VS怪盗グアバ ドリアンダイヤ戦 解答編
[VS怪盗グアバ ドリアンダイヤ戦 解答編]
(※ヒントを先にお読みください)
カシス君と別れた後、モヤモヤとした心を洗い流そうと、行きつけのスーパー銭湯に立ち寄った。
F苑女学園の近所にある『ハスカップ』という名のその銭湯は、路地裏の狭い場所にひっそりと建っており、とにかく客が少ないと言うのが一番の特徴だった。
平日に人がいることは稀で、休日でも二、三人しか客はいない。近所に温泉の大浴場があるのが理由のひとつだろう。
こんなのでやっていけるのかと不安になる反面、人がいないという点を、私は最も気に入っていた。
「こんにちは」
一応挨拶をしてから、
ガラガラ――と、立てつけの悪いボロボロの扉を開けて中へと入る。
「いらっしゃい」
番台のお婆ちゃんが枯れた声で呟く。
『ビワ婆ちゃん』という名札をつけた老婆である。機械的に業務を熟す番台さんで、常連の私でさえまともに話したことがない。
彼女の口から出てくる言葉は「いらっしゃい」「まいどあり」「足りないよ」「閉店だよ」くらいだ。
ちなみに、料金が足りなければ「足りないよ」と言うが、多ければいつも通り「まいどあり」と応じられるのはご愛嬌である。
「さっぱりしに来ました」
「まいどあり」
ビワ婆ちゃんに入浴料の三〇〇円を手渡し、私は女湯の暖簾を潜る。
誰もいない脱衣所。
躊躇うことなく服を脱ぐ。
服と下着と財布とメモ帳を、剥き出しの籠に放り込む。
鍵付きのロッカーなんてものはない。脱衣所、浴場共に掃除も行き届いていない。
更に――
浴場の扉を開ける。
中央に直径4メートルの円形のお風呂。隅に三つの洗い場。それだけ。
大切な要素の一つである最奥の壁は、富士ならぬ無地。申し訳程度に一枚の絵画が飾られているけれど、こちらもセンスを疑う。
女の子が果汁に溺れている様子を描いた意味不明なラクガキなのだ。
そもそも、額縁に入れているとはいえ浴場に絵画だなんて。物を大切にする気がまるでない。
客が少ないのも頷ける。
ここに通う女子高生なんて私一人だろう。
今度F推会の誰かを誘って反応を見てみようか。ターゲットはやはり、ミカンちゃんが良いだろう。
今はF推会に怒り心頭なので火に油だろうが、彼女が落ち着いたら是非――などという悪戯心が首を擡げる。
洗い場に向かい、身体をさっと洗い。すぐに熱い湯に浸かる。
円の端ではなく、贅沢にも真ん中を占領させて貰う。
周りは汚いが、浴槽自体は概ね綺麗に掃除されていて、湯も透明である。
温度だって申し分ない。そして、平日はほとんど貸切だ。
だから、いつも他の不満は疲れと共に飛んでゆく。
――ぼんやりと雲ってゆく視界の中で、私はカシス君との別れ際の会話を思い出す。
「――最も意外な犯人。逆に『普通の犯人』や『明らかに怪しい犯人』と言うのは無いですよね?」
「裏を読み続けた末にそれが来たら確かに意外だけれど……」
「……最も意外とは言えないですね」
それで驚けたり、してやられたと思うか、と問われれば確かに言葉に詰まる。
「解答としてはちょっと面白いけどね。そこに立ち返ると言うのは『意外』を重ねた果てに出てくる思考だし。そう言う意味ではそれが『最も意外な犯人』と言われると、ちょっと納得してしまう部分もある。
一冊のミステリとしてではなく、一つのクイズとしての話ではあるけれど」
「……なるほど。しかし自分で言っておいて何ですが、次に繋がりませんね」
「そうだね。最終目的はドリアンダイヤに辿り着くことだから」
二人してううむと唸る。
「カシス君の中で答えはありますか?」
「んー、そうだね」
カシス君は難しそうな顔で、
「一応、頑張って出した答えが、『実在の有名人、芸能人、偉人』等かな。
それだけならきっと前例はあるだろうけれど、『存命の有名人』に絞れば、ポストの中の応募作品という前提とも相まって、前例がないほどに意外な犯人が姿を現す作品を描くこともできる」
「……と、言うと?」
「例えば、本編の箸休め的なシーンで作中人物が生放送のテレビを観ている。テレビの中の出来事は細かく描写される。
ここで、オリジナルキャラやパロディキャラではなく、今も尚テレビで活躍中の実在の有名人を実名で登場させておく。
後に、その人物の番組内での発言や行動、映っていなかった時間などがきっかけとなり、全く関係がないと思われた本筋の事件の犯人であることが発覚する」
「……た、確かにそれは驚きですね」
「有名人が完全なオリジナルキャラの場合に限り、それは出版物として成立するだろう。誰かをモデルにしたパロディキャラでも厳しいと思う。
と言うか、例えパロディが認められても、このネタにおける最大限の効果は得られない。実名で何気なく描写された――誰もが知るような実在の人物が犯人だった方が衝撃は大きいでしょ?」
「……そうですね。このネタをオリジナルキャラで消化してしまうのは勿体ない気がします。でも常識的に考えて、本人に無許可でそんなものを出版できるはずがないですよね」
「うん。それでも実在の人物を犯人とした作品を描くならば、せいぜい作者の知人である作家仲間等に許可を取るのが限界で、内輪ネタ感は避けられないだろう。
テレビドラマでなら可能かも知れないけれど、テレビってのは元々芸能人が活躍している『場』だから、こちらも驚きよりも内輪ネタ感が強くなる。
だから、このネタを最大限に生かせるのは『小説』なんだけど、そんな作品が存在すること自体がとても難しい」
カシス君はそこで一息ついて続ける。
「――けれど、これが素人の応募作品ならどうだろう? よろしく無いことは変わらないし、世に出ることもないだろうけれど、ポストの中にそんなミステリが存在する可能性自体は否定できないでしょ」
「……た、確かに」
応募作品という伏線を回収していると言う点においても、今までで最も理に適った回答と言える。
しかし、
「でもね――」
と、カシス君は難しそうな声で続けた。
「――これが答えだったとしても、僕は納得しないかな。いやまぁ、誰もが納得できる回答なんてあるはずはないのだけれど、それでもこの答えの先にも同じ問題があるから、ね」
「なるほど。先程言っていた、次に続かないという話ですか」
「うん。ポストから『有名人が犯人になっている原稿』を探す、というお題に変わるけれど、何の手掛かりもないでしょ?
もしこれが正しい道なら、その原稿に行きつく手掛かりを暗号の中に仕込むべきだと思う。それに、結局『実在の有名人犯人説』が最も意外かと言われると、自信を持ってイエスとは言えないでしょ?」
「それを言い出すと、キリがなくないですか」
「確かに感覚的な問題だからね。全員が納得する答えは有り得ない。けれど――それでもピースが嵌った感覚はないんだよね、この答えだと。
グアバの暗号である限りは、例え納得できなくても、無理矢理だとしても、最後にはそれなりにピースが嵌る感覚を求めてしまうんだよ――少なくとも僕はね」
熱い湯に肩まで浸かりながら、ふぅと息を吐く。
カシス君との会話を反芻しても、その先の答えには辿り着けない。
ミステリマニアのミカンちゃんなら、どんな答えを出すだろうか。
あるいは、F推会のような別視点のアプローチが必要なのかも知れない。
何もかもを見透かすような部長のメロン先輩なら、この問いにどのような答えを提示するのだろうか。
ああ駄目だ。現実逃避をして、F推会のことばかり考えてしまう。
のぼせてきたせいもあるだろうが、もう思考の限界だ。
私はゆっくりと湯から上がり、ぼんやりとした頭のままで身体を拭いて身支度を整え、結局心のモヤモヤを洗い流せることもなくハスカップを後にした。
ひんやりとした風が身体の熱を冷ましてゆく。
早く帰らないと風邪をひくだろうが、その後も街をぶらぶらと徘徊した。
特に目的があった訳ではない。ただ、何の収穫もないまま帰宅するのが無性に悔しかったのだ。
気付いたら午後10時を過ぎていた。
空は炭を流し込んだように、徐々に暗く黒く染まっていく。それを見ていると自分のプライドが幼稚で虚しいものに思えてきて、結局、私は何の収穫もなく帰宅した。
部屋の明かりを点ける気力も湧いてこない。そのままぼんやりと座り込む。
夕食も取らずに自室で放心していると、時間の感覚が剥がれ落ちていく。
思考がぐるぐると回転し、ゴールのない迷路を彷徨い続ける。一時間も二時間も、一人の部屋で無駄な時間が経過する。
薄暗い部屋の中で、ぼんやりと光る携帯電話のディスプレイを見ると、既に深夜の2時を過ぎていた。
耳鳴りがする。
――シャンシャンと、遠くから鈴の音が聴こえる。
こんな夜中に祭をやっているはずはない。よくある幻聴だ。
脳が覚醒しているのか、あるいは麻痺しているのか。昔から、心を空っぽにしていると、いつもこのような音がどこからともなく聞こえてくるのだ。
――シャンシャンと、
鈴の音はしだいに強くなる。
クリスマスなら多少はロマンチックなのだが、今は4月の丑三つ時。
この世ならざる者が盛大に祭をしている姿を幻視する。
そいつらは贄を求めていて、私を連れ去ろうとしている。そんな妄想を子供の頃はよくしたものだ。暗い窓の外に不気味な顔が浮かび上がり、鈴の音は耳元で鳴り響くのだ。
――シャンシャンと。
暗闇の中で、私はその音に操られるようにして――部屋の隅にある学生鞄を見つめた。
そうだ。カシス君との推理でぶつかった『その後が続かない』という壁。そこに迷い込んでから、ずっと考えていた。
――逆にどうすれば、先に続く答えなど有り得るのか、と。
そして、
これは情けなくて、逃避に近いような思考ではあるけれど、
もしも――知識も知恵も私より上であろうカシス君が辿り着けなかった回答に、私が辿り着く可能性があるとすれば、そんな未来があるとすれば、
それはどんなものか――
二つの命題に対する答え。
そのピースが、ピタピタと――嵌っていく音がした。
視線の先には学生鞄。
でろんと開いた黒い口。
吐き出しているのは、沢山の教科書と一冊のミステリ小説。
それをぼんやりと眺めていると、鈴の音に割り込むようにして、何者かが私の脳に語りかけてくる。
――チノハコ
――血の箱? 否。
――知の箱だ。
――はは、と口元から渇いた笑みが零れる。
そんな馬鹿な。
何をおかしな妄想をしているのだ。疲れて心が空になるといつもこうだ。不思議な世界へと誘われて困る。
これはミカンちゃんが私に貸してくれた小説だぞ?
そして、これを学生鞄――すなわち『知の箱』へ入れたのは他ならぬ私自身だぞ?
それを、怪盗グアバという怪物が全部計算したと言うのか?
こうなることを予測したと言うのか?
だとすれば――ソイツは一体何者だ?
いや、そんなことよりも、カシス君の言葉が脳裏を過ぎる。
――『不特定多数に向けた誰にでも解ける暗号』という保証はどこにもない……。
まさか、新聞に掲載されて沢山の人の目に触れたアレは、
――この私だけに向けられた暗号だとでも言うのか?
握りしめた携帯を必死に操作し、深夜の2時過ぎという時間も忘れ、私はミカンちゃんに電話をする。
長いコールの後、眠そうな声の彼女が電話口に出る。何事か喚いているが、私は要件だけを伝える。
自分でも何を言っているのか理解できなかった。
ミカンちゃんに何度も「落ち着きなさい!」と叱られて、数分後にようやく、あのふざけた小説について聞き出すことができた。
「――はぁ? 魔法なんて登場しないし、探偵は犯人じゃないわよ!」
と。
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