第十七話 白百合の姫、月の光を浴びる
特に何事もなく森の西縁にたどり着いた。
陽はしばらく前に天頂を越しており、陰り始めの陽光が樹々の隙間を縫って森の中まで入り込んでいた。
「私が案内できるのはここまで。
リモチグの村はそこの丘を越えればもう見えてくるはずよ」
「ありがとう、お嬢さん。
陽が沈む前に森を出られるとは思わんかったよ。
なるべく早く戻ってくるから、ここでしばらく待ってておくれ」
「それには及ばないわ」
どんなに急いだところで、今から村に向かい、交渉を済ませて荷物を倉庫から運び出し、パカパカの背に全て積み終える頃にはもう完全に陽が沈んでいるはずだ。
「あまり急ぐ様子を見せると足元を見られるわよ。
私のことは構わないから、じっくりと交渉してきなさいな。
多分、今日は村に泊っていくように言われるでしょうから
素直に泊めてもらってくるといいわ」
私の言葉にドワーフたちは顔を見合わせた。
「確かに、以前訪れた時も随分と歓迎されたが……しかし、お嬢さんはどうするつもりかね」
「私なら木の上で寝るから大丈夫よ」
それを聞いてドケナフが顔をしかめた。
「大丈夫じゃねえよ。
嬢ちゃんが野宿してるってのに、俺たちだけ屋根の下では寝られんよ」
「酒だってまずくなっちまう」
と、これはイェルフ。
「お気遣いありがとう。
でも、あなた達が戻ってきたとしても、どのみち野宿はしないといけないでしょ?」
夜の闇の中、ただでさえ暗いこの森を迷わず歩くのはさすがの私でも無理だ。
灯りをつかえば盗賊たちを招き寄せることにもなる。
視界が悪ければ待ち伏せへの警戒だって難しい。
「だけど野宿するなら私一人のほうが楽なのよ。
私だけなら木の上にベッドを作って眠れば安全だけど、
あなた達やパカパカが一緒だとそうもいかないじゃない」
さすがに四人と三匹分のベッドを一晩中木の上に維持し続けるのはちょっと大変だ。
無理にやったところで、ドワーフやパカパカが慣れない樹上で眠るのは難しいだろう。
かといって、地上で寝ようと思えば不寝番を立てて警戒しないといけなくなる。
誰にとっても、何一ついいことがない。
「それに、久しぶりに月の光も浴びたいし。
あなた達だって、村の人たちと交流しておいたほうが
後々役に立つんじゃないかしら?」
ドワーフたちはもう一度顔を見合わせると、揃ってうなり声をあげた。
「……お嬢さんや。
ワシらと一緒に来るわけにはいかんのだろうね?」
「ええ。こっち側の人たちには憎まれているから」
ついでに言えば顔も割れているので、こっそり混ざりこむこともできない。
「そうそう、もし〈茨の魔女〉の話をされても知らないふりをしておいてね。
それは私のことだから。
くれぐれも私と一緒にいるなんて言わないように。
魔女の仲間と知れたら、食べ物を売ってもらえなくなるだけじゃすまないわよ」
ドワーフたちが顔をこわばらせた。
イェルフが眉間にしわを寄せながら言う。
「嬢ちゃんはいったい何をやらかしたんだ……」
「戦争中の話はしたくないわ」
誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられたり、そんな話ばっかりだ。
お兄様は誇ってよいと言ってくださるけど、私にとってはあまり嬉しい記憶ではない。
楽しい思い出もないではないけれど、戦争中でなければもっと楽しかったに違いない。
「すまねえ……無神経なことを聞いちまったな」
「いいわよ、別に。
全部が全部私がやったわけじゃないけれど、ほら、私って目立つでしょ?
だから森の中での被害は、全て私の仕業ってことになってるの」
実際のところ、私が直接手にかけたのは二割もいかないはずだ。
それだって兵隊さんや、狩人さんたちの援護や支援があればこその戦果なのだ。
私一人でホルニア軍を撃退したわけじゃない。
少しの沈黙の後、イェルフが口を開いた。
「……イェンコ、嬢ちゃんの言うとおりにしよう。
それが最善だろうからな」
だけどイェンコは渋い顔のままだ。
「しかしのう……」
「ナイフだって同じ判断をするだろうぜ」
「隊長か……確かにそうだろうが……」
イェンコは難しい顔をして、髭をしごきながらもう一度うなり声をあげた。
「早く決めないと日が暮れちゃうわよ。
流石に夜の訪問者は歓迎されないんじゃないかしら?」
日没後に森から現れるのは、幽霊や魔物の類と昔から相場が決まっている。
たとえ見知った顔でも警戒されてしまうだろう。
私に促されて、イェンコは渋々といった様子で決断した。
「分かった。お嬢さんの言う通りにしよう。
だが、くれぐれも気を付けておくれ」
「もちろん。だけど心配はいらないわ。
私は〈白百合の魔女〉。
森の木々と草花に愛された魔法の使い手よ。
森の中でなら誰にも負けないわ」
もっとも、最近はちょっと自信を失いつつあるけれど。
イェンコも少しばかり疑わしそうにこちらを見ている。
「イェンコ、決めたんならさっさといこうぜ」
「あ、ああ、そうだな。
……それじゃあお嬢さん、また明日の朝に」
「ええ、また明日」
自身の背丈より少しばかり長くなった影を引きずるようにして、ドワーフたちが遠ざかっていく。
イェンコはまだ気が咎めるのか、ちらちらと、何度もこちらを振り返っていた。
彼らの姿が見えなくなるまで見送り、ふうと息をつく。
森の様子はいつもと変わらないのに、急にこの場が空虚になってしまったように感じた。
思えば彼らと出会ってからというもの、ほとんどずっと誰かと一緒だったような気がする。
もう少し陽が陰ったら、木の上に寝床を作りに行くことにしよう。
月が上ってきたら、この厚ぼったい外套を脱いで思い切り月の光を浴びるのだ。
夜は誰にも邪魔されない、私だけの時間だ。
ずっと夜が続けばいいと思ったこともある。
だけど今日ばかりは、少しだけ夜明けが待ち遠しかった。
*
目が覚めて葉っぱの隙間から外を覗くと、東の空が白み始めていた。
しっかりと周囲を葉で覆ってから眠りについたので、もう少し寝ていても問題はない。
だけど何となく寝直す気にはなれなかった。
木を降りて朝の諸々を済ませ、身支度を整える。
出来れば顔も洗いたいところだけど、あいにくとこの辺りに水場はない。
仕方がないので水筒の水でハンカチを湿らせ、軽く拭くだけで済ませた。
再び木の上に上がり、西側にあけた窓からじっと森の外をうかがう。
陽はまだ上り始めたばかりで、森の木々が長い長い影を地に這わせていた。
こんなに朝早くから見張ったところで、彼らが来るわけがないのは分かっているけれど、他にすることもなかった。
彼らが再び姿を現したのは、森の影の長さが木の高さとさほど変わらなくなったころだった。
小柄な人影が三つと、パカパカが三頭。
行きと違うのは、パカパカの背に文字通り山のような荷物が積まれていることだ。
どうやら交渉はうまくいったらしい。
葉っぱの覆いを開いて手を振りたくなったけれど、すんでの所で思いとどまる。
万が一誰かに見られでもしたら事だ。
周囲に彼ら以外がいないことをよく確認して、急いで木を降り――ようとしたところで、ふとイタズラを思いついた。
程よい高さの枝に移動し、隠れてじっと待ち構える。
「おーい! じょーちゃーん!」
ドワーフたちがキョロキョロと辺りを見回しながら私を呼んでいる。
そんな彼らに気づかれないよう細心の注意を払いながら、ツタを使って振り子の要領で移動。
枝から枝へ。死角から死角へ。着地の際には音もなく静かに。
まずは背後に回り込み、それから接近。
彼らの頭上を取ったが、まだ気づかれている様子はない。
上からツタを垂らして、蜘蛛のように静かに彼らに忍び寄る。
そうして大声を出そうと息を吸い込んだところで、イェルフがさっと振り返り、私の首元に槍を突き付けた。
もちろん、穂先の覆いはついたままだけど。
「中々の隠密術だが、エルフども程じゃねえな。
奴らなら、葉の擦れる音すら立てやがらねえ」
槍を構えたまま彼はニヤリと笑う。
とっさの動き、というわけではないだろう。
あらかじめタイミングを計っていたかのような余裕が感じられた。
「……いつから気づいてたのよ」
「後ろに回り込んできた辺りからかな。
そう拗ねた顔すんなよ。
俺様の後ろをとれただけでも大したもんさ」
イェルフはそう言って慰めてくれるが、不意打ちには自信があっただけに少しショックだった。
「それにしても、交渉はずいぶんうまくいったみたいね」
ドケナフが上機嫌で答える。
「おうとも! 嬢ちゃんの言ったとおりだった。
最初の時よりずいぶんと高く買ってくれたぜ!」
やっぱりね。
彼らもボッタクっている自覚はあったのだろう。
「〈茨の魔女〉については何も聞かれなかった?」
「話には上ったがの。
一度もあっていないと答えたら、それ以上は何も言われんかったよ」
そう答えたイェンコは少しばかり浮かない顔をしていた。
食料調達の首尾は上々。彼はもっと上機嫌でもいいはずだ。
「何かあったの?」
「実は隊長あてに手紙を預かっておるのだよ」
そう言って彼は封蝋を施された羊皮紙を一巻き、懐から取り出した。
「差出人が誰か聞いてる?」
「それがよくわからんのだ。
ずいぶんとお偉い方かららしいのだが」
どうやらドワーフがこの森にやってきているという噂をどこかの偉い人が聞きつけたらしい。
まあ当然だろう。
ドワーフが作った彫刻を買い取れる相手なんて限られている。
となれば、その出所が貴族の間に知れるのは時間の問題だ。
それにしても面倒なことになった。何しろドワーフとの交易は大変な利益を生み出す。
ことと次第によってはこの森の帰属問題が再燃しかねない。
さて、いったい誰がこの手紙を送ってきたのだろうか?
「封を見せてもらってもいい?」
「構わんよ」
手紙を受け取り、封蝋の印章を確認する。
押されていたのは〈王冠をかぶった大角牛〉――つまりこれは、ホルニア王直筆のお手紙ということだ。
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