第九話 白百合の姫、狩人と出会う
ディケルフとイェンコの二人は背負っていた盾を素早く構えると、私をかばうように前に出た。
射手の姿は見えない。
おそらく木々の間に隠れているのだ。
少し間をおいて森の奥から何者かが呼び掛けてきた。
「その姿、〈白百合の魔女〉に間違いないな?
俺の名は〈長腕〉のボヌ!
マノアのお妃に言いつけられて、お前を連れ戻しに来た!
俺の矢は熊の頭骨も砕けるし、飛ぶ鳥の目玉だって撃ち抜ける!
もう逃げられはせんぞ!
おとなしくついてくるなら危害は加えねえ!
あきらめて俺について――うわ!」
口上が長い。
その間にしならせた木の枝で声がしたあたりの藪を薙ぎ払うと、その枝を避けるように人影がピョンと飛び上がった。
かなりの長身、胴体が異常なほどひょろりと細長いけれど、それに輪をかけて手足が太くて長い異様なシルエットだ。
「待て! 誤解だ!
戦うつもりなんて――おっと!」
枝をもう一発お見舞いしたけど避けられた。
自分からお義姉さまの刺客と名乗ったのだから誤解も何もない。
危害を加えないなんて言ったところで、「おとなしくついてくれば」の条件付きだ。
帰らないと言えば力づくで連れ戻すつもりだろう。
そうでなくても、帰ったらお義姉さまに殺されてしまうのだ。
だったら同じこと。話し合いの余地なんて最初からない。
私が次の手を準備している間に、男が再び跳びあがった。
そして木の枝に跳び乗ると、その図体に見合わない機敏さで猿のように枝から枝へと飛び移り、瞬く間に姿を消した。
常人の動きじゃない。おそらく、私と同じく魔法の力の持ち主だ。
イェンコとディケルフが盾を掲げながら私の背後を守るようにして立つ。
再びバンという弓音。
直後、私の斜め後ろからカンッという妙な音がきこえた。
振り返ると、ディケルフが構えていた盾を呆然と見つめている。
鉄張りの盾に穴が開いていた。
「お嬢さん、こりゃまずいぞ」
「分かってる」
最初の一矢を見た時点で、相手は魔法の力の持ち主と見当をつけてはいた。
おそらく、強力な弓を引ける異常な剛腕か、あるいは何かしらの力で矢を操る魔法の持ち主だろうと。
魔法の力は一つしか持てないと言われている。
だから、それ以外の部分は並の人間程度、あるいはそれ以下だろうと高をくくっていたのだ。
だけど敵が予想以上に素早い。
草木を操れたって、姿が見えないことには攻撃しようがないのだ。
見えたところで、あの速度で動き続けられては攻撃が間に合わない。
せめて一か所にとどまってくれればやりようはあるのに。
「何のこれしきです!」
我に帰ったディケルフが、盾を放り捨てて投げ斧を手に取った。
そして振りかぶったとたん、斧の刃がポロリと落ちた。
狙撃で柄をへし折られたのだ。
彼は慌てて盾を拾いなおすとその陰に隠れた。
意味があるかは不明だ。
再び敵の怒鳴り声が響く。
「もう勝ち目はねえ。おとなしく降参しやがれ!
魔女をこちらへ差し出せば、そっちのチビどもは見逃してやる!」
正直言って、驕っていた。
森の中でなら私が一番強いと思い込んでいた。
だけどそうじゃなかった。
あいつに対する勝ち筋が見えない。
仕方がない、ここはいったん降参しよう。
お城に戻る途中に隙を見て逃げ出すなりやっつけるなりすればいい。
もちろんあいつが約束を守る保証はないから危険な賭けにはなるけれど、元はといえば私の身から出た錆だ。
イェンコたちを巻き込むのは忍びない。
「分かったわ。降さ――」
私がそう言いかけた瞬間、イェンコが大声で怒鳴り返した。
「命なんぞ惜しくはないわい! こいつはわしらの兄弟だ!
見捨てたりするものか!」
その途端、カンッという気持ちの良い音が響いてイェンコの盾に穴が開いた。
「盾はダメだ! 木の陰に隠れろ!」
ドワーフたちが盾を放り捨てて手近な木の陰に転がり込む。
私もそれに倣いながらイェンコに向かって叫んだ。
「どうしてくれるのよ!
降参するふりして油断したところをやっつけるつもりだったのに!」
それを聞いてイェンコは目を真ん丸にした。
「その手があったか!
よし、降参しよう!」
「もう遅いわよ!」
あんな啖呵を切った後じゃ不自然すぎる。
信用されるわけがない。
まあ、仲間だって言ってもらえたのは嬉しかったけど。
ディケルフが隣の樹から頭だけ出して言う。
「そんな手、最初から通用しませんよ。
リリーさんみたいな危険な能力の持ち主を城まで連行できますか?
私なら、胴から首を切り離して持ち帰りますね。
荷物も軽くなります」
なるほど、説得力がある。
彼はすでに日ごろの冷静さを取り戻しているらしい。
「ねえ、何か手はないの?」
私の問いに、彼は声を落とした。
「あります。
少しだけ時間を稼いでください。
その間に私が、昨日仕掛けたもう一つの罠のところで準備します。
合図をしたら白い石を辿ってください。そこは安全です」
白い石は彼がいつも持ち歩いている罠用の目印だ。
私たちがうなずいて見せると、彼は両手を上げながらばっと立ち上がった。
「私は逃げます! 巻き添えなんて御免ですからね!」
わざとらしいセリフを吐きながら一目散にかけていく。
あんなので大丈夫かしら?
と思っていると、刺客の叫び声が飛んできた。
「よし! お前は逃がしてやる!
おい、太ったほうのチビ!
お前もさっさと考え直せ!」
大丈夫だったらしい。
しかし、声がさっきとは違う方向から聞こえる。
どうやらこまめに場所を変えているようだ。
「今から十数えるからな!
その間に降参しなければお前ら二人とも串刺しだ!
いいな? わかったな?
それじゃあ数え始めるからな!
そら、い~ちっ!」
敵は頼んでもいないのに数を数え始めた。
こちらとしてはまったくもって好都合。
枝から枝へ飛び移る微かな気配。
「に~いっ!」
少し間を開けて、次の声が聞こえてきた。
念のため、声が聞こえてくる方向に合わせて、こちらも身を隠す位置を変える。
「さ~んっ!」
どうやら敵は右回りに回っているらしい。
森の木々に呼び掛けて、次にあいつが来そうな方向の枝を弱くしてみる。
「し~――うわ!」
バキリと音がして樹上から人影が落ちてきた。
だが敵もさるもの。
慌てることもなくその長い腕で違う枝をつかむと、くるりと回りながら再び樹上に姿を消した。
残念。効果はなし。
「ご~おっ!」
それにしてもすごい体力だ。
これだけの勢いで枝から枝へ飛び回り続けるなんて常人にはとてもまねできない。
やはりこいつと正面から戦うのは不利だろう。
「ろ~くっ!
そ、そろそろ、降参してもいいんだぞ!」
そうでもなかった。移動の間隔が長くなってきている。
動きも最初に比べてだいぶ雑だ。
息が上がってきているに違いない。
「し~ちっ!
な、なんとか言え!
せめて返事ぐらいしろ!」
私はだんだんとこの刺客のことが憎めなくなってきてしまった。
どうにかして、このまま自滅してくれないかしら?
「ねえ! 相談があるんだけど!」
「なんだ!」
「十じゃなくて二十まで待ってくれないかしら?」
「ダメだ! 十だってきついんだ!
これ以上待てるか!」
ダメだった。
「は~ちっ!
おい、いい加減にしろ!
ホントに、本当に串刺しだぞ!」
その時、ビィイイイ!という笛の音が響いた。
「合図だ! 行くぞ!」
イェンコが立ち上がって駆けだす。
都合のいいことに音がしたのは刺客がいるのとは反対方向だ。
私も急いで彼の後を追う。
「きゅ~――あ、おい! 待て!
ちくしょう! 騙したな!?」
気づくのが遅すぎるんじゃないかしら?
ディケルフの白い石は藪や木の枝をの間を縫うようにジグザグと配置されていた。
なるほど、進路をこまめに変えることで先回りされにくくなるわけね。
「二人とも! こっちです!」
ディケルフが大岩を背にした藪の中から手招きしている。
私は大急ぎでそこに飛び込む。
「危ない!」
息つく暇もなくディケルフに抱き寄せられる。
直後、イェンコの巨体がさっきまで私がいたところに転がり込んできた。
本当に危ないところだった。
それにしてもいい場所を選んだものだ。
これなら背後から矢が飛んでくる心配はないし、左右もさりげなく配置された木の枝で視界を遮ってある。
「リリーさん、あの枝を弱くすることはできますか?」
そういって彼が指さしたのは、唯一視界が開けている少し離れた正面の木の枝だ。
「もちろん!」
彼の意図はすぐに分かった。
私たちを射るには、あの枝が一番都合がいい。
だけど周囲の枝が切り払われて孤立している。おそらく、ディケルフがやったのだ。
そしてその真下には私たちが昨日仕掛けた罠がある。
刺客が姿を現したのはその直後だった。
こちらの位置を確認すると、彼は予想通り例の枝の上に着地した。
バキッ!
見事に転落。
罠の枝バネが跳ね上がるのを確認した私は、そのまま枝と蔓草に命じて刺客を逆さづりにした。
刺客は慌てながらも弓をその場に放り出して腰の短剣を引き抜く。
蔓を切って逃げようというのだろう。
だけど、私の魔法で強化した蔓を切れるわけがない。
「うおおおお!」
イェンコが戦斧を横に構えながら突進。
間合いに入るや横なぎに斬り払う。
刺客の身体が真っ二つに斬り裂かれた。
下半身と泣き別れた上半身から血が噴き出し、あたり一面血の海に――はならなかった。
代わって私が見たのは、クルリと着地した上半身が落とした弓に向かって駆け出すという珍妙な光景だ。
イェンコもあんぐりと口を開けて固まってしまっている。
上半身はその隙にイェンコの脇を素早く駆け抜けると、弓を拾い上げて矢をつがえた。狙いはイェンコ。
ようやく我に返った私が慌てて周囲の草木に呼びかけるも、これでは到底間に合わない。
もうダメだと思った瞬間、クルクルと回りながら飛んできた投げ斧が男の異常に長くて太い腕に突き刺さった。
そのよく発達した筋肉に阻まれて切断こそできなかったものの、刺客はウッと呻いて矢を取り落とす。
動きの止まった上半身に向けてイェンコが斧を振りかぶった。
その瞬間。
「待ってくれ! 降参する!」
そう叫んだのは、私の蔓で逆さ吊りにされていた下半身だった。
「降参だ! 俺はどうなってもいい!
頼むから兄者だけは殺さないでくれ!」
いつの間にか下半身から頭と短い手が生えている。
なるほど、そういうことだったのね。
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