第十六話 白百合の姫、交易の相場を説く


「ねえ、他にはないの?」


 私の問いに、ドケナフが顔も上げずぶっきらぼうに応える。


「なにがだ」


「それ、チェスの駒でしょ?

 完成してる駒はないの?」


「それならほれ、そこの袋ん中だ」


 そう言って彼は顎で足元の革袋をさした。


「みたけりゃ勝手にみていいぞ」


「ありがとう」


 早速袋を拾い上げ中を覗くと、言われた通りチェスの駒がゴチャゴチャと詰まっていた。

 中身を出して並べてみる。

 既に大体の駒は揃っているらしい。

 足りないのは、白の騎士とお城の駒が一つずつだろうか?


「ほれ、できた。

 これも入れといてくれ」


 ドケナフが先ほどまで彫っていた騎士の駒を投げてよこした。

 これで残りはお城だけ。完成まであと少しだ。


「これ、全部揃ったら譲ってもらえないかしら?

 もちろんタダでとは言わないわよ」


 お義姉さまはチェスが大好きだ。

 夕食の後によくお兄様を相手にチェスをさしていた。

 目が見えないはずなのに、ファラに棋譜を読み上げさせるだけで盤面を把握できるらしい。

 そしていつもお兄様をコテンパンにやっつけるのだ。

 ドワーフの作った工芸品はそれだけで価値があるし、なによりドケナフが彫った駒は見た目だけはなく手触りもいい。

 仲直りのしるしにこれを贈れば、きっと喜んでもらえるはずだ。


「構わんが、金は持ってるのか?」


「うぅ……後払いじゃダメ?」


 王族とはいえ所詮は小国。私が自由にできる財産はそれほど多くはない。

 家出に際していくらかの銀貨や宝飾品は持ちだしてきたけれど、ドワーフのチェスセットを買えるほどじゃない。


「それじゃあダメだな」


「お城に戻ればそれなりの財産はあるし、絶対踏み倒したりしないわ。

 ねえ、だからお願い……」


「そうじゃなくてだな。

 こいつは外の村に持っていって、食料と交換するために作ってるんだ。

 肉なら森の中でも手に入るが、酒や塩はそうもいかねえ。

 特に塩はな。ケィルフが大量に使う。

 だから現物払いならまあいいが、後払いじゃ困るんだよ」


 なるほど。

 それならば諦めるしかない。

 ドケナフは「よっこらせ」と言いながら立ち上がると、石人形の行列に向かっていく。

 それから、石人形の一体に手を伸ばし、手ごろな大きさの小石を一つ掴むと、人形の体からむしり取った。

 むしられた人形はよろめいたが、すぐに姿勢を立て直すと何事もなかったかのように歩き去っていく。


「そんなことして、イェラナイフに叱られるわよ」


「いいんだよ。遊んでるわけじゃないんだから」


 ドケナフは元の場所に腰を下ろし、新しい駒を削り始めた。

 そうして手を動かしながら彼は機嫌よく言う。


「しかし、この辺りの連中はまったく気前がいいな。

 こうして片手間に彫った駒を、たった一揃いでうまい果実酒十樽と交換してくれるっていうんだから。

 おかげで道中ずいぶんと助かった」


「えっ」


 私は耳を疑った。


「チェスの駒一揃いがお酒十樽ですって!?」


「そうともよ。

 〈はがね山〉であんなに美味い果実酒を地上人から買おうと思ったら、一樽ごとに金でできた駒一つと交換せにゃならん。

 それが石の駒一揃いで十樽と交換できるってんだからありがたい話だ。

 大方、みすぼらしい旅人を憐れんでくれたんだろう」


「逆よ! 安すぎるわ!」


 私は思わず叫んでしまった。

 ドワーフのお宝がそんなに安く買い叩かれていたなんて。

 道理で。

 ドワーフとの交易が儲かるっていうのはこういう仕掛けだったのね。


「ただの石だぞ?

 こんなもんだろう」


「あなた達が加工すればただの石じゃなくなるの!」


 なにしろ『ドワーフが作った』という触れ込みだけでも値段が跳ね上がるのだ。

 その上、ドケナフのこの腕前。高値がつかないはずがない。


「例えばもし私のお城にこれが持ち込まれたなら、少なくとも五倍の値段で取引されるはずよ。

 嘘だと思うなら今度村に行くときは倍の二十樽を要求してみなさいな。

 それも最上の樽でね!

 それだって彼らは喜んで取引に応じるから」


「本当か?」


 ドケナフは疑わし気に首を傾げた。


「本当よ。

 まあ、村にそれだけの在庫があればの話だけど」


 彼らとて倉庫の食料には限りがあり、それ以上は出したくても出せない。

 行き先が小さな村ならなおさらだ。

 そうなれば、こちらは譲歩せざるを得ないだろう。


「在庫に関しちゃ心配あるまい。

 森に入る前に立ち寄った村があってな。

 しばらくこの森に滞在すると話したら、

 『たっぷりと交換用の食料をかき集めておくから、次もぜひこの村で』

 って言われてんだ。

 俺たちが食う分を交換するぐらいなら問題なかろう」


 さて、それで済むかしら?

 欲張った村人が、在庫を集めすぎていなければいいんだけど。


「それならもう少し吹っ掛けても大丈夫かもしれないわね。

 ねえ、他には交換用に作ったものはないの?」


 チェスの駒は諦めるにせよ、やっぱり何かお土産が欲しい。

 手持ちのお金で交換できるものがあるなら、今のうちに交換しておきたい。


「それならあっちの箱の中だ。

 遺跡を見つけるまでに作ったやつが結構たまっててな」


 彼が差した小箱の中には布や藁で包まれた拳大の置物が無造作に放り込まれていた。

 数にして十個ばかりか。

 盾を構えたドワーフの戦士に、咆哮するドラゴン、泥棒豚、それから見たこともない怪物たち。

 どれもこれも今にも動き出しそうで、見ているだけでワクワクしてくる。


 その中に、一つだけひどく粗悪な作品が混ざっていた。

 最初は作りかけなのだろうとも思ったけれど、どうもそうではないらしい。

 子供がこねくり回した粘土の様にめちゃくちゃで、人型の何かであることがかろうじてわかるだけだ。

 それとも、彼らの国には本当にこんな生き物が棲んでいるのかしら?


「ねえ、ドケナフ。

 これはなに?」


 私はその置物を手に聞いてみた。


「ああ、それは隊長の作品だ。

 たしかお母上だったかな?」


 私は手にした彫像をもう一度凝視した。

 私の背後を行進し続ける石人形たちのほうがまだ人間らしい形をしている。

 なるほど。


「あなた達は岩から産まれると聞いたことがあるけれど、本当だったの?」


「そんなわけあるか。

 そいつは単純に――」


 そこまで言いかけて、ドケナフの口が止まった。

 眼を真ん丸に見開いて、私の背後を見ている。


「悪かったな、ヘタクソで」


 振り返ると、そこにはイェラナイフがいた。

 いつもなら夕飯の時間になるまで帰ってこないのに。

 少し離れたところでイェルフがゲタゲタと笑っている。

 後で見てなさいよ。


「あ、あら。今日は早いのね」


 彼らの時間感覚はいつも正確だ。

 イェンコ曰く腹の減り具合で測っている、とのことだけれど真偽は不明。


「塩の減り具合が思ったよりも早くてな。

 ケィルフも疲れがたまってきたようだから、今日は切り上げることにしたんだ」


 イェラナイフの背後では、なるほどケィルフがぐったりとした顔で座り込んでいる。

 彼はここのところ魔法を使いっぱなしだ。当然疲れもするだろう。


「魔法疲れには月光浴が効くわよ」


 これは、戦争中に狩人の一人から教えてもらったやりかただ。

 彼のお婆様も魔女だったそうで、魔法をたくさん使った日の夜はいつも外に出て月の光を浴びていたんだという。

 私も月明かりが大好きなので、昔から雲のない夜はよく散歩をしていた。


「なるほど、今夜にでもさっそく試してみよう。

 ところでドケナフ。駒は揃いそうか?」


「おう、これで最後だ。

 もうじき出来上がるぜ」


「よし、ちょうどいいな」


 イェラナイフはそう言って大きくうなずくと、イェンコに声をかけた。


「はいよ、隊長。何か用かね」


「ドケナフのこれが出来上がったらちょいと交易に出て欲しい。

 目的は塩と食料の入手。

 イェルフとドケナフを連れていけ。

 村までの道は覚えているか?」


「元の小屋までならどうにか。

 その先はちょっとうろ覚えだのう……」


 ちなみにこの辺りでは、遺跡にかけられた魔法のおかげで、少しコースを外れるとどこにいようがいつのまにか元の小屋の近くに出るようになっているらしい。

 要するにイェンコは全道程がうろ覚えということだ。


「私が道案内するわよ。

 どの村に行けばいいの?

 行きつけの交易相手がいるんでしょ?」

 私の申し出にイェラナイフの顔がほころんだ。


「リリーはこの森の地理に明るいんだったな。

 リモチグという村なんだが、わかるか?」


 やっぱりあちら側か。

 リモチグは森の西側、つまりホルニア人の住む村だ。

 マノアの王女としては、こちら側の村に連れて行きたいところだけれど、それでは買取できる量もたかが知れている。

 森の縁にある村々はどこも貧しい。

 悔しいけれど、約束があるというならそこで取引するのが一番だろう。


「もちろん。そこなら何度かお邪魔・・・したことがあるわ」


 まあ、歓迎はされたことは一度もないけれど。

 リモチグ村は森を東西に横断する交易路の入り口近くにあり、その立地から森で戦をする際にはホルニア軍の拠点になることが多い。

 私が訪問したのはいずれもその縁でのことだ。


「案内できるのは森の出口までよ。

 村の人に私の姿を見られると面倒なことになるでしょうから」


「それで十分だ」


 イェラナイフは何故とは聞いてこなかった。

 多分、イェンコ辺りを通じて既に事情を知っているのだろう。



 翌朝早く、私たちはパカパカを連れて出立した。

 聞いていた通り、遺跡に向かった時とは比べ物にならない早さで元の小屋についた。

 何より恐ろしいのは、移動中一度も違和感を覚えなかったことだ。

 本当に気がついたら今の場所にいたのだ。

 あらかじめ『魔法がかけられている』と知らされていなければ、異常が起きたことすら気づけなかっただろう。

 なるほど、これなら森の狩人たちが誰もあの場所を知らなかったのもうなずける。


 小屋の井戸で喉を潤し、移動を再開する。


「さあ、こっちよ」


 私が歩き出そうとしたところでイェンコが首を傾げた。


「お嬢さん、街道はあっちのほうだったはずだが」


 イェンコもうろ覚えなりに方角ぐらいは覚えていたらしい。


「そうだけど、あの道沿いは盗賊が出るし、荷車なしならこっちの抜け道を通ったほうが早いわ」


 少人数で行動する私たちは、奴らから見れば格好の獲物に見えることだろう。

 もちろん私たちなら返り討ちにするのは簡単だ。

 それでも、不意に矢でも射られればパカパカまでは守り切れない。

 避けられる面倒は避けたほうがいい。

 それにあの交易路は荷車を通すための物だ。

 パカパカは多少険しい道でも、人間が踏破できるなら同じように踏破できる。


「なるほど、それじゃあそっちのほうがよさそうだの」


 私を先頭に再出発。

 この抜け道を通れば、陽が沈むよりも前に森を抜けられるだろう。

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