Fアップルパイ盗難事件 開戦前(ルール確認)
「では、ザクロに任せようかしら」
メロン先輩がそう言って、ぽかんとしている私達に妖しげな笑みを向けて尋ねる。
「――貴方達も、それで良いわね?」
挨拶だけのつもりだったが、今更断れるような雰囲気ではなかった。
それに、興味がないと言えば嘘になる。
「――わかりました」と、ミカンちゃんより先に私が答えていた。
ミカンちゃんが物珍しそうな顔で、私を見つめ、
「……あ、ああ。あたしは勿論、構いません」と呟く。
「オレも大丈夫ッスよ!」
三人の同意を受けて、ザクロ先輩は本棚の上の黒いノートパソコンを手に取り、ゆっくりと開いた。
「……ひひ、じゃあ軽めのインタビューをするね」
「インタビュー?」とミカンちゃんが首を傾げる。
「うん。原稿の中の『登場人物』は僕達自身だからね」
「架空の登場人物を設定しない、と?」
「ええ、そういう趣向です」
と、先程から黙っていたスモモ先輩が口を挟む。
「別にオリジナルキャラクターを出しても問題ありませんが、基本的にはわたし達もしくは学園関係者を作中に登場させます」
「……ひひ、いちいち登場人物の名前を憶える手間が省けて良いでしょ? でも僕はまだ君達のことをよく知らないからね。だからインタビュー」
「ああ、なるほど」
そう返事をするや否や、ミカンちゃんはそのまま、勝手に一人で話し始めた。
彼女の口から、「リンゴは馬鹿です」「イチゴはいつまでも距離があります」といった一方的な印象が語られ、ザクロ先輩は頷きながらキーボードを叩く。
インタビューは自己紹介の続きも兼ねており、やがて他の先輩方や私達も口を挟むようになる。
数十分も過ぎれば、もはやザクロ先輩は原稿に集中していて、残る五人で談笑しているだけという状況になった。
やがて、関係のない話題をいくつか通過した後に、
「――ああ、そうだ。先に、全ゲーム共通のルールを紹介しておきましょう」
メロン先輩が真面目な口調でそう言った。
「……あ、ルールを設定しているのですね」
ミカンちゃんが興味深そうに尋ねる。
「ええ。問題は短くてシンプルであることが望ましいの。あらかじめ共有のルールを決めておかないと、複雑で美しくない問題ができてしまう。それは出題者と解答者の双方にとって好ましくないでしょう?」
確かにそうかも知れない。
あまり複雑な問題を出されても解けるとは思えないし、難しい割には面白くないというのが常だろう。
「だから、我が部では出題者全員が守るべき六つのルールが存在するの。一つ一つ紹介するわね。各自、メモをとって頂戴」
その言葉に従って、私達は筆記用具を取り出す。
部屋は暗いが、テーブルの中心に並べられたロウソクの炎は意外に明るく、手元を見るには充分だった。
「では――」と、
メロン先輩は深く息を吸って続ける。
「まずはルールA。【犯人は『メロン、ザクロ、スモモ、リンゴ、ミカン、イチゴ』の中に存在しなければならない。】。作中でのわたくし達は、問答無用で容疑者とされる」
「ああ、なるほど。これもオリジナルキャラクターを設定しない理由の一つなんですね。しかし最初から容疑者が六人に絞られているなんて、かなり簡単じゃありません?」
得意気に言い放つミカンちゃんに、
「さて、どうかしら」
メロン先輩は妖しく微笑んで続ける。
「続いてルールB。【犯人は一人。あらゆる意味で共犯が存在してはならない。】。それからルールC。【犯人以外は嘘をついてはならない。】」
「ふむ。確かに共犯の存在と犯人以外の嘘は真相として美しくないですからね。余計な推理をしなくて済みそうです」
「問題文を短くするのはF推会では暗黙の了解みたいなものだからね。実際これらのルールは、余計な枝葉を切り落としてくれるわよ」
「では次。ルールD【地の文に嘘が存在してはならない。】」
「これはお約束ですね」
「ええ。――イチゴとリンゴの為に補足しておくと、『地の文』というのは『台詞以外の全ての文章』のことね。F推会では、作者から読者への注や補足もこれに含める。
つまり、ルールCとルールDを組み合わせると、【作者は犯人の台詞以外の場所に嘘を書いてはならない。】と言うことになる。
例えば、『メロンが死んでいた』と書かれていた場合、『実はメロンは死んだふりをしていた』という真相は有り得ないし、『死んでいたのは、実はメロンではなくザクロだった』という可能性もない。
『死んだ』と書いたなら絶対に死んでいるし、『メロン』と書いたならその人物は絶対に『メロン』である。だから、このゲームでは変装や偽装は有り得ない。勿論、死体の描写に限った話ではないわよ」
メモを取りながら、ミカンちゃんは満足気に頷いた。彼女にとっては言うまでもないようなルール確認なのだろう。
「次に、ルールE。【『あらゆる道具、難解な科学、専門的な知識、超常現象』等は明記した場合を除き存在してはならない。】」
「なるほど、高度な科学技術が使われたトリックなんかは禁止と言う訳ですね。これも納得のルールですが、『あらゆる道具』と言うのは?」
「言葉通りの意味よ。例えば明らかに針と糸のトリックが使われたとわかる古典的な密室が目の前にあっても、『あらゆる道具』に含まれる『針』や『糸』が作中に登場してない場合、その推理は披露できない。『明記した場合を除き存在してはならない』ってのはそういうことよ」
「……ふむ。それはかなりシビアですね」
ミカンちゃんは難しそうな表情で唸る。このルールに関しては、少し思う所があるようだった。
その時、「……ひひ、できた」という不気味な声が私達の耳朶を打った。
一瞬、部室が静まり返る。
全員が、声の主であるザクロ先輩に注目した。
彼女はフラフラと身体を揺らしながら立ち上がり、
「……原稿、印刷してくるね」
ノートパソコン片手に、幽霊のような足取りで部室を出て行った。
執筆開始からまだ一時間も経過していなかった。本当に、たった数十分で原稿を完成させたと言うのだろうか。
なんとなく空気が引き締まって、無言の時間が続く。
ほとんど会話のないまま五分が経過し――
やがてザクロ先輩が、先程よりはまともな足取りで帰って来る。
「……ひひ、お待たせ。あ、まだ表に向けないでね」
そう言って、彼女は原稿用紙を裏向きにし、部員全員に配った。
自身の前に置かれた原稿用紙をなんとなく手に取る。
ホッチキスで留められた数枚の紙。
予想以上に薄い。
――気軽に読み返せそうで良かった。
ミカンちゃんのオススメミステリを稀に読む以外には、積極的に読書をすることが皆無な私は、その点に最も安堵した。
「……ひひ、もう開始して良いのかな? メロン君、ルールの説明は終わったのかい?」
ザクロ先輩に尋ねられて、メロン先輩は「……あ」と声をあげる。
「ごめんなさい。最後に一つ。大事なルールを言ってなかったわ」
「そういえば六つでしたっけ?」とミカンちゃんがペンを握って尋ねる。
「ええ。AからEまでのルールは理解して貰えてるわね? 今から言う最後のルールは、F推会において最も大切なものだから。――きちんとメモしてね」
メロン先輩は、そこで一度深く呼吸をした後に、
「ルールF。――【ルールA~E以外の全てを認める。】」
とんでもないルールを口にした。
「…………す、全てを認めるって」
ミカンちゃんが目を見開き、不満の色を含んだ声を発する。
かく言う私も、思わずメモを取る手を止めてしまう。
けれど、その理由は恐らくミカンちゃんとは対照的だろう。心の中にあるのは疑問や反感などではなく、純粋な期待だった。
そのルールを聞いて、私はなんとなく面白いことになりそうな気がしたのだ。
「……え、えっと。そんなに驚くことなんスか?」
と、リンゴちゃんは首を傾げる。
それは、とても純粋な反応だった。
私が『とんでもない』と思ったのは、それをわざわざ断っているという点においてである。
単に五つのルールで終わっていれば、そうは思わなかっただろう。
契約書の最後に、わざわざ『上記以外は何でもアリ』と書かれていれば訝しむように。
ミカンちゃんも、恐らく同質の所感を抱いている。彼女は、しばらく口をパクパクさせた後に、メロン先輩に抗議した。
「そ、それはちょっと」
「ごめんなさいね。ちょっとと言われても、このルールは変更できないの」
「だ、だってそんな無法地帯は――」
「ひひ、じゃあ時間も惜しいしさっそく始めようか」
ミカンちゃんの抗議をザクロ先輩が遮る。
「――今回は新入部員歓迎会ってことで、解答権があるのは、ミカン君、リンゴ君、イチゴ君の三名のみ。メロン君とスモモ君はわかっても答えちゃ駄目だよ。難易度はいつもより低めにしてあるから」
ザクロ先輩は私達の顔を見てニヤリと笑い、
「じゃあ、ゲーム開始だ。正解者には僕の手作りアップルパイをご馳走しよう。とっても美味だよ。――それでは、一年諸君の健闘を祈る。良い初陣を」
勝利を確信したかのような瞳で、宣戦布告した。
心が少しだけ熱くなるのを感じる。
何事か喚き散らすミカンちゃんを視界から外し、
――私はさっそく、頂いた原稿を読み始めた。
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