F茶筒塔の殺人

F茶筒塔の殺人 プロローグ




 [第四話  F茶筒塔の殺人]






 4月25日。金曜日。



 朝からうるさいことでお馴染みのミカンちゃんだが、今朝は一段とうるさかった。



「――でね、怪盗グアバの暗号を解読したのがね、なんと女子高生なんだって! 匿名希望らしいけど、どうやらF苑女学園の生徒だって噂もあるのよ! 凄いわよねぇ!」

「……へぇ、そうなんですか! 初耳です」



 肩を並べて登校しながら、私は白々しい返事をする。無論、名乗り出るようなことはしない。そんなことをすると、きっと大騒ぎになるだろう。特に目の前のミカンちゃんには質問攻めにされるに決まっている。



「案外F推会の部員だったりして! ねぇ、イチゴはどう思う?」


 さらりと核心を突くミカンちゃんに適当な返事をしながら、私はここ数日の出来事に思いを馳せる。



 当然の配慮とも言えるが、今回マスコミは暗号の解答を発表しなかった。

 よって、ミカンちゃんは自分の貸した本が謎解きに使用されたことを知らない。

 こんなに身近で事件が起こっていることを知れば、彼女はどうするだろう。更にテンションを上げるのか、それとも、少しは心配するのか。



「ところでミカンちゃんは、怪盗グアバがどうやってドリアンダイヤを盗んだと考えているのですか?」


 ふと気になって、そんなことを尋ねる。


「野暮ね。怪盗グアバなら、壁なんてすり抜けて華麗にお宝を奪うわよ」


 駄目だこりゃ。ミステリマニアのくせに、彼女はグアバにだけはある種の幻想を抱いているのだ。


「ミステリマニアだからよ」

 と、ミカンちゃんは私の心中を察して言い放つ。

「怪盗のトリックが解説されるなんて無粋の極みでしょ」


 お気楽なことだ。

 実際に奮闘した私にとって、怪盗グアバはもっと現実的な臭いのする存在なのである。

 そんな悩みを押し殺して、モヤモヤした気分のまま学園へ辿り着いてしまった。


 教室へ向かう前に、お手洗いで顔を洗う。



 今日はミカンちゃんに挑戦するのだ。

 気を引き締めなければならない。

 先に行ってしまった薄情な彼女の後を追って、私は教室の扉を開ける。



「お? イチゴっち、お久しぶりッス!」

 すぐに、リンゴちゃんが微笑みかけてくる。私はそれにどぎまぎしつつも微笑みと挨拶を返した。


 ミカンちゃんとは長い付き合いだが、リンゴちゃんとはまだ知り会って二週間しか経っていないのだ。

 顔を合わせていない4日間の内に関係がリセットされたり、何らかの変化が起きたりすることも充分に考えられるが、それが杞憂だと確認できてなんだかほっとした。



「ミカンっちの問題、楽しみッスね。ミステリの薀蓄はよく聞かせて貰ってるッスけど、どんな問題が飛び出すのかは想像できないッス!」


 確かに、それは凄く気になる。グアバが起こした事件についてのあれこれなど、考えている場合ではないだろう。



 いつもと同じように席に着き、いつもと同じように授業を受ける。

 恐ろしいことは何もない、平穏な日常がゆっくりと流れてゆく。



 そして放課後になると、ミカンちゃんとリンゴちゃんと共に部室へと向かう。

 いつも通りの金曜日だ。



「そういえば、ねぇイチゴ? このあたしを馬鹿にしたこと、謝って貰おうかしら?」

 ミカンちゃんがドヤ顔でそう言った。

「何の話ですか」


 本気で意味不明だ。


「ドリアンの件に決まってるでしょ! この前、通学路に落ちてたヤツ! で、あたしはそれをグアバの犯行予告だと推理した。そしたらどうかしら? 実際にドリアンダイヤが盗まれた」


 はっとする。


 確かにそうだ。あまりにも下らなさ過ぎる上に、いつも通り主観が多分に含まれた推理だったので、今の今まで忘れていた。


「どう? あたしの事、見直したかしら?」

「……いや、偶然だと思いますけど」

「何よ!」


 流石に関連性はない――と思いたい。

 気分が悪くなる妄想だ。


「ドリアンって何スか?」

 リンゴちゃんが首を傾げる。

「ふふん、あたしの推理を聞きなさい」

 ミカンちゃんは得意気だ。


 けれど、

「――って、リンゴに言いたいことがあったのよ」

 急に怒気を孕んだ声色でそう言った。


「え? なんスか?」戸惑うリンゴちゃんに、

「説教よ」

 ミカンちゃんはぴしゃりと言い放ち

「イチゴ、悪いけれど先に行っててくれない?」

 ぶっきらぼうにそう続けた。



 突然のことに面を食らい、しばし沈黙してしまう。

 しかし、実は彼女が見た目ほど怒っていないことは、私が一番よくわかっていた。

 本気で怒ったときのミカンちゃんは、部室での彼女がそうであるように、周囲を気にせずに激昂する。


 だから、今回の場合は『あたし、ちょっと頭にキテますよ』という冗談混じりのアピールに過ぎないのだ。

 けれど、不満をぶつけることに変わりはないので、無関係の人は巻き込みたくない。そういった配慮ができるほどには冷静なのである。

 こういう怒り方をする時のミカンちゃんなら放っておいても大丈夫だと確信し、私は彼女の言う通り、二人を置いて部室の扉を開いた。





「あら、一人で来るなんて珍しいわね」


 薄暗い部屋から、メロン先輩の凛とした声が聞こえてくる。

 見ると、彼女はテーブルの上のロウソクに火を灯している所だった。

 ロウソクの明かりだけで推理ゲームを行う理由だけは未だによくわからないが、少なくともメロン先輩にとっては重要なことなのだろう。その表情は真剣だった。


 見た所、他の部員は誰も来ていないようだが、私は構うことなくメロン先輩の向かいの席に腰を降ろす。座りたかったというよりも、そうせざるを得ない雰囲気が辺りに漂っていたのである。


 部活が始まるまで後10分くらいだろうか。薄暗い部屋に二人きりでいると、まるでメロン先輩が怪しげな占い師のように見えてきて、少々落ち着かない。


 こんなことならミカンちゃん達の喧嘩が終わるのをどこかで待っていればいかったな、などと勝手なことを思っていると、メロン先輩の方から話しかけてくれた。



「そう言えば、ミカンの様子はどうだった?」


「はい? いつも通りでしたよ?」


「ふぅん。余裕綽々というわけね」



 そう言えば――



 先週、私は授業が頭に入らないくらい緊張していたのだった。

 出題者になるということは、それだけ特別なことなのだ。少なくとも私にとっては。


 そう考えると、朝から楽しそうにグアバの話なんかしているミカンちゃんは、自信すら顔に出さないほどに自信満々ということになる。


 そんな友人の図太さに感心している内に、続々と部員が集まってきた。



 スモモ先輩、ザクロ先輩、リンゴちゃん。



 そして最後に、原稿を持ったミカンちゃんが現れた。





「――本格ミステリが好きな人間として言わせて頂きます」





 それが彼女の第一声だった。


「皆さんの作品には、呆れるくらいに伏線がありません。どれもこれも、最終的な解答は消去法によって導き出せるものでしかない」


「否定はしないよ」

 と、ザクロ先輩が反論する。

「けれど僕らの問題は、色んな可能性の中から『これ以外は有り得ない』という所まで絞れるようになっている。六つのルール、文末の補足、作中の矛盾――様々な手を使って守りを固めている」


「いいえ、あんなに屁理屈ばかりが許されるのであれば、別解だってどこかに転がっているはずです」

「真に完璧な問題なんてないからね、それも否定しない。けれど、君はその別解とやらを見つけられず、与えられた解答に唸るしかなかった。


 今この瞬間でさえも、『あの問題には、こういう隙があります』と反論することができない。ならば、少なくとも僕らの間でのそれは、完璧な問題だったと言えるのではないかな」



「ミステリとしては完璧ではないです!」



「まさか君、十戒や二十則を未だに信仰していたり、小説の書き方系の指南書を鵜呑みにして、その付け焼刃の知識で既存作品を批難しちゃうような、化石タイプのミステリマニアじゃないよね?」

「だったらなんですか? 古典的なルールも、先人の指南も、緻密な伏線も、ミステリをミステリ足らしめる守護神です」



「そっかそっか。でも残念だけど、ここではルールFこそが神だ」



「ええ。その疫病神をぶち殺すために、あたしはここにいます」




 お互い言いたいことを言い終えたのか、剣呑な口論が一時鳴り止む。




「前置きはそれくらいで良いかしら?」

 タイミングを見計らったように、メロン先輩が口を開いた。


「――ミカン。あらかじめ言っておくけれど、負けたからって退部は認めないわよ?」

「当然です」



 もはやどんな煽りも受け付けない超然さを持って、ミカンちゃんは私達全員を睨みつける。



「そもそも、アップルパイだブラックチョークだってのが舐めてるんです。ミステリといえば殺人事件。そして魅力的な謎。もっと求心力が必要でしょう」



 挑発的な宣戦布告。



 そうだ、今から始まるのは文字通り、F推会の未来を決める戦争なのだ。

 私達は革命家と対峙する自覚を持たなければならない。





 





 ミカンちゃんは、五人の挑戦者を見下ろして、





「一人でも正解者が出ればあたしの負け。その場合に授けるのは、約束通り、あたしのミステリマニアとしてのプライドです」





 挑戦状を叩きつけた――。

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