第十八話 白百合の姫、仲間を得る

 森の中が本当の闇夜に閉ざされる直前になって、ようやく私たちは遺跡に戻った。


「――というわけで、隊長宛てに手紙を預かってきておる」


 イェンコは、遺跡に戻ると早速事の次第を報告し、イェラナイフに手紙を差し出した。

 イェラナイフは手紙を受け取ると、その封蝋に目を止め、それから私に視線を向けて言った。


「この封印に見覚えはあるか?」


「もちろん。その〈王冠を被った大角牛〉はホルニアの王家の紋章よ」


 知らないはずがない。

 ホルニアは〈闇夜の森〉を巡って、幾度も私たちマノアと争ってきた宿敵だ。

 今は北の蛮族に対処するため一時的な同盟を結んでいる。

 この大角牛の両角に一つずつ引っかけられた小ぶりな王冠は、ホルニアが過去に飲み込んだ二つの王国に由来するらしい。

 もし仮にマノアが戦に敗れていたら、この印章はどうなっていたんだろうか?

 両角はすでに埋まっているから、私たちの冠は牛の鼻輪にでもされていたかもしれない。

 何しろホルニア人は揃って性格が悪い。


「なるほど」


 イェラナイフはそれだけ言って無造作にその封蝋を破ると、手紙に目を通し始めた。

 彼はすぐに読み終えたらしく、再び視線をこちらに向けてきた。


「まあ、内容は予想していた通りだ。

 我々がこの森に住まうことを認め、外敵から保護してやる。

 その代わりに交易を独占させろ、というような話だ。

 交換比率についても先の村での取引よりもだいぶ色を付けてくれるそうだ。

 ついでに、近々この森を軍勢が通過するが俺たちを攻撃するための兵ではないからむやみに敵対しないようにと。

 手紙への回答はその軍勢の指揮官に伝えよとさ」


 ホルニアがこの森に軍勢を入れるという。

 互いに兵を進めてはならぬと約束したこの森にだ。

 それが何のためかなんて聞くまでもない。

 あいつらは、欲に目がくらんで私たちを裏切ることに決めたのだ。


「その軍勢についてちっと補足させてもらうぜ」


 イェルフが口を開いた。


「今回あのリモチグとかいう村に立ち寄った際に、かなりの食糧が集積されているのを確認した。

 とてもじゃないが俺たちとの交換のためだけに集めたとは思えねえ。

 少なくとも五千の兵が一か月は飲み食いできる量だ。

 集めようとしている軍勢の規模もそれぐらいとみて間違いないだろう」


 さすがは大国ホルニアだ。

 彼らも北へ軍勢を送っていたはずだけれど、まだ随分と余力があるらしい。


 対する私たちマノアの軍勢はその殆どがお兄様に率いられて北へ行ってしまい、国内は空っぽだ。

 兵の五千もあれば〈浮遊城〉を制圧するのは容易い。

 お兄様も、蛮族とホルニア軍の両方に睨まれていては簡単には戻ってこられない。

 背後が脅かされればお兄様を裏切る領主だって出るかもしれない。

 戦の趨勢は決まった。私たちの負けだ。マノアの王冠は牛の鼻輪になってしまうだろう。


「それで――」


 イェラナイフが再び口を開いた。

 ドワーフ達の気づかわしげな視線が私に集中する。


「我々はこの地の情勢をほとんど何も知らない。

 リリーの意見を聞きたい」


 イェンコとドケナフが一瞬だけ非難めいた視線をイェラナイフに投げたが、彼らの隊長は素知らぬ顔だ。

 さて、どう答えたものかしら?

 私はゆっくりと一呼吸してから問い返した。


「知っていると思うけど、私はこの紛争の当事者の一人よ。

 正直な答えは期待しないでちょうだい」


 それに答える彼の声は厳かだった。


「もちろんわかっているとも。それで構わない。

 承知の上で、お前の意見を聞いているのだ」


 なるほど。

 彼は別にこの地の情勢について知りたいわけではないのだろう。

 要するに、私に発言の機会を与えてくれているのだ。

 ならば、私もできる限りそれに誠実に応えなければならない。


「それで、何が知りたいの?」


「まず、この森の所有者についてだ。

 実際のところ、この森を支配しているのは誰なんだ?」


「この森は私たちマノアのもの……と言いたいところだけど今は違うわね。

 ホルニアとマノアは長年この森を巡って争ってきたの。

 昨年の終わりに和議を結んで以来、この森はどちらのものでもない空白地帯になっているわ」


「なるほど。

 それで、先方が我々に提示してきた条件についてはどう思う?」


「地龍を討伐した後、貴方達が故郷に帰るつもりならどうでもいい話よ。

 だけど、もしこの遺跡をドワーフの居住地として復興させるつもりなら破格の条件と言っていいわね。

 受けて損はないわ」


 どうせ私たちの国はじきに消えてなくなるし、競争相手がいなくなれば買い叩かれる。

 だったら、最初からホルニア王家の庇護下に入っておいた方がお得だろう。

 イェラナイフは私の答えを聞いてかすかに眉をひそめた。


「それでいいのか?」


「もちろんよ」


 これでいい。友人を相手につまらない嘘はつきたくない。


「……そうか。ならこの話はもう終わりだな。

 さあ、晩飯の支度をしようじゃないか」


 イェラナイフがそういいながら手をたたいて皆を解散させた。

 それからいつも通りにご飯を食べて、その日は終わった。



 皆が寝静まったのを見計らって、私はむくりと起き上がった。

 音を立てないよう気を配りながら、そっと出発の準備を整える。

 もともと私の荷物はたいして多くない。

 着替えの詰まった背負い袋と、小さなツタの鉢植えが一つあるきりだ。

 準備はすぐに終わった。


 お別れを言えないのは残念だけれど、仕方のないことだ。

 もし私がホルニア軍と戦うと言ったなら、義理堅い彼らのことだ、きっと一緒に戦うと言い出すに決まっている。

 だけど、敵は五千。たかだか七人ばかりが加わってくれたところでどうなるものでもない。

 彼ら自身にもやるべきことがあるというのに、勝ち目のない戦いに引きずり込むのはあまりに申し訳ない。


 そもそも、彼らが手助けしてくれるなんて、私の思い上がりに過ぎないかもしれないのだ。

 それを確かめるのも怖かった。


 だから、黙って出ることにした。

 まずは最寄りの村に行き、狼煙を上げさせる。

 それで敵が接近しつつあることを〈浮遊城〉のお義姉さまに知らせることができる。

 どれだけの意味があるかはわからないけれど、逃げる準備ぐらいはできるようになるはずだ。

 それから、付近の狩人たちを呼び集めて森の中で戦う。

 私は草木に愛された森の魔女だから、戦うべき場所は森の中だ。

 嫌がらせや時間稼ぎぐらいにはなるだろう。


 広間の出口で振り返り、いびきを立てて寝ているドワーフたちに一礼。

 さようなら、と口の中で呟いて、それから外への一歩を踏み出す。


 次の瞬間、ガランガランという派手な音がして世界がひっくり返った。


「な、なに!?」


 思わずそう叫んでしまったが、理由はすぐに分かった。

 私は足をロープでくくられて逆さづりにされていた。罠に引っかかったのだ。


「やれやれ、やっぱりこうなったか」


 なんだなんだとざわめくドワーフたちの寝床から、ひょろりと長い人影がこちらに向かって歩いてくる。

 彼は逆さまの私を見てニヤリと笑った。


「ディケルフに罠を仕掛けさせておいて正解だったな」


 いつの間にそんな余計なことを!

 まったく気が付かなかった。


「イェラナイフ! 危ないじゃない!

 いったい何のつもりよ!」


「何のつもりはこちらのセリフだな。

 こんな夜更けにどこへ行くつもりだ?」


「そ、それは……」


 彼の得意技は嘘を見抜くことだという。

 だけど、万に一つにかけて私は噓をつくことにした。


「ちょっと月の光を浴びに……」


「月光浴に旅支度で出るやつがあるか」


 一瞬で嘘がバレた。

 嘘を見抜くのが得意だというのはどうやら本当だったらしい。

 そうこうしている間に他のドワーフたちも起き上がってきて、私はすっかり取り囲まれてしまった。


「もういいだろう。

 おい、ディケルフ、降ろしてやれ」


「はい、隊長。

 あ、イェンコさん、ちょっと手伝ってください」


 イェンコが、私を吊り下げていたロープをぐっと引っ張って地面に降ろしてくれた。

 同時にディケルフがナイフでロープを断ち切って、ようやく私は解放される。


 ディケルフが足に残ったロープをほどきながら楽しそうにこの罠について説明してくれた。


「こいつは貴女から教わったくくり罠を私なりにアレンジしたものなんですよ。

 いやあ、破壊を伴わない罠というのも、やってみるとなかなか楽しいものですね。

 貴女のように魔法で強化された強靭な枝なんて使えませんから、錘と天秤を応用して――」


 どうやら見た目よりも大掛かりな仕掛けが施されているらしい。

 短時間で、それも私からこそこそ隠れながらよくぞこれだけのものを作り上げたものだ。


「ディケルフ、そこら辺にしといてやれ」


 罠作りの苦労話を嬉々として語るディケルフを、イェラナイフが呆れ顔で止めてくれた。

 私を見つめるドワーフたちの顔が心なしかさっきまでより優しくなっているような気がする。


 ロープがほどかれている間に、イェラナイフは私の行く先を塞ぐように立ち位置を変えていた。


「それで、こんな夜更けに旅支度でどこへ行く気だ?」


 これ以上嘘をついても無駄だろう。

 私は観念して正直に答えた。


「ここを出て、ホルニア軍を食い止めるつもりだったのよ」


「なるほど。それで勝ち目はあるのか?」


「ほとんどないわね」


「だろうな。ならば、ここに留まるがいい。

 地龍討伐への協力と引き換えにお前を保護するという約束は今でも有効だ。

 この遺跡は魔法で守られている。ここに留まる限りお前は安全だ」


「それはできない相談ね。

 奴らは、魔女も王族も生かしておいてはくれないわ。

 私は家族を守りたいの。家族以外の大勢の大切な人たちも」


「ならば、その者たちの亡命も受け入れよう。

 それで十分ではないか?」


「ダメよ」

 

「なぜだ。

 お前さん自身も、地上の民の間ではあまりいい扱いを受けていなかったと聞いている。

 お前の国は、お前が命を擲つに値するのか?」


「私にとってはそうでもないわね。

 だけど、お兄様にとっては、お父様から引き継いだ大事な国だもの。

 この国の王として、この国を守るために死ぬまで戦うでしょう。

 お義姉さまも最期までお兄様についていく。

 他の人たちだってそう。マノアがなくなったらきっとみんな悲しむわ。

 そりゃ嫌な人たちだって大勢いるけれど、その人たちもひっくるめて守らなければ、

 私の大事な人たちが大切にしているものを守ることはできないの」


「無駄だとわかっていてもか」


「当然。命よりも大切なものだもの。

 命の危険を理由に引き下がるなんてできるわけないでしょう」


 イェラナイフは、険しい顔をしてそのまま黙り込んだ。

 それから重い調子で再び口を開く。


「……なるほど。お前さんの決意が固いことはよくわかった。

 もう止めはしない。戦いに向かうがいい」


 案外とあっさり解放されたことに私はほっとした。

 同時に、少しばかりの寂しさが胸をよぎる。


 私は立ち上がって埃を払った。

 ところが、真正面には相変わらずイェラナイフが立ちふさがっている。


「どいてくれないかしら」


「まあそう急ぐな、〈一つ穴の兄弟〉よ。

 俺たちが仲間を一人で戦いに行かせるほど薄情だと思ったか?

 準備を整えるから少しだけ待て。共に戦ってやろうじゃないか」


 そういってイェラナイフは不敵に笑う。

 私は笑えなかった。

 顔を背けようとしたけれど、どちらを向いてもドワーフたちが私に笑顔を向けているから仕方なく自分のつま先に視線と落とした。

 声が震えないよう、慎重に口を開く。


「いらないわ」


「遠慮はするな。我々にも理由があってのことだからな」


「どんな理由があるっていうのよ」


「ホルニアとやらはすでにお前たちと和議を結んでいたというじゃないか。

 それを一方的に破るような奴らと、誠実な取引ができるとは思えん。

 なにより、『この森に住むことを許し、保護してやろう』という言い分が気に入らん。

 誰のものでもなかったのなら、この森はすでに俺のものだ。

 勝手に軍勢を通そうというのなら、それ相応の報いを与えてやらねばならん」


 なんか、いきなりとんでもないことを言い出した。


「無茶苦茶よ!

 どうしてこの森が貴方のものになるっていうの?」


「根拠ならほれ、この通り」


 そういって彼は懐から一枚の羊皮紙を取り出した。


「ここにこう書いてある。

 『偉大なる山の下の民の守護者、精緻なる彫刻の名人、〈はがね山〉の王にして領主たるイェッテレルカ十三世の名において、以下の勅命を発す。

  ・イェラナイフは地龍を追い、これを討伐して先王および無辜の民、そして勇敢なる戦士たちの仇を討つべし。

  ・この任を果たした暁には、その功に報いて〈父祖の地の遺跡〉及びそこに付随する諸地の領主と認める』

 つまり、ここが俺の領地であることは我らが王がお認めになっているのだ」


 とんでもない理屈だ。

 まだ討伐には成功してないだろうなんてのは些細な問題に過ぎない。


「貴方たちの王様が一方的に宣言してるだけじゃない!」


「お前らの王の一方的な宣言と何が違うというのだ」


「れ、歴史とかそういうのがあるでしょう!」


「ここは確かに我らの王国、その首府だったのだ。

 地上人どもがこの地にやってくるよりもはるか昔からな。

 我々は戻ってきたに過ぎん。

 歴史を持ち出すのであれば、我らこそがこの森の正当な所有者だ。

 他に言うことはあるか?」


 あ、あれ?

 おかしい、彼の言っていることが正しいような気がしてきた。

 もちろんそんなわけはないんだけど、あれ?


「ホルニア王は我らを支配下に置きたいようだが、断じて受け入れられん。

 この森は我らのものだ。

 さて、マノア王はどう判断するのだろうな?

 我らの独立を認め、同盟者として共に盾を連ねてくれればいいのだが」


 お兄様ならどうするだろうか。

 もちろん、わかりきっている。

 お兄様は敵よりも、友を増やすことを選ぶはずだ。


「お兄様……いえ、マノア王は貴方達の主張をお認めになるでしょう。

 ただし、この森がもたらす恵は、付近の村々の生活に欠かせないもの。

 ある程度は出入りできるようにしていただけるとありがたいのだけど」


「よろしい。まあ詳細な条件はまた追って詰めるとしよう。

 しかし、本当にお前の兄上は同盟を認めてくれるんだろうな?」


「大丈夫。この点は私の首にかけて保証するわ」


「お前の首なんぞ要らん。

 まあいい。そうなったらまた戦うまでだ。

 地上人どもに我々がか弱い小人などではないと思い知らせてやる」


 最初は私を気遣ってこんなことを言っているのかと思ったけれど、どうやらイェラナイフは本気でこの森を獲るつもりらしい。


「それはいいけれど、勝ち目はあるの?

 意地のために命を張るなんて馬鹿げてるわ」


「お前がそれを言うのか」


 なぜかイェラナイフが呆れた顔をしている。

 全然違うと思うのだけれど。


「まあいい。お前さんと違って、もちろん勝ち目があって言っている」


 本当かしら?

 私が疑念に満ちた目を向けると、イェルフが横から口を挟んできた。


「安心しろ。そこにいるのは〈はがね山〉一の野戦指揮官。

 エルフの森を焼き払うこと三度。寡勢を率いてゴブリンの大群を蹴散らすことは数知れず。

 常勝無敗の無敵将軍、〈間違い種〉のイェラナイフとはこいつのことだ。

 大岩盤の中にいると思って任せておけ」


 そうはいっても酔っ払いの言うことだ。

 どこまで本当のことなのやら。

 そう思いながらイェラナイフに視線を戻すと、なぜか彼は何とも言えない嫌そうな顔をしている。

 その表情のままむっつりと私に向かって憎まれ口を叩いた。


「素直に喜べ。

 お前は嘘が下手なんだから、表情を取り繕おうなんて無駄なことはするな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る