第二十八話 白百合の姫、昔話を聞く
「さて、何から話したものかな。
おい、俺のことはどこまで聞いてる?」
「うーん、王子様で戦争の英雄だって話は聞いているわ。
あとは、ケィルフやイェルフと仲がいいってことぐらいかしら?」
「なるほど。まあ、王子とはいっても庶子なんだがな。
それならそこから話そうか」
イェラナイフはそう言いながら、私の寝床の枕元にどっかりと腰を下ろした。
「俺の生まれたいきさつについてはまあ、多くは語るまい。
端的に言えばあれだ、父上の一夜の過ちというやつだ。
母は俺を生んですぐに亡くなったと聞いている。
幸か不幸か、正室はいたものの父上は子宝に恵まれていなくてな。
これ幸いと、俺は王子として正式に認知されることになった。
世継が生まれてめでたしめでたしとなるはずだったんだ。
ところが俺が生まれてすぐ後のことだ。
これまた幸か不幸か、長らく子宝に恵まれなかった御正室様が奇跡的にご懐妊なされたのさ」
領主や王族の間ではよく聞く話だ。
なるほど、それは愉快な話にはなりっこない。
私の表情が曇ったのを見てか、イェラナイフが苦笑いを浮かべた。
「まあ落ち着け。別にそのせいで命を狙われたとか、虐められたとかそういう話じゃないんだ。
御正室様もよくできたお方でな。
俺という存在にはいろいろ思うところもあったろうが、それでも随分とかわいがってくださった。
少なくとも、幼少期の扱いで弟との差を感じたことはなかったな。
だが、大人に近づくに従いそうも言っていられなくなってくる。
片や王冠の正統な後継者。片や年上の庶子。
その上、自分で言うのもなんだが、俺は子供の頃からなかなか頭の出来が良かった。
父上に褒められるのが嬉しくて、ずいぶんと学問に打ち込んでいたのもある。
ところが弟のほうは学問があまり得意じゃなくてな。
こうなると厄介だ。取り扱いを誤れば余計な争いごとを生むことになる。
何かしらの対処が必要だった。
まず手始めに、父上は俺に彫刻を学ぶことを禁じた」
「え? なんで彫刻?」
思わず口を挟んでしまった。
後継者を明確にするために扱いを変えるのはよくあることだけれど、彫刻を禁じてどうしようというのか。
「少し説明が必要だったか。
俺たちの住む〈はがね山〉で最も尊敬されるのは美しいモノを作る職人なんだ。
だから、俺たちは一部の例外を除いて必ず何かモノを作る技能を子供の頃から身に着ける。
当然、王族もだ。
一流の職人であることが、民の尊敬を勝ちとる第一歩だからな。
王家は代々彫刻の技を学ぶのが習わしだった。
それを禁じることで、俺が後継者候補から外れたことを明確に示したんだ」
イェラナイフはなんでもないことのように淡々と語り続ける。
ふと、以前に見かけたヘタクソな彫刻のことが脳裏に浮かんだ。
彼が彫刻について語るとき、とても楽しそうな顔をすることも私は知っている。
多分、彼は子供の頃からずっと彫刻に憧れていたんじゃないだろうか?
「おかげで、友人にはあまり恵まれなかった。
親たちは父上の意向を過剰に読み取って、自分の子供をなるべく俺から遠ざけたんだ。
それでも、俺と親しくしてくれたのが、当時はまだ精霊憑きだと知られていなかったケィルフとそれからイェルフだ。
二人には本当に助けられたものさ」
「雨の日の友こそ真の友、ってわけね」
それを聞いて、イェラナイフはすこし表情を崩した。
「フムン、地上の民は中々面白い言い回しを使うな。
なるほど、雨の日の友、か。気に入った。
まあそれはともかく、だ。
〈はがね山〉では、男は皆戦士としての訓練を受けるんだ。
美しいモノを作る技術と、仲間を守る力。
その両方を身につけて、初めて俺たちは一人前の男とみなされる。
さっき、一部には例外があると言ったな?
その例外の一つが専業戦士だ。
その名が示す通り、戦いにのみ従事し、生産活動には一切参加しない。
政治活動からも距離を置くことが求められる。
それでも同胞を守るため真っ先に血を流すのが役割だから、一定の敬意が払われる。
そうしたわけで、俺のような訳アリの王族が送り込まれる定番の道の一つでもあったわけだ。
イェルフの誘いもあって、俺は専業戦士の道を選んだ。
仕方なしに選んだ道だったが、思いのほか適性があったらしくてな。
気のいい仲間にも恵まれて、小隊長なんぞに任命された。
最初のうちは楽しかったさ。
いくつもの勝利を重ね、より大きな部隊を預かる身の上になった。
厳しい戦いも乗り越えて、父上から公式の場でお褒めの言葉も賜ったこともあった。
そうこうしているうちに、いつの間にやら『常勝不敗の無敵将軍、〈間違い種〉のイェラナイフ』なんぞと呼ばれるようになっていた」
「なに、その〈間違い種〉って」
私が前から気になっていたことを尋ねると、イェラナイフが顔をしかめた。
「先に言った通り、弟は学問の出来があまり良くなくてな。
ああ、勘違いするなよ?
弟は間違いなく立派な王になる。人徳ってやつがあるんだ。
そして、適切な相手を選んで頼ることができる。
あれは間違いなくあいつの才能だ。だが、そういう能力は他人には見えづらい。
弟のことをよく知らない連中にとっては、あいつは頼りなく見えたんだろう。
そこへきて専業戦士となった俺が連戦連勝の大活躍だ。
口さがない連中が『国王陛下は、出来のいい方の種を間違った畑にまいてしまわれた』なんて言い始めてな。
それでついた二つ名が〈間違い種〉ってわけだ」
「下品ね」
「返す言葉もない。
まあ、ある意味父上が危惧していた通りになったわけだ。
俺が手柄を上げるたびに、弟は俺と比較され、貶される。
元々は兄弟仲も悪くなかったが、気まずさからどんどん疎遠になっていった。
父上もあまり俺の手柄を誉めてはくださらなくなった。
薄情ってわけじゃない。誉めるわけにはいかなくなってきたんだ。
真面目に義務を果たせば果たすほど、家族との仲は冷え込んでいく。
かといって俺が手を抜けば仲間が死に、国が危険に晒される。
出て行こうにも、出ていく先もない。八方ふさがりだ」
イェラナイフはそこで言葉を区切ると、大きなため息を一つついた。
それから、絞り出すような声で話を続けた。
「俺は、本当は彫刻家になりたかったんだ。
父上は、王であると同時に一流の彫刻家でもあった。
時折、父上は政務の合間を縫って俺たち兄弟のために石の人形を彫ってくれた。
何の変哲もない石くれに、父上が見る見るうちに命を吹き込んでいくんだ。
それを見るのが大好きだった。
ずっと、あんな風になりたいと思っていた。
だが、無邪気な子供時代は疾うに終わってしまった。
今更彫刻の技能なんぞ身に着けようとすれば、もはや反乱の準備をするのと変わらん。
あまりにも息苦しい。どうにかして逃げ出せないかと考えていたある日のことだ。
我々の要塞、つまり〈はがね山〉が地龍の襲撃を受けた」
俯いてぼそぼそと喋っていたイェラナイフがふいに顔を上げた。
その眼が、スッカリ勢いが弱まっていた焚火の光を反射してギラリと光った。
声に力が宿る。
「奴はあまりに強かった。
地龍接近の知らせを受けて迎撃に向かった専業戦士団は、緒戦で壊滅的打撃を受けた。
団長以下、歴戦の勇士たちはほとんどが戦死。
都市外郭の投射兵器群による攻撃も効かず、防衛線は次々と突破された。
霊気結晶を前にしての最後の反撃では、俺が作戦を立てた。
一般兵士を囮にして、生き残りの専業戦士を奴の目前に送り込む計画だ。
父上は囮となる一般兵士の士気を上げるため、自らその先頭にお立ちになった。
立派な最期だった」
彼の声が、再び力を失った。
「〈はがね山〉の霊気結晶を諦めた地龍は、東へ向かった。
だが、〈はがね山〉より東には既知の霊気結晶は存在しない。
あるとすれば、我らの祖先が住んでいたという伝説の古代都市だけだ。
方位盤の微かな反応が、確かにその都市の存在を示唆してはいる。
そこまで考えて、俺はふとひらめいた。
もしそんなところが実在するのなら、その古代都市を復興させるのはどうだろう?
〈山〉を出て、そこの領主として自由に生きるのだ。
父上ももういない。
今までずいぶんと手柄を立ててきた。義務は十分に果たしたはずだ。
ここではないどこかに逃げ出したところで、もはや誰にも文句は言われまい。
父上の仇討ちに、その褒美。名目としても十分だ。
俺は早速、即位したばかりの弟にこの話を持ち掛けた。
あいつとしても、悪い話じゃないはずだった。
手柄を挙げすぎた庶子の兄貴なんぞ、新王にとっては目の上の瘤にしかならんだろうからな。
ところが、あのお人好しはそうは考えなかったらしい。
簡単に承諾するどころか、随分と強く反対されたよ。
しまいには『どうかここに残って支えて欲しい』と泣いて縋り付かれた。
心が揺らいだが、それでも俺は自分の意志を押し通した。
もうこれ以上、息苦しい日々が続くことに耐えられなかったんだ。
あれほど長く話し合ったのは、成人して以降は初めてだったな。
互いに本音を全部ぶちまけあって、最後にはどうにか弟を説き伏せることに成功した。
ケィルフを連れ出せたのもあいつの協力のおかげだ。
あとはまあ、お前も知っての通りだ。
仲間を集め、地龍を追い、先回りし、ついに父祖の地にたどり着いた。
あと一歩だ。奴を倒しさえすれば……。
故郷から遠く離れたこの地で、俺は新しい人生を歩むことができるんだ」
彼の口が止まった。話はこれで終わりらしかった。
ただ、あと一歩で望みが叶うという割に、その表情に影が差しているのが気にかかった。
「……ねえ、後悔してるの?」
「なにがだ」
「弟さんを、おいて出てきたこと」
イェラナイフは私から目をそらし、焚火に目を向けた。
「後悔が全くないと言えば嘘になるな。
本当にこれでよかったのかと、旅に出てから何度も考えた。
あのまま〈山〉に残って、弟を助けてやるべきだったんじゃなかったか、ってな。
だが、俺たちが良くても、俺たちを取り巻く環境がそれを許さなかった。
かろうじて危機を乗り越えたとはいえ、〈はがね山〉には様々な困難が待ち受けているだろう。
弟は、これから難しい決断をいくつも迫られる。
どれを選んでも誰かに恨まれる、誰もが王に不満を抱くようになる、そんな決断だ。
そんな時に、『王に代わりうる男』なんてのは存在するだけで危険だった。
言い訳めいた話になるが、本当に、どうにもならなかったんだ。
それでも、俺はただ逃げ出しただけなんじゃないかと考えてしまう」
彼は、再びこちらに視線を戻し、まっすぐに私を見据えた。
「なあ、リリー。
お前さんが一人でホルニア軍と戦おうとしたとき、
俺にどうして手助けしてくれるのかと聞いたな?」
「そんなこともあったわね」
「あの時は利害が一致するからだと答えたが、本当は違う。
家族のために、まっすぐに命を懸けるお前の姿が、俺にはとても眩しく映った。
お前さんを助けることで、手放してしまったものを取り戻せるような気がしたんだ。
まあ、そんなものは幻想にすぎんのだが」
彼はまた目を伏せて私から視線を外してしまった。
「……つまらん話を聞かせてしまったな。
だが、少し気が楽になったような気がするよ。
ありがとう」
目をそらしたのは、気まずさよりも照れによるものだったらしい。
「貴方がお礼を言ったんじゃあべこべじゃない。
私が話してって頼んだのに」
私がそう言うと、彼は「それもそうだな」と言って苦笑いを浮かべた。
その顔は、さっきよりは少しばかり晴れやかだった。
「さあ、いい加減寝るべきだろう。
どうだ、眠れそうか?」
「まあ、どうにか」
私の方も、ちょっとだけ気持ちが落ち着いていた。
「それじゃあ、お休み。
明日はよろしく頼むぞ」
「こちらこそ。おやすみなさい」
彼が寝床に戻るのを見送ってから、私は目を瞑った。
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