第七話 元宮廷料理人、過去の栄華を語る

 先ほどの場所はあまりにも血なまぐさくなってしまっていた。

 これでは当分獲物は近寄らないだろう。

 そこで少しばかり離れた場所に新しく罠を仕掛けることになった。


 獲物の通りそうな場所を探す道すがら、前から気になっていたことを聞いてみた。


「ねえ、イェンコ」


「何かねお嬢さん」


「あなたの〈泥棒豚〉っていう二つ名、やっぱりつまみ食いのせいでついたの?」


 私がそう訊ねたとたん、イェンコは盛大な笑い声をあげた。


「いやいや、そうじゃないんだよお嬢さん。

 これは正真正銘、先代の国王陛下より賜った誉ある二つ名だ」


 豚だけでもひどいのに、その上泥棒とはいったいどんな誉れなのだろうか?

 どう考えてもこの三つが結びつかず、私は首を傾げた。


「まあ、お嬢さんのような地上の民が疑問に思うのも無理はない。

 泥棒豚っちゅうのは、洞窟の奥に棲んどる豚に似た生き物のことでな。

 ほれ、こいつだ」


 そう言って彼は、担いでいた戦斧を私に見せてくれた。

 刃腹にモグラと豚を混ぜたような不細工な生き物が彫り込まれている。

 その精緻な彫り筋を見る限り、彫り手が下手というわけではないらしい。

 本当にこういう生き物なのだろう。


「これがわしらの地底キノコ農場を荒らすうえ、捕まえても毒があって食べられんものだから大変に嫌われておったのだよ」


 かわいくない上に厄介者。

 聞けば聞くほど誉れから遠ざかってゆく。


「これがある年を境に大量に発生しおってな。

 キノコ農場にどっと押し寄せてきたのだ。

 素早くもなければ、賢くもない奴らだから、捕まえるのも狩るのも難しくはない。

 ところが奴らは、広い地下空洞の奥からいくらでも沸いてきおる。

 とうとうゴミ捨て場は奴らの死体でいっぱいになり、悪い病気まで流行り始めた。

 そこで先代の国王陛下は、当時は宮廷料理人の一人であったわしを呼び出して

 『我らが山で一番の料理人と見込んで命じる。どうにかして泥棒豚を食べられるようにする方法を見つけ出すのだ』

 と仰せになった。

 これがなかなかの難問でな。まず毒を抜いてやらにゃ話にならん。

 だが煮てもダメ、焼いてもダメ、干しても、塩につけてもダメ、油で揚げてみてももちろんダメ。

 毒肉ばかり試食しているものだから体の調子もどんどん悪くなっていく。

 国王陛下からはまだかまだかとせかされる。

 こりゃあもうダメだと途方に暮れていたところでふと気づいたのだ。

 どうも、食べるたびに毒の具合が違う。

 なぜか? お嬢さんはわかるかね?」


「さっぱりわからないわ」


 そんなことより、自分の体で毒の具合を確かめ続けたことにびっくりだ。

 彼は私の反応を見て満足げに話を続けた。


「そうだろうとも。わし自身、よく気付いたものだと感心するぐらいだ。

 泥棒豚がキノコを食べるという話を最初にしただろう?

 そのキノコが問題でのう。

 試しに泥棒豚を一匹捕まえてな、アカナガワシバナ茸を食べさせてみた。

 あの頑丈なトロルですら一口齧っただけで全身をけいれんさせて死ぬ猛毒のキノコだ。

 ところが驚いたことに、泥棒豚はそれを丸々一個喰ってもぴんぴんしとる。

 三日間それだけを食わせ続けても、まるで平気だ。

 それでな、そいつを殺して食べてみることにしたんだが、焼いた肉片を舌の上に乗せただけでピリピリくるんじゃ。

 とてもじゃないが試食どころの騒ぎじゃない。

 それでわしは確信した。

 こいつらの毒は、キノコを食べてその毒を体内に取り込んだものなのだ。

 おそらく、危険な捕食者から逃れるために身に着けた能力なのだろう。

 そうと分かれば話は早い。

 そうだろう、お嬢さん?」


「毒のないキノコを食べさせ続ければいいのね?」


「そうとも、そうとも!」


 イェンコは私の言葉に顔をほころばせた。


「わしもそう考えた。

 だが洞窟の生き物というのはどいつもこいつも一筋縄ではいかん奴ばかりだ。

 どうやら一度体内に取り込んだ毒が抜けるまでには随分と時間がかかるようだった。

 丸一年飼育して、毒の効果は体感でおおよそ半分。

 まったくの無毒になるためには、わしの見立てでは五年はかかる。

 とりこんだ毒の種類によってはそれでもまだ危ないかもしれん。

 そこでわしは再び考えた。

 最初から毒キノコを一口も与えずに育てればいいのではないか?

 これがとうとう大当たりだ!

 生まれた時から食用キノコだけで育てれば、完全に無毒な泥棒豚の成獣がわずか二年で手に入る!

 いろいろ試した結果、フックラボウシ茸で育てるのが一番美味だということも分かった。

 いやはや、ただ美味いというだけではもはや言葉が足らん。

 なんせ、これまで口にしてきたどんな食べ物よりも美味いんだ。

 宮廷料理人として、国王陛下に饗されるあらゆる美食をつまんできたわしが言うんだから間違いない。

 まったく素晴らしい食材だった。

 その最高の調理法を研究するためにさらに三年。

 とうとう、わしは泥棒豚の調理方法を完成させた。

 気づけば、陛下の命を受けたその日から十年の月日が過ぎておった。

 最初の一皿を先王陛下に献上した日のことは今でも忘れられん。

 あの舌の肥えた陛下が、一口食べただけで感涙にむせび泣いたものだ。

 この功績によってわしは陛下より、かの憎き獣を至高の料理に変えた男、すなわち〈泥棒豚のイェンコ〉の名を賜り、筆頭宮廷料理人として厨房に返り咲いたというわけだ」


 感動的な物語だった。

 料理に命を懸けた一人の男の執念と努力が実を結び、ついに名誉と栄光をもたらしたのだ。


「素晴らしいお話ね。私もいつかその泥棒豚を食べてみたいわ」


「いいともいいとも。お嬢さんもいつか〈はがね山〉を訪ねてきておくれ。

 その時にはとっておきの泥棒豚料理をふるまってやろう。

 まあ、この討伐行を生き残れたらの話になるが」


「もちろんよ。ますますやる気が出てきたわ」


 だけど、一つだけ疑問があった。


「ところで」


「なにかね」


「泥棒豚の死体の始末はどうなったの?

 結局のところ、野生の泥棒豚の死体は調理できないんでしょう?」


 ついでにいえば、守るはずだった農場のキノコを餌として逆に消費するというおまけつきだ。


「ああ、ああ。それはいいんだ。

 泥棒豚の異常発生は、なぜかは知らんがわしが研究を始めた翌年にはぱったりと治まっての。

 だから死体を始末する必要はなくなったのだよ」


「え? じゃあ何のために毒豚を食べる研究なんてしてたのよ」


「何でって……なあ?」


 私の問いにイェンコは不思議そうな顔をした。

 なぜここでそんな顔をするのか、私にはわからない。

 前を歩いていたディケルフが振り返りながら言った。


「私はイェンコさんの気持ちがわかりますよ。

 一度始めてしまったらやっぱり気になるじゃないですか。

 そういうものでしょう?」


 二人して「どうしてわからないのかがわからない」とでも言いたげな顔だ。

 どうやら、種族の壁というのは思っていたよりも高くて厚いらしい。



 まだ真新しい動物の糞を見つけて私は足を止めた。

 多分猪だろう。

 その場にかがみこんで地面をじっくりと観察すると、幾筋かの足跡も見つけることができた。

 この糞の落とし主はどうやらここを頻繁に通っているらしい。


「この辺りがよさそうね」


 私がそういうと、イェンコが感心したように言った。


「ほう、わかるものなのかね」


「多少はね。昔、狩人のおじさんに教えてもらったの」


 戦争に参加した時のことだ。

 お兄様の軍勢には道案内や斥候のために狩人が大勢雇われていた。

 森の中で遊撃を仕掛けるのが私の仕事だったから、自然と彼らとは親しくなっていた。


「それではさっそく罠を仕掛けることにしましょう」


 そういってディケルフが背負っていた荷物をガチャガチャと解き始めた。

 凶器の山だ。先ほど解除したあの凶悪な罠の部品たちだ。


「それはしまって!」


 また獲物をバラバラにされてはたまらない。


「ですが――」


「いいから! 魔法で罠を作るから、今回は見ていてくださらない?」


 魔法の罠と聞いて彼の目がとたんに輝いた。


「魔法の罠! 見せてもらえるんですか!?」


「ええ。だからその荷物をしまっていただけるかしら?」


「もちろんですとも!」


 彼のあまりにキラキラした視線に何となく居心地の悪さを感じたものの、ひとまずは良しとする。

 おとなしくしてくれるのならそれが一番だ。


「いい? よく見ていて」


 私は手近な蔓草に呼び掛ける。

 するとその蔓草がフヨフヨと伸び始めた。

 ちょうどよい長さになったところでそれを止め、今度は強くなれと念じる。


「ねえ、ちょっとこの蔓草を切ってみてくれないかしら?」


「お安い御用です」


 ディケルフは背負っていた戦斧を構えると、一気に振り下ろした。

 ところが彼の気合の入った一撃を受けても、私が魔法で強化した蔓草はポヨンとその刃を押し返した。

 もちろん傷一つついていない。


「もちろん、引っ張っても簡単にはちぎれないわよ」


「これはなかなか大したものですね!

 それでこれをどうするんですか?」


「こうして、手近な枝に結び付けて、と」


 蔓草を結び付けた枝に魔法をかけて、同じように強化する。

 それから、枝を大きくしならせてそのまま軽く固定。

 続いて穴を掘る。ここに仕掛けを施して、この穴に足を踏み込むと先ほどの枝が解放されるようにしておく。

 最後に蔓草の先端を結んで輪を作り、穴を取り囲むように配置する。

 こうすることで、穴を踏み抜いた獲物は足をくくられて逃げられなくなるのだ。

 おっと、仕上げを忘れていた。穴と輪っかが見えないように周囲の落ち葉と枯れ枝を集めて覆い隠す。

 完全には隠せていないけど、まあこんなもので十分でしょう。


「これでよし!」


 罠を完成させて振り返ると、ディケルフがとても悲しそうな顔でこちらを見ていた。


「あの、リリーさん」


「なにかしら?」


「これってただのくくり罠ですよね?」


「そうね」


 基本的な構造としてはその通りだ。


「魔法の罠がみられると聞いて、とても楽しみにしていたんですが」


「魔法ならちゃんと使われているじゃない。

 私のこの罠なら、熊だって捕まえておけるわよ」


 ただ蔓と枝を強化しただけというなかれ。

 私にくくり罠を教えてくれた狩人のおじさんは、私のこの魔法を見て大喜びしたものだった。


「いえ、ね。すごいっていうことはわかるんですよ?

 わかるんですけど……なんというか、こう、地味というか、その……」


「破壊力が足りない、かしら?」


「そう、それです! 破壊力です!

 やっぱり罠にはそれが必要だと思うんですよ!」


「これは狩猟用の罠よ。

 破壊力のことは、かんっぜんっにっ!

 忘れなさい!」


「で、ですが……」


 なおも言いすがろうとするディケルフの言葉をさえぎって、イェンコが口を挟んできた。


「お嬢さんの言うとおりだ。

 もう干し肉のひとかけらさえ残っておらんのだ。

 さすがにこれ以上ひき肉ばかり作られたんじゃたまらん」


 私たち二人に言われてディケルフはしょんぼりと肩を落とした。

 それでも彼は未練ありげに罠を見ながら言う。


「じゃあ、せめて少しだけ手を加えさせてもらっていいですか?」


 少しばかり不安はあったけれど、彼があんまりしょげた様子なのでつい許してしまった。


「威力をあげるようなのはなしよ?」


「わかっていますよ」


 そういって彼は、四つん這いになったり、あるいは向きを変えたりしながら罠を眺めはじめた。


「何をしてるの?」


「動物の気持ちになって罠を眺めているんですよ」


 なるほど。

 十分眺めて満足したのか、彼はガサガサと藪の中に入っていく。

 戻ってきた彼は、その手に太めの枯れ枝やらコブシ大の石をいくつか抱えていた。

 そして周囲の獣の足跡をもう一度よく確認してから、慎重に手の中のものを罠の周囲に配置し始めた。


 しばらくして、ディケルフは腰を伸ばしながら満足げに言った。


「これでよし」


 どうやら終わったらしい。

 しかしどうしたことだろう? 罠に手を加えたいといいつつ、結局罠には手も触れていない。

 やったことといえば、木の枝や小石を周囲にばらまいた程度だ。


「いったい何がしたかったの?」


「フフン。それじゃあ罠に向かって歩いてみてください。

 できれば、獣の気持ちになって」


 よくわからないけどやってみることにする。

 みたところ、小石や枝は障害物にすらなっていない。

 さほど大きくはないので、またぐか避ければそれで済む。

 だけど数歩歩いたところでピンときた。


「これ、さりげなく足運びが罠の位置に来るよう誘導してるのね」


 誰だってわざわざ小石や枝を踏んで歩いたりはしない。

 つまずく程の大きさでもなければ、意識もせずに避けてしまうだろう。

 そうなれば自然と足の置き所は定まってくる。

 しかし、獲物はそのことに気づきもしないのだ。


「次は偽装を施してみましょうか」


 そう言って彼は枯葉やらなんやらを集め始めた。

 そして先ほどと同じように周囲にさり気なく配置し始める。

 程なくして罠は完全に消えてしまっていた。

 仕掛けた私ですらそこに罠があると気づけない程だ。

 変人ではあるけれど、彼が腕のたつ罠技師なのは間違いないらしい。



 さらに数か所、同じような罠を仕掛けて私たちは家に帰った。

 その途中、二羽の山鳥と、兎を一匹見つけて蔦で絡め捕った。

 これでひとまず、私が役に立つということはわかってもらえるはずだ。

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