腕を降ろし、逆にその「何者か」に、手を差し伸ばした。




「ま……松音、さん……?!」



 頭からずぶ濡れになって、すがるように、俺の顔をじっと見つめているのは。事務所やマンションで見た、ミステリアスで自信に溢れ、セクシーな魅力に満ちた姿ではなかったが。しかし、雨に打たれたせいか、それとも泣いているのか。顔をぐしょぐしょにして、俺の名を口にするその女性は、間違いなく松音だった。


「勇二さん、良かった……。ここで待っていれば、勇二さんに会えると思って……」



 俺は一も二もなく、ずぶ濡れの松音を抱きかかえるようにして、自分の部屋に連れて行った。


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