第二十一話 鏡の魔女、森を覗く


 ナハマンは鏡を通して様々なモノを見ることができる〈鏡の魔女〉である。

 彼女がその力を知覚したのはやや遅く、十二を少し過ぎた頃のことだった。

 

 彼女は、オアシスを中心とした小さな国の生まれである。

 彼女の父は部族を束ねる王であり、王とは神の代理人であり祭祀を司る神官でもあった。


 きっかけは彼女が七つの頃。

 さる支族の長が陳情のため王の祭殿を訪れた時のことだった。

 男は後学のためにとナハマンと同じ年頃の息子を一人、供として連れてきていた。

 彼は息子に対し、自分が王様と大事な話をしている間、中庭で遊んでいるようにと申し渡した。

 謁見の間に面したその中庭は、涼しげな水が贅沢に流れ、また隠れるにちょうどいい木々があちこちに木陰を作っていたから、男児が暇をつぶすには十分であった。

 そうして男児が庭を楽しんでいたちょうどその時に、ナハマンが侍女に連れられて庭に出てきたのである。


 彼にとっては不幸なことに、ナハマンは当時から既に大変な美貌な持ち主であった。


 何も知らぬ男児はたちまち一目ぼれし、子供らしい無邪気さからその美しい女の子に贈り物をしようと考えた。

 彼は大急ぎで物入れを漁り、すぐに女性への贈り物にふさわしい品を一つ見出した。

 元はオアシスの市場で妹への土産として購入したものだがこの際仕方がなかった。彼は他に何も持っていなかった。

 彼は大急ぎで王女の前に進み出ると、子供らしい、たどたどしい動きではあったがそれでも作法にのとった仕草でその贈り物を差し出した。


 父親たちは政談の合間に窓からその様子を微笑ましく眺めていたが、贈り物を目にした途端両者の顔色が変わった。

 それは飾りの施された手鏡だった。

 盲目の王女に手鏡が何の役に立とうか。

 男児は瞬く間に不敬の咎で捕らえられ、子供ゆえに大事には至らなかったものの鞭で打たれた上、祭殿への出入りを禁じられてしまった。


 さて、少年は罰せられたものの、手鏡は王女のもとに残された。

 ひと悶着あったとはいえ、彼女にとって初めての男の子からの贈り物である。

 彼女は人目を忍んで懐からそっとそれをとりだしては、柔らかに触れてその感触と記憶を楽しんでいた。

 そうして幾年かが過ぎたある日のこと、彼女の脳裏にぼんやりとした像が浮かんだのである。

 鏡に触れるたびにその像は鮮明になっていき、やがて一人の美しい少女の顔を映し出した。

 彼女は、その顔が眉根をひそめるのを見てそれが自分の顔であると気付いた。

 それから鏡の向きを変え、手を伸ばし、その動きと感触を確かめた。

 彼女は手にした鏡に映る景色が脳裏に浮かんでいるのだと理解した。


 最初は、もらった鏡に魔法が宿っていたのだと考えた。

 彼女は鏡を取り上げられることを恐れて、誰にもこのことを話さなかった。

 だが、やがて鏡であれば何であれ彼女の頭の中に像を結ぶことができることが分かってきた。

 ここに至って彼女はようやくこのことを父に知らせた。


 娘に不思議な力があること知らされた王は渋い顔をして、それから箝口令を敷いた。

 ナハマンの祖国においても、魔法の使い手は社会とは一歩距離を置く存在であったからだ。

 だが、彼女の能力がさまざまに応用可能であることが分かってくると、王は考えを改めた。

 彼は娘に備わっている不可思議な力を、配下の者たちの秘密を暴くために使うことを思いついたのだった。

 そして彼は贈り物と称して方々に鏡をばらまいた。


 情報は力である。

 だが彼女の父、ボルレアケ族の王ボルレは愚物であった。

 少なくともこのような力を正しく扱える器ではなかった。


 誰もが大なり小なり秘密を抱えている。

 ちょっとした失敗のごまかし、ささやかな横領、抑圧された鬱憤、あるいは破廉恥な趣味……。

 些細な罪にも、王は気軽に鞭を、そして時には刃を振るった。

 彼は良かれと思ってそうしたのだった。

 あらゆる罪が必ず暴かれ、罰せられるのであれば、だれも罪を犯そうとは思わなくなるだろう、と。

 だが、人々の心は一向に改まらなかった。

 それどころか漏れるはずのない秘密が次々と白日の下にさらされるにつれ、人々は疑心暗鬼に陥り、その心は少しずつ荒んでいった。


 秘密の出所が皆の知るところとなるまでそう長い時はかからなかった。

 タネが割れれば対抗するに雑作もない力である。

 ただ、部屋の鏡に布を被せるだけで済む。


 かくして愚かな王はその力を失い、後には怨みだけが残った。

 人々は再び自由に秘密を持つことができるようになったが、それは最早、かつての様なささやかなモノではなくなっていた。


 そこからの顛末は語るまでもない。

 祭殿に多くの血が流れ、禅譲の儀が執り行われた。

 その儀式は、先王の心臓を神に捧げることで完成する。


 王族のほとんどが殺される中、唯一人、ナハマンだけが残された。

 彼女の祖国において魔女は人の理の外にある存在であり、またそれを殺せばその者に呪いが降りかかると信じられていたからだった。

 彼女はすべての持ち物を取り上げられて、地下牢に閉じ込められた。

 当然、魔法の力の媒体となる鏡等与えられるはずもない。

 長年慣れ親しんでいたはずの闇の世界も、一度光を知った後では心身に堪えた。

 そんなナハマンの唯一の支えとなったのがファラだった。

 代々王家の傍に仕えていた彼女の一族もまた、この度の反乱で多くが殺されていた。

 彼女は穢らわしい魔女の世話を押し付けるため生かされていたのだった。


 後は二人してこの地下牢で朽ち果てるばかり。

 そんな絶望的な日々に一条の光が差した。

 遥か北の国から使者がやってきたのである。

 曰く「この国にいるという高貴な血筋の魔女に、我が国への輿入れを願いに来た」とのことだった。


 ナハマンを殺すこともできず持て余していたこの国新たな支配者たちはこの提案を受けるか否かで紛糾したが、紆余曲折の後、彼女の輿入れが決まった。

 ナハマン本人はもちろん、その子孫に至るまでこの地に足を踏み入れぬという条件付きの、事実上の追放だった。


 その後も様々な苦労はあったものの、あの暗闇の日々に比べればどうということはなかった。



 このところ、王妃は一日の大半を鏡を覗き込みながら過ごしている。

 〈鏡の魔女〉たる彼女は、鏡を通じて遠征中の夫と連絡を取ることができたから、彼女の義妹が〈長腕〉によって害された件についてその日の夜に包み隠さず報告した。

 しかし、鏡に映った彼女の夫はその話を一笑に付した。

 それから、手元の紙に次のように書きつけて鏡に映して見せた。


『あの狩人の兄弟とは何度かあったことがある。あれは善良な小心者だ。人など殺せぬよ』


 その点はナハマン自身がよく承知している。

 だからこそ彼らに連れ戻しを依頼したのだ。

 依頼にあたっては、必ず無傷で連れ戻すようにとファラに念を押させてもいる。

 しかし、どんなことにも絶対などはありはしない。


 ナハマンの不安そうな様子をみて夫は続けた。


『安心しろ、妹はまだ生きている。

 それにしても今回はまた大胆ないたずらを仕掛けてきたものだな。

 あまり真に受けていると、戻ってきたあいつに笑われてしまうぞ』


 それからこうも付け加えた。


『どうしても心配だというのなら、よく森を見張っておいといい。

 運が良ければ、そのうち鏡の前にも姿を現すかもしれない』


 〈闇夜の森〉には、街道沿いを中心に多くの鏡が人目につかぬように設置されていた。

 目的はもちろん、ホルニア軍の侵入を監視するためである。

 その存在は義妹にも隠されていたから、無警戒に姿を現すことは十分にありえた。

 しかし、それとて「生きていれば」の話である。

 義妹の死を確信していたナハマンにとっては無意味なこととしか思えなかったが、彼女は夫の言に従い森の監視頻度を上げた。

 一縷の希望にすがる所もあったが、なにより夫の言うことは彼女にとって絶対であった。

 無論、妻は夫に仕えるべき存在だから、等という話ではない。

 彼女にとり、マノア王ジリノスは救い主だったからだ。


 そうして、実りのない監視の日々を過ごしていたある日のこと、彼女はついに森の異変を察知した。

 いつものように、自身の鏡と森を貫く街道の西端の鏡を繋げたところ、そこに大勢の兵士たちが映ったのである。

 確かめるまでもない。ホルニアの軍勢だ。


 恐るべき事態だった。

 マノアの軍勢はその殆どが出払っている。

 せいぜい、各領主たちが己の居城を守るために最低限の兵を残している程度だ。

 それとて大部分は老兵や若い未熟練兵の類だろう。

 無理やりかき集めたところで、まともな戦になるかどうか。

 そもそも召集が間に合うかすら怪しい。


 ともかく、一刻も早く夫に事態を知らせねばならない。

 そのためにもまず敵の規模を把握する必要がある。

 彼女は敵軍の先頭を見定めるべく、次々と鏡を切り替え始めた。

 彼女の脳裏で、森の景色が目まぐるしく移り変わっていく。

 街道沿いのどの鏡にもホルニア兵の列が映っている。

 その規模は千か二千か、見積もりが五千に差し掛かったところでついに鏡が軍勢の先頭をとらえた。


 異常な光景であった。

 人の背丈の二倍はあろうかという巨大な石人形が壁をなし、ブンブンと腕を振り回して近寄るホルニア兵を吹き飛ばしている。

 その壁の向こうに、彼女はついに探し人を見出した。

 ホルニアの第三王子と向かい合うその白い影こそ、白百合の姫その人であった。

 夫の言う通りであった。義妹は生きていたのだ。


 王子が手にした剣で、彼女の義妹に斬りつけた。

 義妹は後ろに飛び退ってその剣をかわすと、ツタを伸ばして王子を絡め捕ろうとする。

 だが、王子は魔法がかかっているはずのそのツタを両断してのけた。


 その光景を目にして、ナハマンは震えを抑えられなかった。

 またも義妹に謀られたという怒り、亡くした者が見つかった喜び、それが再び失われる恐怖。

 様々な感情がごちゃ混ぜになって彼女を打ち据えた。


 鏡の向こうの音のない世界で、彼女の義妹は戦い続けている。

 誰から見ても、義妹の劣勢は明らかだった。

 どれだけツタを伸ばしても、樹の瘤を打ち付けても、王子が手にした剣はそれらを易々と切り裂いていく。

 王子があらゆる障害を切り裂きながら突進し、左手に構えた盾を義妹に叩きつけた。

 義妹は弾き飛ばされて尻もちをつく。


 王子が切っ先を義妹に向けたまま動きを止めた。

 おそらく義妹に向けて何かを言っているのだろうが、こちらに背を向けているため口の動きは読めなかった。

 義妹の口元も王子の背に隠れており、唇は読めない。

 少しの間、二人はそのままで話し続けていた。


 やがて義妹が、よろめきながらも立ち上がった。

 それから、数歩下がって剣の間合いからぬけでる。

 王子の背に隠れていた顔が、鏡に映った。

 義妹は凄惨な笑みを浮かべながら口を動かす。

 今度はその動きをはっきりとみることができた。


『私の家族は誰も殺させない!

 お義姉さまも、かわいい坊やも、ミレアだって!

 みんな私が守って見せる!』

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