第十二話 白百合の姫、精霊憑きの力を知る

 洞窟に入ってしばらくは緩い上り坂が続いた。

 通路の幅は大人五人が並んで歩ける程度。

 天井も私の背より倍は高い。

 洞窟の白っぽい石質のおかげで、さほど照明を強くせずとも十分に明るくなる。

 床はきちんと石畳で舗装されているので、魔法のランタンがあれば足元には何の不安も感じなかった。


 坂を上り切った先はちょっとした広間になっていた。

 壁は八面。それぞれの角に配された柱はアーチを描いて、広間の中央、その真上で交わっている。

 正面の壁には私たちが入ってきたのと同じような入口がぽっかりとあいていて、どうやらその先は下り坂になっているらしい。


「ひとまずここまでだ。

 荷物を降ろして仮キャンプを作るとしようか」


 イェラナイフの指示で、ドワーフたちがやれやれといった様子で背の荷物を降ろし始めた。


「ねえ、ここがあなたたちが言っていた古代の遺跡なの?」


 私は広間を見回しながらイェラナイフに尋ねた。

 そうだとしたらがっかりだ、

 見たところ、この広間には装飾一つない。

 入口の石像がとても立派だったから、中はもっとすごいんじゃないかと期待していたのだ。 


「まさか。

 遺跡の本体はそこの入り口をもっと下った先にある。

 残念ながら、その通路が途中で崩落してしまっていてな。

 どうにかして開削してやらにゃならんのだ」


 それからイェラナイフは、すぐそばでフウフウと荒い息をつきながら休んでいるイェンコに声をかけた。


「イェンコ、キャンプ設営の指揮を頼む。

 そういうわけだから、荷解きは最低限でいい。

 通路が開けたらまた奥に移動させるからな」


「了解。隊長はどうするのかね?」


「一足先に開削作業を開始する。

 ケィルフとドケナフは連れて行くぞ。

 塩の樽はどこにある?」


「そう言うだろうと思ってな。

 すぐに取り出せるよう、一番上に積んでおいたよ」


 イェンコはそういいながら、パカパカに積まれた荷物の山の天辺を見上げた。


「さすが気が利くな。

 ああ、そうだ。手が空いたらケィルフにいつものを作っといてくれ」


「あいよ」


 それからイェラナイフは私のほうに向きなおって言った。


「リリー、悪いが樽を降ろしてもらえるか?」


「任せて。パカパカは座らせておいてもらえる?」


「おうよ」


 私は背嚢を背から降ろすと、中からいつもの鉢植えを取り出した。

 その蔓草をフヨフヨと伸ばして樽を固定していたロープをほどき、ゆっくりと床に降ろす。


「お嬢さんの力は本当に便利じゃのう」


「そうでしょうとも。もっと褒めてもいいわよ。

 ところで塩なんて何に使うの?」


 話の流れからすると穴を掘るのに使うらしいけど……どうやって塩で穴を掘るのか想像もつかない。

 そういえば石工たちは石を割るのに火を使うと聞いたことがあるし、何かドワーフ流の面白いやり方があるのかしら?

 首をかしげていたら、イェラナイフが声をかけてきた。


「そうか、リリーはまだ見たことがなかったか。

 ちょうどいい。面白いものを見せてやるからついてこい」


「ついて来いって、穴掘りに?」


「そうだ」


 答えを教えてくれるらしい。


「役には立たないわよ?」


 念のため、力仕事はしないとあらかじめ宣言しておこう。


「必要ない。掘削はアイツがやる」


 イェラナイフの視線の先にいたのはケィルフだった。

 もう一頭のパカパカの前に座りこんだ彼は、そいつに顔をベロリと舐められてケタケタと無邪気な笑い声をあげているところだった。

 一行で一番小柄な彼だけど、意外と力持ちだったりするのかしら?


「ケィルフ! ちょっと手伝ってくれ!」


「あーい!」


 元気な返事。

 やってきた彼の愛嬌のある髭面はパカパカの涎でべったりと濡れていた。


「それから、ドケナフ。塩の樽を頼む」


「おう」


 ドケナフがやってきて塩の樽を軽々と持ち上げる。

 本業は鍛冶師だという彼の体は、筋骨隆々、いかにも力自慢といった感じだ。

 どうみても力仕事は彼の方が向いていそうにみえるけど。



 私たち四人は連れ立って暗い坂道を下って行った。

 先頭はイェラナイフ。

 それに付きまとうようにしてケィルフ。

 それから樽を担いだドケナフ。

 最後に私。


「ねえ、さっきから気になってたんだけど」


 私はイェラナイフに声をかけた。


「なんだ」


「どうしてカナリアを連れてきたの?」


 イェラナイフは片手に例の魔法のランプ、反対の手にはなぜか鳥かごを下げて歩いている。

 どう見ても不要な荷物だ。そんなにカナリアが好きなのだろうか?

 だけど彼が殊更にこの鳥を可愛がっていたという記憶はない。

 カナリアたちの世話はもっぱらイェンコの仕事だった。


「ああ、これか。

 安全確認のためだ」


 安全確認?


「空気が悪くなると、まっさきにコイツが死ぬんだ。

 そうなったら一時撤退だ。

 作業に入ったら、お前もこの鳥のことを気にしておいてくれ。

 俺たちは作業に集中しすぎて鳥が死んでいるのを見落とすかもしれないからな」


 思っていたよりひどい理由だった。

 この屈強なドワーフたちに小鳥を愛でるような可愛げなんてあるわけなかったのだ。


「さて、ここだ」


 そう長く歩かないうちに目的の場所に到着した。


「これは、見事にふさがってるわね」


 地下への通路は大小さまざまな大きさの石で完全に埋まってしまっている。


「滅多なことじゃ崩れないはずなんだがな。

 岩モグラでも通ったのかもしれん」


 岩モグラなんて聞いたことはないけれど、大きなモグラみたいなやつだろうか?


「それだって滅多にあることじゃないけどな」


 ドケナフがそういって、何が面白いのかガハハと笑った。


「ま、原因はどうあれ、通路は実際に塞がっているんだ。

 さあ、作業を始めるぞ。ドケナフ、塩をまいてくれ」


「おう」


 ドケナフが樽のふたを開け、塩をひと掬い手にとると崩れた石の上に振りまいた。


「よし、ケィルフ。頼んだぞ」


「あい」


 ケィルフはその場に屈みこみ、何やらむにゃむにゃと念じ始める。

 すると、ケィルフの手元に転がっていた小石がカタカタと揺れだした。

 それに共振するように周囲の石も揺れ始め、やがて崩落個所全体がカタカタガチガチと音を立てる。


「ね、ねえ、これって大丈夫なの?」


 私はゆっくりと後ずさりしながら訊ねた。

 目の前の石の山は、いまにも崩れだしそうだ。 

 ところが、イェラナイフもドケナフも、それからもちろんケィルフも逃げ出す様子はない。


「さて、ここからが見ものだぞ」


 イェラナイフがそういってニヤリと笑う。

 その直後、震えていた石のいくつかがゴロゴロと転がり始めた。

 そして、転がった石は一か所に寄り集まり……なんと、人の形をとった!

 大きさはケィルフより頭一つ分小さいくらいか。

 そいつはむくりと起き上がり、命令を待つかのようにその場に立ち尽くしている。


「よし、運び出せ」


「あい」


 ケィルフが答えると、雑に人の形をとった石の塊がゴリゴリと音をたてながら出口に向かって歩き出す。

 今までに見たことのない不思議な光景だった。

 命を持たないはずの石ころが、まるで命を持っているかのように振る舞っている。


「ケィルフは大地の精霊憑きなんだ。

 お前が植物を操れるように、こいつは土や岩を操ることができる。

 対価として塩を必要としてはいるがな」


 ああ、やっぱり。

 そうじゃないかとは思っていた。

 いかに問題児ばかりの一行とはいえ、何の役にも立たない者をわざわざ連れてくるはずがないのだ。

 私たちが魔女や魔法使いと呼んでいる存在を、ドワーフたちは精霊憑きと呼ぶ。

 ということは、ケィルフもこの力と引き換えに何かが欠けているというわけで、つまりはまあ、そういうことなのだろう。


「本当にすごいわね……。

 この石人形は何でもできるの?」


「流石に何でも、とまではいえないな。

 不器用だし、あまり複雑な命令は理解できない」


「具体的には?」


「まあ、ケィルフが理解できるところまでだ。

 そこは指示を出す方が適切にやらなきゃならん。

 だが力はなかなかのものだぞ。

 大きく作ればそれだけ大きな力が出せるようになる。

 いままでで一番大きな石人形は、大型のトロールと取っ組み合いができた。

 やろうと思えばもっと大きいものも作れただろうが、まあ、ケィルフの負担も大きくなるからな。

 いろいろな大きさを試させて見たが、このサイズが一番経済的なんだ」


 イェラナイフが説明してくれている間にも次々と石の人形が立ち上がり、外に向かって行進していく。

 形も大きさもバラバラな石礫でできた不格好な人形だ。

 にもかかわらず、その行列は乱れることなくまっすぐに続いている。


 崩落地点へと目をやると、行列に並ぶのとは別に小さな石人形たちが十体ばかり並んでいた。

 何をするのかと思ってみていると、イェラナイフがケィルフに何やら指示を出した。

 それにケィルフが頷くと、小さな石人形たちが崩落した石の山をカタカタと登り始める。

 やがて天井付近まで登ると、自身の体を石の隙間にねじ込むようにして入り込んだ。

 どうやら、彼らは掘った箇所が崩れないように支える役目をしているらしい。

 そうやって減った分だけ、新たな石人形が生まれ、また隙間に潜り込んでゆく。


 ドケナフが塩をまくたびに新たな石人形たちが次々と立ち上がり、ふさがっていたはずの地下通路が見る見るうちに掘り進められていった。


 それにしてもなんと便利な魔法だろう。

 この力があれば、おとぎ話のように一夜で城を立てることもできるんじゃないかしら?

 そして地下に穴を掘って暮らしているというドワーフたちにしてみれば、この力の重要さは地上とは比べ物にならないはずだ。


 私はイェラナイフの傍によって小声で呼びかけた。


「ねえ、イェラナイフ」


「なんだ」


「ケィルフって、いったい何をしでかしたの?」


 彼らの王様がまともなら、こんな強力な魔法の持ち主をそう簡単に手放すはずがない。

 イェンコによれば、今回の地龍退治は成功の見込みの少ない危険な任務だという。

 そんな仕事に放り込まれるなんて、よほどのことがあったに違いなかった。

 だけど、イェラナイフは首を横に振った。


「あいつは悪さなんぞせんよ。

 少しばかり年に比べて幼いところはあるが善悪の区別はちゃんとつく。

 甘いものさえあれば満足で、他にはとんと興味がない。

 素直で善良な、気のいい男さ」


 それならなおのこと不可解だ。


「じゃあ、どうしてこんなところにいるのよ。

 連れ出すにはよっぽど苦労したんじゃない?」


「まあな。

 宰相閣下には猛烈に反対されたとも。

 勝手に連れ出した日には追討部隊を送って、断固たる処置をとるとまでいわれたな。

 とはいえ、他はともかくこいつだけはどうしても外せない。

 方々を駆け回って、どうにか陛下の御前でこいつ自身に選択させようって話に持ってったのさ」


 そういいながら、イェラナイフはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。


「ありゃあ傑作だったな」


 と、塩をまきながらドケナフが笑う。

 ケィルフは魔法に集中しているのかじっとうつむいたままだ。

 イェラナイフが話を続けた。


「さて当日になり、俺たちは陛下の御前に進み出た。

 大勢のやじ馬が押しかけて事の次第を見守る中、

 宰相閣下は金銀宝石を大きな樽にどっさり詰めたのをケィルフの前に三つも並べた。

 ここに残るならこれをそっくりお前に与えようってな。

 それからケィルフのために参議会に特別な席を用意し、終身筆頭鉱夫の名誉も与えるとまで仰った。

 対する俺が用意したのは、小壺一杯の蜂蜜だけだ。

 ケィルフがどちらを選んだか?

 聞くまでもないだろう。

 ケィルフ自身に選ばせた時点でもう勝負はついていたのさ。

 まったく馬鹿な奴だよ。

 モノの本当の値打ちってもんがわかってないんだから」


 なるほど、蜂蜜と財宝じゃその価値は比較にならないだろう。

 イェラナイフはよい買い物をしたに違いない。

 だけど、それを自慢げに言う彼の態度は少しばかり不愉快だった。


「別に、蜂蜜を選んだっていいじゃない」


「もちろん構わないさ。

 おかげでこうして一緒に地龍退治ができるというわけだ。

 だがまあ、ケィルフが黄金を選ぶような奴だったら……どうしたリリー。

 またえらく不機嫌な顔して」


「仲間を馬鹿にされて喜ぶわけないでしょう?」


「仲間を?」


 どうやら彼はケィルフを仲間とは思っていないらしい。

 だったらケィルフは何なのか。

 ただの道具だとでもいうつもりだろうか。


「ケィルフよ!

 たしかに彼は少し頭の働きが遅いかもしれない。

 だからってそんな言い方しなくたっていいじゃない!」


「いや、待てリリー。

 誤解だ――」


「何が誤解よ!

 馬鹿だって言ったじゃない!

 誰だって、好きでこんな風に生まれたりしないわよ!

 私だって! きっとケィルフだって!

 それなのに! それなのに――!」


 うまく頭が回らない。言葉が出てこない。


「まずは落ち着け。俺の話を聞け」


「聞きたくないわ!」


 こういう時の言い訳を聞いたところで、ますますそいつを嫌いになるのが関の山だ。


「行きましょう、ケィルフ。

 穴掘りなんて、あいつが自分でやればいいんだわ!」


 そう言って私はケィルフに向かって手を伸ばした。

 ところが、彼はピクリとも動かずに言った。


「ちがう。 こで、おでのしごと」


 そう言う彼の瞳はどこまでもまっすぐで、梃子でも動きそうにない。

 彼はイェラナイフのことを信じていて、その気持ちは決して揺らがないのだろう。

 あるいは、彼は彼なりの信念をもってここにいるのだ。


 私はますます居た堪れない気持ちになり、彼らに背を向けてその場から逃げ出した。

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