Fアップルパイ盗難事件 問題編
[ザクロからの挑戦状 『Fアップルパイ盗難事件』]
8月某日。午前11時。
F苑女学園一年F組担任のレモンは、午前中のデスクワークを全て終え、小さく伸びをした。
机の上には片付けられた書類の山と、黄色い風呂敷に包まれた小さな弁当箱がある。弁当箱の中身は彼女の大好物であるアップルパイだ。
早起きをして焼いた贅沢なエネルギー源。昼食として申し分のないそれを頂く前に、まずはインクで汚れた手を洗おうと職員室を出る。
そこで、
「ああ、レモン。お疲れ」
F苑女学園の校長であるキウイと出くわした。
ぴっちりと着こなしたスーツと、銀色のジュラルミンケース。恐らく、これから出張なのだろう。
「ああ、父さん。お疲れ様です」とレモンは応じる。
キウイ校長とレモンは親子関係である。他の教師や生徒がいる前では他人行儀に話すが、二人きりの時はどうしてもフランクになってしまう。
お互い、誰も見ていないのに敬語で会話することには羞恥心を抱いてしまうのだ。だからそれは、暗黙の了解だった。
「ねぇ、父さん。教師って、思った以上に大変なのね。夏休みに入っても、生徒に振り回されっぱなしで……」
最初は、職場に家族がいることに抵抗があった。
けれど、気兼ねなく本音を言える相手がいるというのは想像以上に心が休まるものだ。レモンはアップルパイの存在も忘れ、父親に愚痴を零す。
彼女の悩みの種は、ほとんどが一人の生徒に関する物だった。
リンゴという名の、一年F組の問題児。
彼女は期末テストで大量の赤点を取り、現在教室で補習を受けている。受けているといっても教師がいる訳ではなく、出された課題を淡々と熟しているだけだ。
「他の生徒は及第点なのですが」
夏休みに、ひとりぼっちの教室で課題を熟す。それは悲惨な光景だろう。
しかしそれでも、理不尽な被害をこうむるのはいつだって教師の方だ。
たった一人で大量の赤点を獲得して、仕事量を大幅に増やしてしまう生徒。愚痴のひとつやふたつくらい零したくもなるだろう。
「――という訳で、本当にリンゴさんには困り果てていて」
「災難だね」
「人災です」
「でも不良じゃない。優しく寄り添うんだよ」
「わかってるけど、リンゴさんってば悪びれもしないし……」
窘められると、逆にヒートアップしてしまう。まるで歌うようなスムーズさで、愚痴がどんどんと溢れてくる。
気付けば時刻は、午前11時30分。
長話に体力を奪われたのか、きゅるる――と、レモンのお腹が小さく鳴った。
ああそういえばと、ようやくアップルパイの存在を思い出す。
その時、
「あ、レモンっち! 終わったッスよ!」
噂をすれば影。
補習を終えたらしき件のリンゴが、呑気な笑顔で現れた。
「おや、偉いね」と、キウイ校長が優しげに声をかける。
「それほどでもッス、キウイっち!」
「こら、私には『レモン先生』、キウイ校長には『校長先生』でしょ」
レモンが疲れ果てた口調で窘める。何回言っても改めないのだ。
「まぁまぁ。徐々に慣れていけば良い――じゃあ、僕は出張だから」
キウイ校長は「がはは」と笑って、廊下の向こうへ歩みを進めた。
レモンは、リンゴと二人でその背中を見送る。
やがて、
「課題、見て貰えるッスか?」
無邪気な笑顔。
「先に昼食を食べさせて」
正直に言った。
「じゃあ二人で食べるッス!」
まあいいか。
頷いて、レモンは職員室へ入る。
後ろから、リンゴがひょこひょこと着いて来た。
そして、自分のデスクの前まで来た所で、手を洗う為に席を離れたことを思い出した。苦笑しながら踵を返そうとしたが、デスクの上を見て目を見開く。
30分前までは確かに存在していたアップルパイが姿を消していたのだ。弁当箱は勿論、風呂敷すらもない。
「ど、どうして……」
しばらく呆然とした後に、そんなはずはないと、デスクの下や周囲をじっくりと探すがどこにもない。
午前11時40分。
狼狽するレモンを不思議そうに見守っていたリンゴが、痺れを切らして口を開く。
「どうしたんスか?」
「ア、 アップルパイが……」
「ん?」
「私のアップルパイがないんです!」
我を忘れ、慟哭するレモン。食いしん坊の彼女にとって、それは午後の仕事の出来に関わる重要な問題だった。
午前11時45分。
「うぅむ、これは事件ッスね。こういうときはF推会の出番ッス!」
リンゴが適当なことを言う。しかしレモンは藁にも縋りたい想いだったらしく、リンゴに手を引かれ、F推理研究会の部室へと向かった。
F推理研究会は夏休みも度々活動をしており、幸い、本日も正午から推理ゲームを始める予定だった。
レモンとリンゴがF推会の部室へ訪れたのは午前11時50分。
二人が扉を開けると、そこには、メロン、ザクロ、スモモ、ミカン、イチゴの五人がいた。部員は全員揃っている。さっそくレモンが事情を説明した。
「なるほど、それは面白いですね」
メロンが口元に笑みを浮かべてそう言った。
「お、面白いって! 先生は大変なのですよ!」
レモンにとって、その態度は気に食わないものだったのだろう。
「と、とりあえず皆さんのアリバイを教えてください!」
顔を真っ赤にして、そんなことまで口走る。彼女は完全に疑心暗鬼になっていた。
もしかすると、学園にいる全ての人間のアリバイを聞いて回るつもりかも知れない。
レモンの暴言を受け、イチゴが悲しそうに俯く。そんな彼女にスモモが優しく声をかけた。
「大丈夫、イチゴさんは犯人じゃない。ううん、わたしはこの中にレモン先生のアップルパイを盗んだ人なんていないと思ってます」
けれどレモンは引き下がらない。
「そ、それでも、一応アリバイを聞かせてください! アップルパイが盗まれたのは午前11時から午前11時30分までです! その間、何をしていましたか?」
仕方なく、全員がアリバイを供述することになった。
「――わたくしは部室でザクロと話していました」
最初に口を開いたのは部長のメロンだった。彼女はレモンを煽るように、にやにやしながら続ける。
「午前10時にF推会の部室へ入り、現在まで、一歩も外へ出ておりません」
「ひひ、メロン君のアリバイは僕が証明しますよ」
と、ザクロが口を挟む。
「彼女の言うように、僕もその時間は部室でずっとメロン君と話してた。
「確かに、ザクロが来るまでは一人だったのでアリバイはありません」
メロンは意地悪そうに微笑んで続ける。
「――勿論、それはザクロも同じだと思いますけどね」
「ひひ、確かに。僕もそれまでは一人だった」とザクロ。
「ですが、午前10時30分以降、ザクロはこの部屋を出ていない。それは、わたくしからも保証しておきましょう」
メロンがそう締めくくる。
レモンは少し訝しがりながらも、他の生徒へと視線を向ける。
次に口を開いたのはスモモだった。
「わたしはその時間、ずっと部室のお掃除をしていましたし、今もその最中です。
ただ、雑巾を洗いに行ったり、ゴミを捨てに行ったりと一人で部室の外に出ることが多かったので、完璧なアリバイとは言えませんね」
「ひひ、確かにスモモ君はバタバタしていたからね」
ザクロはこめかみに人差し指を当てて続ける。
「確か、スモモ君が部室にやって来たのは午前10時50分。
必要ないって言ったのに、すぐに掃除を始めて……その後、何度も一人で部室を出入りしてたよね。
最長だと、午前11時から午前11時10分までの10分間、ずっと部室の外にいたと思う。
けれど短い付き合いじゃないから、純粋なスモモ君が人の物を盗んでおきながら掃除を続けていたら流石にわかるよ。というかまだ掃除が終わらないなんて、本当に綺麗好きなんだねー」
ザクロの曖昧な理屈に嘆息しつつも、レモンは「じゃあリンゴさんは?」と今度はリンゴに矛先を向ける。
「オレは一人でずっと補習を受けていたッス。課題を提出しようと職員室に向かうと、ちょうどレモンっちが扉の前にいたッスね」
リンゴはあっけらかんと答える。
「ミカンさんとイチゴさんはどうですか?」と、レモンは残った二人にも質問する。
「その時間は、まだ学園へ向かっている最中でした」
ミカンはイチゴを一瞥しながらそう供述し、
「勿論、私もミカンちゃんと一緒です」
最後に残ったイチゴもそう言った。
さて、これで全員のアリバイが出揃った。
ここからがF推会の本領発揮だ。まずはここにいる人間の無実を証明しよう。
部員全員がそう思っていると、
「あは、あははははははははははは」
レモンが腹を抱えて笑っていた。
眼尻に浮かんだ涙を拭い、
「……あはははは――犯人わかっちゃった」
レモンはぴしゃりとそう言った。
それから犯人を指さして、
「最初からおかしいなって思っていたけど、あなた、私を馬鹿にしているでしょ!」
大声で怒鳴りつけた。
●補足
・職員室の出入り口は作中に登場した一か所のみ。問題を複雑にしない為に、窓なども存在しないこととする。職員室を出入りする為には作中に登場した一か所の出入り口を使用する他ない。
・午前11時から午前11時45分の間に職員室を出入りすると、必ず誰かに目撃される。目撃された場合は必ず作中に明記される。
・職員室からF推会の部室までの道程はたった一つしか存在しない。道中で誰かを追い越すと必ず目撃される。目撃された場合は必ず作中に明記される。
・作中に明記されていない通路や抜け道などは、どこにも存在しない。
・事件は同日中に発生しており、時系列は前後していない。
●問題
・レモン先生のアップルパイを盗んだ犯人の名前と、その方法をお答えください。
〈以上〉
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