第二十九話 決戦Ⅰ

 ズシンという衝撃音で目が覚めた。


 最初の衝撃に引き続き、地面が小刻みに揺れ続けている。

 目を覚ましたのは私だけではなかった。

 他の仲間たちもみんな寝床から半身を起こして、あちこちを見回している。


「どうやら、奴が外郭坑道群に達したらしいな」


 イェラナイフが枕元に置いていた方位盤を覗き込みながら皆に告げた。


「なに、その外郭……なんたらって」


「そのまんまだ。

 資源採掘のため、地下都市の周縁に掘り巡らされた坑道だ。

 岩盤がスカスカになっているから、そこに奴が頭を突っ込んでくると落盤が起きるってわけだ。

 〈はがね山〉でも同じことが起きた」


 なるほど。


「さて、まだ距離はあるようだから、奴が頭を出す前にもう一寝することもできそうだが――」


 ガガガガ、と遺跡全体がまた小刻みに揺れた。

 天井からパラパラと何かの破片が落ちてきて床に散らばる。

 イェラナイフは諦めるように頭を振った。


「まあ、これじゃあ寝直すのは無理だな」


 拠点にする建物を選ぶにあたっては、なるべく崩れる危険の少ないものを選んではいたけれど、やはり所詮は廃墟に過ぎない。

 こんな風にガタガタと揺さぶられれば、どうしたって不安になる。


「おい、リリー。昨晩は遅かったみたいだが体調はどうだ?」


 実際のところ、私はどれぐらい眠れたのだろうか?

 私はイェンコのように腹具合で時間を計ることはできない。


「ひとまず、眠気は感じないわ」


 よく眠れた、というよりは衝撃で眠気を吹き飛ばされたせいだろうけど。


「それは何より。

 それじゃあ、食事の準備といこうか。

 時間もあることだし豪勢にやろう。

 イェンコ、頼めるか?」


「はいよ」


「皆も手伝え。

 イェンコの指示に従うように。

 ネウラフとディケルフは俺についてこい。

 罠と大弩の最終点検を行う」


「はい!」


「さあ、行動開始だ!」


 イェラナイフの号令一下、皆はモゾモゾと寝床から這い出てそれぞれの支度を始めた。



 戦いを前に敵を待ち受けるひと時は、私にとって最も苦痛な時間の一つだ。

 何しろ、考える余裕がある。

 どうしたって、これから起こるであろう様々な不幸について思いを馳せてしまう。


 これが行軍中だったなら、歩くことで気を紛らわせられる。

 戦闘中に至っては考える余裕すらない。

 だけど待機中は違う。

 いつ戦いが始まるか分からない以上、他のことに意識を向けるわけにもいかず、不安を押し殺しながら、まもなく現れるであろう敵に意識を集中することをひたすら強いられる。


 いつもの戦、慣れ親しんだ森の中で、人間の兵隊を待ち受けている時ですらそうなのだ。

 まして今回は未知の強敵。これまでの経験も私に自信を与えてはくれない。


 私たちは、溝状の落とし穴を見下ろす建物の屋上、両側にそれぞれ三基ずつの大弩を設置し、敵を待ち構えていた。

 溝からは触手が届かぬよう十分距離をとっており、その間の建物はすっかり撤去されて射撃を遮るものはない。

 こちら側の建物には、先頭側からイェルフ、イェラナイフ、最後にディケルフ。

 反対側には同じく、イェンコ、ネウラフ、ドケナフがそれぞれ配置についている。


 私とケィルフはイェラナイフの後ろで出番待ちだ。


 大小の揺れは今も断続的に続いている。

 食事の準備をしている間はまだ気が紛れたけれど、その食事も終わり、配置についてしまうともうどうにもならない。

 足元が揺れ、頭上から落ちてくる何かの破片がパラパラと音を立てるたびに、敵の巨大さ、強さを連想してしまう。

 昨夜の不安が、蛇のようにゆらりと鎌首をもたげてくる。

 嫌な感じのする動悸がずっと治まらず、落ち着かない。


 森の中では、敵にも味方にもべろべろに酔っぱらっている兵士をよく見かけた。

 たいていの場合、そういう兵士はすぐ死ぬ。当然だ。

 当時はなんでお酒なんか飲むのかわからなかったけれど、それは森の中では私が強者だったからにすぎないのだろう。

 今なら彼らの気持ちがわかる。分かってしまう。


 一緒にいるケィルフも落ち着かないらしく、地面が揺れるたびに立ったり座ったりを繰り返している。

 左隣の大弩についているディケルフはじっと落とし穴に視線を注いでいる。

 多分、揺れた拍子に落とし穴の覆いが崩れやしないかと気が気じゃないのだろう。

 イェラナイフは表面上どっしりと構えているが、それでもチラチラと方位盤に視線を落としていた。

 反対側にいる仲間たちも、大弩に施された偽装――と言ってもただの衝立だ――のおかげで様子は見えないけれどたぶん似たような感じに違いない。


 右隣にいるイェルフに目をやると、彼は腰の革袋をはずし、震える手で口に押し当てようとしていた。 

 私は大急ぎで彼のもとに駆け寄ると、その手から革袋をひったくって中身を自分の口に流し込んだ。


「なによこれ、水じゃない」


「そうだよ。なんだと思ったんだ」


 彼はニヤニヤしながら私の手から革袋を奪い返すと、残りをごくごくと美味しそうに飲み干した。


「酒だと思ってたんなら残念だったな。

 だが飲まん方がいい。後悔するぞ」


「……わかってるわよ」


 彼は空になった革袋を再び腰の吊り帯に引っかけようとしたが仕損じた。

 よく見れば、彼の手は今まで見たこともないぐらい大きく震えている。

 彼は革袋をひっかけようと何度か繰り返した後、とうとうあきらめて袋を足元に放り出した。


「貴方こそ、そんなんで大丈夫なの?」


「これはいつものやつとは違う。武者震いってやつだ。

 敵が来れば治まるさ」


「本当かしら?」


「そんなに不安そうな顔をするな。

 大丈夫、嬢ちゃんが奴を抑えてくれさえすれば、必ず仕留めて見せる」


 彼の相変わらず手はブルブルと震えているが、浮かべて見せた笑顔は歴戦の戦士のそれだった。


「おーい!」


 イェラナイフが方位盤から顔を上げてこちらに声をかけてきた。


「そろそろ来るぞ。配置に――」


 激しい破裂音がイェラナイフの声を遮る。

 続いて、今までとは比べ物にならない激しい揺れ。


「皆さん! 来ましたよ!」


 ディケルフが指さした先、遺跡の外縁に巨大な亀裂が走る。

 壁がバリバリという連続的な破裂音を放ちながらひび割れ、微かに盛り上がる。

 直後、雷に似た轟音が鳴り響き、ついに崩壊した。 

 激しく舞い上がった土煙が邪魔をして地龍とやらの姿はまだ見えない。


「ディケルフ! 何か見えるか?」


「いいえ、隊長。まだ何も――あ! 光点、六!」


 土煙の向こうに、何か光るものがうっすらと見えた。

 左右に三つずつ、列をなしている。


「やはり目玉は再生していたか。

 おい、水はどうだ? 水は噴き出してないだろうな?」


「今のところはなんとも。

 奴の胴体が穴から抜けないことには……」


 水がどうしたというんだろう?

 私が不思議に思う間もなく、薄まった土埃の向こうから地龍がぬらりと姿を現す。

 その姿はまるで鱗のない蛇、いや、蚯蚓みみずといったほうがより近いだろうか。


「リリー! 姿を晒すな!

 こっちにこい!」


 イェラナイフに呼ばれて、私は慌てて大弩を隠している衝立の陰に引っ込んだ。

 さほど賢くないとは聞いているけれど、警戒されずに済むならそれに越したことはない。


 衝立に開けられた覗き穴からそっと様子を窺う。

 地龍は全身を伸び縮みさせながら、霊気結晶に向かって一直線に進んでくる。

 だけどその動きはひどく緩慢で、そのことがかえって待ち受ける私の苦痛を倍加させる。

 穴から抜け出た地龍は、全身から粘度の高い液体を分泌して、体に積もった土埃をどろりと洗い流した。

 それを見たイェラナイフが小声で教えてくれた。


「あの液体には気をつけろ。

 奴はあれで岩を溶かしながら地中を進むんだ。

 生身で触れれば酷いことになる」


 私はそれに黙って頷き返した。

 土埃の下から、青白く、ぶよぶよとした表面がのぞいた。

 半透明の疣の様なものが無数に浮いていて、生理的な嫌悪感を否応なく催させる。

 頭部に三つずつ、規則正しく並んだ眼は不気味なまでに人間的だった。


 振動と破壊音がやみ、すっかり静まり返った遺跡の中を地龍がズルズルと這い進んでいく。

 まもなく地龍が落とし穴に差し掛かるところで、イェラナイフがケィルフを振り返り小声で呟いた。


「気合い入れろよ」


 これは、落とし穴の蓋をケィルフの石人形が支えているためだ。


「あい」


「リリーも」


「任せて」


 答えた声が、少し上ずってしまった。

 そういえば、イェルフはどうなのかしら?

 そう思ってちらりと横に視線を送ると、遠目に見る限り彼の震えはすっかり治まっているようだった。

 それどころか、さっきよりもずっと落ち着いているようにすら見える。

 あれならばもう大丈夫だろう。

 あとは、私次第ということだ。


 地龍がゆっくりと落とし穴の上に進む。

 蓋がかすかにたわんだように見えたが、破壊には至らない。

 ケィルフは地龍の体重を支え切っている。


 そこからの時間はまるで永遠のように感じられた。

 地龍の動きは酷く緩慢で、止まっているようにすら思える。

 それでも、「その時」は刻一刻と近づいて来る。

 ついに全身が落とし穴の上に上がる。

 イェラナイフが大きく息を吸い込んだ。


「やれ!」


 ケィルフが蓋を支えていた石人形たちの制御を解いた。

 間髪入れず私は溝の両脇に並べたツタのを伸ばす。

 いずれもいつもの鉢植えから株分けしたツタたちだ。

 長年私の魔力に馴染んだ彼らは、根っこであっても自在に操ることができる。

 大弩の射点から眼を隠さぬよう注意を払いつつ、対岸まで伸ばして根を張らせた。

 隅々にまで魔力を行きわたらせた根は、岩だろうが何だろうが易々と食い込んでいく。

 それから網のように広げた根をぐっと縮めて地龍を拘束。

 私のツタから逃れようと激しくもがく地龍を、全力で魔力を注ぎ込んだ根で締め上げる。

 ついにその動きを完全に抑え込むことに成功。力比べは私の勝ちだ。


 しかしほっとしたのもつかの間、半透明の疣がうっすらと光り始めた。


「触手が出るぞ! 切り裂きに備えろ!」


 イェラナイフが大弩の狙いをつけながら警告の声を上げた。

 それと同時に疣から何条もの光が立ち上がり、すぐにグネグネと動き始めた。

 私は魔力の流れをさらに大きく『ひらい』て攻撃に備える。


 光の触手が、本体を拘束するツタの根を攻撃し始めた。

 太さを増し、強度を上げた私の根は、両断こそ免れたもののそこかしこで傷をつけられ、魔力が漏れ出していく。

 私は魔力の流量を増やし、傷ついた個所を修復する。

 ついでに表面に這わせた根の先端を鋭くとがらせ、内部への浸蝕を試みる。

 あいつがこちらのツタを傷つけられるなら、こっちだってあのブヨブヨの皮膚ぐらい食い破れるはずだ。

 当然敵も無抵抗にやられたりはしない。

 こちらと同様、魔力で表面を硬化。

 さらに岩をも溶かすという体液を分泌して私のツタを溶かしにかかってくる。

 こちらはすぐに修復で手いっぱいになった。

 触手による攻撃も続いている。

 視界の隅に、見えるはずのない歪んだ女たちがチラチラと映る。

 視界の端は認識が行き届かないがゆえに現実と幻想の境界が薄い。

 もう長くはもたない。


「イェラナイフ! まだなの!?」


 思いの外悲鳴じみた声が出てしまった。


「あと少しだ。もう少しだけ耐えてくれ」


 そう言ってイェラナイフは対岸の大弩を睨みつけた。

 それぞれの大弩の脇に据え付けられた魔法のランタンの三つの内、二つがすでに点灯している。

 あの灯りは照準が完了したという合図だ。

 こちら側にいる二人は既に狙いをつけ終わったと口頭で報告してきている。

 つまり、あと一人だ。

 鼓動にして僅か数拍。永遠にも思える時間の後、ついに最後の明かりが点灯した。


「撃て!」


 イェラナイフが足元のペダルを踏み込みながら叫んだ。

 彼の隣にあったランタンが点灯し、対岸の仲間にも発射の合図が送られる。


 六基の大弩が、地龍目掛けて一斉に必殺の太矢を放った。


 ネウラフが丹念に調整したそれは、狙い過たずまっすぐに地龍の眼に吸い込まれていく。


 そして――


  ぐしゃ。あっけなく。


 霊鋼製の鏃はその眼を守る薄膜を易々と貫通し、刺し貫いた。

 少なくとも、こちら側の眼は全て潰れた。

 反対側は……イェンコたちが偽装の影から飛び出して大喜びしている。

 あの分なら、あちら側も全弾命中したのだろう。


 拘束を解こうとする地龍の抵抗はまだ続いている。

 が、その力が急速に弱まっていくのが感じられた。

 おそらく、彼女・・もあの眼を通じて霊気結晶から力を受取っていたのだろう。


 ん?

 ――彼女・・


 なぜ私はあいつを女だと思ったのだろうか?

 まあいいか。今となっては些細な問題だ。


 もう戦いは終わりだ。

 むやみに霊気結晶に心を『ひらい』ておくべきではない。

 私が魔力の出力を下げようとしたとの時、右手から声がかかった。


「待て、嬢ちゃん。

 嫌な予感がする」


 イェルフが槍を握りしめているのが目に入った。

 視界の端で、歪んだ女たちが楽し気に舞い始める。

 ぎょっとしてそちらに目を向けると、もう女たちはいなかった。

 当然だ。あれは幻覚に過ぎない。

 が、私が地龍から目を離したその直後、爆発的な閃光が遺跡全体を照らし出した。


 同時に、弱まりかけていた地龍の抵抗が再び活発化し始める。


「な、なにこれ!

 何が起きたの!?」


 イェラナイフが屋上から身を乗り出して、地龍を指す。


「目玉だ! クソ!

 もう一つあったんだ!」


 イェラナイフが指さす先、地龍の頭部の真ん中がぱっくりと裂け、その裂け目の奥から、ひときわ巨大な眼玉が辺りをギョロギョロと睨めまわしていた。

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