第十一話 白百合の姫、巨像を見る


 翌日、私たちは大急ぎで荷物をまとめて小屋を後にした。

 活躍したのは井戸の近くにつながれていたあのロバに似た生き物たちだ。

 パカパカというらしい。

 彼らはドワーフたちが荷運びに使う役畜で、姿形こそロバに似ているもののその膂力は段違いだった。

 なにしろ、自分の体重の数倍の荷物を載せられても平然としているのだ。

 農耕用の大きな馬だってこれほど多くの荷物は運べないだろう。

 その上元々が小柄なので、荷物を満載すると遠目には荷物の山が自分で歩いているみたいに見える。


 小屋を出てから半日ほど、森の中をあっちに行ったりこっちに行ったり、もしかして道に迷ったんじゃないかと不安になり始めた頃、私たちは奇麗な水が流れる緩やかな沢についた。


「それ、後ひと踏ん張りだ。

 遺跡はこの先、この沢を少し上ったところにある」


 そのイェラナイフの言葉通り、そこからそう歩かないうちに私たちは目的の場所についた。


 視界が開けてまず目についたのは大きな滝だ。

 三方を崖に囲まれたその奥で、白い流れが轟々と滝壺に流れ込んでいる。


 大きく広がった滝壺はそこだけに差し込んだ光を浴びてキラキラと輝き、滝から飛び散る水しぶきが霧のように漂いながら陽光を乱反射させていた。

 

 でもどうして、と思いながら見上げると〈闇夜の森〉には珍しく樹々が途切れ、そこからさんさんと日の光が差し込んでいた。

 おっと、危ない。私は慌ててフードをかぶり、首元の覆い布を引き上げて顔を隠す。

 すぐにどうにかなるわけでもないけれど、長く無防備でいていいわけでもない。


 そんな輝く景色の先、流れ落ちる滝の向こう側に洞穴がぽっかりと口を開けていた。

 その両脇には、私の背丈の四、五倍はあるドワーフ像――随分と大きいけれどずんぐりむっくりの体形からたぶん間違いない――が二体、洞穴を守るかのように武器を携えたまま苔むしている。

 見事な出来栄えの彫像で、いまにも動き出しそうに見えた。

 片方は戦斧を肩に乗せ、もう一方は槍の石突をまっすぐに地面に突き立てながら、私たちを睨み下ろしている。


 この像が建てられてから、いったいどれだけの年月が経っているのだろう?

 幾百、ひょっとしたら幾千かもしれない風雪を経てもなお揺らがないその力強さに、私は思わずため息を漏らした。


「どうだ、大したものだろう」


 すっかり石像に意識を奪われてしまっていた私に、イェラナイフが声をかけてきた。


「俺も昨日初めてこの像を見たときには本当に驚いた。

 これだけのものを作れる職人は、ここ数百年、我らの王国のみならず西方諸国を見渡しても一人もいないだろう。

 もちろん、エルフたちを含めてもだ」


 そう言う彼の声にはどこか誇らしげな響きがあった。


「巨大な像を破綻なく削り出すだけでも相当な技量と構成力を必要とするが、この像はそれどころの話じゃない。本当に細部の細部まで神経の行き届いた細かい仕事が施されている。あれだけ巨大な石像の隅々まで魂を行き届かせるだなんていったいどれだけの時間と根気を要しただろう? 並大抵の精神でなせるものではない。見ろ、あの鎖帷子を。一輪一輪が本当に編まれているかのようにきちんと彫り込まれているのだ。一つとて同じ形の輪はなく、鍛冶師の手癖まで完全に再現されている。左の戦士像の右肩をみるがいい。補修された跡があるのが見えるか? いや、像じゃない。鎖帷子だ。一度穴をあけられて――たぶん槍だな――それを塞いだんだろう。塞いだのはきっと最初に鎖帷子を鍛造したのとは別の職人だ。そこの部分だけ鎖の閉じ加減が少しばかり違う。よく見なければわからないが確かに違うんだ。そんな細かなところまで再現している。いったいどんな目をしていたらこれだけ繊細かつ精密に対象を捉えることができるのやら。そしてそれを再現してのけるその技術。単なる精密模造とも一線を画している。あのうねる髭の表現はどうだ。一塊の石に過ぎないというのに本当に一筋ずつが風になびいているかのようじゃないか。無論優れているのはその精密さだけではない。なんといってもあの眼の力強さだろう。あればかりは技を極めれば自ずと魂が宿る、とはいかない。あれにこそ、この彫像を創り上げた職人の奥義の全てが込められているに違いないのだ――」


 イェラナイフの熱弁を聞き流しながら、私は右側の像――槍を持っている方――に目を移した。

 こちらも左側の像に劣らず力強い存在感を放っている。

 その時ふと、像が手にしている槍に気づくことがあった。


「ねえ」


 私を無視して彫像の盾に彫りこまれた傷について語り続けるイェラナイフの袖を引いてお喋りを止めさせる。


「どうした」


「あの槍だけど――」


 私が指さす先を目にした瞬間、質問をさえぎってイェラナイフの口がまた動き始めた。 


「おお、よく気付いたな!

 いかにもあの槍はイェルフの持つ霊槍〈深紅の槍〉だ。

 ここが確かに我々の祖先の地であることをあの槍が証明してくれた。

 あの槍も大きさ以外は完全に再現されているのだ。

 まあ、今の槍には当時はなかった傷や装飾がいくつか増えているがな。

 一番大きな違いは鉄巨神と槍祖の戦いを描いた金の象嵌だ。

 あれも古の職人の手による作品でな。

 我々の祖先がこの地を離れ、〈はがね山〉にたどり着いた折に――」


 これはダメだ。そろそろ彼の意識をあの像からはがさないと、像の話をいつまでも聞かされ続ける羽目になる。


「ところで隊長。荷物はどうするね」


 そのときイェンコが素早く話に割り込んできた。

 おかげでどこかに飛んでいきかけていたイェラナイフの意識が現実に戻ってきた。


「あ、ああ、そうだったな。すまなかった。

 つい夢中になってしまった。

 フム、ひとまず洞窟の中に運び込もうか。

 灯りの準備を頼む」


「はいよ、隊長」


 イェンコは愛想よく返事をしてパカパカのところに戻っていく。


「それにしても、こんな場所があったのね。

 全然知らなかったわ」


 戦争中にずいぶんと歩き回ったので、この森についてはそれなりに詳しいつもりでいた。

 だというのに、通りかかったことはもちろん、こんな石像の話は狩人たちからも聞いたことがない。

 これだけ立派なのだから、一度ぐらいは話題に上ってもよさそうなものなのに。


「地上の連中が知らないのも無理はない。

 ここに来る途中、石の門をいくつかくぐっただろう?」


「門って、あの石柱のこと?」


「そうだ」


 たしかに、二本一組の石の間を何か所か通ったのは覚えている。

 門と呼ぶにはあまりに粗末な気がするけれど。


「この遺跡には人除けの魔法がかけられていてな。

 あれを正しい順番でくぐらなければ、ここにはたどり着けないようになっているんだ」


 なるほど、さっきから行ったり戻ったりしていたのはそのためだったらしい。

 道に迷っていたわけじゃなかったのだ。

 あの粗末……じゃない、質素な佇まいも、見つかりにくくするためと思えば納得できる。


「すごい魔法ね。これもあなたたちの技術なの?」


 おとぎ話では、彼らはいろいろな魔法の品を作り出すことができることになっていた。

 これもそんなドワーフの魔法の一種なのかしら?


「いいや。

 さすがの我々もこんな大規模な魔法は使えない」


「あら残念」


 この魔法をこの森全体にかけたらちょっと面白いことになりそうだと思ったのに。


「そもそも、この魔法をかけたのは我々じゃないんだ」


「そうなの?

 あんな像があるから、てっきり貴方たちが造った遺跡なのかと思っていたわ」


「太古の昔、我々の祖先がこの世界に来た時にはすでにこの遺跡は存在していた。

 とまあ、そう伝わっている。

 ご先祖様は、その遺構と霊気結晶を利用して一時期この辺りに王国を築き上げたのだ」


「じゃあやっぱり、半分は貴方たちの遺跡でもあるわけね。

 でも、どうしてここを出て行ってしまったの?」 


 ドワーフとの交易は大変な利益をもたらすと聞いている。

 実際、たまに西方から流れてくる彼らの工芸品は、この辺りではとんでもない高値で取引されているのだ。

 もしドワーフたちがここに残ってくれていたら、私たちの国はもっと豊かになっていたに違いない。


「さあな。

 そのあたりの詳細は記録が散逸していてよくわからんのだ。

 何らかの異変があってご先祖様たちはこの地を放棄し、西へ――今の〈はがね山〉へ移住した。

 だが、いずれこの地に戻るつもりはあったらしい。

 そのためにこの遺跡の大まかな所在と、進入方法についての断片的な情報を残してくれた。

 おかげで俺たちはこうしてここに戻ってくることが、そうとも、我々はついに父祖の地に戻ってきたのだ!.」


 なるほど。

 聞けば、彼らはずっと石の門の所在確認と、くぐる順番の正解パターンの検証をしていたのだという。

 そんな話をしているところに、ケィルフが何か筒のようなものを持ってやってきた。


「ナイフ、これ、イェンコがあかりわたしてこいって」


 ちなみに、ナイフというのはイェラナイフの愛称であるらしい。

 彼のことをその名で呼ぶのはイェルフとケィルフの二人だけだけど。


「おお、ありがとう」


 イェラナイフはそういってその筒状の物体を受け取ると、ケィルフの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

 撫でられたケィルフが髭もじゃの相好を崩してデヘヘと笑う。

 あの小柄なドワーフ、見たところは成人しているようだけれど、どうにも子供っぽいところがある。

 というより、ふるまいだけ見れば子供そのものだ。


「はい、リリーもこれ」


 彼はそういって私にも同じ筒を手渡してきた。


「ありがとう。これはなあに?」


「あかり」


 灯り。つまりランタンや松明の代わりになるもの、ということかしら?

 筒を手に取ってよく観察してみる。

 材質はたぶん銅だろう。

 よくわからないけど、少なくとも金ではなさそうだ。

 筒の上側には取っ手がついていて、どうやらここを持ってぶら下げるものらしい。

 灯りというからには火を入れる場所があるはずだけれど、それがどこにも見つからない。

 筒の真ん中あたりに切れ目があるので、たぶんここをどうにかして開くのだと思うけど……押しても引いても動かない。


「ちがう。ねじる」


 ケィルフが教えてくれた。

 なるほど、捻じればいいのね。

 上下を持ってグイっとやると思いのほか抵抗なく筒が回り、開いた筒の隙間から青白い光が漏れてきた。

 思わず手を放しそうになったけど、不思議なことに熱は感じない。

 隙間を覗き込もうとしたらイェラナイフに止められた。


「あまり近くで直視しないほうがい。

 目が灼けることがある」


 私はあわてて筒を顔から離す。


「この光は何?

 魔法なの?」


 こんな色の火は今まで見たことがなかった。

 その上熱くもないのだから、本当に火なのかも怪しい。


「そうか、地上ではほとんど見ることもないか。

 まあ、魔法というほど大げさなものではないんだ。

 霊気を利用した光源さ。

 明りの強さは隙間の開き加減で調整できる」


 さらにねじって隙間を広げると、言われた通り光が一層強くなった。


「使わないときはきちんと閉じておいてくれ。

 霊気結晶にたどり着くまでは霊気の補充はほとんどできないんでな。

 地下ではどうしたって火の利用は制限を受けるから、こいつが必要なんだ」


「どうして火はダメなの?」


「狭く密閉された場所で火を焚き続けると、どういうわけか周囲の者が死ぬことがある。

 地下ではそれが特に起こりやすくなるのだ。

 それ以外にも、整備されていない地下空洞には毒のある空気や燃えやすい空気がたまっていることがあるし、

 うかつに火を近づけると大変なことになりかねない。

 その点、この霊気灯は空気に悪い影響を与えないから地下で使うにはうってつけだ」


 よくわからないけれど、地面の下にはいろいろと苦労が多いらしい。


「皆明りは持ったな?

 カナリアの籠は誰が持っている?」


「俺だ」


 イェラナイフの問いかけに、鷲鼻のドケナフが鳥籠を掲げて答えた。


「それじゃあ先頭を頼む。

 さあ出発だ」


 私たち一行はドケナフの後に続いて、巨石像の後ろ側に回り込む。

 そこには狭い通路が崖を削るように掘りこまれており、そのまま滝の裏側へ通じていた。

 轟々と響く滝の音を聞きながら、私たちは洞穴の奥へと進みはじめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る