第十三話 白百合の姫、謝罪する

 石人形たちを追い越しながら、私はずんずんと歩く。

 行きと同様、戻りの道もあっという間。すぐに元の広間に帰り着いてしまった。


 誰かに話を聞いてほしくて、私は広間を見回した。

 パカパカの背の荷物はすっかり降ろされていて、ディケルフたちが忙しそうにその整理をしている。

 広間の真ん中で火を熾していたイェンコがふと顔を上げてこちらを見た。目が合う。


「やあ、お嬢さん。ケィルフの石人形は見ものだったろう?

 ――おや、えらく不機嫌じゃないか。いったいどうしたね」


 イェンコはこちらを見て笑みを浮かべたが、私が不機嫌そうにしていることに気づくとすぐにそれをひっこめた。


「大方、隊長かドケナフのどっちかが余計なことをいったんじゃろう。

 どれわしが聞いてやろうじゃないか」


 彼は火をおこす手を止めて私に手招きをした。

 私が隣に腰を下ろすと、イェンコは「それで、どっちだ」と話を促した。


「イェラナイフよ」


 私が答えると、彼は苦笑いを浮かべた。


「隊長はたまに口が悪くなるからのう。まったく悪い癖だな。

 それで、何を言われたのかね」


「私のことじゃないの。

 あいつがケィルフのことを悪く言うものだから、それで腹が立っちゃって」


「隊長が? ケィルフのことを?」


「そうなのよ!

 あいつはバカだっていうの!

 そりゃ確かにケィルフは……まあ、子供みたいな人だけど、でも、それは仕方がないことじゃない!

 彼が自分でそうなることを選んだわけじゃないのに、あんまりだと思わない?」


 ところが、イェンコは私の話を聞いても困惑した様子で首を傾げるばかりだった。


「隊長が、あいつのことをそんなふうに言うとはちょっと考えづらいのう……」


「嘘じゃないわ! 本当なんだから!

 後でドケナフにでも聞いてみればいいわ」


「わしもお嬢さんが嘘をついているとは思わんがね、何か誤解があったんじゃないかのう」


「おい、面白そうな話をしてるじゃないか」


 そう言って割って入ってきたのは、〈酔っ払い〉のイェルフだ。


「あなたには関係ないでしょ」


 今日も彼は酒臭い。

 素面の時ならいざしらず、今は酔っている彼を相手にしたい気分じゃない。

 だけど彼は、私の正面にどっかりと腰を下ろしてしまった。

 立ち去る気はないらしい。


「まあそういうなよ。

 あの二人についてなら、俺は〈はがね山〉一の専門家さ。

 ほれ、詳しく話してみろ」


 本当かしら?

 酒袋を片手にそんなことを言われても、てんで説得力がない。


「まあ、イェルフが二人と長い付き合いなのは本当じゃよ。

 わしも詳しいところを聞きたいのう。

 せっかくだから話してくれんかね」


 イェンコがそういうので、私は事の次第を二人に詳しく話して聞かせた。

 ところが、宰相がケィルフに財宝を差し出す下りまで話したところでイェルフがゲラゲラと笑い出した。

 酔っ払っている時のイェルフは嫌いだ。全然紳士じゃない。


「なによ。私が一生懸命話してるんだから、あなたも真面目に聞きなさいよ」


 私が抗議すると、イェルフはヒイヒイと笑いを抑えながら言った。


「いや、もういい。大体わかった。

 そりゃ嬢ちゃんの勘違いだ」


「何がわかったっていうのよ。

 それでね、ケィルフが蜂蜜を――」


「大丈夫、大丈夫。ちゃんとわかったとも。

 『モノの本当の値打ちが分からない大バカ野郎』とでもいったんだろ――なに驚いてやがるんだ。

 俺だってその場にいたんだから事の顛末は知ってるぜ。

 そうでなくとも、旅の間にみんな百ぺんはその話を聞かされてるよ。

 まあ、何度聞いても面白いからそれはいいんだけどな。

 その馬鹿野郎ってのはケィルフのことを言ってるんじゃない。

 宰相閣下のことさ」


「え……」


「その宰相閣下ってのが実にいけ好かない野郎でな。

 俺たちの仕事をなんでも黄金に置き換えて測ろうとしやがるのさ。

 その挙句に金貨を振り回しながらあれは無駄だ、これをやれだなんていい始め、

 とうとう行き着いた先がケィルフの一件だ。

 モノの価値を金の重さで比較するのは、まあ管理する側にゃ便利だったろうがな。

 それがすべてに通用すると思っちまったのが奴の敗因だ。

 まったくケィルフの奴に黄金を見せびらかしてなんの役に立つと思ったんだか。

 実に胸のすく見世物だった」


 彼の話を聞きながら、私はイェラナイフの話を振り返ってみた。

 なるほど、落ち着いて考えてみればどう考えてもイェルフの解釈が正しい。

 私は丸まるように膝を抱えると、その間に顔をうずめた。

 どうしよう、とんだ早とちりだ。このまま消えてなくなってしまいたい。


「酷いこと言っちゃったかも。

 彼に謝らないと……」


「まあ気にすんなよ。ナイフの奴も別段気にしないだろうしな。

 むしろ喜んでるんじゃないか?」


「なんでよ」


「さあな。自分で聞いてみろよ」


 イェラナイフに『私に罵られて嬉しかった?』とでも聞けばいいんだろうか?

 冗談じゃない。


「そんなこと聞けるわけないでしょ!」


「ガハハ。

 ま、ナイフの話し方にも問題があったんだろう。

 許してやってくれよ。悪ぶって見せるのはあいつの悪い癖でな。

 だが誰だって悪癖の一つぐらいあるもんさ。

 見たところ、嬢ちゃんも似たような口じゃないか?」


「わ、私は違うわ!」


「さて、どうだか。

 おっと、仕事に戻らにゃ」


 イェルフはそういうと笑いながら去っていった。


「うぅ……」


 追いかけて問い詰める気にもなれず、私は小さく呻きを漏らした。

 すると、イェンコが慰めるように声をかけてくれた。


「お嬢さんは顔に出やすいからのう。

 イェルフもからかいがいがあったんじゃろう」


 なんの慰めにもならなかった。



 イェラナイフたちが戻ってきたのはちょうど晩御飯の支度が整った頃だった。

 広間の入り口に彼が姿を現したのを見て、私はすぐに駆け寄った。


「あの……少し話があるんだけど」


「いいとも」


 イェラナイフはそう言ってドケナフに目で合図をした。

 ドケナフは小さくうなずくと、ケィルフを抱えて皆のところに去っていった。

 背後を少しだけ振り返ってみると、皆黙々と食事の準備を進めているようだった。

 どうやら、一応気を使ってくれているらしい。


「……さっきはごめんなさい」


 どうにか絞り出した私の言葉に、イェラナイフはにっこりと笑った。


「いいさ。こちらはまるで気にしていないからな。

 それどころか嬉しく思っていたぐらいだ」


「え……」


 まさか、本当に私に罵られて喜んでいたなんて!


「いや、待て。その顔は何か誤解しているだろう」


「い、いいのよ。

 お詫びと言っては何だけど、後でまた好きなだけ罵ってあげるから……」


「おい、目を逸らすな。

 話をちゃんと聞け」


 そうだった。さっきはそれで失敗したのだった。

 私は背筋をしっかりと伸ばし、彼の目を見据えた。

 これで聞く態勢はばっちりだ。


「いや……そんなに畏まられると却って話しづらいな……」


「別に照れなくたっていいじゃない。

 ちゃんと言い訳を聞かせてごらんなさい。

 今度は最後まで聞いてあげるから」


「なんでお前が偉そうにしてるんだよ……。

 だが、まあそうだな。こういうことはきちんと言葉にしておくべきだろう」


 そう言って彼も私と同じように居住まいをただした。


「俺が嬉しかったのは、お前がケィルフのために怒ってくれたからだ。

 礼を言う。俺の友達のために怒ってくれて、本当にありがとう」


 想像していたよりもまっすぐな言葉をぶつけられて、思わず私は目を逸らしてしまった。


「た、ただの勘違いよ」


「たとえ原因が勘違いだとしても、その気持ちは本物だったんだろう?

 だったら、それは感謝に値する」


 多分、イェラナイフは少しだけ勘違いをしている。

 正直なところ、私とケィルフはまだ数日の付き合いでしかない。

 もちろん寝食を共にしてきたのだから、相応の親しみを感じてはいる。

 でもそれだけだ。

 あの時私が感じた怒りは、ケィルフとの絆に由来するものじゃなかった。

 どちらかといえば、あの怒りは私の個人的な経験からくるものだ。

 魔女として生まれ、陰ながら蔑みの視線を受けてきた記憶が、同じ魔法使いであるケィルフに重なってしまっただけ。

 それなのに彼は、そんな明後日の方向から湧いてきた私の怒りを、仲間を思う気持ちから生まれたと勘違いして無邪気に喜んでいるのだ。

 勝手に勘違いさせておけばいいじゃない、と私の心の中の悪い魔女がささやいている。

 きっと、それが一番きれいに収まるのだろう。

 本当のことを話したところで、お互いに少しばかり気まずい思いをするだけだ。

 それでも、彼が珍しくみせる手放しの笑顔がチクチクと私の胸の奥を刺してくる。


「あ、あの……」


「なんだ?」


「違うの。別に、ケィルフが仲間だから怒ったわけじゃなくて……」


「ふむ」


 彼の眼がじっと私の瞳の奥を覗き込んでくる。

 でもそれは以前に向けられたような厳しい視線ではなかった。


「だからその……同じ魔ほ……じゃなくて、えっと、精霊憑き、だから、それで……私が馬鹿にされたように感じて、それで……」


「大丈夫だ。ちゃんと分ってる。

 だがそうだとしても、またケィルフが馬鹿にされるようなことがあれば、

 その時もお前は同じように怒ってくれるだろう。

 そうであれば、あとは俺にとっては些細な違いさ。

 精霊憑きにまつわるケィルフの孤独は、おそらく俺は本質的には理解してやれない。

 それができるのは、たぶんお前だけだ。

 これからもあいつのことをよろしく頼むよ」


「ま、任せてちょうだい」


 私の答えを聞いて、イェラナイフは満足げな笑みを浮かべた。


「さあ、行こう。みんな待ってる」


 彼はそう言って二三歩踏み出した後、こちらを振り返っていった。


「ああ、そうだ。

 あいつの名誉のために、一つだけ言っておくことがある」


「なに?」


「あいつは蜂蜜を選んだんじゃない。

 仮に俺が手ぶらだったとしても、黄金には目もくれなかっただろう」


「そうでしょうね」


 きっと、彼らは私には想像もつかないような深い絆で結ばれているのだ。

 だけどそれならそれで気になることがある。


「ねえ、一つ聞いていい?」


「なんだ?」


「だったら、なんでわざわざ蜂蜜を差し出したの?」


 イェラナイフがいつもの人の悪い笑みを浮かべた。


「宰相閣下をコケにするためさ。

 友情が黄金に勝ったのならただの美談でおしまいだ。

 潔く俺たちの絆を讃えればまあ、宰相閣下の面目も立っただろう。

 だが、蜂蜜ならどうだろうな?」


 そういって彼は高笑いを上げながら皆のところへ戻っていった。

 なんだか、いろいろと台無しにされた気分だ。

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