第三話 白百合の姫、小人たちと出会う

 〈闇夜の森〉は、鬱蒼と生い茂る樹々に陽の光を遮られ、その名の通りいつも薄暗い。

 おかげでいろいろと不気味な噂が流れてはいるけれど、私にとっては過ごしやすい場所だ。


 イチイの樹を何本も乗り継ぎながらどうにか日が高くなる前に森にたどり着いた私は、積もり積もった枯葉の上に身を投げ出した。

 結局、昨晩は一睡もできなかった。

 その上、飛んでは降りて次の樹まで歩き、次の樹まで歩いたらまた飛んでと、それを一晩中繰り返したのだからさすがの私ももうクタクタだった。

 こんなにハードに魔法を使ったのは随分と久しぶりだ。

 うつ伏せに寝転がったまま、大きく息を吸い込むと胸いっぱいに森の匂いが広がった。

 この香りを嗅ぐといつも心が満たされる。

 どうしてだろう?

 私の魔法が森の力を使うから?

 それともここが、陽のあたらない、薄暗い世界だから?


 耳をすませば森の奥から鳥たちがチチチと互いを呼び合う声が聞こえる。

 そよ風に吹かれた草の葉が触れ合ってたてるカサカサという音。

 どこかで森ウサギが聞き耳を立てている気配。


 私は仰向けになって空を見上げた。

 そこには青空も太陽もない。

 分厚い葉っぱが幾重にも重なった隙間から、微かな木漏れ陽が星のように瞬いているだけ。

 世界中がこうだったらいいのに。

 そんな思いが脳裏をよぎる。


 昔、一度だけ陽の光をたっぷりと浴びたことがあった。

 あれはまだお父さまとお母さまが生きていた頃。

 冬も終わりかけのある日のことだった。

 私が薄暗い部屋の隅でカタカタと震えていると、お兄様がやってきて「日向ぼっこをしよう」と誘ってくれたのだ。

 お兄様は、お母さまとミレアの目を盗んで私を部屋から連れ出すと、お城の納屋の藁葺き屋根の上に引っ張り上げてくれた。

 太陽の光はポカポカと暖かくて、屋根の藁はフカフカで、時折吹いてくる冬の風はヒンヤリと冷たくて、とっても幸せな気持ちになれたのを今でもよく覚えている。

 ちょっとした冒険を成し遂げたのが嬉しくて、お兄様と一緒にクスクスと笑いあったっけ。

 もちろん代償は大きかった。

 私の顔は太陽の光を長時間浴びたおかげでパンパンに腫れあがり、しばらくは目を開くのにも苦労した程だ。

 そしてお兄様のお尻も、鞭で叩かれて同じように真っ赤に腫れあがっていた。


 思い出から意識をはがし、寝転がったまま森の境界へと目をやる。

 森の外は太陽に明るく照らし出されていた。

 遠くに小さな藁ぶき屋根の農家が見えた。

 その屋根は太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。

 あの藁もきっと、フカフカで暖かいに違いない。

 眩しすぎる。

 陽の光は私には毒だ。

 それでも、私はそれに浴する幸せを知っている。

 世界が暗ければいいなんてとんでもない我が儘だ。

 人間は、私が愛する人たちは、陽のあたる明るい世界で暮らした方がきっと幸せだろう。

 お兄様も、ミレアも、オッターも、あのかわいい坊やも。

 お義姉さまだって、たとえ目が見えなくたって暖かいほうがいいにきまっている。

 私だけだ。私だけが――


 ……おっと、いけない、いけない。

 疲れていると良くない考えばかり浮かんでしまう。

 早くしっかりと体を休めないと。

 とはいえ、ここは〈闇夜の森〉。

 陽の当たる世界からあぶれた連中が跋扈する無法地帯だ。

 こんなところで無防備に眠るわけにはいかない。


 私は疲れた体に鞭打って、ノロノロと上体を起こした。

 それから大きく息を吸って気合を入れる。


「よっこらせ!」


 おばあちゃんのような掛け声で一息に立ち上がる。

 立ち上がってから、もう一度森の外に目を向けた。

 やっぱり、あそこは私には眩しすぎる。


 光に背を向けて、私は森の奥へと踏み出した。

 ついでに、口元の覆いとフードを外して頭部を空気にさらす。

 森の中でならこれができる。

 風が気持ちいい。

 たったそれだけのことでも、ずいぶんと開放的な気分になれた。



 〈闇夜の森〉は、多くの流民や犯罪者が住み着く無法地帯だ。

 大きな森はどこも多かれ少なかれそういう一面を持つものだけど、ここは群を抜いている。


 原因はその立地にある。

 この森は、お兄様が治めるマノアと、その西に位置する大国ホルニアとの国境をなしているのだ。

 両国はこの森の豊富な資源――材木は言うに及ばず、水源に良質な毛皮、さらには砂鉄、その他挙げればきりがない――をめぐって長らく争ってきた。

 私も何度かこの森での戦いに参加している。

 お兄様は嫌そうな顔をしていたけれど、小国マノアがホルニアに抵抗するにはどうしても私の力が必要だったのだ。

 近年すっかり激しくなった北からの蛮族侵攻に対処するため、ようやく和議が結ばれたのが去年の話。

 以来、両国は互いに〈闇夜の森〉へ進入しないことを条件に、同盟国として北方への共同戦線を張ることになった。


 さて、それで〈闇夜の森〉が平和になったかといえばさにあらず。

 この森の帰属問題は一時的に棚上げされたにすぎず、依然としてくすぶり続けている。

 支配者不在、権力の空白地となったこの森は、無法者どもの格好の隠れ家となり周辺領主たちの頭痛のタネになっていた。

 盗賊どものねぐらを討伐しようにも、この森に兵士を送り込めば和議破りとして大変な問題になってしまうからだ。


 かくして、〈闇夜の森〉は妖怪以上に厄介な奴らが住みつく無法地帯となり果てた。

 もっとも今の私にとってはそれがかえって都合がいい。

 少なくとも、お義姉さまは追手として大勢の兵士を送り込むことができなくなる。

 そして、相手が少人数ならいくらでもやりようがあるのだ。

 軍隊が相手でもないかぎり、森の中で私は無敵だ。


 私はずんずんと森の奥へ進む。

 今でこそ無法者の跋扈するこの森だけれど、少し前までは近隣の農民たちも戦の合間を縫ってこの森に出入りしていた。

 目的は炭焼きだったり猟だったり、あるいは山菜取りだったりと色々だけど、森の奥にはそんな彼らが休憩や宿泊のために建てた山小屋がいくつもあるのだ。

 もちろん、そういう小屋には無法者たちが先に住み着いている可能性が高い。

 でも問題はなかった。きれいに掃除・・をすれば済む話だ。

 そういう奴らはきっと食料もため込んでいるに違いないから、むしろ好都合ですらある。


 それから四半日ほど歩いたところで、私は目的の山小屋にたどり着いた。

 記憶通りの場所にあって本当に良かった。

 ボロすぎもせず、大きすぎもしない適度な広さの小屋だ。

 ここなら無法者が住み着いていたとしてもせいぜい七人。

 どんなに頑張ったって、十人以上は無理だろう。

 つまり、私が一人で対処できる程度の人数だ。


 茂みや樹々に身を隠しながら慎重に小屋に近づいていく。

 切り株の上には薪割り用の小さな斧。周囲には真新しい断面の木片もチラホラ。

 誰かが住んでいるのは間違いない。

 念のため、事前に周囲の草木に声をかけておく。

 こうしておけば、何かあった時に彼らはすぐに応じてくれるのだ。


 さらに接近。

 壁際に身を寄せて、そっと中の気配を窺う。

 掘っ立て小屋の薄い壁板越しでも物音一つ聞こえない。

 どうやら、ここに住み着いている何者かは出払っているらしい。

 さもなければ、鼾もかかずに寝ているか。

 足音を立てないように、ゆっくりと表にまわる。


 表側には小さな井戸と、山リンゴの木が一本。

 どちらも元の持ち主が整えていたものだ。

 特に井戸が重要で、これがあるかないかで生活の便利さが全然違う。

 その幹には荷運び用と思われるロバに似た見慣れない生き物が三頭つながれていた。

 彼らのほうは暢気なもので、私が近づいても退屈そうにあくびをしただけだった。

 ひとまず危険はないらしい。


 そして小屋の入口は半開きで放置されていた。

 もっとも、この森では鍵なんてかけても無駄だろう。

 壁に張り付いたまま、付近の蔓草を呼び寄せて扉を開けさせる。

 罠が仕掛けられていた時の用心だったが、何もなし。

 あらあら不用心ですこと。

 ありがたく小屋に入らせていただく。


 最初の部屋には大きな丸机に、椅子が七脚。

 椅子は几帳面にも、等間隔できっちりと机の下に押し込まれている。

 壁際には色々な道具や荷物が並んでいるが、雑然とした印象は受けない。

 意外だった。

 戦争中、ついでに匪賊討伐なんかもしたから私は知っている。

 無法者の住処というのは、たいていはもっとしっちゃかめっちゃかに散らかっているものなのだ。

 それに、机も椅子も妙に低い。まるで子供用だ。

 部屋の隅には小さな竈。

 その上には不釣り合いに大きな鍋がかけられていて、かまどの熾火でコトコトと可愛らしい音を立てていた。


 そして奥にはもう一部屋。

 罠を警戒しつつ、そっと開ける。

 こちらも問題なし。

 覗き込んでみるとそこは寝室だった。

 藁の入った寝台が七つ、これまた等間隔できっちりと並んでいる。

 やっぱり人の気配はなし。

 だけどこの寝台も妙に丈が短い。

 子供が住んでいる?

 まさか。

 こんなところで、子供たちばかりで暮らしていけるはずがない。

 まあいいか。会えばわかる。


 私は最初の部屋に戻ると、手近な椅子を一つひいて腰を下ろした。

 うーん、少し座りにくい。だけどもう足が限界だ。

 疲れているから贅沢は言わないけれど、私には座面が低すぎる。

 お行儀よく座るのは諦めて、足をポンと投げ出した。


 ピヨピヨと鳥の鳴く声が聞こえたので見上げてみると、部屋の隅、天井際に吊るされた鳥かごにカナリアの番いつがいが飼われていた。

 鳥かごは止まり木はもちろん餌箱や小さな水桶まで完備されており、羽毛の色つやからしても随分大切にされているらしいことが伺える。

 無法者にしてはずいぶんと可愛らしいことをする。

 これは本当にアタリを引いたのかもしれない。


 いったい誰が住んでいるかは知らないけれど、まずはご挨拶からだ。

 森の中に住んでいるからといって、それだけで悪い人とは限らない。

 元々森で暮らしていた人たちもいれば、悪党たちに村を焼かれて一時的に逃げ込んできた避難民だっているだろう。

 もし悪い人たちではなかったなら、頼み込んで一緒に住まわせてもらおう。

 その方が一人で寝るより安全だし、生活もきっと楽しくなる。


 ……それにしても遅い。

 鍋を火にかけたまま出かけているぐらいだから、すぐに戻ってくるものとばかり思っていたのだけれど、待てど暮らせど住人たちは帰ってこない。

 私のおなかがグーッと鳴った。

 無理もない。昨晩から動き通しなのに食事のほうは全くとっていないのだ。

 一度緊張が緩んでしまうともうだめだ。どうしたって空腹を意識してしまう。

 そうなると次に気になるのは部屋の隅。

 そこでは大きな鍋がクツクツと煮えている。


 この小屋の住人が悪党だったら別にいい。

 でも万が一、万が一善人だったら困ったことになる。

 これから友好的な関係を築き上げていこうというその時に、初手の印象が「ご飯泥棒」ではあまりに具合が悪い。

 私はヨイショと椅子の向きを変えて、鍋に背を向けた。

 これで良し。

 いや、良くなかった。

 背を向けたところでおいしそうな匂いがすでに部屋いっぱいに広がっているし、鍋の煮える単調で暖かな音はどうやったって耳に忍び込んでくる。


 ……そういえば、あの鍋の中身は何なのかしら?

 の、覗いてみるだけなら構わないわよね?

 見るだけなら中身が減るわけでもなし。

 何より、中身が食べものじゃない可能性もある。

 そうなれば私はこの懊悩から解放されるのだ。

 鍋の蓋を開ける。中身は干し肉のシチュー。

 美味しそう……グゥ……またおなかが鳴ってしまった……。

 これだけたっぷりあるんだもの、一杯ぐらいならバレっこないわよね?

 机の上から器を一つ拝借して……あら、美味しい……もう一杯だけ……。


 気が付いたら鍋の中身が半分ぐらいに減っていた。

 どうしよう、これはちょっとごまかせそうにない。


 一般論として、私たち魔法の力の持ち主は普通の人たちよりも多くの食事を必要とするといわれている。

 昨晩はたくさん魔法を使ったからなおさらだ。

 元はと言えばお義姉さまが雇った暗殺者のせいでこんなことになったのだ。

 全部お義姉さまが悪い。私は悪くない。よし。


 それに、この小屋の住人が善良な人たちなら、きっと私のことも許してくれるはずだ。

 私の力を使えば、狩りの手伝いだってできるし美味しい果物も提供できる。

 彼らはお鍋半分のシチューと引き換えに、もっとたくさんの食糧を手に入れることができるのだ。

 もし無法者の類であったなら……その場合でも、まあ、彼らは死ぬ前に施しの善行を一つ積めたことになる。

 地獄の刑期もその分すこしだけ短くなるだろう。

 どちらに転んでも、お互いにとって有益な関係が結べるというわけね。


 心配事が片付いて、その上おなかがいっぱいになったものだから今度は眠たくなってきた。

 人間の体はそういう風にできているのだから仕方がない。

 住人達も一向に帰ってくる様子がないことだし、奥の部屋で少し休ませてもらおう。

 それにしても妙に小さなベッドだ。

 幅は十分だけれど、丈が足りていない。

 足を縮めてまるくなれば寝られなくもないけれど……そうだ、三つぐらい並べればちょうどいい感じになりそうだ。

 私は両隣のベッドを引っ張ってきて、隙間なく並べた。

 あとは、お城の部屋から持ち出した鉢植えを部屋の隅に置いて、と。

 うん、いい感じ!


 私はベッドの上にごろりと横になった。



「おい――……」


「わからん、……――だろう」


 気持ちよく寝ていたら、ぼそぼそとしたしゃべり声が聞こえてきた。


「――。……――じゃないか?」


「……なら、――だろう。これは……」


「これで髭が――……」


 野太い男たちの声だ。

 ここ、どこだっけ?

 ああ、そうだ、お義姉さまが暗殺者を送り込んできたから、お城を逃げ出してきたんだった。

 それで、〈闇夜の森〉まで飛んできて、それから――。


 薄目を開けると、髭面の男たちが私を覗き込んでいるのが分かった。

 それほど屈んでいるわけでもないのに、妙に顔が近い。

 理由はすぐに分かった。よく見みれば彼らはみんな背が低いのだ。

 なるほど、道理で。


 そこまで考えたところで、視界の隅で何かがギラリと光を反射させた。

 槍の穂先だ。

 意識が急激に覚醒する。

 目を薄く開けたまま、見える範囲を見回す。

 戦斧を持った男が最低でも二人。

 まだ抜いてはいないが腰に剣を吊っている奴もいる。


「お、目が覚めたようだぞ」


 気付かれた!

 私は跳ね起きて戦闘態勢をとる。

 囲まれたままでは分が悪い。

 鉢植えのツタに命じて男の一人の足を巻き取り、隣の奴にぶつける。

 出来上がった隙間に飛び込んで、部屋の隅に陣取り敵と対峙した。


 仲間をぶつけられた男が、不意打ちにもかかわらず少しよろめいただけで踏みとどまっている。

 相当に鍛えられている。素人ではない。

 敵は七人。

 ほとんどは戸惑っている様子だが、槍を持った男は既に盾を構えて――あ、突っ込んできた。


 とっさに男の足にツタを絡ませたものの勢いは止まらない。

 それでもバランスを崩すことに成功し、槍の狙いが少しだけそれた。

 それた穂先が、私の右耳をかすめて薄い板壁を粉砕。

 勢いそのままで槍の男は向こうの部屋に吹っ飛んでいった。


 その間に残りの男たちが戦闘態勢を整えていた。

 斧やら剣やらを手にしてこちらを油断なく取り囲んでいる。

 私は壁を背に逃げ場なし。

 やむを得ない。


 私はその場に伏せながら、あらかじめ呼び掛けておいた樹に合図を送った。

 同時に凄まじい破壊音とともに、巨大な瘤付きの枝が唸りを上げて部屋に飛び込んでくる。

 見たか! これが私の切り札、樹木ハンマーだ!

 十分な溜めができなかったとはいえ、完全武装の騎士を馬ごと吹き飛ばせる程度の威力がある。


 って、嘘でしょ!?

 男の一人が私の樹木ハンマーを盾で受け止めていた。

 恐るべき反射神経。恐るべき踏ん張り。

 隣の斧男が、まだ十分なしなりを残していた枝を即座に両断し、盾男を圧力から解放する。

 恐るべき連携も追加だ。

 これは敵わない。


 そう判断した私は、できたばかりの壁の穴に飛び込んだ。

 一時撤退。こいつらに勝つには入念な準備が必要だ。


 小屋から飛び出ると同時に、そのまま一目散。

 恐らく彼らは足が遅い。瞬発力はあっても、長く走るのは苦手なはず。

 ミレアが話してくれたお伽噺の通りなら、多分、きっと。

 そうでなくとも脚が短ければその分走りにくいのが道理。

 だから、これで逃げ切れる!


 ゴンッ――「ウゲッ!」


 そう思ったとたん後頭部に衝撃を受け、私は乙女にあるまじき呻きを上げながら転倒した。

 何とか立ち上がろうと、うつ伏せに上体を起こすと、すぐ近くに丸い盾が転がっているのが見えた。

 あれを投げつけられたのか。飛んできたのが槍や戦斧じゃなくて本当によかった。

 だけどクラクラしてうまく立ち上がれない。

 直後、手斧が文字通り私の目と鼻の先に突き立った。

 一党のリーダーらしい奴の声が聞こえる。


「降伏しろ、精霊憑き。

 もはや勝ち目も逃げ道もない」


 まったくもってお説のとおり。万事休す。

 私は抵抗の意思がないことを示すため両手を上げながらゆっくりと立ち上がった。

 手を上げたまま、これまたゆっくりと振り返ってから言う。


「……降伏します。

 貴人に相応しい名誉ある扱いを要求するわ」

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