第十九話 白馬の王子、森に入る

 ホルニアの王子カリウスの乗馬は、名を〈白百合号〉という。

 青い目を持つ希少な白馬で、配下の領主から献納されたものだ。

 なんでも、領主の厩舎でたまたま生まれたという話だった。

 名づけも件の領主によるもので、曰く『かの森の魔女をこの白馬のごとく乗りこなせる日を願って』とのことであった。

 彼自身はそのような下卑た冗談に虫唾が走る質ではあったが、その場で何か言って父から預かっている配下の面目をつぶすような真似をあえてすることもなかった。

 どのような経緯があるにせよ馬に罪はなく、また軍馬としての気質も申し分なかったのでそのまま乗馬として用いている。


 その愛馬と共に、カリウスは遠く広がる黒い森を憂鬱な思いで見つめていた。

 この森にはいい思い出が何一つない。

 なにしろ、幾度も兵とともに攻め込んでは、その都度さんざんな目にあってきている。


 陽の光の届かぬ薄暗い森。森を操る魔女。年端もいかぬ妹を戦に用いるマノア王。騎士にふさわしからぬ陰鬱な命のやり取り。

 この森にまつわる何もかもが気に入らなかった。

 それに加えて、此度の戦である。


 カリウスは太陽の信徒として、また騎士として常に正しくありたいと願い、その様に振舞ってきた。

 だが此度の戦はどうか?

 彼の見るところ、この戦には正義が欠片もなかった。


 元はといえば、カリウスは和議を結ぶことに反対していたのだ。

 熱心な太陽の信徒である彼にとって、魔女を王女として擁するマノアは宿敵であり、決して相容れぬ隣人だ。

 しかし、彼の父であるホルニア王はそうは考えなかった。


 そもそも、この森自体が偉大なるホルニアにとってはさほど重要な場所ではなかった。

 王家にしてみれば、これまでの戦も傘下の領主の要請を受けての小競り合いに過ぎない。

 多少の面子は絡むが、それだけのことである。

 北の蛮族からの攻撃が激しくなるにつれ、もはや森から得られる利益よりマノアと敵対を続けるデメリットの方が遥かに大きくなっていた。

 大事なのは、この国にとっての利を最大化することだ。

 それは守るべき民のためであり、正義にもつながる。

 父王は彼にそのように説いた。

 理屈はわかる。だからカリウスは渋々とであるが和議を受け入れた。


 しかし、この森にドワーフたちが現れたことにより情勢は一変した。

 ドワーフとの交易がもたらす利益は計り知れないものがある。

 北への遠征の準備中にこの報せを受けたホルニア王は即座に和議破りを決意した。

 のみならず、その背信行為を確実なものとするため〈茨の魔女〉に暗殺者――あの忌まわしい〈影の教団〉の者達――を送り付けさえしたのだ。

 その上で、彼の父はさらなる過酷な命令をカリウスに下した。


『余は軍の主力を率いて北上し、マノア軍と素知らぬ顔で合流する。

 お前は軍の一部と共に南に残り、〈茨の魔女〉の暗殺が成り次第、森を抜けてマノアを攻めよ。

 かの〈浮遊城〉に潜む協力者が暗殺の成否を知らせてくれる手はずになっておる。

 余も時を同じくしてマノア軍を攻撃しよう。

 なに、いかにマノア王が戦上手といえど、油断もあれば数の利もある。

 我らの勝利は揺らぐまい』


 つまりは、彼に和議破りの先鋒、その一翼を務めろというのである。

 善き騎士たらんとするカリウスにとり、これは耐え難い命令であった。

 彼は伏して父に翻意を願ったがホルニア王の決意は固かった。


『すでに刺客は放たれておる。

 一刻の猶予もならぬのだ。直ちに進軍の準備を始めよ』


 何をいまさらと憤りもした。こうも易々と裏切るのなら最初から和議など結ぶべきではなかったのだ。

 だが太陽の教えはその信徒に対し、父たる者には孝を尽くし、主君たる者には忠を尽くすべしと説いている。

 よって、父であり王でもある者の言うことであれば、彼は逆らうことができなかった。


 かくして彼は軍勢を率いて再び〈闇夜の森〉と相まみえた。

 かの邪悪な〈茨の魔女〉はもういない。

 もはやこの森に彼の軍勢を阻むものはなく、容易に踏破できるはずだ。


 にもかかわらず、彼の愛馬の足取りは重い。

 まるで何かを恐れているかのようだった。



 カリウスが配下の軍勢と共に森の中に足を踏み入れて半日。

 〈闇夜の森〉は不気味なほどに平和だった。


 彼の隣で馬を進めていた太り気味の騎士がへりくだった笑みを浮かべながら話しかけてきた。


「これはどうやら、〈茨の魔女〉めが死んだというのは本当だったようですな」


 カリウスは男に不機嫌な視線を向けた。

 この騎士は森の周辺にリモチグを含むいくつかの村を領地として持っている。

 この白馬の贈り主であり、またドワーフ達の到来を国王の耳に入れた男でもある。

 強欲にして小心、そして決して誠実とは言えない人柄の持ち主だ。


 もしこの男がもう少し大胆、あるいは短慮であったなら、とカリウスは思った。

 もしそうであれば、この男はドワーフたちについて国王に報告などせず、交易の利益を独占しようとしたに違いない。

 いずれ露見したには違いなかろうが、少なくともこのような形で和議破りをせずには済んだはずだ。

 そうした思いを押し殺して、努めて平静を装いながら口を開く。

 しかしその試みは失敗し、少しばかり棘のある声が出てしまった。


「油断が過ぎるぞ。

 まだ奴らが気づいていないだけだ」


 実際、過去の戦においても戦闘が始まるのはいつも森の半ばを過ぎてからだった。


「はっ、いかにもその通りでした……」


 男はカリウスの内心を悟ったのかそれきり口をつぐむと、さりげなく馬の歩みを緩めてカリウスから距離をとった。

 元が小心なだけに、男はすっかり委縮してしまっているように見えた。


 一人の老騎士が、王子の傍によってきて小声で囁いた。


「殿下、今のは少しばかり八つ当たりが過ぎますぞ」


 この老騎士は、父王につけられたお目付け役である。

 今は王子を守る近侍騎士達のまとめ役を任せている。


「うむ、分かっている」


 カリウスはこの老騎士を幼い頃から剣の師として、また良き相談相手として頼りにしてもいたから、その諫言に素直にうなずいた。

 あの男がドワーフについて報告したのは、ホルニア王に忠誠を誓うものとしては決して間違った対応ではないのだから、それについて腹を立てるほうが間違っているのだ。


(あの男には、後でなんぞ気配りをせねばな)


 そのように考えながら内心でため息をつき、手綱を握りなおしたところで前方から伝令が一人駆け戻ってきた。


「どうした?」


「ドワーフです!

 ドワーフたちが姿を現しました!」


 この戦の、もう一つの元凶である。

 たしか父が村人を通じて事前に書簡を送っていたはずだ。

 おそらくはその返答のために我々を待っていたのだろう。


「なるほど。それで、我らからの提案について何か言っていたか?」


「いえ、何も。

 ただ、道に立ち塞がって『この軍勢の大将に会わせろ』と」


 ドワーフについては物語や旅人の噂に聞くばかりである。

 だが、いずれにおいても彼らは誇り高い偏屈者揃いとされていることが多い。

 大事な交易相手でもあるのだから、できる限りの礼を尽くしておくべきだろう。


「彼らに対し、無礼な態度はとっておるまいな?」


「はい、それはもちろん」


「ならばよい。すぐに向かおう。

 行くぞ!」


 カリウスは近侍騎士たちに声をかけると、馬を駆けさせた。

 森を貫く貧相な街道に列をなす兵士たちを追い越し、前へ前へと急ぐ。


 軍勢の先頭に彼らはいた。

 報告の通り、武装した小人たちが道に立ち塞がっていた。


 最前面にいるのは、板金鎧で一分の隙も無く武装した三人の戦士だ。

 おそらく得物は斧であろう。それぞれに大きな丸盾を構えて壁をなしている。

 壁の両端、一歩下がった位置には槍を持った兵が二人。側面を防護する役割なのだろう。

 特に右端の、赤い宝石の嵌った槍を持つドワーフは他よりひときわ油断のならない雰囲気を放っている。


 それらに防護されるようにして大型の弩が簡易な台座に備え付けられ、鋭い目をした男があたりに睨みを利かせていた。

 すでに矢はつがえられている。

 あのサイズであれば、騎士の鎧であっても盾ごと、ことによったら馬の体越しにも貫通されかねない。

 その足元にはひときわ小柄なドワーフが一人、うずくまっていた。

 見たところ他と比べて貧弱な体つきだが、この状況にもかかわらず不敵な笑みを浮かべている。


 いずれ劣らぬ剛の者であるのは間違いない。

 それでもたった七人である。 

 たった七人が、断固たる決意で軍勢の行く手を阻んでいた。


 それを見たカリウスはたちまち彼らに好感を抱いた。

 圧倒的な大軍を前にしてなお、木の葉の先ほども揺らがぬその姿は武人の理想であった。

 カリウスは彼らの勇気に敬意を示すべく馬を降り、兜を脱いで小脇に抱えて彼らの前に歩み寄った。

 そして片膝をつき、頭をたれながら名乗る。


「私は、ホルニア王メニスタスが三男、カリウスと申す者。

 貴殿らの、小なりといえどなお巌のごときその立ち姿、まことに感服いたしました。

 ご迷惑でなければ、どうかご尊名を私めに教えてはいただけないでしょうか?」


 列の左端にいた、ドワーフたちの中では頭一つ背の高い戦士が前に進み出てきた。

 その具足には細部に至るまで精緻な装飾が施されており、一行の中でも一際高い身分にあることが察せられる。


「地上の王の息子よ、どうかお顔をあげていただきたい。

 我は先の〈はがね山〉の王、イェッテレルカ十二世が庶子、〈間違い種〉のイェラナイフ。

 先の書簡の返答を伝えるべく、貴殿らの前にまかり参った。

 この軍勢を率いるは、貴殿で間違いござらぬか」


「いかにも、私が父王よりその役を仰せつかっております。

 して、我らの提案にいかに答えていただけましょうや?」


 これに対しドワーフはついと胸をそらすと、王子に向けて尊大に言い放った。


「貴国からの保護など無用。そもそもこの森は我らが領地である。

 何人たりとも、我らの許可なくこの森に足を踏み入れることまかりならぬ。

 貴殿らもこのことは今日初めて知ったであろうから、此度の事は特別に咎めだてはせぬ。

 即刻兵をまとめて引き返すがよかろう」


 予想外の答えにカリウスの思考が止まった。

 いったい彼らは何と言ったのか?

 背の高いドワーフが怪訝な顔をしてカリウスを見つめていた。


「どうした?」


 そう問われて、ようやくカリウスは我を取り戻す。


「し、失礼いたしました。

 申し訳ありませんが、今一度、ご返答をお聞かせ願いたく」


「何度も言わせるな。

 この森は我々の領地だ。

 今日のところは見逃してやるから、兵士どもを連れて早急に出ていけ」


「馬鹿な! この森は古来より我々のものだ!

 何を根拠にこの地の所有を主張なさるのか!」


「古来だと?

 それが百年か五百年かは知らないが、それがどうしたというのだ。

 今より千年の昔、この地には我らの王国があり、森の奥にはその首府があった。

 それがどうだ。我々が久方ぶりに戻ってみれば、不法侵入者どもが主の不在をいいことに好き勝手しているではないか。

 あげくに、本来の主に対し『この地に住む許可と保護を与える』などと抜かそうとは!

 恥を知れ、この盗人め!」


「言わせておけば!」


 脇に控えていた老騎士がそう叫んで柄に手を伸ばすのを、カリウスは慌てて押しとどめた。

 老騎士が、王子に目配せをする。カリウスはそれにうなずき返した。

 どうやらこれは芝居であったらしい。


 危ういところだった、とカリウスは冷や汗をかく。

 老騎士が叫び声をあげたおかげで、かえって冷静さを取り戻すことができた。


 裏切り者の汚名を受けてまでここへ来たのはいったい何のためか?

 彼らと事を構えてはすべてが無に帰してしまう。

 一呼吸おいて、カリウスは再びドワーフと向かい合った。


「では、この場ではただ互いの友好を確認しあうにとどめることにいたしましょう。

 この地の領有問題については後日話し合うということでいかがか。

 この場での確約はできませんが、おそらく前向きな回答を用意できるでしょう」


 父ならば、森そのものには頓着しないだろう。

 むしろ、それと引き換えに様々な譲歩を引き出すことを選ぶはずだ。

 交易の独占とて森向こうのマノアさえ滅ぼせばどうとでもなる。

 今は致命的な衝突を避けつつ、この場から引いてもらえさえすればよい。


 だが、ドワーフの長の態度は頑なだった。


「ならん。

 交渉の場に大勢の兵を威圧するがごとく引き連れてくるような者を、いったい誰が信用できようか。

 どうしてもというのなら一度兵を引き、ご自身が身一つで我らのもとを訪れるがいい。

 その時は我ら一同、客人として貴殿を大いに歓迎いたそう」


 ドワーフの主張はもっともであるが、しかしそれは適わぬことだった。

 北では父の率いるホルニア軍主力が今にもマノア王に襲い掛かろうとしているはずだ。

 当然、攻撃を受けたマノア軍は国元へ向けて急使を送り出すだろう。

 ここで兵を引けば、マノア本国への奇襲が成り立たなくなってしまう。

 最終的な勝利は揺るがぬにせよ、余計な損害を被ることになる。


「それは誤解にございます。

 この軍勢は貴殿らを攻めるためのものではございません。

 この森の先に住む、魔女を奉じる邪教徒どもを討つための兵にございます。

 どうか、我らの通過だけでもお許しをいただき――」


 突然、ドワーフの口元が皮肉げに歪んだ。


「なるほど、隣国との約定を反故にするついでに、

 我らとの約束を取り付けに来たというわけだ」


 その一言にカリウスの心臓が跳ねた。

 心のひどく痛む部分を突かれ、胸の内がかき乱される。


「な、なぜそれを……!」


 同時に頭の隅のかろうじて冷静な部分が、何かがおかしいと告げていた。

 このドワーフたちはどこまでこの地の情勢を把握している?

 いや、誰がこれを彼らに吹き込んだ?

 混乱し、とっさの言葉を出せずにいた彼の頭上から馴染みのある、透き通るような声が降ってきた。


 それはもう二度と、聞くことは叶わぬと思っていたあの声だった。


「貴方たちの悪事はこの私がすべてお見通しよ!」


「誰だ!」


 思わずそう叫んだが、答えなど聞くまでもない

 見上げた樹上、太い木の枝の上に白い影がこちらを見下ろしていた。

 影が枝から飛び降りると、地面の草がふわりと受け止めた。


「〈茨の魔女〉……!」


 今、自分はどんな顔をしているのだろうかという思いがカリウスの脳裏をよぎった。

 歓喜ではないはずだ。多分。


「どうしたの? 幽霊でも見たような顔をして」


「貴様は死んだのではなかったか!」


「え? 死んでなんかいないわよ」


 〈茨の魔女〉がひどく不思議そうな顔で首をかしげる。


「た、謀られたか……!」


「何言ってるのよ。謀ったのはそちらでしょう。

 おとなしく兵を引きなさい。今なら何も見なかったことにしてあげる」


 なるほど、この物言いは確かにあの〈茨の魔女〉に間違いない。

 〈森の食人鬼〉、〈白い悪魔〉、〈マノアの淫婦〉、数多の悪名をほしいままにする我らの宿敵は生きていたのだ。

 彼の胸の内に、再び炎が宿った。

 カリウスは闘争心を見せつけるかのようにぐっと口端を持ち上げ、犬歯をむき出しにする。


「そうはいくか!

 邪悪な魔女め、今日こそ貴様を仕留めてくれる!」


「交渉は決裂ね。それじゃあ、戦争を始めましょうか」


 魔女が笑みを浮かべた。


「騎士は前に出ろ! 殿下を守れ!」


 王子のすぐそばに控えていた老騎士が近侍騎士たちに叫ぶ。

 号令を受けて、周囲の騎士たちが一斉に抜刀した直後、幾本もの瘤付きの枝が野太いうなりをあげて飛来し、次々と彼らを吹き飛ばした。


 同時に、カリウスたちを取り囲むように十二体もの石の巨人が立ち上がり、王子を守ろうと駆けだした兵士たちをなぎ倒してゆく。


「勝ち目はないわよ、カリウス。

 もう一度言うわ。おとなしく兵を引きなさい」


 カリウスはしかし、石巨人を目にしても恐れる様子を見せることなく剣を抜き放った。


「戦いもせずに尻尾を巻いて逃げるなど、できるものか!」


「そう言うだろうと思ったわ。

 なら決闘で決めるのはいかが?

 貴方と私の一騎打ちよ。

 それならば兵は傷つかずに済むわ」


「で、殿下! お待ちください!

 魔女の挑発に――」


 初撃の樹木ハンマーを伏せて躱していた老騎士が、王子に縋り付いて止めようとしたところでボゴンと鈍い音と共に吹き飛ばされた。

 魔女の仕業だ。


「私と貴方、負けた方がこの森から撤退する。

 彼らとの交渉は私に勝ってから好きになさい。

 それでどう?」


「承知した。我が神と剣にかけて」


「父の名にかけて」


 双方が条件を承認し、決闘が成立した。

 先ほど吹き飛ばされた老騎士が、よろよろと起き上がりながらそのことを確認して頭を抱える。


「ああ、また殿下の悪い癖が……」

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