第三十一話 白百合の姫、帰る

「おい、こんなにひどい移動方法だなんて聞いてないぞ」


 イェラナイフはゲエゲエと吐きながら私に抗議した。

 情けないとは言うまい。

 私の樹を使った高速移動法を初めて経験した人は大抵こうなる。

 お兄様ですらそうだったし、ミレアは一度経験して以降、断固としてこの移動法を拒否している。


「言わなかったのよ。言ったら拒否されるかもしれないじゃない」


 私としては一刻も早くお城に帰りたかったし、何より一度ぐらいは彼を驚かしてもみたかったのだ。

 イェラナイフは無事に全ての朝食を吐き終わったらしかった。

 革袋の水で口を軽くゆすいだ後、うんざりした口調で私に尋ねる。


「それで、俺はあと何回飛べばいいんだ」


「心配しなくても今ので終わりよ。

 この森を出れば、もうお城が見えるわ」


 というか、飛んでいる最中にとっくにお城は見えていたはずだ。

 きっと初めての飛行だったから、目を開けていられなかったのだろう。

 私は足元もおぼつかない様子の彼の手を引いて森の中を歩きだした。

 そう歩かないうちに森を抜けた。視界が開ける。


「ほら、あれが〈浮遊城〉よ!」


 私が指さす先を見てイェラナイフがほうと感嘆の声を上げる。


「なるほど、噂には聞いていたが、実物を目にするとやはり驚かされるな」


「凄いでしょう」


 言いながら私は空を見上げた。

 久しぶりの太陽は、この厚ぼったい外套と相まってひどく暑苦しかった。

 その上、あの異常に魔力が濃厚な空間から出てきたものだから、空間が頼りなくなったような気すらする。

 それでも、久しぶりの帰宅となればやっぱり胸が躍る。


「さ、早くいきましょ!」


 私は城を見つめ続けるイェラナイフをせかした。

 聞くところによれば、お城では私はもう死んだことになっているらしい。

 早く戻ってミレアを安心させてあげないと。



 城門を避け、城下町を囲う外城壁を乗り越えようとしたところでイェラナイフに止められた。

 彼にはそれが奇異なことに思えたらしい。


「なんだってこんなところから入るんだ。

 普通に城門を通ればいいじゃないか」


「だって、そんなことしたらきっと大騒ぎになるでしょ」


 何しろ私は全身白ずくめの大変目立つ風体をしている。

 城門なんて通ったら一瞬で門番に見つかってしまう。

 もちろん、この外套を脱いだって同じだ。

 別にやましいことがあるわけではないけれど、静かに帰宅できるに越したことはない。


「お前がいきなり城に姿を見せるほうが、よほど騒ぎになると思うが。

 悪いことは言わん。門番に話を通して先触れを出しておけ。

 面倒に思えるかもしれないが、そのほうが最終的にはトラブルが減る」


 そういうものなのかしら?

 でも、よくよく考えてみれば確かにそうかもしれない。

 きっとミレアなんかは私が幽霊になって化けて出たと思って腰を抜かしてしまうだろう。

 その前に心の準備をさせておくのは悪くないアイディアだ。


 私はイェラナイフの助言に従い、外城門を守る衛士のところに顔を出すことにした。


「おお、姫様!

 お早いお戻りで。もう大丈夫なんですか?」


 門番にあたっていた顔見知りの老衛士は、私の顔を見るとのんびりした口調でこう言った。

 もしかして、彼らは私が死んだことを知らないのだろうか?


 それも十分あり得る話だった。

 お兄様の不在時に、森の守りの要である私が死ぬというのは、色々なところに動揺を起こしかねない。

 その原因がお義姉さまだなんてことになればなおのことだ。

 きっと、私の死は一般には伏せられているのだろう。

 だったら、余計な混乱を起こす必要はない。


「ええ、誤解はちゃんと解けたから。

 私はこれからお義姉さまに謝りに行くの。

 お城に先触れを出しておいてもらえないかしら?」


「へえ!

 姫様が! お妃さまに謝罪を!

 こりゃ一大事だ!」


 老衛士が目を真ん丸にして叫んだ。

 何もそんなに驚かなくてもいいんじゃないかしら?


 すぐにお城に使いが出され、私たちはあれよあれよという間にお城に連れていかれた。

 お城ではミレアが満面の笑みを浮かべて出迎えてくれた。


「まあまあ姫様! よくお戻りになられました!

 森の中の生活はさぞご不便でしたでしょう?

 ちゃんと食事はとっておられましたか?

 堅パンや干し肉ばかりでは味気のうございますからね。

 久々に温かい食事でもいかがですか?

 すぐに厨房に人をやって――え? いらない?

 分かりました。すぐに湯浴みの支度をさせ――これもいらない。

 え? すぐにお妃さまに会いたい? 大事な話がある!

 ええ、ええすぐにお妃さまにお伝えしますとも!

 でもまずはその外套をお脱ぎになって――」


 外套を脱ぐように促されフードを外した瞬間、休むことなく動き続けていたミレアの口がぴったりと止まった。

 目も口も驚きのあまり真ん丸になっている。


「ひ、姫様!

 その御髪は一体……!」


「ああ、これ?

 邪魔だから切ったのよ」


 何も知らないのなら、余計なことは言うまい。

 今思えば、狩人の兄弟には悪いことをしてしまった。

 彼らは本当に私を連れ戻しに来ただけだったのだ。

 きっと見つけ出して、お詫びと埋め合わせをしてあげないと。


 お義姉さまなら彼らの居場所がわかるだろうか?

 いや、彼らはそのお義姉さまから逃げているんだったかしら?

 まあいいか。今はお義姉さまだ。


 ミレアはまだアワアワしたままなので、自分で外套を脱いで荷物と一緒にミレアに押し付ける。


「そんなことよりも、今は一刻を争うの。

 早くお義姉さまのところへ連れて言ってちょうだい」


「は、はい……」


 まだ何か言いたげなミレアをせかしてお義姉さまのところに向かう。

 もちろんイェラナイフも一緒だ。

 人間から見ればとても小柄な彼は城中から好奇の視線を集めていた。

 ミレアも彼が気になるようで、先ほどチラチラと振り返っては彼の様子を窺っている。

 気になるのはわかるけれど、何しろ私にとっては大事な仲間だ。

 彼女には、もう少し落ち着いてからしっかりと紹介してあげたい。


「本日、お妃さまはこちらでお会いになられるとのことです」


 そう言って通されたのは、意外なことにお義姉さまの私室だった。

 謝罪したいと伝えていたのだから、てっきりお城の大広間に通されるとばかり思っていた。

 そこでなら、私が謝罪するところを大勢の人に見せることができる。

 互いの立場がはっきりするということは、お義姉さまにとって利益になる。


 ところが、お義姉さまはファラに人払いを命じると、侍女たちまで追い出してしまった。


「すまぬがご客人。

 今だけは義妹と二人っきりで話をさせて欲しいのじゃ。

 ミレア、話が済むまでの間、ご客人をもてなしておいてはくれぬか」


 ミレアは私に少しだけ躊躇うような視線を向けてきたが、私が頷いて見せるとイェラナイフを連れて部屋から出ていった。

 部屋には私とお義姉さま、ファラの三人と、お義姉さまの腕の中の赤ん坊だけが残った。


 私はお義姉さまの前に跪き、首を垂れる。


「お義姉さまにおかれましては大変ご機嫌麗しゅう。

 この度は、私めの勘違いにて大変な不始末を――」


「よい。なにも言うな」


 ところが、私が謝罪の言葉を口にする前にお義姉さまに遮られてしまった。

 もしかして謝罪は受け入れてもらえないのだろうか?

 そうか、だからこっちの部屋なのか。

 当然だ。それだけのことはしてきた。

 言葉一つでチャラにできるほど、お義姉さまの怒りが軽いわけがない。

 私は覚悟を決めてお義姉さまの言葉を待った。


「皆まで言わずとも、そなたの真心は伝わっておる。

 そなたがこれまでの行いを悔やみ、改めるというのなら、全て許そう。

 そして新たな関係を築こうではないか。

 共に手を取り、陛下を、そしてこの国を支えていこうぞ」


 その優しい声色と言葉に、私は泣きそうになってしまった。


 お義姉さまはまだ相当にお怒りだということが分かったからだ。

 だって何も言わずに真心が伝わるわけがない。

 言葉どころか、まだ行動ですら示していないのだ。

 いったい今の私のどこに許される要素があるというのか。


 きっとこれはお義姉さまの罠だ。

 先の暗殺者は確かにホルニアの手の者だったのだろうが、お義姉さまはお義姉さまでまだ私の命を狙っているに違いない。

 こうやって私を油断させて背後から刺すつもりだ。

 そのために、こうして私室で人払いをした上で謝罪を受け入れたのだろう。

 謝罪を受け入れてから殺したのではあまりに外聞が悪い。

 だけど、誰もいないところでのやり取りであれば、後からどうとでも言い繕うことができる。


 私が悲しみに肩を震わせていると、お義姉さまが言葉をつづけた。


「そなたの戦いぶり、すべて見せて貰った。

 そなたの叫びも聞いた。

 我が愛しい義妹いもうとよ。

 そなたが、家族のために命を懸けてくれたこと。

 そしてその家族に、わらわも含めていてくれたこと、わらわは生涯忘れぬ」


 え? ちょっと待って。何でお義姉さまが知ってるの?

 私は思わず顔を上げてしまった。

 目の見えないはずのお義姉さまが、私の顔を見て・・クスリと笑う。


「疑うのも無理はない。

 だが、今の言葉は真実そう思うての言葉じゃ。

 信頼の証に、我が魔法の力を見せてやるとしよう。

 ファラ、鏡を持て」


 お義姉さまの指示で、ファラが恭しく不思議な装飾の鏡を差し出した。

 お義姉さまは腕の中の赤ん坊と引き換えにそれを受取ると、私に鏡面を向けて捧げ持つ。


「我が魔法の力は三つ。

 この盲いた目に代わって、鏡に映った景色を見ることができる。

 そしてもう一つ、遠く離れた鏡を映し出すことができる」


 そういってお義姉さまは鏡に向かって何やらぶつぶつと唱え始めた。

 鏡に映った私が大きく歪み、代わって森の中の景色が映った。

 忘れるはずもない。先日カリウスと戦ったあの場所だ。


 なるほど。

 これがお義姉さまの力……。


「我が力はこれだけではない。

 ただ遠く離れた鏡を映すばかりではなく、その過去の景色も映すこともできる」


 そういいながら、お義姉さまは再び魔法に集中し始めた。

 鏡に映った景色が再びグニャリと歪む。

 次に映し出されたのは、宝剣を構える後姿のカリウスと、それに対峙する私。


 鏡の中の私が何かを叫んでいる。

 声こそ聞こえないものの、何を言っているかははっきりと分かった。

 間違いなく、あの時だ。


 鏡の中で、叫び終わった私が戦いを再開した。

 お義姉さまが何事か呟き、鏡の中の景色が止まる。

 巻き戻る。

 再びカリウスと対峙する鏡の中の私。

 何か叫んでいる。


「お、お義姉さま、もう止めていただけないかしら」


 恥ずかしさのあまり私が哀願すると、お義姉さまがニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「何、恥ずかしがるでない」


 リピート。鏡の中の私が何かを叫んでいる。

 お義姉さまの復讐はまだ始まったばかりだ。


「あの、お義姉さま……もう一つ大事なお話が……」


 なにも、話をそらそうとしてこんなことを言っているわけではない。

 これを持ち出すなら、人払いされた今以外にないだろう。


「なんじゃ?」


 お義姉さまが集中を解いたおかげで、鏡から森の景色が消えた。

 私はちらりと赤ん坊の様子を見た。

 赤ん坊はファラの腕の中でスヤスヤと眠っている。


「カリウスは私が死んだものと思い込んでいたわ。

 なんでも、このお城にいる内通者から情報を得ていたとか」


 お義姉さまの表情が変わった。

 そして振り返り、ファラに視線を向ける。


 ファラの反応は極めて速かった。

 懐からナイフを取り出し、赤ん坊に突き立てようと振り上げる。

 お義姉さまが立ち上がり、赤ん坊を取り戻そうと手を伸ばした。


 ファラが身をかわし、お義姉さまの手が空を切った。

 胸元の首飾りが揺れて、お義姉さまはファラを見失う。


 その隙にファラがナイフを振り下ろす。

 だけど、それが赤ん坊に届くよりも私が組み付く方が速かった。

 ファラがバランスを崩し転倒する。

 あの鉢植えさえあれば!

 こんなことなら荷物を置いてくるんじゃなかった。

 ナイフも赤ん坊も抱えたままだ。赤ん坊が火が付いたように泣き始めた。

 ファラがものすごい形相でこちらを睨みつけながら、私を振りほどこうともがく。


「誰か! 誰か参れ!」


 お義姉さまが叫び声をあげながら参戦し、赤ん坊を取り戻そうと必死で手を伸ばす。

 私はファラのナイフを握った手を必死で抑え込む。


 程なくして、勢いよくドアが開き衛士たちがなだれ込んできた。

 赤ん坊を取り戻したお義姉さまが後ろに這いずりながら距離をとる。

 衛士たちがファラを取り押さえ、ナイフを取り上げたのを確認してから私も後ろに下がった。


 お義姉さまは泣きじゃくる赤ん坊を抱え、荒い息を吐きながら茫然とファラが拘束される様を見つめている。

 お義姉さまにしてみればあまりにも突然のことだったのだろう。


 私にとって、ファラの裏切りは想定していたことだった。

 少し考えてみればわかることだ。

 もし、奥方衆の息がかかった侍女たちにあの小包の中身が知られていたら、城内に秘密が漏れないはずがない。

 ところが実際には、ミレアですら私が髪を切ったことを知らなかった。

 お義姉さまの周囲で、お義姉さまの秘密を守ることができる人間なんてファラ以外にはいない。

 つまり、ホルニアにその情報を伝え得うる人物も一人しかいないことになる。

 まさかこんな思い切った行動に出るとは思わなかったけれど。


 衛士たちに縄をかけられ連行されていくファラの背に向けて、お義姉さまが呟いた。


「なぜ……」


 ファラが足を止めて振り返った。

 衛士が縄を強く引こうとしたが、私はそれを目で制した。


「なぜじゃ、ファラ。

 そなただけは、どこまででもわらわについてきてくれると信じておったのに……」


「もちろん、ついていくつもりでしたとも。ナハマン様。

 貴女が地獄に落ちるのを見届けるその日までね」


「何故じゃ……!

 あの暗闇の牢においてすら仕えてくれた其方が、なぜ今頃になって――」


「なぜですって?

 その愚かさで、我が一族を諸共に滅ぼしておきながら、よくも抜け抜けと。

 貴女に仕え続けたのも、貴女が苦しむのを間近で見るために過ぎません。

 ですが、それも今日までのようですね。

 せめて、最後にあなたの一番大事なものを奪えればよかったのですが……

 フフ……いいお顔ですこと」


 ファラの告白はよほど衝撃的だったのだろう。

 お義姉さまはがっくりと項垂れると、赤ん坊を抱きしめたままシクシクと泣き出してしまった。

 ファラはその様子を見て満足げな笑みを浮かべると、自身の縄を引く衛士を促し、部屋を出ていった。


「お、お義姉さま……」


 私は泣き続けるお義姉さまを慰めようと一歩踏み出した。

 ところがお義姉さまは気配を察してか、ヒィと悲鳴を上げたかと思うと、赤ん坊を抱え込むようにして私に背を向けてしまった。

 部屋に残っていた衛士たちもどうしていいか分からない様子だ。


 私はお義姉さまの傍にかがみこんで、その背を撫でながら声をかけた。


「お義姉さま、もう大丈夫です」


 もちろん、そんな言葉でお義姉さまの傷がいえるはずもなく。

 赤ん坊も、お義姉さまも泣き止むことはなかった。

 お義姉さまの鏡の首飾りが、赤ん坊の産着の上できらりと光る。

 そこに映った私の顔は、どうしようもなく途方に暮れていた。


 その時、何かの液体が一粒、ポタリと鏡の上にたれた。

 私の血だ。

 どうも、ファラともみ合っていた時に腕に傷を負っていたらしい。


 私は立ち上がると、パックリと裂け目のできた袖をまくって傷を確認した。

 大した傷ではなさそうだ。


「誰か布をもらえないかしら?」


 衛士の一人が、短剣で自身のマントを引き裂くと、私の傷口を縛ってくれた。

 傷の処置が終わって振り返ると、もうお義姉さまは泣き止んでいた。

 私の傷への視線を感じる。

 お義姉さまは口元に泣いているとも笑っているともつかない表情を浮かべながら言った。


「どうやらわらわはずっと、信じるべき者を疑い、疑うべき者を信じていたようじゃのう……」


 その声は、私にはとても寂しげに聞こえた。

 今のお義姉さまからはいつものあの尊大な気配が消え失せ、ひどく弱々しくなってしまっている。

 できることならば、このままそっとしておいてあげたい。

 だけど今は一刻を争う状況だ。


 私は鏡に垂れた血を拭いながら声をかけた。


「ねえお義姉さま。私の友人と会っていただきたいのだけれど」


「少しの間でよい、放っておいてはくれぬか……」


「そうはいかないわ。

 お城に危機が迫っているの」


「……危機じゃと?」


 お義姉さまの気配が変わった。


「ええ、そうよ。

 この城に地龍が迫っているの。

 とても大きくて強い怪物よ。

 お願い、お義姉さま。私たちに力を貸して」


「詳しゅう話せ」


 お義姉さまの声を聴いて私は嬉しくなった。

 少しだけれど、その声に力が戻ってきている。


 そうでなくちゃ。

 それでこそ私のお義姉さまだ。

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