第十四話 鏡の魔女、義妹の死を知る
マノアの王城、〈浮遊城〉と呼ばれるその城の門は他とは一風変わっている。
何しろ宙に浮く巨大な岩塊の上に建てられた城であるから、他の城のように城壁に穴をあけ、扉や落とし格子をつければ済むわけでもない。
この〈浮遊城〉において『門』と呼称されているそれは、むしろ塔と呼ぶのがふさわしい代物だった。
この地上と城とを結ぶ五層からなる木製の構造物は、中央が吹き抜けになっている。
巻き上げ式の荷台を通すためだ。
食料や燃料、飲水といった物資はこの荷台に乗せられて城に運び込まれる。
鎖の巻き上げは人力で行われており、当然のことながらおいそれと使えるものではない。
だから荷台に乗れるのは荷運び人夫を除けば、高貴な身分を持つ者に限られていた。
そのため、城に用のある者はこの塔の吹き抜けの外周に設けられた階段を登らなければならなかった。
この門が木製なのには訳がある。
いざ籠城となった時、防衛側はここを焼き落として敵の侵入を防ぐのだ。
ではこの城が堅城であるかと問われれば、答えは否だ。
もし寄せ手が外城壁を突破し、城の真下に入り込んでしまえば城からはもう手が出せない。
敵は容易に城の補給を断ててしまう。
事実、この城は過去に幾度か降伏の憂き目を見ている。
その堅牢な外観とは裏腹に、籠城にはひどく不向きな城なのだった。
それでもこの地の王が皆ここを居城と定めてきたのは、巨大な城が宙に浮くというその奇観がもたらす象徴性ゆえだ。
逆に言えば、脆弱なこの城を保持できるだけの力を持つことがマノアの王たる者の条件であり、また資格でもあった。
さて、その城門の前を一人の不審な大男が行っては過ぎ、また行っては過ぎてと、繰り返していた。
身なりからして狩人であろう。
なにやら思いつめた表情を浮かべており、良からぬことを企んでいるというよりは、何か重要なことを決めかねているといった様子だった。
あまりにも長くそうしているので、門を守る衛士の一人が見かねて男に声をかけた。
「おい、そこのお前。
先ほどから何やらうろついているようだが、何の用だ。
無下にはせぬから、まずは用件を申してみよ。
ことと次第によっては、しかるべき者のところへ取り次いでやろう」
これはまったくの親切心からのことであった。
領民が王への直訴に及ぶことは、決してよくあることではなかったが、かといってまったく前例のないことでもない。
そして現国王はそうした訴えを決して粗略には扱わず、臣下の者にもその意向に沿うよう努めさせていた。
だが、大男は声をかけられてひどく狼狽えた様子を見せた。
衛士は、さては悪心を抱くものであったかと警戒を強める。
その様子に大男が慌てて口を開いた。
「い、いえ! 決して怪しいものでは……!
ひ、姫さまの――じゃなかった、お妃さまの、い、依頼で……これを……」
そういいながら、懐から革袋を取り出すと、衛士にぐいと押し付けてきた。
「ふむ、そうであったか。
念のため、中身を聞いておこうか」
「へ、へえ。猪の心臓でさあ」
「猪の心臓?」
衛士は首を傾げる。
お妃様はなぜそんなものをお求めになったのだろうか?
衛士は大男の様子をじっと伺った。
ひどく怯えてはいるが、嘘を言っている様子はない。
「念のため、中を検めるぞ」
そういって袋を開ける。
果たして大男の言う通りであった。
確かに袋の中には油布で包まれた動物の心臓が収まっていた。
おそらくは、と衛士は考えた。
異国のまじないか何かであろう。
北の蛮族たちは熊の心臓を食べることで熊のように強くなれると信じている、という話を聞いたこともある。
お妃様も猪の心臓に何かしら神秘の力が宿っていると考えているのかもしれない。
「うむ、確かに受け取った。
これはしかとお妃様のもとへ届けておく。
ご苦労だったな」
「あ、ああ、お待ちを」
「なんだ」
「荷物はファラ様にお取次ぎ願います。
くれぐれも他の侍女たちにはお渡しにならぬよう」
ファラというのは王妃が唯一信を置いている侍女の名である。
それをわざわざ指名してきたということは、この大男どうやら宮廷内の事情にも通じているらしい。
「なるほど。必ず」
衛士がうなずくのを確認して、大男は足早に去っていった。
彼が門のところに戻ると、先ほどのやり取りを見ていた同僚が声をかけてきた。
「おい、今の」
「ん?」
「あの男、噂に名高い〈長腕〉じゃないか?」
彼もその名は耳にしたことがあった。
方々で穴無し熊やら大狼やらといった、並の者では歯が立たぬ厄介な獣を退治してまわる一流の狩人で、十人力の大弓を引く剛腕の持ち主という。
その手足には魔法の力が宿っているとかなんとか。
言われてみれば、確かに尋常ならざる風貌の持ち主であった。
お妃様の依頼というのも、ますます間違いないだろう。
「では、早速小姓を呼んで――」
そこまで言ってすぐに考え直す。
そのような男が狩ってきたというならば、この袋の中身もただの獣のモノではないはずだ。
あるいは、本当に魔法の力が宿っているのかもしれない。
「ああ、いやこれは俺が直に届けよう。
すまんが、後は頼む」
「おう、任せておけ」
革袋は直ちに衛士の手によってファラに預けられ、ナハマン王妃の元に渡った。
人払いがなされた部屋で、〈長腕〉のボノから届いたというその袋を受け取った王妃は酷く不気味な予感に襲われた。
確かにあの男に頼み事をしてはいる。
だが、それはあくまで人探しである。
このような届け物を頼んだ記憶はない。
「中身は? 何か聞いておるか?」
ナハマンの問いに、ファラは首を振った。
「いいえ、お妃様。
ただ、重要な品と伺っております」
王妃はゆっくりと袋を開く。
胸元の鏡を越しに中身を見た彼女はかろうじて悲鳴を飲み込んだ。
かわいい坊やは先ほどようやく寝付いたところだ。
今は起こしたくない。
出てきたのは、赤黒い臓物。
それはどう見ても心臓だった。
「なんじゃ、これは」
ファラが顔色一つ変えずに答えた。
「……おそらく、心臓かと」
「そんなことは分かっておる!」
嫌な予感がますます強くなる。
お妃は脳裏に浮かぶ最悪の予想から目をそらそうと虚勢を張った。
「ボ、ボノの奴め。いったい何のつもりじゃ!
嫌がらせかのう? まったく趣味の悪い――」
「お妃様。袋の奥にもう一つ何かの包みが……」
ファラの言う通りだった。
油布の包みがもう一つ、目立たぬように袋の底に隠されている。
再び心臓がバクバクと音を立て始める。
恐る恐る袋の奥に手を伸ばす。何か柔らかい感触が油布越しに伝わってきた。
開けてはならぬと、本能が警告する。
だが、確かめなくてはならない。確かめずにはおられない。
震える指でどうにかその包みを取り出し、開いた。
それは髪の毛であった。
絹のように柔らかく透き通った、銀色に輝く長い髪。
このような美しい髪の持ち主は、世界にただ一人――
今度こそお妃は悲鳴を上げた。
*
城中に響き渡ったその悲鳴により、城内はちょっとした騒ぎになった。
なにしろ、先だって王妹暗殺未遂事件が起きたばかりである。
寝床で休んでいた夜番の衛士たちも残らずたたき起こされ、総員警戒配置につけられた。
王妃の部屋には間髪入れずに衛士たちがなだれ込み安全を確認。
衛士長のオッターはお妃から事情――「袋に手を入れたところ、何か不気味なものに触れたため思わず声を上げてしまった」――を聞いて安堵したものの、これが陽動である可能性を考慮して警戒態勢を継続した。
非番になるはずだった衛士たちによる警邏隊が編成され、城内の人が潜めそうな場所はくまなく捜索された。
警戒態勢が解除されたのは、翌朝になってからだった。
その間、王妃のかわいい坊やは殺気立った男たちの気配に怯えて一向に泣き止まず、王妃は一睡もできなかった。
もっとも彼女の精神状態からして、坊やが寝付いたところで結果は変わらなかったろうが。
さて、そのような大騒ぎの中、城の人気のない窓から一羽の鳥が放たれた。
城の衛士たちはきわめて厳重な警戒態勢を敷いてはいたが、しかしその眼は外からの侵入者に向けられており、城から飛び去るただの鳥には何の注意も払われなかった。
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