第三十二話 鏡の魔女、闇に立つ

 義妹が連れてきた小男は、〈山の下の王〉の庶子イェラナイフと名乗った。

 小さな体躯に見合わぬ、堂々とした態度であった。


 はるか西方には、彼のような小男ばかりが住む地下の王国があるという。

 しかし、その地下の王国は地龍なる怪物の襲撃を受け、大いなる損害を被った。

 そこで彼は王と同胞たちの仇を討つため、仲間たちと共にその地龍を追ってこの地までやってきた。

 というのが彼の主張だった。


「そしてその地龍が、現在この〈浮遊城〉に向かってきているのです。

 より正確には、この城の真下にある古代の地下遺跡に向けてです。

 そこにある霊気結晶が破壊されれば、この城の建つ岩塊は落下し、地上に大きな被害をもたらすでしょう。

 どうか我らの地龍討伐に力を貸していただきたい。

 これは双方にとって利のある事でございます」


 にわかには信じがたい話である。

 しかし、ナハマンはこの小男に見覚えがあった。


 確か、森で義妹がホルニアの王子を倒した際に共に鏡に映っていたはずだ。

 この小男らがいなければ、おそらく義妹はホルニアの王子に敗北していただろう。


 王国にとり、またナハマン自身にとっても恩のある男である。

 何より、その傍らには義妹が共に跪いている。

 しばしの黙考の後、ナハマンはこの男を信じることにした。


「よかろう。我が城に危機が迫っているというならば是非もなし。

 助力は惜しまぬ。何なりと申し出るがよい」


「ありがたき幸せ。

 つきましては、城内を捜索することをお許し願いたい」


 ナハマンは首を傾げた。


「構わぬが、いったい何のためであるか」


「我らが国に伝わる伝承の通りであれば、

 この城のどこかに地下遺跡への入り口があるはずなのです」


 ナハマンの疑問はますます膨らんだ。

 この城は宙に浮いているのだ。

 いったいどうすればここから地下につながる道が見つかるというのだろうか?



 ナハマンは客人に率いられ、義妹と共に城の地下へと向かっていた。

 城中に他へ通じる抜け道があるのなら把握しておかねばならない、という名目だった。

 彼女は王の不在時にはその代行者としてこの城を守る責務がある。


 しかしそれだけなら、わざわざ自身が赤ん坊を抱きしめて出向く必要はない。

 オッターか、あるいは彼が信用する衛士にあたりに任せておけばいい話である。

 それでもこうしてナハマン自身が出向いて来たのは、一人でいる寂しさに耐えられなかったからだった。

 なにより、うじうじと考え事をしているよりはこうして体を動かしていた方が気も紛れる。


 客人の国に伝わる伝承によれば、地下遺跡の入り口はこの浮遊島の中心に存在していたのだという。

 この城を建てるにあたって、地下の遺構はそのまま利用されている可能性が高い、というのが彼の考えであるらしい。


「それにしても、まさか本当に役に立つ日が来るとは思わなかったな」


 城の基部へ続く階段を下りながら、客人がつぶやいた。

 その右手には何やら円盤状の不思議な道具を持ち、左手にはツルハシを担いでいる。


「何の話?」


 義妹が客人に尋ねた。

 その様子はずいぶんと気安く見えた。

 さほど長い付き合いではないはずだが、信頼を培うのに十分な出来事が彼らの間にあったようだ。


「子供の頃の話さ。

 庶子とはいえ、一応王族だからな。

 山に下の民の歴史について散々叩き込まれたんだ。

 それこそ〈大移動〉以前についても、残されている限りにな。

 ところがその知識ときたら、つぎはぎだらけどころか、ほとんど襤褸切れのさらに切れ端みたいな有様だ。

 もう戻ることもない、遥かな、しかも実在すら怪しい土地の断片的な知識なんて詰め込んでなんになるのかと子供心に思ったものさ。

 ところがいざ大人になってみると、その怪しげな情報以外に頼れるものがないときた。

 本当に、何が幸いするか分からないものだな」


 客人の口ぶりは愚痴めいていたが、その表情はどこか懐かしげだった。

 おそらく、彼にとっては悪くない思い出なのだろうとナハマンは彼らの話を聞きながらぼんやりと思った。


 円盤状の道具を覗き込みながら歩いていた客人が、ある扉の前で足を止めた。


「入っても構いませんね?」


 客人が振り返り、ナハマンに確認をとる。

 そこは地下牢だった。


「あ、ああ、構わぬが……」


 ナハマンの歯切れの悪い許しを得て、客人が扉を開く。

 牢番の詰め所で何やら書き物をしていた衛士が、ナハマンらの顔を見るなり立ち上がって最敬礼をした。


「楽にしていてよい。

 牢の奥が見たい。構わぬな」


「は、はっ!

 しかし……」


 衛士の目には、同情と警戒が入り混じった複雑な色が浮かんでいた。

 どうやら彼はナハマンがここに来た理由について何か誤解をしているに違いなかった。

 万が一にも、このお妃さまが囚人に危害を加えようものなら、この牢番はオッターからきついお叱りを受けることになる。

 彼には拒否することができないにもかかわらずだ。


 それでもここを開けてもらわないことには始まらない。

 ナハマンが改めて促すと、衛士は躊躇いながらも詰め所の奥にある鉄格子を開けた。


 円盤を手にした客人を先頭に奥へ進む。

 鉄格子の先には薄暗い廊下が続いており、その両側には独房の扉が並んでいた。

 客人は迷うことなく一番奥の扉の前に立った。


「こちらを開けていただけますか?」


 ツルハシを担いだ見知らぬ小男にそう言われ、衛士がナハマンの顔色を窺う。


「……かまわぬ。開けよ」


 衛士が扉にカギを差し込んでガチャリと回す。

 案の定、中にはあまり見たくなかった顔があった。

 ファラはナハマンの顔を見るなり、自虐的な笑みを浮かべた。


「これはこれは。

 わざわざかような薄暗いところまでお越しいただき光栄至極にございます。

 私に何か御用でしょうか?」


 ナハマンは口をへの字に曲げた。

 あんなに劇的な別れをしたばかりだというのに、こんな形で顔を合わせる羽目になるとは思ってもみなかった。


「そなたに用はない。

 おい、この者を隣の牢へ移せ」


 ファラの目が見開かれた。

 彼女はなにか泣き言でも聞けると期待していたのだろう。

 驚きの表情を浮かべたまま、訳も分からず衛士に連れ出されていく。

 その様子を鏡越しに確認したナハマンは少しだけ留飲を下げた。


「……客人、本当にここなのであろうな?

 何もないではないか」


 ナハマンはファラのいた独房を見回しながら言った。


「間違いありません、陛下。

 方位盤は間違いなくこの壁の向こうをさしております」


 客人はそう言いながら担いでいたツルハシの先で壁をコツコツと叩き始める。

 やがて何かを見つけたらしく、壁を叩くのをやめてツルハシを振り上げた。


「この奥です。しばしお待ちを」


 言うが早いか、客人は勢いよくツルハシを振り降ろし壁を破壊し始めた。

 分厚い壁石が瞬く間に叩き割られていく。

 程なくして、崩れた壁から青銅製の扉のようなものが姿を現した。

 表面には、悪趣味にもグニャリと歪んだ人間の顔の装飾が施されている。


 客人が扉をぐいと引くとそれは音もなく開いた。

 扉の向こうには闇が広がっていた


 客人は円盤を足元に置くと、代わって腰につるしていた筒状の道具を手に取り捻った。

 すると、空いた隙間から青白い光が漏れ出てきた。

 どうやら、それは魔法のランタンであるらしい。

 彼は青白い光を放つそれで闇の奥を照らそうとしたが、黒い靄のようなものに阻まれて奥を照らし出すことは叶わなかった。


 客人はしばらくの間その靄を見ながら思案していたが、やがて意を決したようにランタンを持った手を靄の中に突っ込んだ。

 輝くランタンはすっと靄に飲み込まれたが、靄の中からは一筋の光すら漏れ出てくることはなかった。

 客人が手を引くと、その手とランタンが何事もなかったのかのように姿を現す。


「フム、本当に伝承の通りだな」


 客人はそう言うと、物入から一巻のロープを取り出し、自身の腰に結び付けた。

 それから反対の端を義妹に持たせて言った。


「まずは一人で入ってみる。

 こいつが壊れていなければ、古代遺跡に出られるはずだ。

 マズイと思ったら、このロープを二度引く。

 そしたら俺を引っ張り出してくれ」


「任せて」


 客人は義妹と頷きを交わすと、躊躇うことなく靄の中に足を踏み入れた。

 義妹が手にしていたロープがするすると伸びていき、やがて止まった。


「……どうなっておるのじゃ?」


 義妹にそう尋ねたものの、彼女も困惑するばかりである。


「分からないわ」


 ロープが弛んだ。

 直後、靄の中から客人がぬっと姿を現した。


「大丈夫!?」


「ああ、問題ない。何度か呼びかけたんだが、聞こえなかったか?」


 ナハマンは義妹と顔を見合わせた。

 義妹が客人に答える。


「何も聞こえなかったわ」


「ふむ、音は伝わらないのか。

 まあいい。転移装置は問題なく稼働しているようだ。

 お前も見に来るか?」


「もちろん!」


「陛下はいかがいたしますか?」


「無論、わらわもいく」


 ここまで来たのだから、見届けぬわけにはいかなかった。

 ところが、いざ動こうとしたところで、自身の足がすくんでしまっていることに気づいた。

 ナハマンにとり、闇は絶望と恐怖を強く想起させる存在だった。


 ファラの事がナハマンの脳裏をよぎった。

 あれが共にいれば、闇といえど恐ろしくはなかった。

 だけど、彼女はもういない。


「どうしたの?」


 義妹が振り返り、不思議そうに首を傾げた。

 ナハマンは声が震えぬよう、慎重に答えた。


「なんでもない。

 すこし……戸惑うてしもうただけじゃ」


「じゃあ、お義姉さま。

 一緒に行きましょう」


 差し出された義妹の手を取ると、少しだけ恐怖が遠のいた。

 義妹とともに、客人の後に続いて靄の中に足を踏み入れる。

 靄の先も暗闇だった。

 その闇の中に、客人が青白い光を放つランタンを手に立っている。


「真っ暗じゃない。どうなってるの?

 前はもっと明るかったけれど」


 義妹が客人に向けて文句を言った。

 どうやら彼女は、どこか似たような場所を訪れたことがあるらしかった。


「あそこは霊気結晶がむき出しだったからな。

 普通は光が漏れないよう、反射板で覆われているんだ。

 その方が効率的に利用できる。

 俺たちの故郷もそうだった」


「じゃあ、あなたたちはこんな真っ暗闇の中で暮らしているの?」


「まさか。普通はこれと」


 そう言って客人はランタンを掲げて見せた


「同じような街灯がそこら中に配置されているんだ。

 どうやら、ご先祖はここを出る前に灯りをすべて消していったらしい」


「へえ」


 義妹はそう応えながら、どこからか同じようなランタンを取り出し、灯りをつけた。

 青白い光に照らされて、義妹の白い装束が闇の中にはっきりと浮かび上がる。


「それでどうするの?

 こんなに暗くちゃ戦えないわ」


「安心しろ。霊気結晶の近くに制御室があるはずだ。

 まずはそこにいこう」


「道は分かるの?」


「霊気結晶のある都市の構造はどこもそう変わらん。

 せいぜい大きさが違う程度だ」


 客人の明りに先導されながら、緩やかな坂道をまっすぐに下る。

 程なくして、何か大きな建物の前で客人が立ち止まった。


「ここだ」


 客人はそう言って扉を開け、中にその身を滑り込ませる。

 義妹が続けて中に入ろうとしたが客人に押し返されてしまった。


「なによ。入れてくれったっていいじゃない」


 義妹が不満そうに口をとがらせると、客人がにやりと笑った。


「そこで待っていろ。

 いいものを見せてやる」


 そう言い残すと彼は扉をぴたりと閉めてしまった。


「なんなのよもう」


 取り残された義妹はふくれっ面をしている。

 ナハマンは鏡の首飾りを手に、あたりを見回した。

 周囲は濃い闇に覆われており、魔法のランタンですらせいぜい十歩先を照らすのが精いっぱいだった。


 これから何が起きるのかと不安になりかけたその時、目の前でぽっと明かりがともった。

 義妹が手にしているのと同じ、月明かりに似た青白い光だ。

 

 続けて一つ、また一つ。

 魔法の光が同心円状に広がり、古代の遺跡を照らし出していく。

 その様はまるで、死した都が息を吹き返していくかのようだった。


「なんと……なんと美しい……」


 ナハマンは絶句した。

 今や闇は打ち払われ、目の前には堂々たる都市が広がっている。


 これほどの感動を覚えたのは、かつて、地下牢から連れ出された時以来だった。

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