第二十四話 白百合の姫、古代の遺跡に入る

 門は至ってシンプルなつくりをしていた。


 まずは真っ黒な円柱が二本。その上にこれまた真っ黒な四角いまぐさ石が渡されている。

 そして、それらに囲まれた中には大きな一枚板の門扉がきっちりと隙間なく嵌っていた

 いずれも光沢のある石のような素材でできているように見える。


 装飾らしいものといえば、まぐさ石の上の彫像だけ。

 顔だけが醜く歪んだ、三体の踊る裸婦像だ。

 その三者三様に奇妙に捩れた相貌は、怒っているようにも、泣いているようにも、あるいは笑っているようにすら見えた。

 体つきはとても美しく均整がとれているだけに、なおのことその不気味さが際立っている。


 その彫像を見たイェラナイフが何か口を開きかけたが、イェルフが後ろから肩に手を置いて首を振って見せた。

 それで彼はどうにか役目のことを思い出したらしく、気まずげに口を閉じる。

 それから深呼吸を一つ。表情を引き締めなおして門へと向かい、のっぺりとした門扉を軽く押した。


「……重いな」


 イェラナイフは一言そう呟くと、今度は体重をかけてグイと押した。

 しかし黒い門はピクリともしない。


「こりゃ無理だ。おい、みんな手伝ってくれ」


「おうとも」


 見守っていた皆が、ぞろぞろと前に出てきて一緒に門扉に手を突いた。

 私とケィルフはパカパカ達と一緒にそれを見守る。


「さあいくぞ! そおれ!」


 イェラナイフの掛け声に合わせて皆で一斉に押し始めると、一枚板に見えた扉にスッと線が入り、ゆっくりと音もなく開き始めた。

 少しずつ広がっていくその隙間から一条の青白い光が差し込み、そしてあふれ出す。


 扉が開いたその先には、巨大な地下空洞が広がっていた。


 底の深いお皿の様な、広い広い円形の空間に、大きな街が丸ごと一つ収まっている。

 いったいどれだけの年月を費やせばこれだけの空間を掘りぬけるのだろうか?


 そしてその中心には『塔』と表現しても差し支えない巨大な台座の上に強い光を放つ球体が据えられていた。

 あれが霊気結晶なのだろうか?

 確かに尋常ではない、強い魔力を感じる。


「なんつう大きさだ……!」


 私の背後でネウラフが感嘆の声を漏らした。

 珍しいことだ。この男が自分から言葉を発するなんて、滅多にあることじゃない。

 よほどの驚きだったのだろう。


「やれやれ、反射板が脱落しちまってるな」


 と、こちらはイェラナイフ。

 彼の説明によれば、この球体は反射板とやらで覆われているのが本来の姿であるらしい。

 だけど、今は鳥かごの様な縦に間延びした球形の枠が残るのみ。

 球体が放つ光は、何物にも遮られることなく廃墟と化した古代都市を照らしていた。


「おい、リリー。光が強いが問題はないか?」


「え、ええ。大丈夫」


 これだけ強い輝きを放っているというのに、この光からは不思議と熱を感じなかった。

 たぶん、この光は太陽よりも、月のそれに近いものなのだ。

 いや、むしろ月の光そのものなのかもしれない。


「それならいい。異常を感じたらすぐに言ってくれ」


「ええ、分かったわ」


 私は生返事で目の前に広がる光景に見入っていた。

 千年の眠りからかえった古代都市は、とても美しかった。

 都市はその球体を中心に放射状に広がっているようだった。

 中でも都市の出入り口から光体に向かってまっすぐ伸びるこの通りは大昔のメインストリートだったらしい。

 道の両脇に並び立つ建物は他よりも一回り以上は大きく、通りそのものも幅がずっと広い。

 これほどの都市だ。まだ人々が住んでいた頃にはさぞかし賑わっていたのだろう。

 けれど、人影一つ見られなくなった今となっては、それがかえって侘びしさを感じさせた。


「隊長! 隊長!」


 突然何かを思い出したかのようにドケナフが叫んだ。


「なんだ、ドケナフ」


「こ、光曝炉! 光曝炉を見てきていいか!?」


 ドケナフはひどく興奮した様子だ。目は爛々と輝き、鼻息も荒い。

 その上、今にも飛び出さん勢いで足踏みを続けている。


「おお、よろしく頼む。だが崩落には十分――」


 皆まで聞かないうちにドケナフは駆け出して行った。

 イェラナイフはため息を一つつくと、隣にいたイェルフに声をかけた。


「すっかり周りが見えなくなっちまってる。

 悪いがついてやっててくれ」


「おうよ」


 イェルフはやれやれといった様子で、ドケナフの後を小走りに追いかけて行った。

 彼は光曝炉、と言っていたかしら?

 いったい何のことだろう?

 多分、あの光の玉と関係があるとは思うのだけど。


「ねえ――」


 私が光曝炉とはなにかと訊ねようとしたその時。

 視界の隅を何か小さな人影の様なものが横切った。

 ハッとしてそちらに振り向いたものの、そこにはもちろん何もいはしない。

 当然だ。

 ここに至る通路はずっと埋まっていたのだ。

 人影なんてあるはずがない。


「リリー、どうした」


「いま、そこに何かがいたような気がして」


 イェラナイフは私が差した方向にじっと目を凝らした。


「今は何もいないな。

 大きさは?」


「多分、人間の子供ぐらい……」


「ふむ」


 イェラナイフは顎に手を当てて少しだけ考え事をした後、再び口を開いた。


「ドケナフにイェルフをつけたのは正解だったかもしれんな。

 正直なところ、我々の祖先がどうしてここを放棄したのかはよくわからんのだ。

 あるいは、その原因となったモノが今でもこの都市に潜んでいないとも限らん。

 皆、よくよく警戒するように」


 残されていたイェンコたちの表情がスッと引き締まった。


「ひとまず、ドケナフたちを追うとしようか。

 どのみちキャンプ地は遺跡の中心付近に構えるつもりだったしな。

 さあ行こう」


 イェラナイフを先頭に私たち一行はぞろぞろと歩き出した。

 遺跡のメインストリートは、球体に明るく照らされてまるで昼間のようだった。

 その上天井も高いので、地下にいるというのにまるで閉塞感を感じない。


 ケィルフが、前を行くイェラナイフにまとわりつくようにはしゃいでいる。

 遺跡の発見でテンションが上がっている、というだけではないだろう。

 なにしろ、彼はここ数日のところ魔法の使い過ぎでずっとぐったりとした様子だったのだ。

 

 どうやら、あの球体が放つ光が月明かりに近いという推測は間違っていなかったらしい。


 せっかくだから、私も魔力を補充してみようかしら?

 大したことをするわけじゃない。

 月夜に散歩をする時と同じだ。

 月を見上げながら、歩くことだけに集中する。

 嫌なことを心から追い出して、心を空っぽにするのだ。

 今ここにある自分自身だけに意識を――


 ふいに、足元を子供の影が駆け抜けていった。

 足を止めて左右を見回したが、もちろん誰もいない。

 ケィルフかしらと思ったが、彼は前の方にいて相変わらずイェラナイフにまとわりついている。

 何より異常なのは、私以外の仲間たちが誰も何の反応も示していないということだ。

 先ほどの一件以降、全員が武器を手にして警戒しながら進んでいるのだ。

 前を行くイェラナイフはともかく、後ろに続くネウラフやイェンコたちが気付かないはずがない。


 幻でも見たのだろうか?

 私は意識をはっきりさせるために深呼吸を一つ。

 それから、視線をまっすぐ前方に向ける。


 いた。


 小さな影が一つ、物陰からこちらの様子をうかがっている。


「ねえ――」


 警告の声あげようとして、のどに引っかかって止まった。

 仲間たちが一人もいなくなっていた。


 人っ子一人いないと思っていた通りに、大勢のぼんやりとした人影がたむろしている。

 いつの間に。

 私がうろたえている間に、朧気だったその輪郭が少しずつはっきりしていく。

 半透明だった薄い存在感が、あっという間に実体を持ち、色づいてゆく。


 突如、街が蘇った。

 大勢の楽しげな人々。

 あちこちで談笑に花を咲かす声。

 丁々発止の商談を繰り広げる商人たち。

 すっかり色あせていた建物も往時の鮮やかさをすっかり取り戻していた。

 どこからか肉の焼ける美味しそうな匂いまで漂ってくる。


 男の子が駆けてきて、私の目の前で転んだ。

 引き起こしてあげようと手を伸ばすが無反応。

 もう一人、女の子が私の脇を駆け抜けていく。

 それを見て男の子は立ち上がり、再び駆けだした。

 実体があるようにしか見えなかったその体が、影のように私の体をすり抜けていく。


 球体はどうなっているのだろうか?

 視線をそちらに向けると、球体は何事もなかったかのように輝き続けていた。

 違う。

 あの鳥籠のような枠の残骸が消えている。

 台座の前には大きな祭壇がしつらえられ、その下には大勢の人が集まり、跪いていた。

 祭壇の上には三人の女が手足を奇妙にくねらせながら舞っている。

 今はこちらに背を向けているから、その顔は見えない。

 だけど、私は確信していた。女たちの顔はきっと大きく歪められているに違いない。

 左端で舞っていた女が、左足を大きく引いた。

 おそらく、体を回転させるための予備動作だ。

 予想通り女は両手を広げながら滑らかに体をこちらに向けた。

 顔が歪んでいる。仮面ではなく、生身の顔が。

 眼鼻の位置はバラバラで、口は複雑にねじ曲がっている。

 いったい何をどうしたらこんなことになるんだろう?

 女の刳り貫かれた、真っ黒な眼窩が私を捉えた。認識されている。

 かなりの距離があるはずなのに、私にはそれがはっきりと分かった。

 歪んだ顔が蠢き、何かの表情を浮かべた。

 それは泣いているようにも、怒っているようにも、あるいは笑っているようにも見えて――


 ふいに視界が暗転し、何も見えなくなった。

 あの女に何かされたのだろうか?


 いつの間にか両腕が拘束されている。

 ズルズルと引きずられるような感覚。

 何が起きている? 分からない。恐怖で声すら出せなくなっている。


「リリー! リリー!

 大丈夫か! 返事をしろ!」


 どこからか頼もしい仲間の声が聞こえた。


「イェラナイフ!?

 た、助けて! いきなり何も見えなくなって――」


「大丈夫だ、リリー。

 大丈夫、大丈夫だ……」


 思っていたよりも近くから声が聞こえる。

 誰かの手が私の肩に触れている。多分イェラナイフだ。


「よし、意識は戻ったな?

 まずは落ち着け。息を大きく吸い込むんだ」

 

 言われた通りに息を吸い込み、それからゆっくりと吐く。

 少しだけ気持ちが落ち着いてきた。


「た、大変よ。何も見えないの。

 突然目の前が真っ暗になって――」


「大丈夫。遮光布を被せただけだ。

 めくれば視界は戻る。ほら、どうだ」


 遮光布とやらが少しだけめくられたらしく、お腹のほうから微かに光が差した。


「あ、見えた」


「いいぞ、もう一度深呼吸だ」


 イェラナイフに促されて、もう一度。

 大きく息を吸って、吐く。

 ようやく本当の意味で気持ちが落ち着いてきた。


「あ、ありがとう。

 私どうかしてたみたい」


「ふむ、落ち着いてきたようだな。

 何が起きていた?」


「た、多分幻覚が……大勢の人がいて……とても賑やかで……、

 それから祭壇にはもっと大勢の人が……」


 そこで、私の口は動かなくなった。

 女たちのことをしゃべろうとした途端だ。

 ひどく嫌な予感がする。彼女たちのことは決して口にしてはならない。

 そんな気がした。


「いい、いい。

 今はしゃべるな。特に幻覚についてはな。

 そのように言い伝えられている」


「どういうこと?

 何か知っているの?」


「いいや、我々も詳しい事は知らない。

 ただ、精霊憑きが急激に強い霊気を取り込むと、まれに幻覚を見ることがあるんだ。

 そこで見たものについては、話してもいけないし訊ねてもいけないと言われている」


 どうやら、さっきのあれは時々起きる事故のようなものだったらしい。 


「十分に落ち着いたか?

 これから少しずつ遮光布をめくる。異常を感じたらすぐに言え」


 下のほうからゆっくりと光が入り込み、やがて視界が開けた。

 先ほどまでと比べるとずいぶん暗い。

 どうやら、建物の中にいるらしい。

 仰向けに寝転がる私を仲間たちが取り囲み、心配そうにのぞき込んでいる。


「どうだ?」


「今は大丈夫……貴方たちが幻覚じゃなければ、だけど」


「触ってみろ」


 手を伸ばして、イェラナイフの顔に触れてみる。

 髭がゴワゴワしている。

 その向こう側に少し湿った、血の通った暖かな感触。


「生きてるって感じがするわね」


「それは何より。立てるか?」


「ええ、多分大丈夫」


 手をついて、よいしょと立ち上がる。

 体調には特に異常なし。

 そんな私の様子を見てようやく仲間たちは安心したらしかった。

 心なしか周りの空気が少し和んだような気がする。


 イェンコが表情を緩めながら言う。


「やれやれ、お嬢さんが光り始めた時はいったいどうしようかと思ったよ」


 え? 待って?

 私、そんなことになってたの!?

 イェラナイフが、さっきまで私にかぶせていた布を差し出してきた。


「とりあえずこれを被っておけ。

 銀糸を織り込んだ特別な布だ。

 これならば結晶が放つ霊気のほとんどを遮ることができる」


 こんなものまで用意してずいぶんと準備がいいじゃない、とそこまで考えてハタと気付く。

 これは本来、ケィルフのために用意された物だろう。

 私が使ってしまっていいんだろうか?


「ケィルフは大丈夫なの?」


「ああ、あいつは慣れているからな。

 これも、万が一の用心に持ってきただけだ。

 まさか役に立つとは思わなかった」


 聞けば、ちょっとしたコツを身に着けさえすれば何の問題もないのだという。

 それどころかケィルフは本国にいた頃から、日常的に霊気結晶を使って魔力を補充していたらしい。

 なるほど。


「ねえ、ケィルフ。

 コツって何? どうすればいいの?」


 早速先輩に訊ねてみた。


「こころ、とじたり ひらいたりする。

 とじてれば あんぜん。

 ひらけば れいきはいってくる」


 なるほど。全然わからない。


「ひとまず中心までいこうか。

 台座の基部には反射板が脱落せずに残っているから、そこのほうが安全だろう。

 行けそうか?」


「ええ、多分。

 でも、私が光り始めないよう、よく見張っておいてね」


「ああ、任せておけ」


 イェラナイフが請け負ってくれたなら多分大丈夫だろう。

 それでも少し不安な気持ちが残っているのを見透かしたのか、ケィルフ先輩が私にアドバイスをくれた。


「とりあえず、けっしょう。

 ちょくせつみちゃだめ。みなければだいじょうぶ」


 本当かしら?

 でもまあ、仲間を信じるとしましょうか。

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