第十五話 鍛冶師、美を語る
遺跡の入り口に到着してから三日が経った。
通路の開削作業はいまだに続いている。
どうやらイェラナイフにとっても誤算だったらしく、休憩の間も一人で円盤状の物体を持ってうろつき回っては何やらぶつぶつ言っている。
手にしているその丸いものは何かと聞いてみると、どうやら地龍との距離を測るための魔法の道具であるらしい。
マーカーがどうとか角度がどうとか言われたけれど、私には何を言っているのかさっぱりわからなかった。
掘削作業に必要なのはイェラナイフとケィルフ、それから塩まき係の三人。
塩まき係はドワーフたちが交代で務めていて、今日の担当は〈王冠落とし〉のネウラフだ。
私はすることもないので、座り込んで石人形の行列をぼんやりと見学している。
最初のうちは見ているだけでもずいぶんと楽しかったものだけれど、さすがにもう見飽きてしまった。
あまりにも退屈だったので石人形をつついて遊んでいたら、上がってきたイェラナイフに「ケィルフの集中が乱れるからやめろ」と叱られた。
ため息を一つついて周りを見回す。
広間では残りのメンバーが空いた時間を思い思いに過ごしている。
イェルフは酒を飲んでお昼寝中。当然話し相手にはなってくれそうにない。
ディケルフは何かの図面を睨みながら考え事。多分、地龍とやらを殺すための罠を考えているんだろう。
イェンコは昨日私が仕留めた鹿を調理中。ひっきりなしにスープの味見をしては味の調整に余念がない。
この二人はダメだ。彼らは何かに夢中になると他のことは考えられなくなるタイプだ。
それにしても、イェンコは大丈夫だろうか。
あの調子で味見をしていてはスープができる前に鍋が空になってしまうんじゃないかしら?
そして最後にドケナフ。
彼は部屋の隅っこでナイフを片手に何やら小石を削っている。
その顔つきはいかにも退屈そうで、身を入れてやっているという感じじゃない。
あれなら話しかけても邪魔にはならないだろう。
「ねえ、なにをしているの?」
ドケナフは面倒くさそうに顔を上げた。
「これか? 見ての通りだ」
そういいながら、彫りかけの石をこちらに放ってよこす。
親指ほどの大きさの白い小石に彫られていたのは、精悍な顔つきの馬の頭部だった。
多分チェスに使う騎士の駒だろう。
どう見ても素人が暇つぶしに彫ったという風ではない。
これは年季の入った職人の仕事だ。
彼の太くてごつい指は、見た目の割に随分と器用に働くらしい。
「案外上手なのね」
「この程度は鍛冶師の嗜みだ。
ほれ、早く返せ。まだ作りかけなんだ」
言われて駒を返すとドケナフは作業を再開した。
彼のナイフが石を撫でるたびに、馬の表情がより精緻に、より生き生きとしたものに変わっていく。
もちろん彼の腕前も大したものだけど、何よりその手に持つナイフがすごい。
鉄より硬いはずの石を易々と削り取っていくのだ。
それでいて刃を痛めた様子が全くない。
「そのナイフ凄いわね」
私がそう言うと、ドケナフは今度は嬉しそうにニヤリと笑った。
「おお、嬢ちゃんはこいつの美しさが分かるのか。
そうともこいつは俺の最高傑作だ。
遠慮はいらねえ、じっくり見てやってくれ」
彼は彫刻の手を止めると、右手のナイフを私に差し出してきた。
そういう意味で言ったのではないけれど、まあいいか。
ドワーフが鍛えた刃物はこの辺りではとても貴重で、手に取ってじっくり見る機会なんてそうそうない。
嘘か本当かは知らないけれど、私たちのご先祖はドワーフの宝剣と引き換えにあの浮遊城を手に入れた、なんて話もあるぐらいだ。
私はナイフを受け取り、じっくりと鑑賞する。
峰は切っ先までまっすぐで、全体にふっくらとしたハマグリ刃。
柄は樫の木。握りやすいようにか、緩やかに波打っている。
私の手には少し余るけれど、多分ドケナフの手にはぴったり合うのだろう。
ぱっと見は何の変哲もない、ごく普通のナイフだ。
でも、間近でみればそれだけではないことがすぐに分かった。
これといって特徴がないはずなのに、その形状は端正で隙が無い。
徹底的に整えられ、研ぎ澄まされ、磨き抜かれている。
「奇麗……」
ため息とともに、思わずそんな言葉を漏らしてしまう。
これでも王族のはしくれだから、装飾品の類はそれなりに目にしているし、持ってもいる。
どれもこれも華やかに、煌びやかに飾られていた。
だけど、このナイフの美しさはそれらとは真逆のものだ。
一切の無駄が削ぎ落とされた先に初めて生じる美もあるのだと、今知った。
私がナイフに見とれているとドケナフはますます嬉しそうに相貌を崩した。
「そうだろう、そうだろう。
もちろん奇麗なだけじゃない。
こいつは〈はがね山〉にある刃物のうちでもっとも鋭い」
「石を木か何かみたいに削ってたわよね。
これもあなた達の魔法なの?」
「魔法か。まあ、そうとも言えるか。
霊気なんて魔法みたいなもんだからな。
こいつは、霊鋼でできたナイフなんだ。
霊鋼ってのは鋼を霊気結晶のすぐそばでその光に晒し、霊気を浸透させたものでな。
そいつで作った刃はどんなに鋭くしても決して欠けず、曲がることもない」
「魔法の鉄で作ったってわけね。
でも、それって貴重なモノじゃないの?」
「もちろん、貴重だとも。
なにしろ剣一振り分の鋼に霊気を浸透させるには百年かかると言われている。
だから誰にでも使わせるってわけにはいかねえ。
技を極め、選び抜かれた鍛冶師だけが生涯にたった一度、霊鋼で武器を打つことを許されるのさ。
だが、その前にこうして霊鋼のナイフを一本打って霊鋼も自在に扱えることを証明せにゃならん。
それが長老たちのお眼に適えば合格よ。
これはその時に作ったものだ」
そう語る彼の口ぶりはずいぶんと自慢げだ。
「意外ね。
〈ヤボ金槌〉なんて呼ばれているぐらいだから、
鍛冶はあまりうまくないんだと思ってたわ」
私がそういうと、ドケナフは不機嫌そうに鷲鼻を鳴らした。
「自分で言うのもなんだがな、刃物を打つことにかけちゃ間違いなく山で一番だ」
「じゃあ、なんでそんな変な二つ名で呼ばれてるの?」
「それだよ。今、嬢ちゃんが持ってるそのナイフのせいだ」
「これ?」
「そう、まさにそいつが原因なんだ」
私は手元のナイフをもう一度じっくり観察してみた。
何度見ても奇麗としか言いようがない。
その上、石を易々と削るのだから切れ味に問題があるわけでもないだろう。
「俺たちの社会で一番尊敬されるのは、もちろん美しいモノを作る職人だ。
この点、俺たち武器鍛冶も例外じゃねえ。
武器ってのは強く、そして美しくなくちゃならん。
だから見ろ」
ドケナフは広間の壁に立てかけられた、イェンコの戦斧を顎で指した。
その斧腹にはモグラと豚を掛け合わせた様な不細工な生き物が誇らしげに彫り込まれている。
おそらく、イェンコの功績に因んでのことなのだろう。
モチーフの奇妙さはさておいて、それが技巧を凝らした逸品であることは私みたいな素人にも一目でわかる。
「あんなふうにお奇麗に飾り立てて、ようやく武器は完成品として認められるわけだ。
だが、俺はどうにも納得がいかなかった。
剣だろうが槍だろうが、飾りなんかいらねえ。
その成すべきことだけを徹底して追求すれば、その先に必ず美と力が宿るはずなんだ」
そこまで言ってドケナフはため息をつき、項垂れた。
「だが、誰もわかっちゃくれなかった。
例えば、ある戦士から剣を打ってくれと頼まれたとする。
俺はいつも飾りのない渾身の一振りを造り上げ、依頼人に見せる。
すると一目見てそいつは叫ぶ。『なんてすばらしい剣だ!』ってな。
剣を手に取り夢中になって振り回した後こう付け加える。
『あとは飾りをつけるだけだな!』
それから、いろいろと飾りの注文を述べ立てる。
そいつが崇めている神だとか、好きな動物だとか、奥方の姿だとかを彫り付けろといわれるわけだ」
「そりゃあ仕方がねえだろう」
いつの間に起きてきたのか、イェルフが割り込んできた。
「どんなに美しかろうが、それだけじゃ気分が上がらねえんだよ。
愛する奥方、大変結構じゃないか。
大事な何かを守ろうと思えば力が湧いてくる。
神や獣は、武器を通じて戦士にその力を宿らせる。
見ろこの槍を」
そういって彼はいつも抱えている槍の穂先から覆いを取り払う。
そこには金銀の象嵌で、鉄巨神を突き殺すドワーフが描かれている。
「ここに彫り込まれているのは、我が祖先の勲だ。
その最初にして最大の功績、鉄巨神の討伐に始まり――」
言いながら、今度は柄のほうを指さす。
そこにも様々な怪物やら何やらが、柄の半ばまでびっしりと彫り込まれている。
「ゴブリンの怪将軍ゴルヌン、火吹き竜ミケドラス、大トロールのヌメラノメラ。
どれもこれも、この槍が討ち取った怪物どもだ。
こういう先祖の物語が俺に勇気を与えてくれる。
先祖の名に恥じぬ戦士であらねばならぬと、気合を入れてくれるんだ。
本や知識だけじゃこうはいかねえ。
戦場にあって、常に握りしめている武器でないと。
そこから生じる最後のひと踏ん張りが生死を分ける。
それこそが俺たちの求めるものなんだ」
「……まあ、その点はお前さんの言う通りだ。
その剣を手に命を懸けるのはそいつ自身だからな。
言われた通りにはしてやるが、すっかり醜くなっちまった剣で大喜びされると俺としちゃあどうにもむなしい。
これは俺の美意識の問題だ。仕方ねえだろう」
「まあなあ」
そういってイェルフは穂先に元通り覆いをかけると、その場に座り込んでまたお酒を飲み始めた。
ひと段落ついたようなので、私は話の方向を元に戻そうと試みた。
「それで、結局このナイフがどうしたっていうの?」
「おお、そうだったそうだった。
すっかり脱線しちまったな」
ドケナフはこちらに向きなおると話の続きを始めた。
「まあなんだ。
俺の理想には程遠いとはいえ、出来うる限りの努力はしてきた。
依頼人からの評判は上々だ。
そうしているうちに、とうとう霊鋼の武器を作ってみないかとお声がかりがあったわけだ。
さっきも言ったが、誰にでも回ってくる話じゃねえ。
試し打ちに挑めるだけでも二十年に一人いるかいないかってところだ。
お声がかりだけでも名誉な話よ。
もちろん二つ返事で引き受けた。
そうして出来上がったのが、そいつだ。俺の理想をありったけぶち込んだ、最高傑作だ。
だがまあ、ここまでの話を聞いてりゃどうなったかはわかるだろう」
「受け入れてもらえなかったのね」
「そうだ。
霊鋼で作られた武具は、神々に捧げられた後、その時々の英雄的な戦士に貸し与えられる。
長老衆はこのナイフが美しいということは渋々認めたが、しかし神々に捧げるには相応しくないと判断した。
英雄は神々の代行者としてその武器を振るうのであるから、一目でわかる程に華麗で威厳がなくてはならないというんだ。
悔しいが、そう言われちまえば仕方がない。
俺は涙を呑んで引き下がった。おそらくこうなるだろうとは思っていたんだ。
ありがたいことに、長老衆はこのナイフをそのまま持っていてもよいと言ってくれた。
貴重な霊鋼だからな、普通は試し打ちで落第すれば鋳つぶされるんだ。
だが、潰すのはあまりに忍びないってな」
私はドケナフの手元の駒をもう一度見た。
彼の生き方は、その手先に比べてずいぶんと不器用だ。
「飾り立てたナイフを作ればよかったじゃない。
作ろうと思えば作れたんでしょ?」
すると、私の言葉にドケナフは体をぶるりと震わせた。
「嬢ちゃんはとんでもないことを思いつくな。
神々に納めるんだぞ。必ず自身の最高傑作でなきゃならん。
仮に俺が本心を隠してそんなものを作ったところで、神々には必ず見抜かれる。
魂の偽証だ。死後に至るまで呪われちまうよ」
「そういうものなのかしら?」
「そっちの神がどうかは知らんが、俺たちの神はそうなんだよ」
どうやら私たちの神はずいぶんと寛大だったらしい。
嘘をつく人には大勢出会ったけれど、それで天罰を受けたという人には会ったことがない。
「話を戻すぞ。
試し打ちに通らなかったのはまあいい。
問題はそれからだ。
『飾りのない無骨な武器を神々に納めようとした』って話が独り歩きしちまってな。
それでついた二つ名が〈ヤボ金槌〉ってわけだ」
ドケナフはそう言ってこちらに手を差し出してきた。
私がその手にナイフを返すと、愛おし気にその刃腹を撫でた後、彫刻を再開した。
話はもう終わりだということなのだろう。
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