第二十三話 白百合の姫、誤解を解く
広間ではドワーフたちの宴会が続いている。
空になった樽は既に四樽を超え、前回の宴会の記録を大きく超える見通しだ。
なにしろ、今回は村で補給をした直後なので酒も食料もたっぷりある。
彼らの気持ちにも余裕があるのだろう。
ドワーフならぬ私はさすがに彼らのペースにはついていけず、宴会場を抜け出して滝の前で涼んでいた。
適切な酒量を見極めるのも淑女の嗜みだと前回の宴で学んだのだ。
月は高く上り、滝が飛び散らせた水しぶきが靄となって銀色に光っている。
轟々と鳴り続ける単調な水音が耳に心地よい。
ごろりと仰向けになって、月を見上げた。
先日、樹の上から同じように一人で月を見上げた時にはひどく孤独に感じたものだけど、今日は不思議とそれを感じない。
なぜだろう?
そんなことを考えていたら、イェラナイフが洞窟から出てきた。
背中にはケィルフを背負っている。
彼は私を見つけると、私の隣にケィルフを転がしてそのまま腰を下ろした。
「どうしたの?」
「こいつが酔い潰れちまったんだ。
ただ転がしとくのももったいないし、せっかくだから月光に晒しておこうかと思ってな」
なんとも合理的なことだ。
彼の言う通り、ケィルフは真っ赤な顔でスウスウと寝息を立てている。
イェラナイフは滝の両脇の大彫像に視線を移すと、「見事なもんだなあ」と呟いた。
以前のような長話には巻き込まれたくなかったので、私は何も言わずにまた月を見上げた。
青白く輝くお月様は、今日も私に優しかった。
それから私たちは何も言わずにそのままぼんやりと過ごした。
しばらくして、イェラナイフが再び口を開いた。
「そうだ、リリー。お前に謝っておかなきゃいけないことがある」
はて?
私には心当たりがまるでなかった。
こちらが感謝こそすれ、謝罪されなきゃいけないことなんてあったかしら?
「なんのこと?」
「一つ、お前に敢えて教えていなかったとこがあるんだ」
「隠し事?」
イェラナイフがうなずいた。
「貴方が王子様だったって話かしら?」
先の決闘の前に、たしか『先王の庶子』とか名乗っていたはずだ。
たとえ庶子だろうが王子は王子だろう。
「いいや、違う。
そっちは別に隠していたわけじゃない。
聞かれなかっただけだ」
「分かるわけないでしょう。
『貴方は王子様?』なんて普通は訊ねたりしないもの」
「ははは、そりゃごもっとも」
楽しそうに表情を緩めたイェラナイフだったが、すぐに顔を引き締めなおして続けた。
「我々が知る伝承の通りなら、この森の東に宙に浮いた島があるはずだ」
「もちろん知ってるわ。今は私たちのお城が立っているもの。
私はそこで生まれ育ったんだから」
「〈浮遊城〉の話は俺達も旅の途中で聞き及んでいる。
お前が王女だと名乗った時からそこの住人だろうと見当をつけてはいたが、やはりそうか。
実はあれも古代の遺跡でな。
ここと同様、かつては我々の祖先が住み着いていたのだ」
なるほど。道理で。
どうやって浮いているのかと思っていたけれど、あれも古代人の魔法だったらしい。
「それが何だっていうのよ。
もしかして、あの城も請求するつもり?」
さすがのお兄様も、〈浮遊城〉をよこせなんて要求には応じられないだろう。
何しろ、あのお城はマノアの王権の象徴なんだから。
私にとっても沢山の思い出がある大切な場所だ。
「まさか。問題はそこじゃない。
おい、あの島はどうやって浮いていると思う?」
「そりゃ、古代人の遺跡だっていうなら、古代人の魔法で浮いているんでしょう?」
現に、古代人とやらはこの森にも迷いの魔法をかけている。
彼らなら島を宙に浮かせるぐらいできたに違いない。
「うむ。では、その魔法の力の源泉はどこにあるか、知っているか?」
そんなことを言われても、古代人の魔法のことなんて私に分かるわけがない。
そういえば、ドワーフたちは青白く光る魔法のランプを持っていたっけ。
あれは霊気結晶で光を補充すると言っていた気がする。
霊鋼も霊気を浴びせるとかなんとか。
ということは、古代人の魔法も霊気結晶の力を使っているのだろうか?
そこまで考えて、気づいた。
「……あそこにも霊気結晶があるの?」
「そうだ。正確にはその真下の地下遺跡にな。
ここの霊気結晶程大きくはないが、確かに存在する。
島が浮き続けているということは、その霊気結晶は今でも力を保っているはずだ」
ここまで聞けば、それが何を意味するかぐらい私にだってわかる。
「つまり、ここで貴方たちが地龍に負ければ、
次に狙われるのは私たちのお城ってことね?」
イェラナイフが頷く。
「霊気結晶が喰われてしまえば島を浮かせていた力は消滅し、地に落ちることになるだろう」
「ね、ねえ。
地龍の目標はここで間違いないんでしょうね?
ここを素通りして、あっちに向かうようなことは――」
「大丈夫だ。
こちらの遺跡の霊気結晶のほうが遥かに大きく、強力な霊気を放っているからな。
どちらに惹き寄せられるかなんて聞くまでもない。
奴が、まっすぐにこの遺跡を目指して地盤を掘り進めているのは方位盤の動きから見ても明らかだ」
方位盤というのは、時々彼が見ていた魔法の道具のことだ。
あれで地龍のいる方向と、大まかな距離がわかるのだという。
ひとまず、ここが無事な間は私たちのお城に差し迫った危険はないらしい。
私は大きく息を吸って、気持ちを落ち着かせた。
そうして心に余裕ができると、今度はその空いた部分に怒りがわいてきた。
「それで、いまさらそんな話をしてどうしようっていうの?
もしかして、人質でもいなければ、私が本気で戦わないとでも思ったのかしら?」
「いや、そうじゃないんだ。そうではないんだが……」
イェラナイフは何か言いにくいことがあるらしく、口をもごもごさせた。
もちろん、私も本気でイェラナイフがそんなことを考えているなんて思っていない。
だから聞き方を変えることにした。
「じゃあ、質問を変えましょう。
今まではどうして隠していたの?」
イェラナイフが観念したかのようにため息をついた。
「正直なところ、お前さんの人となりをつかみかねていた。
義姉君が大好きだという言葉に偽りはなさそうに思えた。
だが、大好きなはずの義姉君に執拗に嫌がらせをしてもいる。
この矛盾について、俺はお前が倒錯的な嗜虐癖の持ち主なのだろうと推測した」
ひどい誤解だ。
私だって別に喜んでお義姉さまをいじめていたわけじゃない。
私はただ、お義姉さまに構ってほしくて――まあ、これでは誤解されても仕方ない。
自分の幼稚さに嫌気がさす。
自己嫌悪に陥る私を尻目に、イェラナイフが説明を続ける。
「その場合、義姉君を困らせるために、お前がわざと地龍を取り逃がす可能性があると考えていたんだ」
「ちょ、ちょっと待って!
それはいくらなんでも酷すぎないかしら!」
「もちろん、これも数ある予想の一つに過ぎない。
強く疑っていたわけでないんだ。
だが、わずかでも可能性があるならば、無用のリスクを冒す必要はないと判断した」
いろいろ言いたいことはあるけれど、私はぐっと飲みこんだ。
ある意味、これも身から出た錆だろう。
「じゃあ、元の質問に戻るわよ。
なぜ今になってその危険を冒す気になったの?」
「逆だ。懸念が払拭されたから話すことにしたんだ。
先の決闘だ。
お前さんは勝ち目がなくなってもなお、逃げずに戦いを継続しただろう。
万に一つもない可能性にかけて命を張る姿を見れば、お前が魂の重心をどこに置いているかは明白だ。
まあ、嗜虐癖の有無はともかく、お前が家族を意図的に危険に晒すことはないだろう。
そうであれば、お前が大事に思っている者達に危険が迫っていることを知らさずにおくのは、あまりに不誠実だ。
だから、お前に謝罪し、その上で打ち明けることにしたのだ。
つまらぬ疑いをかけて本当にすまなかった。
どうか許してほしい」
「……まあいいわ。戦う前に知らせてもらえたんだから、許してあげる」
手を抜くつもりなんて元からないけれど、知っているのといないのとじゃ、やっぱり心構えが違ってくる。
万が一にも、失敗した後なんかに知らされていたら、きっと私は彼のことを許せなくなっていただろう。
「ありがたい」
そう言って心なしか表情を緩めた彼に向って、私は手を差し出した。
「なんだ?」
怪訝そうな顔をするイェラナイフに、私は言った。
「地龍の討伐は、もう貴方たちだけの戦いじゃないわ。
私にとっても、自分自身の戦いになったの。お手伝いなんかじゃなくてね。
だから、改めて手を組みましょう」
「……なるほどな」
イェラナイフがちょっとの間、躊躇うように私の手を見つめる。
それから意を決したように握り返してきた。
なんだか少しだけ難しい顔をしている。
「なによ。せっかく私が本気になったんだから素直に喜びなさい」
私が文句を言うと、イェラナイフは思いのほか真剣な目で見返してきた。
そして、私の手を握ったまま口を開いた。
「正直なところ、どうしても勝てそうになければ撤退すればいいと思っていたんだ。
地上人がどうなろうと俺達には関係のない話だからな。
仲間の命のほうが大切だ」
彼の立場からすれば当然の判断だろう。
私だって、見知らぬ人たちのために命をかけようなんて思わない。
「だが、お前の手を握ってしまえばそうも行かなくなる。
地上の民についても、責任が生じてしまう」
「なんだか、負担ばかりかけてしまっているわね」
「構わんさ」
彼はいつも通りの笑みを浮かべた。
「元より、そんな中途半端な覚悟で勝てる相手じゃなかったんだ。
おかげで覚悟が決まった。
なにより――」
彼の手に、一層力がこもった。
「この手は俺が自分の意志で握ったんだ。
俺たちはいつだって仲間のために戦う時にこそ最も力を発揮する。
お前も俺たちの仲間だ。そうだろう、リリー?」
*
ホルニア軍を追い払ってから二日後、地下深くから待ちに待った朗報が舞い上がって来た。
地下遺跡への通路が、ついに開いたのだ。
知らせを受けた私たちは大急ぎで荷物をまとめると、地下の遺跡を目指して地下道を下り始めた。
地下遺跡への道は、単調で緩やかな螺旋を描いているらしかった。
多分。
通路はずっと微かにカーブし続けているんだから、迷いの魔法をかけられているんじゃない限りそういうことになるはずだ。
これまで同様通路には何一つ装飾の類は施されておらず、自分が同じところをぐるぐる回り続けていたとしても気づけないだろう。
途中、ご飯を食べるために休憩して、また行軍を再開。
さすがのイェラナイフも不安げな表情を浮かべ始めたころになってようやく通路に変化が生じた。
通路が直線になったのだ。
進んでるんだか戻っているんだかさっぱりわからないのは相変わらずだけれど、変化があったということはやっぱり進んでいたらしい。
そう思わなければやっていられなかった。
「ねえ、イェンコ。晩御飯までどれぐらいかしら?」
別におなかがすいたからこんなことを聞いたわけではない。
景色が単調すぎて、どれぐらいの時間歩いたかすらさっぱりわからなくなってきてしまったのだ。
イェンコは自分のお腹をさすりながらしばらく考えた後に答えてくれた。
「そうさな。まだ三分の一ぐらいかのう」
私が思っていた半分ぐらいしか時間がたっていない。
いったい後どれだけ歩けばいいのだろうか?
思わずくじけそうになってしまったその時、ふいに先頭を進んでいたイェラナイフの足が止まった。
「どうしたの?」
イェラナイフな何も答えず、手にした魔法のランプをひねって光を強める。
すると前方の闇の中に、大きくて、真っ黒な門が浮かび上がった。
「着いたな」
イェラナイフがそう呟いた。
その声には、安堵や喜び、そして畏れ等が混じった複雑な感情が込められていた。
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